本―日露近代史2019年04月01日

  
麻田雅文/著『日露近代史 戦争と平和の百年』 講談社現代新書 (2018/4)
  
 新書本ながら、480ページの大書。
 明治以降、日本敗戦期までの日ソの政治関係史。日本の誰それが何をしたのか、どういう考えだったのか、と言うことが記述の中心。日露近代史全般が記載されているけれど、ページ数の多くは、日本の政治家の動向や日本の政治家の人間関係などが記述の中心で、私には今一つ興味が持てなかった。

本―牟田口廉也2019年04月02日

   
広中一成/著『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』 講談社新書 (2018/7)
  
 太平洋戦争中の最大の愚策として名高いインパール作戦を指揮した「愚将 牟田口廉也」の伝記。どうして、このような愚策にのめりこむような人が司令官になったのか。本書では、そのあたりの経緯を示している。
 表面的には、本書の記述で、日本軍の問題は十分に理解できるけれど、「そのような日本軍の問題点はどのようにして形成されたのか」との疑問が残った。
 日本軍最悪の愚将として有名な牟田口廉也が、インパール作戦でどれだけ愚策を続けたかについては、いくつもの本に記載されていて、よく知られたことだが、牟田口廉也のそれ以前について書かれた本は少ないので、本書に興味が持てる人も多いと思う。

本の紹介ーソ連史2019年04月03日

  
松戸清裕/著『ソ連史』筑摩書房 (2011/12)
  
 革命から崩壊までのソ連邦の歴史。主に、政治・国家・社会の歴史で、経済にも触れられているが、文化・文芸はほとんどない。
 「革命からスターリン体制の確立」「大祖国戦争から戦後スターリン時代」「フルシチョフ時代」「ブレジネフ時代」「フルシチョフからブレジネフ時代のソ連社会」「ゴルバチョフ時代」と、全時代に渡って、ほぼ均等に書かれている。そういう意味で、標準的なソ連史の本と言えるだろう。

本ー野戦郵便旗2019年04月04日

  
佐々木元勝/著『野戦郵便旗 日中戦争に従軍した郵便長の記録 第1-5部』現代史資料センター出版会 (1973/4)
   
佐々木元勝/著『続野戦郵便旗 日中戦争に従軍した郵便長の記録 第6-10部』現代史資料センター出版会 (1973/7)
  
 絶版になって久しいので、今ではあまり目にする機会がないかも知れない。
 タイトルの「野戦郵便旗」とは、戦争中の野戦郵便局に掲げられた郵便マークの旗のこと。 
 本書の著者は郵政官僚で、日中戦争のときに中国大陸の野戦郵便局の現地責任者となり、戦後は逓信博物館館長を務めた。本書は、佐々木元勝の中国大陸時代の詳細な日記。
 軍事郵便の責任者なので、当時の野戦郵便局開局や、郵便送達の事情などが詳しい。また、本書の随所に当時使用された記念郵便印の印影などが掲載されている。
 
 上巻は昭和12年8月の上海事変から同年末の南京占領まで、下巻は昭和13年3月から昭和14年8月の帰国まで。
 
 上巻最終章は南京占領時期の日記で、日本の官僚による南京虐殺の記録を含んでいる。ここでは、日本軍人の悪業の数々は記述されていないが、日本軍が捕虜にした中国人を便衣兵であるとして殺戮場所に連行したようすが記されている。
 
 下巻にはこんなことが書かれている。日本軍人は、女であれば手当たり次第強姦した事実の一端がうかがい知れる記述だ。
「ある日、漢口から高級副官と、私と親しい予備の中尉の副官が私の居室にやってくる。八十になる尼さんを強姦した話など笑い話がつづき、「最近しきりに国に帰りたい」と高級副官がくだけて心境を語る。私は野戦局スタンプを押捺した『中支の展望』(単行本)を二人に贈呈した。(P200)

