本の紹介ー仏教、本当の教え2020年08月14日

 
植木雅俊/著「仏教、本当の教え」中公新書(2011/10)
 
 著者は大学で理学を専攻した後、仏教研究に転じ、中年になってからサンスクリット語を学んだ異色の仏教研究者。サンスクリット語から訳出した法華経・維摩経を上梓している。
 本書の内容は、インドの仏教・中国の仏教・日本の仏教の比較なのだろうか。そう言えなくもないし、そうでもない。
 
 第一章は「インド仏教の基本思想」。ここでは初期仏教(原始仏教)の平等思想を主に説明している。
 初期仏教がインドの仏教の一部であることは間違いないが、その後に起こった説一切有部や、大乗仏教などもインドの仏教に違いなく、それらすべてが平等思想ということもない。著者の言うインド仏教の特徴は、釈迦の教えの特徴、あるいは初期仏教の特徴である。
 
 第二章は「中国での漢訳と仏教受容」。サンスクリット語経典が中国語に訳されると、中国ではサンスクリット語経典は捨てられ、漢訳経典のみが信仰・研究の対象となった。そうした中で、仏教が変容していくわけで、本書にもそのことが書かれている。でも、そんなことは言われなくても、容易に想像できることだろう。また、本書には、具体的に細かいことが書かれているのは、著者の知識の高さを感じるが、そういう細かい知識は私には特にどうでもよい。
 岩波文庫から出版されている法華経では、岩本裕氏が漢訳法華経を「正しい教えの白蓮」と邦訳した。この点を、数ページにわたって批判している。「妙法蓮華経」とは、お経のタイトルなので、固有名詞のようなもので、翻訳する意味はあまりない。意味が正しい訳になっているのかを議論することが有意義とは思えず、読んでいて面倒になった。
 
 第三章は「漢訳仏典を通しての日本の仏教受容」。日本の仏教は漢訳によっている。各宗派ともに、漢字を手掛かりに勝手解釈・捏造解釈をして、自宗の優位性を主張したり、独自の教えを作ったりすることがあることは容易に想像できるだろう。
 本書では、このようなことを具体例を挙げて説明し、サンスクリット語仏典から離れている状況を指摘している。
 
 第四章は「日中印の文化比較」。特に興味が持てる記述はなかった。

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