本―ウクライナ・ファンブック2020年09月09日

 
平野高志/著『ウクライナ・ファンブック 東スラヴの源泉・中東欧の穴場国』パブリブ (2020/2)
 
ウクライナの観光ガイドブック。
 全体の半分以上は各所の名所案内。名産品や食べ物の紹介もあるが、「るるぶ」などと異なって、店やレストランの紹介はない。
 
 全体の1/3程度で、ウクライナの歴史や政治などの解説をしている。このような書き方なので、単なる観光ガイドではない。
 ただし、言語の解説など、ウクライナ国家ありきの解説となっているので、事実とはずれた、ウクライナ民族主義のプロパガンダのようにも感じる。現ウクライナ政権では、このような民族主義教育がなされているのだろうか。
 
 歴史の記述も、訳の分からないことが書かれている。
 『ウクライナの政治家達…が、革命の中で、ウクライナの完全な独立へと舵を切ることにした決定的な理由は、ウクライナへ容赦なく侵攻を続けるロシア・ソヴィエト軍の存在であった。…その後も進軍を続けるボリシェヴィキ軍は、2月9日にはキーウへも侵入する。…ソヴィエト軍のこの時のキーウ支配期間は短く、すぐに撤退するのだが、しかし、彼らはその短い間に市内で無差別な略奪・破壊を行っていた。ソヴィエト兵は…あらゆるウクライナ的な物を徹底的に破壊していた。キーウに入城したドイツ・ウクライナ軍は、その後、4月にはウクライナのほとんどの地をボリシェヴィキから奪還する。(P171,P172)』
 
 「ボリシェヴィキ軍」「ロシア・ソヴィエト軍」と別の用語を使っているが、同じ意味なのか違うのか、この文章を読んでも良く分からない。歴史を書くならば、もう少し分かりやすい文章で書いてほしいものだ。
 当時、ハリコフなどの東部地区では、鉱工業が進み、労働者階級が作られていた。著者が「ウクライナの政治家達」と書いているのは、中央ラーダ派のことで、この中央ラーダ派がウクライナ全土にわたって政権をとっていたわけではなく、工場労働者の多いの東部の要衝ハリコフなどでは、ボルシェヴィキ派が圧倒的優位にたっていた。ウクライナ・ボリシェヴィキの軍はロシア・ボリシェビキの援助をうけて、中央ラーダ派・ドイツ連合軍と戦闘になったものだった。
 本著では『ソヴィエト兵は…あらゆるウクライナ的な物を徹底的に破壊』と書いているが、この場合の『ソヴィエト兵』にはウクライナボリシェビキも多く、彼ら自身がウクライナ的だったので『ウクライナ的な物を徹底的に破壊』などありえないことだった。
 また、本書の同じページには、中央ラーダ派がドイツと条約を結び、ウクライナの穀物を引き渡す見返りとして、軍事介入と独立の承認を得たことを、快挙のように記している。国家の独立の要件は、実効支配の確立であって、外国軍の介入を求めることや、穀物と引き換えに承認を得ることなどではない。当時、中央ラーダ派がウクライナ全土を掌握していたわけではないので、ウクライナ国家が樹立されたとみなすことはできない。
 P175には 『ポーランド・ウクライナ軍は、4月25日、ボリシェビキ軍(赤軍)支配地ウクライナへ侵攻開始し…。赤軍はそのままワルシャワ近郊まで攻め入るも、ワルシャワ近郊戦ではポーランド軍に大敗する。』と書かれている。赤軍がポーランドに攻め込むことを主張したのは、ウクライナ人のトロツキーで、反対したのがグルジア人のスターリンだった。革命期のウクライナの混乱は、ウクライナ対ロシアではなくて、ウクライナの政治勢力間の内戦がベースにあって、そこへ、ポーランド・ロシアと言うもともと同じ国だった地域と、外国軍のドイツが介入したものだった。
 革命当時のロシア・ソビエトの中心人物には、ウクライナ系、ポーランド系など非ロシア人が多かったことも知られている。著者が「ロシア・ソヴィエト軍」と書いているロシア革命当時の軍隊は、ユダヤ系ウクライナ人のトロツキーに指導された軍隊だった。このほか、KGBを創設したジェルジンスキーはポーランド系ベラルーシ人だった。ソ連円熟期を見ても、ブレジネフ書記長はロシア系ウクライナ人、ポドゴルヌイ議長もウクライナ人、シチェルビツキー政治局員もウクライナ人だった。フルシチョフは、幼少のころドネツクに引っ越したので、少青年期はウクライナで過ごしている。
 
 本書では、ロシアとウクライナを別の国家としてとらえている。確かに、ロシア革命以降、別の共和国として扱われていたので、別の国家であるとの見解は正当だ。しかし、革命成立以前のウクライナを単一国家のようにとらえるのには無理がある。

コメント

_ ファンの一人 ― 2022年03月12日 09時50分42秒

北方領土問題など貴ホームページには目から鱗の観点が多く勉強になります。
今回のウクライナ侵攻についてのお考えを知りたく思います。

_ cccpcamera ― 2022年03月14日 14時59分38秒

コメントありがとうございます。
 ロシア人は日本人に比べて気が長いのだけれど、プーチンは短気なのだと思っていました。でも、これまで、ずいぶん気が長かった。NATO東方拡大の口頭合意が簡単に反故にされた後も、なかなか重い腰を上げようとしませんでした。
 今回、NATOがロシア国境に迫ってくる状況が濃くなって、ようやく派兵したと思ったら、今度は、戦車の長い車列を見せるなど、芝居がかっていて、本気で戦争する気があるのか、と言いたくなります。まあ、本気で戦争する気はなくて、NATOの東方拡大を食い止めればいいと思っているのでしょう。
 ミンスク議定書では、ルガンスク・ドネツクが民族紛争と理解されました。NATOは民族紛争がある場合、すべての民族地域がNATO加入に賛成しない限り、NATOに加入することができません。このため、ルガンスク・ドネツク共和国がNATO参加に反対していれば、ウクライナのNATO加盟がなくなっていたはずなのに、ゼレンスキーが民族紛争ではなくてテロリストとして攻撃したことから、今回の問題が始まりました。さらに、ゼレンスキーの判断にバイデンが乗ったことが、二番目の原因です。
 誰も戦争したくないから、微妙なバランスの上に成り立っていた平和を、国際法の勝手解釈で、俳優のゼレンスキーと無能政治家のバイデンが壊したことが今回の問題の発端です。トランプでもオバマでも、こんなバカなことにはならなかったでしょう。俳優を国家元首にしたところが、ウクライナの悲劇でした。

_ ファンの一人 ― 2022年03月17日 14時17分19秒

回答ありがとうございます。
ゼレンスキー氏の人気取り政策が一因であったとは私も思います。しかしながらそれを口実に全面的な侵攻が容認されるとすれば大日本帝国が排日をプロパガンダに利用した中華民国出兵も容認されてしまうような気がします。

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