本の紹介―大乗仏教概論2019年04月05日

 
鈴木大拙/著、佐々木閑/訳『大乗仏教概論』 岩波文庫 (2016/6)
 
 本書は、鈴木大拙の英語の本を、仏教学者・佐々木閑が日本語に翻訳して、解説を付けたもの。
 鈴木大拙の本文には興味がないので、佐々木閑の解説しか読んでいません。
 
 鈴木大拙は若いとき「西洋人に真の大乗仏教を教えてやる」との意気込みで、「Outlines of Mahayana Buddhism」を英語で出版した。しかし、当時、欧米ではすでに仏教研究が進んでいたので、鈴木大拙の主張は、大乗仏教の教義とは程遠く、また、サンスクリッド語の解釈もほとんど誤りであることが発覚した。このため、鈴木大拙は、同書を出版停止にして、翻訳も禁止した。本書は、鈴木大拙が死んだために、ようやく日本語に翻訳して出版されたもの。
 なお、鈴木大拙は、その後、自説を大乗仏教一般とはせずに、日本の仏教として紹介することにより、欧米で受け入れらることになる。
 
 訳者の佐々木閑は解説の中で、『大拙大乗経とも呼ぶべき、新たな聖典の誕生』と説明している。大乗仏教の経典は、釈迦の教えではなくて、後代に作成されたものだ。ただし、大乗経典が、釈迦の教えと考えられたものと、完全に無関係と言うわけではなくて、作者が「釈迦の教えの真意はこうだったのだろう」「釈迦の教えがこうなればよかったのに」「俺が儲かるためには釈迦の教えはこうあるべきだ」などと、考えて作成したであろうことは想像に難くない。そういう意味では、鈴木大拙の大乗仏教解説が新たな経典の誕生と考えられても不当ではないかもしれない。しかし、大乗経典が後代の偽作であるとしても、長い歴史の中で生き残ったものなので、ポット出の『大拙大乗経』を同列に論じることはできない。それに、日本の歴史の中で、日本で大乗経典が作成されたことが一度もないことは明らかだろう。そういう意味では、『大拙大乗経』は日本仏教の伝統にも反している。『大拙大乗経』は仏教ではなくて、阿含宗・オウム真理教・真如苑・顕正会・幸福の科学などと同列な「仏教系新興宗教」の一つではないか。

本の紹介ー日本の戦争:歴史認識と戦争責任2019年04月13日

 
山田朗/著『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』新日本出版社 (2017/12)
 
 著者は近代日本史学者で明治大学教授。岩波書店や吉川弘文館のような学術的な出版社からの学術的な本の他に、一般読者を対象とした啓蒙的な本も多い。著者は、リベラルな歴史学者で、右翼系のヘイトスピーチなど歴史修正主義に批判的である。

 本書は日本の近代史に対する歴史認識を扱ったものであり、テーマは堅苦しいが、本書はかなり平易に書かれており、歴史知識が少ない人にも容易に読める内容になっている。


まえがき

第一部 近代日本はどんな戦争をおこなったのか

第一章 日露戦争とはどういう戦争だったのか
 一 近代日本の国家戦略-日露戦争への道
 1 明治維新以来の日本の対外戦略
 2 北進=日英同盟か、南進=日露協商か
 3 日露の膨張戦略 利益線=勢力範囲の拡大をめぐる衝突
 4 日本の軍事的課題とそれへの対応
 二 日露戦争の実像と世界史的意味
 1 日英同盟の役割日露戦争遂行の大前提
 2 日露戦争が世界政治に与えた影響
 三 日本陸軍の戦略口成功と失敗
 1 日本陸軍の基本戦略
 2 日本陸軍の戦略の成功(戦争前半)
 3 日本陸軍の戦略の失敗(戦争後半)
 四 日本海軍の戦略の成功と失敗脅
 1 日本海軍の基本戦略脅
 2 日本海軍の戦略の失敗(戦争前半)
 3 日本海軍の戦略の成功(戦争後半)
 五 『坂の上の雲』の歴史認識の危うさの
 1 歴史上の人物になりきる司馬遼太郎の技法の
 2 司馬史観の問題点H明治と昭和の連続性を無視する歴史認識

