ホームページ更新 ― 2019年07月17日
創価学会葬 ― 2019年07月22日
先日、親戚の葬儀に参列しました。創価学会葬。
僧侶、神主、牧師、神父、だれもいない。スーツのおじさんが僧侶の代わりをしていました。
お題目と、法華経方便品を学会員みんなが唱和して、つぎに、法華経如来寿量品を学会員が唱和する中、焼香が行われました。
読経はかなりハイテンポ。
仏式の葬式だと、僧侶の説教があるのだけど、僧侶の代わりの人は説教がありませんでした。その代わりに「敬愛する池田先生の弔電」が読み上げられていました。仏式の葬式には僧侶のほかに役僧・小坊など僧侶の資格を持っていない人も儀式に参加することはあるけれど、僧侶以外が説教をすることはないので、創価学会葬も仏式の葬式の伝統を踏襲しているのだと思いました。
僧侶、神主、牧師、神父、だれもいない。スーツのおじさんが僧侶の代わりをしていました。
お題目と、法華経方便品を学会員みんなが唱和して、つぎに、法華経如来寿量品を学会員が唱和する中、焼香が行われました。
読経はかなりハイテンポ。
仏式の葬式だと、僧侶の説教があるのだけど、僧侶の代わりの人は説教がありませんでした。その代わりに「敬愛する池田先生の弔電」が読み上げられていました。仏式の葬式には僧侶のほかに役僧・小坊など僧侶の資格を持っていない人も儀式に参加することはあるけれど、僧侶以外が説教をすることはないので、創価学会葬も仏式の葬式の伝統を踏襲しているのだと思いました。
多賀城碑 ― 2019年07月23日
国府多賀城駅からすぐそばのところに、多賀城碑があるので、先日見学した。覆い堂の中にあって、雨が当たらないようになっている。
碑の前半には次の意味が刻まれている。
多賀城 は 京から1500里、蝦夷界から120里、常陸国界から412里、下野国界から274里、靺鞨国界から3000里。
写真は、東北博物館のレプリカ。
多賀城 は 京から1500里、蝦夷界から120里、常陸国界から412里、下野国界から274里、靺鞨国界から3000里。
写真は、東北博物館のレプリカ。
多賀城と奈良の距離は、新潟まわりでも、東京まわりでも850キロメートル程度だろう。これが1500里と言うことは、1里は500メートル強と言うことになる。蝦夷界とは一関あたりのことだとすると120里となる。下野国界は白河の関あたりだとするとこれも274里程度で合っている。常陸国界から412里とあるが、加賀城から412里だと、水戸ぐらいになる。
靺鞨国と言うのは渤海国のことだろうか。樺太中部の北緯50度線近辺だったら面白い。
ホームページ更新 ― 2019年07月29日
『日露・日ソ関係 北辺探検・開発 ゆかりの人』のページの解説を増やしています。
http://nippon.nation.jp/Naiyou/index.html#Yukarihito
このなかで、間宮林蔵の説明を詳しく書きました。
http://nippon.nation.jp/Naiyou/MAMIYA/index.htm
間宮林蔵の緯度計測は、劣ったものだったので、作成した地図では、樺太の大きさが間違っていました。幕府天文方・高橋景保が間宮林蔵の探検結果をもとに作成した世界地図は、当時の世界地図の中で、できの悪いものになってしまっています。
http://nippon.nation.jp/Naiyou/index.html#Yukarihito
このなかで、間宮林蔵の説明を詳しく書きました。
http://nippon.nation.jp/Naiyou/MAMIYA/index.htm
間宮林蔵の緯度計測は、劣ったものだったので、作成した地図では、樺太の大きさが間違っていました。幕府天文方・高橋景保が間宮林蔵の探検結果をもとに作成した世界地図は、当時の世界地図の中で、できの悪いものになってしまっています。