本-宗教と過激思想 ― 2021年09月12日

藤原聖子/著『宗教と過激思想』中公新書(2021/5)
あまり興味が持てる内容ではなかったのだけれど、読んだことを忘れないように書き留めておきます。
宗教による過激行動というと、イスラム原理主義のテロリストを思い浮かべる人が多いだろう。本書は、そういう過激派テロの話ではなくて、各宗教の中には過激なことをする人がいたという事実を、具体例を挙げて説明するもの。
どの宗教でも、信者の中には、殺人者や強盗犯がいることは当然だ。そもそも、宗教というものは、心に傷を負った人を受け入れ、立ち直らせることが目的の一つだろう。このため、宗教信者の中には、かつて凶悪犯罪を犯した人もいて、こういう人が再犯を犯すことは、十分に考えられ得ることだ。
本書では、イスラム教の過激派を解説する第一章で、マルコムXらを取り上げ、彼がなぜ、黒人解放に暴力的手法を使ったのか、キリスト教のアンチテーゼとしてイスラム教信仰を主張したのか、などが示される。マルコムXの功績の説明ならばこれでもよいが、過激派の一人がイスラム教信者だったということだけの話で、イスラム教の過激思想とは言えないのではないか。
第二章のキリスト教についても、アメリカ南北戦争のどなたかを取り上げているが、同様な感を受けた。
第三章は『善悪二元論ではないのに』とのタイトルで、仏教の過激思想を取り上げる。この章題は何を言っているのか私には分からない。宗教は複数の人が加入しているので、戒律や道徳のような社会規範が存在する。このため、善と悪があるのはどの宗教でも、どの社会でも共通のことだ。日本国にも法律があって、合法・違法の区別が存在する。そもそも、キリスト教やイスラム教は一神教なので、ゾロアスター教のような善悪二神教とは異なる。
第三章では、始めに、血盟団事件を取り上げている。これは、日蓮宗僧侶の井上を中心とした右翼団体が起こした殺人事件である。日蓮宗は法華宗ともいうように、法華経を唯一の経典とする宗派であり、聖書やコーランを唯一の経典とするキリスト教やイスラム教と類似点があり、他の仏教宗派とは異なる。このような、特異な仏教宗派の問題を取り上げるのではなく、中世の一向一揆や僧兵を取り上げたほうが、日本の仏教一般の説明になったのではないかと思う。
三章後半はチベット仏教の僧侶が抗議の焼身自殺をする問題を取り上げている。これのどこが過激思想なのか、私には分からない。宗教である以上、何らかの修行を行うことが多いので、苦行・荒行をする宗派は珍しくない。通常、過激思想というと、過激行為が他者に向かうのであって、自分に向かうチベット僧侶の行為は、通常考える「過激派」とは異なる。日本の仏教でも、比叡山の千日回峰行や、日蓮宗の百日大荒行など、過激な荒行が存在する。だからと言って、これら僧侶がテロ行為に走る可能性は全くないので、現在世間を騒がしている、ISやアルカイダのようなイスラム過激派とは全く異なる。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。