第二章 満州事変と「満州国」の実態
 一 「満州国」における「五族協和」の理念と実態面
 1 「満州国」の建国
 2 「満州国」の建国の理念としての「五族協和」
 3 憲法.国籍法がなかった「満州国」
 4 満州国協和会と「五族協和」の結末
 二 反満抗日運動と「討伐」の実態
 1 反満抗日運動の諸相
 2 「満州国」側の「討伐」部隊
 3 「満州国」軍警による「討伐」

第三章 日中戦争と南京事件の真実
 一 アジア太平洋戦争の原因・重要な構成要素としての日中戦争
 1 アジア太平洋戦争への道のり
 2 世界戦争への第一段階 山東出兵・満州事変
 3 世界戦争への第二段階一華北分離・日中戦争
 4 日中戦争泥沼化の二つの要因
 5 世界戦争への第三段階 日独伊三国同盟
 二 日中戦争の性格を浮き彫りにする南京事件の真実
 1 南京大虐殺をめぐる争点
 2 その時、南京にいた日本兵は何を見たのか
 3 虐殺は組織的におこなわれていた
 4 南京事件は慰安婦問題の原点でもある

第二部 今、問われる歴史認識と戦争責任

第四章 真珠湾攻撃とは何であったのか
 一 真珠湾攻撃への道
 二 一九四一年一二月八日における日本軍の軍事行動
 1 軍事行動の始まり
 2 一二月八日の軍事的意味

第五章 戦争責任論の現在と今後の課題
 一 戦争責任論の変遷
 1 誰の何に対する責任か
 2 〈記憶〉の時代:戦争体験者から非体験者へ
 二 歴史修正主義の台頭認
 1 戦争責任論の展開と歴史修正主義台頭の関係性
 2 政府答弁書による歴史修正主義的言説の権威化
 三 戦争責任論の課題一戦争の〈記憶〉の希薄化のなかで
 1 戦争の〈記憶〉の希薄化
 2 戦争の〈表の記憶〉と〈裏の記憶〉
 3 戦争責任論の課題一〈裏の記憶〉継承の契機として

第六章 「植民地支配と侵略」の計画性と国家の責任
 1 「日本だけではない」「良いこともした」という言説の問題点
 2 「アジアの独立に役立った」という言説の問題点 
 3 「領土的野心なし」という言説の問題点 

第三部 歴史修正主義をどのように克服するか

第七章 日本は過去とどう向き合ってきたか
 一 靖国神社問題と歴史認識吻
 1 靖国神社とは
 2 英霊サイクルの要としての靖国神社
 3 慰霊の問題が、どうして国際問題になってしまうのか
 二 日本人にとって〈歴史認識〉はなぜ大切なのか

第八章 政界における歴史修正主義
 一 安倍晋三首相の歴史認識と「教育再生
 1 「国に対して誇りをもつ」ための歴史教育
 2 河野・村山・宮沢談話排除のうごき
 二 「河野談話」排除のうごきと二〇〇七年政府答弁書の問題点
 1 「河野談話」とは
 2 慰安婦=合法」論の問題点
 三 「村山談話」排除のうごき
 1 戦後七〇年「安倍談話」にむけて
 2 安倍首相の「侵略」認識⑳
 四「宮沢談話」(近隣諸国条項)の撤廃と靖国問題
 1 近隣諸国条項撤廃へのうごき
 2 靖国問題との連動
 五「安倍談話」の歴史認識 その特徴と問題点
 六 戦後を否定する日本会議の虚構
 1 明治時代への郷愁
 2 偽造された「伝統」
 3 米国に助けられた右派

