本の紹介-ヒンドゥー教10講 ― 2021年07月01日

赤松明彦『ヒンドゥー教10講』(2021.2)岩波新書
ヒンズー教は幅広い宗教なので、本書の内容も多義にわたる。
真言宗とヒンズー教の関係に対する記述もある。要するに、真言宗はヒンズー教の分派と考えることが可能なのだろう。
本-今を生き抜くための池上式ファクト46 ― 2021年07月02日

池上彰/著『今を生き抜くための池上式ファクト46』文藝春秋 (2021/3)
池上彰氏の本は文章が平易で読みやすい。
本書は、時事問題46項目について、各5ページの解説をしたもの。ネットとマンガだけの人が、もう少し、ましな知識を得るために、本書は有益だろう。しかし、各項目5ページの解説なので、深い内容はなく、日ごろ新聞を読んでる人には、特に目新しい知識は得られないかもしれない。
本-池上彰の今さら聞けない日本のこと ― 2021年07月03日

池上彰/著『池上彰の今さら聞けない日本のこと』海竜社 (2021/1)
平易に書かれていて、読みやすい本ではあるが、特に深い内容はないので、普通に新聞を読んでいる人には、特に有益な情報は得られないかもしれない。
本の紹介-新宗教の現在地 ― 2021年07月11日

いのうえせつこ/著、山口広/監『新宗教の現在地 信仰と政治権力の接近』花伝社 (2021/3)
著者はフリーライターで、女性問題を扱った著書が多い。新宗教関連の本では『新興宗教ブームと女性(1993/7)新評論』がある。
本書は新宗教を扱ったもので女性問題は少ない。本書第一章は現在もなお統一教会が怪しい活動をしている実態。この章が本書のうちで大きな割合を占める。第二章はオウムやナチスのマインドコントロールが書かれているが、特に目新しい内容はない。第三章はDVなど女性問題を扱っているが、ページ数は少ない。第四章は新宗教と政治との関連で、創価学会や成長の家などが取り上げられている。ただし、目新しい内容があるとは感じなかった。
本の紹介-宗教の現在地 ― 2021年07月12日

池上彰、佐藤優/著『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』KADOKAWA (2020/4)
特に宗教に関係ない池上彰が、神学部卒でクリスチャンの佐藤優に話を聞きという形式で記述されている。池上は宗教と関係ない人とはいっても、キリスト教に対する知識も豊富なので、佐藤優の話も、キリスト教徒の考え方の説明がないので、仏教徒の私には今一つ理解できなかった。
本書の内容は、
第一章 宗教は資本主義を超えられるのか (過激派のイスラム化 など)
第二章 宗教は人を殺す思想とどう対峙するのか (意識しないナショナリズム教 など)
第三章 宗教はAI社会で誰の心を救うのか (AIに人が救われることはあるか など)
第四章 宗教は国家を超克するか (ホモデウスはソビエトシステムの焼き直し など)
本の紹介-真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 ― 2021年07月15日

佐々木閑、大栗博司/著『真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話』幻冬舎新書(2016/11)
理論物理学者・大栗と、仏教学者・佐々木閑による執筆で、科学と釈迦の仏教は、両者ともに神の存在を仮定せずに、法則性を探求する点で類似しているとの立場で本書の解説がすすめられている。
第一章は大栗による現代物理学、特に宇宙論の解説。佐々木が聞いているところがあるが、ほとんどは大栗による説明なので読みにくいところはない。
第二章は佐々木による釈迦の仏教の解説。大栗の質問は少なく、ほとんどが佐々木閑の説明。
第三章は佐々木と大栗の対談。両者が半々程度に話している。
特別講義として、大栗による現代理論物理学のホットな研究である「超弦理論」のさわりの説明と、佐々木による「大乗仏教の起源」の説明がある。予備知識がなければ、どちらもあまり理解できないかもしれない。
本の紹介-検閲官 ― 2021年07月17日

