本の紹介ー奉使日本紀行2019年08月10日


北方未公開古文書集成 第五巻  寺沢一・他/編 叢文社 (1979/6)
 
奉使日本紀行  
クルーゼンシュテルン/著 青地盈/訳 高橋景保/校

目次
第一篇 航海準備 39
第二篇 魯西亜国を出て諸厄利亜に至る 46
第三篇 カナリヤ諸島及びフラシリに向 53
第四篇 シントカタリナ逗留 66
第五篇 伯西児を出帆大洋に至る 73 
第六篇 角岬の経度よりニユカイワに至る 79
第七篇 ニュカイワ島逗留 87
第八篇 ワシングトン諸島記 96
第九篇 ニュヵイワ土人記 103
第十篇 ワシングトソ諸島を去てカムサツカに着す 117
第十一篇 カムサツカ逗留日本に向 128
第十二篇 日本逗留 144
第十三篇 長崎湊の記 158
第十四篇 長崎出帆日本海に航す 170
第十五篇 蝦夷北隅及びアニワ湾の泊 187
第十六篇 アニワ湾を出カムサツカ着 201
第十七篇 ヘテルエンバウル港の逗留 212
第十八篇 サハリン東浜 218

 本書は、1804年に通商を求めて長崎に来航したレザノフ一行の海軍提督・クルーゼンシュテルンの航海記。オランダ語版を入手した幕府天文方・高橋景保を中心に翻訳された。成立年について、本書の前書きに以下の説明がある。
 通説によれば、高僑景保が原本オランダ語版を江戸に滞在中のシーボルトから入手したのは一八二六年、それから青地盈に協力し、景保は多くの脚註を加えたりして、一八二九年には牢死している。・・・『世界間航記』がペテルブルグで出版されたのは、一八〇九~一三年の間であるから、オランダ版を青地、高橋が入手したのはシーボルトではなく、もっと早い時期にオランダ商館から入手したのではないかという説もある位である。

 『第十八篇 サハリン東浜』はサハリン東岸の調査記録。クルーゼンシュテルンは、カムチャツカから千島を南下し、ここから西へ向いサハリンの北知床岬(テルペニエ岬)を通り、北上してサハリン東海岸を調査して、サハリン最北端のエリザベート岬(N54°24'30" W217°13'30"と記録)、マリア岬(N54°17'30" W217°42'15"と記録)を通り、タタール海峡(間宮海峡)最北端に至った。サハリン側をゴロワフェブ岬(N53°30'15" W218°05'00"と記録)、韃靼側をロムベルグ岬(N53°30'30" W218°15'15"と記録)としている。緯度・経度の詳細な測定結果が示されている。同じころ、間宮林蔵はサハリン西海岸を調査した。間宮の測定は精度が低かったが、クルーゼンシュテルンの測定はかなり高精度。技術力の違いを感じさせられる。

 高橋景保が作成した世界地図・新訂万国全図の樺太は、間宮林蔵の樺太探検に基づいているため、大きさが半分程度であり、そのためオホーツク海西側の形が変わってしまっている。既に高橋景保が入手していたアロースミスの地図に比べて、樺太近辺の精度が悪い。アロースミスの地図が、クルーゼンシュテルンの正確な測量と大きな違いがなかったことを知った高橋景保は、何と考えたことだろう。

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