あとがき
日本の戦争略年表
初出一覧

本の紹介ー縄文の思想2019年04月14日


瀬川拓郎/著『縄文の思想』 講談社現代新書 (2017/11)

 アイヌ古代史が専門の瀬川拓郎教授による縄文文化の解説。アイヌ文化など北海道の文化と関係した記述が多い。
 本書に記載されている内容は、考古学の定説とはいいがたいものが多い。それらが、著者の思い入れなのか、定説に近いものなのか、考古学界の動向を知らないものには判断できない。
 縄文時代が弥生時代に代わっても、縄文文化をになった人たちの中には、弥生人にはならずに「海民」として、縄文文化を受け継いだとしている。4世紀から13世紀ごろの北海道北部海岸地域には、アイヌとは別な種属であるオホーツク人がいたことが知られている。縄文人の末裔である「海民」とオホーツク人との交流を指摘している。なかなか興味の持てる指摘だが、6世紀には、渡来系の人が群馬県など内陸部にも進出しているので、オホーツク人と交流があった人がいたとしても渡来系の可能性もあり、縄文人の末裔と考えるには無理があるような気がする。
 歴史素人の私には、なんとも判断できない本だ。参考のため、目次を掲載しておきます。


はじめに
 生き残る縄文/なぜ共通する神話・伝説があるのか/周縁・まれびと・修験者/アクチュアルな生の思想/なぜいま縄文なのか

序章 縄文はなぜ・どのように生き残ったか
 縄文はなぜ・どのように生き残ったか/文化とヒトの弥生化/縄文の継承と変革/閉ざしつつ開く/本書の構成第一章/本書の構成ー第二章/本書の構成-第三章/本書の構成ー第四章

第一章 海民と縄文弥生化のなかの縄文
 1 残存する縄文伝統
 現代に残る縄文習俗/海民と抜歯/イレズミ・縄文・ケガレ/縄文人的な弥生人/隼人に似る人びと/糸満漁民と縄文/なぜ白人渡来説が唱えられたのか/九州西海岸のアイヌ語地名/アイヌ語は縄文語か/隼人言葉のなかのアイヌ語
 2 海民の誕生
 貝殻と縄文ネットワーク/海民の誕生/九州へむかう縄文人/非モノカルチャーとしての縄文/出雲方言と東北北部方言からみえること

第二章 海民とアイヌ 日本列島の縄文ネットワーク
 1 海民のインパクト
 生態系からみた北海道/「旧石器的生業体系」の社会/「あわい」に生きる/続縄文人の劇的な変化/なぜ命がけの漁なのか/量から質へ/威信の可視化/列島を往来する海民/海民のインパクト
 2 交差する北の海民・南の海民
 古墳社会との交流/交流を担ったのはだれか/礼文島でみつかった刀装具/海民の刀/南下する北の海民/オホーツク人と続縄文人/オホーツク人と古墳社会の祭器/オホーツク人と海民
 3 離島の墓に眠るのはだれか
 奇妙な墓/さまざまな時代と産地の玉/葬られたのはオホーツク人か/大陸起源説を疑う/海民独特の葬法/被葬者を推理する/奥尻島でおこなわれた海民の祭祀/阿曇氏との関係
 4 謎の洞窟壁画
 洞窟と古代の北海道/洞窟壁画の発見/定説化する大陸起源/壁画をみなおす/古墳壁画との一致/海民の古墳/なぜ余市周辺なのか/なぜ島喚と海辺なのか