山本武利/著『検閲官 発見されたGHQ名簿』 新潮社 (2021/2)
敗戦によりGHQに占領されると、米軍は日本の出版物や日本人の親書など、幅広く検閲した。このうち、郵便検閲が最大規模だった。検閲官は日本語の手書き文字が読めて、英語で報告ができる人であることが必要なため、日本人有識者が検閲官になったケースが多い。検閲は米国の命令で、日本国民を監視することだったため、検閲官となった日本人が、検閲について語ることは少なかった。
本書は、検閲制度や、検閲の実態に触れた後、検閲をした日本人の何人かに検閲をした時の心境などを尋ねたものを記載している。検閲官をした人も、老境に達し、多少は当時を語る気になった人もいるのだろう。ただし、検閲終了後何十年もたってからインタビューをしたところで、どれだけ真実を語るのだろうか。検閲をした日本人は、その後、要職についている場合が多い。こういう人が、真実を語ると考えること自体、無理があるのではないだろうか。
本書の中心は、当時の検閲官の心情のレポートであるが、残された郵便物から郵便検閲の実態を解明した研究もある。
裏田稔/著『占領軍の郵便検閲と郵趣』郵趣サービス社(1982)
コロナワクチン接種 ― 2021年07月19日
ワクチン接種しました。1回目は後遺症なかったのだけれど、2回目は腕が痛い、微熱(37.3℃)がある。この程度なら「軽い後遺症」なのだろうな。
おじさんがこんな感じなのだから、若い人、特に女性は気を付けたほうがよいでしょう。
熱がだんだん上がってきて、夕方には37.8℃になりました。ちょっとまずいので、アセトアミノフェン(カロナール)400mg飲みました。解熱剤飲めば、熱は下がるのですが。コロナワクチン二回目接種する予定の人は、アセトアミノフェンをあらかじめ用意しておくとよいでしょう。
おじさんがこんな感じなのだから、若い人、特に女性は気を付けたほうがよいでしょう。
熱がだんだん上がってきて、夕方には37.8℃になりました。ちょっとまずいので、アセトアミノフェン(カロナール)400mg飲みました。解熱剤飲めば、熱は下がるのですが。コロナワクチン二回目接種する予定の人は、アセトアミノフェンをあらかじめ用意しておくとよいでしょう。
本-ブルシット・ジョブ ― 2021年07月22日

デヴィッド・グレーバー/著、酒井隆史/訳、他『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店 (2020/7)
知的労働者の多くが、社会的に無意味な仕事に従事していることを詳述している。
労働の搾取と労働者の疎外はマルクス主義の基本なので、こんなことは、言われなくても明白だ。マルクス主義は科学なので、物理法則同様にある条件の下で成立する理論だし、ケインズの修正資本主義も無条件に正当なわけではない。
本書の指摘は、私には当たり前すぎてあまり興味が持てなかったが、資本主義が絶対的に正義との考えに凝り固まっている人には、本書の内容は新鮮で有意義なのかな。
本の紹介-宗教の本性 ― 2021年07月24日

佐々木閑/著『宗教の本性』NHK出版(2021.6)
本の前半は、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を参考にした記述。宗教には、一神教・二神教・多神教のように絶対者を置くものと、釈迦の仏教や儒教のように法則によるものとがあることを指摘する。また、宗教の定義を「超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系」としたうえで、資本主義のようなイデオロギーも宗教であるとの説明がなされている。
一神教について、次のように警告している。イスラムテロなどを考えるとき、この一神教の問題を心しておくべきでだろう。
「神のもとでは、すべての人類は平等である」と説くその真意が、「我々の説く唯一絶対神のもとでは、その神を信じる者だけが平等である」ということである以上は、「その神と違う神を信じる者は許さない」という排他的な一面を持ち合わせていることは、十分理解しておくべきでしょう。(P63)
本の後半では、宗教のもう一つの側面に、「死を見つめながら生きねばならないという人間の宿命的な苦しみから私を救ってくれる薬」としたうえで、この点を説明している。
「死を見つめながら生きねばならない」と言われても、そういうことを強く意識しながら生きる必要がある人はどれだけいるのだろう。人が死ぬのは必然だけれど、だからと言って、皆が生死を見つめるものではないだろう。若くして死ぬ人は、残された妻子が気になるだろうが、高齢で死ぬ場合は、死についても、生についても、後のことも、それほど気にならないと思う。ちょうど、眠るときに「睡眠の世界」を気にする人がいないようなものだ。
最近、私の両親が93歳、94歳で死亡したが、二人とも、十分長生きをして、思い残すこともなかったので、自分の死についてあまり気にしていなかった。
本書の最後の方に、本書の結論として、以下の二点があげられている。
この講義のタイトルは「宗教の本性」ですが、その結論がこれです。
(一)ハラリさんのような客観的視点で見るなら、超越存在の力を前提とする従来の宗教はもはやその信憑性を失いつつあるが、その代わりに、科学的世界観を背景とする、別形態の現世完結型宗教が我々を取り巻いており、その意味では今も昔も、我々人間は宗教世界に浸りながら生きている。
(二)しかしその現代型の宗教は、科学的世界観を前提として成り立っているため、現世で生きている人間の社会だけを救済対象にしている。したがって、死にゆく者の、死に対する恐怖を取り除くことはできない。我々現代人は、従来の宗教が果たしてきた「死の恐怖の完全除去」という効用を享受することのできない立場に置かれており、一人ひとりが個別に死と向き合わねばならない、絶望的な状況に陥っている。(P151)
(一)は同意するけれど、(二)の結論に、私は同意できない。思い残すことがあって早逝した人には、そういうこともあるかもしれないが、長寿社会の日本にあっては、多くの人が思い残すこともあまりなく死んでゆくのではないだろうか。死に向き合って絶望的な状況に陥っている人は少ないだろう。