本の紹介-宗教の本性 ― 2021年07月24日

佐々木閑/著『宗教の本性』NHK出版(2021.6)
本の前半は、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を参考にした記述。宗教には、一神教・二神教・多神教のように絶対者を置くものと、釈迦の仏教や儒教のように法則によるものとがあることを指摘する。また、宗教の定義を「超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系」としたうえで、資本主義のようなイデオロギーも宗教であるとの説明がなされている。
一神教について、次のように警告している。イスラムテロなどを考えるとき、この一神教の問題を心しておくべきでだろう。
「神のもとでは、すべての人類は平等である」と説くその真意が、「我々の説く唯一絶対神のもとでは、その神を信じる者だけが平等である」ということである以上は、「その神と違う神を信じる者は許さない」という排他的な一面を持ち合わせていることは、十分理解しておくべきでしょう。(P63)
本の後半では、宗教のもう一つの側面に、「死を見つめながら生きねばならないという人間の宿命的な苦しみから私を救ってくれる薬」としたうえで、この点を説明している。
「死を見つめながら生きねばならない」と言われても、そういうことを強く意識しながら生きる必要がある人はどれだけいるのだろう。人が死ぬのは必然だけれど、だからと言って、皆が生死を見つめるものではないだろう。若くして死ぬ人は、残された妻子が気になるだろうが、高齢で死ぬ場合は、死についても、生についても、後のことも、それほど気にならないと思う。ちょうど、眠るときに「睡眠の世界」を気にする人がいないようなものだ。
最近、私の両親が93歳、94歳で死亡したが、二人とも、十分長生きをして、思い残すこともなかったので、自分の死についてあまり気にしていなかった。
本書の最後の方に、本書の結論として、以下の二点があげられている。
この講義のタイトルは「宗教の本性」ですが、その結論がこれです。
(一)ハラリさんのような客観的視点で見るなら、超越存在の力を前提とする従来の宗教はもはやその信憑性を失いつつあるが、その代わりに、科学的世界観を背景とする、別形態の現世完結型宗教が我々を取り巻いており、その意味では今も昔も、我々人間は宗教世界に浸りながら生きている。
(二)しかしその現代型の宗教は、科学的世界観を前提として成り立っているため、現世で生きている人間の社会だけを救済対象にしている。したがって、死にゆく者の、死に対する恐怖を取り除くことはできない。我々現代人は、従来の宗教が果たしてきた「死の恐怖の完全除去」という効用を享受することのできない立場に置かれており、一人ひとりが個別に死と向き合わねばならない、絶望的な状況に陥っている。(P151)
(一)は同意するけれど、(二)の結論に、私は同意できない。思い残すことがあって早逝した人には、そういうこともあるかもしれないが、長寿社会の日本にあっては、多くの人が思い残すこともあまりなく死んでゆくのではないだろうか。死に向き合って絶望的な状況に陥っている人は少ないだろう。