第三章 神話と伝説 残存する縄文の世界観
 1 共通するモティーフ
 周縁の人びとの世界観/川をのぼるワニ/ワニとはなにか/エビスとワニ/アイヌ伝説との一致/海と山の神の往還/なぜ山頂に海があるのか
 2 他界の伝説
 なぜ会うことを拒否するのか/海民の他界観/他界の入口としての洞窟/南島と洞窟/具現化される他界/修験者との関係/洞窟と修験者/なぜ聖域をヤマとよぶのか/黄泉の国神話との関係/反転するモティーフ
 3 縄文神話とその変容
 縄文起源の神話/農耕民のなかの継承と断絶/変容のパターン/海の神と山の女神の婚姻/共通する海民の神話/『古事記』が伝わったのか
 4 伝播した海民伝説ーアイヌの日光感精・卵生神話
 渡来人の伝説/日本列島の日光感精説話と卵生説話/アイヌ神話とアメノヒホコ/なぜ二つの玉なのか/語られてきた異伝/海民としてのアメノヒホコ/九州の海民とアメノヒホコ/神話・伝説の歴史性

第四章 縄文の思想ー農耕民化・商品経済・国家のなかの縄文
 1 呪能と芸能
 縄文の思想/狩猟する海民/卜部・亀卜・卜骨/海民と占い/動物の供犠/海民と山民の呪能と芸能/王権と縄文/「蕃人」の思想としての「まれびと」/獣に仮装する「まれびと」/非定住民と芸能/古代アイヌの呪術/「化け物」としての縄文/現代に生きる呪術的世界/自然現象を操る
 2 贈与と閉じた系
 なぜ神隈を売買するのか/贈与への執着/無縁化の装置/申間的なるもの/イオマンテの機能/矛盾と葛藤/隔離的な婚姻関係/閉じた系
 3 平等と暴力
 神のまえの平等/共産主義者の村/排除される野心/自由と自治/海賊と傭兵/「余りにも古い精神の遺存」
 4 動的な生へ
 生の肯定/同化と排他の「あわい」/喧騒の思想/海民史観から縄文史観へ/平地人を戦傑せしめよ

おわりに
引用文献

本の紹介-増補 南京事件論争史2019年04月18日

 
笠原十九司/著『増補 南京事件論争史』(2018.12)平凡社
 
 2007年に出版された本の増補改訂版。
 2007年は「南京虐殺がなかった」とする説の破綻がほぼ確定的となった年だった。「南京虐殺なかった」説を唱える人は、匿名の怪しい人、神主、ギャグマンガ家など、歴史学者でない人たちが多かった。そうした中、亜細亜大学教授・東中野修道は「南京虐殺なかった」説を唱える歴史学者として脚光を浴びていた。しかし、東中野修道の南京事件研究にたいして、名誉棄損であるとの訴えがなされ、2007年に下された判決では「学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」との理由で、東中野修道に損害賠償支払いが命じられた。
 亜細亜大学教授・東中野修道の「南京虐殺なかった」説の手法は、彼の嫌う資料の中に、少しでも疑問点があると、それを誇張して、すべての資料が虚偽であるかのように吹聴し、彼の妄想が真実であるとの主張をするものだった。本書においても同様な指摘がなされている(P245)。また本書に指摘はないが、東中野修道の説は写真の検証に対する無知が露呈するなど、致命的な欠陥が明らかになり、東中野修道説は破綻した。
 
 本書は2007年に出版された本に加えて、それ以降の状況が加筆されている。第7章「2007年」から第9章「2010年代後半」まで、ページ数にして74ページになる。
 
 「南京虐殺なかった」説の破綻が歴史学上は明白になった後、2007年以降は、自民党政府、特に安倍政権による、強引な政治介入の時代になった。南京大虐殺をモチーフとした映画を上映禁止としたり、教科書検定で政治介入するなど、政治主導による南京虐殺否定論がすすめられている。
 さらに、日中両国政府主導で実施された、北岡伸一・東大名誉教授らを中心とした日中歴史共同研究の成果の中で、日中共に南京虐殺を史実として認定されると、これを無視する態度をとるなど、明白となった史実を無視する傾向が続いている。
 このような右翼・自民党に対して、南京事件の真相解明の研究も進んでいる状況が示されている。
 なお、東中野修道が南京事件論争から退場した後、立命館大学名誉教授・北村稔が「なかった」派の論客となったと思っていたのだが、彼の言説も否定されたようだ。現在は、評論家の阿羅健一が論客のようだ。歴史学研究として南京虐殺が認定された後でも、評論ならば妄想でも何でもありなので、評論家ではちょっね。
 
