靖国神社 ディアナ号の大砲2019年04月20日

靖国神社に展示してある大砲は、説明版によるとディアナ号のものだそうだ。
しかし、この大砲の上部にはイギリス王室マークがあって、ディアナ号のものとは考えにくいとの説が有力のようだ。
 
 1854年、条約交渉のため来日したロシア政府代表プチャーチン一行を乗せてきたディアナ号は、安政東海地震に遭遇し大破、翌月沈没した。このとき、陸揚げされていた大砲は日本に贈られた。帰国のためプチャーチン一行は西伊豆・戸田にて、新規帆船を造船した。この時、日本人作業員が身につけた造船技術が、日本の近代化を支えてゆくことになる。
 
 靖国神社の大砲はディアナ号のものと説明があるが、大砲の横には'LOW MOOR'の文字がある。イギリス中部の都市ブラッドフォード南部のロー・ムーアには1791年に製鉄所(Low Moor Ironworks)が作られているので、ここで作られた大砲なのだろう。
 ディアナ号来航の時はクリミア戦争のさなかで、ロシアはイギリスと交戦状態にあったため、イギリス海軍に見つかりにくい戸田湾を新船の造船場所に選んでいた。
 クリミア戦争後の1877年には露土戦争が起こり、ロシアとイギリスはまたもや交戦状態となる。このとき、イギリス陸軍大臣を務めイギリスの反ロシア政策を推進したゲイソン・ハーディはLow Moor Ironworks所有者の息子だった。
 
 ディアナ号の大砲にLow Moorと書かれていたなら、歴史の因縁を感じて面白いが、実際はそうではなくて、靖国神社の解説がいい加減ということなのだろうか。
 ところで、靖国神社・遊就館には「韮山反射炉製の大砲」と説明のある大砲が展示されている。しかし、記録に残る韮山で鋳造された大砲とは大きさがかなり異なっており、こちらも、靖国神社の説明は誤りの可能性が高い。
 多くの博物館では、歴史知識が豊富な学芸員がいて、解説の誤りは少ないのだが、靖国神社は国民をだまして戦争に駆り立てることを目的として作られたため、展示の解説の正確さなどどうでもよいことなのだろうか。

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