 p325~p330に南京事件否定派が通州事件へシフトしているとの記述がある。通州事件とは、日本の傀儡政権に雇われた中国人が反乱を起こして、麻薬密売関係者等、日本人・朝鮮人を殺害した事件であるが、大日本帝国政府は、歴史全体を見ることなしに「中国人が日本人を殺した」として、敵愾心を煽り立てるのに利用した。
  
 日本軍は阿片を中国に密売して戦費を調達していたため、害毒の大きいケシの新種改良が行われた。現在、東京都薬用植物園では、このケシを見ることができる。美しい花で、一見の価値があります。5月中旬が見ごろです。
 
 
旧版については、以下に感想を書きました。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2008/01/06/2548242
 
通州事件については以下に解説を書きました
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2018/07/29/8928254
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2018/08/06/8934331
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2006/09/10/518422
 
東京都薬用植物園のケシの花の写真はこちら
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2010/05/16/

靖国神社 ディアナ号の大砲2019年04月20日

靖国神社に展示してある大砲は、説明版によるとディアナ号のものだそうだ。
しかし、この大砲の上部にはイギリス王室マークがあって、ディアナ号のものとは考えにくいとの説が有力のようだ。
 
 1854年、条約交渉のため来日したロシア政府代表プチャーチン一行を乗せてきたディアナ号は、安政東海地震に遭遇し大破、翌月沈没した。このとき、陸揚げされていた大砲は日本に贈られた。帰国のためプチャーチン一行は西伊豆・戸田にて、新規帆船を造船した。この時、日本人作業員が身につけた造船技術が、日本の近代化を支えてゆくことになる。
 
 靖国神社の大砲はディアナ号のものと説明があるが、大砲の横には'LOW MOOR'の文字がある。イギリス中部の都市ブラッドフォード南部のロー・ムーアには1791年に製鉄所(Low Moor Ironworks)が作られているので、ここで作られた大砲なのだろう。
 ディアナ号来航の時はクリミア戦争のさなかで、ロシアはイギリスと交戦状態にあったため、イギリス海軍に見つかりにくい戸田湾を新船の造船場所に選んでいた。
 クリミア戦争後の1877年には露土戦争が起こり、ロシアとイギリスはまたもや交戦状態となる。このとき、イギリス陸軍大臣を務めイギリスの反ロシア政策を推進したゲイソン・ハーディはLow Moor Ironworks所有者の息子だった。
 
 ディアナ号の大砲にLow Moorと書かれていたなら、歴史の因縁を感じて面白いが、実際はそうではなくて、靖国神社の解説がいい加減ということなのだろうか。
 ところで、靖国神社・遊就館には「韮山反射炉製の大砲」と説明のある大砲が展示されている。しかし、記録に残る韮山で鋳造された大砲とは大きさがかなり異なっており、こちらも、靖国神社の説明は誤りの可能性が高い。
 多くの博物館では、歴史知識が豊富な学芸員がいて、解説の誤りは少ないのだが、靖国神社は国民をだまして戦争に駆り立てることを目的として作られたため、展示の解説の正確さなどどうでもよいことなのだろうか。

群馬県安中市の古墳2019年04月23日

安中市簗瀬の二子塚古墳は全長80メートルの前方後円墳で、古墳時代後期初頭(6世紀初頭)のものと考えられています。近年整備されたので、見学しました。古墳に上ると、妙義山の眺めがよい。

   
    
ついでに、安中市野殿の野殿天王塚古墳も見学。こちらは、小型の円墳で整備されていません。場所はちょっとわかりにくい。下の写真は石室。



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