本の紹介-東京裁判「神話」の解体2022年02月05日


デイヴィッド・コーエン 、戸谷由麻/著『東京裁判「神話」の解体 パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』筑摩書房 (2018/11)
 
 国際法学者と歴史学者による共著。本書は研究専門書を一般向けに書き下した本のようだが、内容は判決の詳細を裁判実務の立場から評価しており、専門的な内容で、きちんと読むには骨が折れる。
 
 第一章は東京裁判の判決(多数意見)を取り上げる。東京裁判は個々の被告人を裁判したものであるが、多数意見では、個々の被告人の罪状に対する検討が不足していると指摘している。
 
 第二章ではパルの少数意見を取り上げる。日本の一部右翼勢力はパルを高く評価しているが、本書では法律学者の立場からパル意見を判決になっていないと酷評している。
パル意見は厳密さや論理性の体裁を整えているが、その意見をつらぬくのは矛盾や不整合、不明瞭さ、うわべだけの論法、そして、裁判で受理された証拠のうち パルの目的に合致しないものの意図的な回避、である。(P88)
また、パルは『日本人には、連合軍捕虜のみならず自国兵をも虐待することが文化的に内在する』と残虐性は日本民族に内在するものと思っていたようだ。とんでもなく失礼なことだ。
 パルが各国裁判との関係で展開した論によると、国策を作成し部下の行動を指揮あるいは監督した軍司令官や政府高官は、配下にある者がすでに罪に対する償いをしたから 責任を逃れられる、ということになるが、この見解には何らの法的根拠がない。
 それにパル意見には、「俘虜の虐待が各種の方法で行われたことを立証する証拠は圧倒的」と、虐待の組織性を認めるくだりがみられる(『パル判決』下、六二四頁)。 その結果、一方では政府や軍指導者の責任追及を否定しながら、他方ではそのような追及を可能にする事実認定上の基盤を提示する、という自己矛盾に陥っている。
 パル意見を読んだ限りでは、パル自身が右の矛盾を自覚していたのかどうかはわからない。ただし、パルはつづけて被告人のために追加の弁明を提供する。 それは、日本人には、連合軍捕虜のみならず自国兵をも虐待することが文化的に内在する(『パル判決』下・六四二-五頁〉、というものである。 これは、不可解なばかりでなく、法的に見当違いな意見である。パルによると、証拠にみられる組織的虐待行為は、「共同謀議者団の措置ではない」のであって、 それはむしろ「日本人の国民生活と終始一貫したもの」と主張する(『パル判決』下、六四二頁)。(P145,146)
 ところで、パルを評価する日本の右翼勢力は、パルの少数意見を「パル判決」と言うことがある。判決とは裁判所の判断のことであって、裁判官の判断ではないので、「パル判決」とはデタラメな言い方だと思っていた。本書によると、パル自身が「パル判決」と言っていたそうだ。パルは、法律知識が乏しかったのか、それとも、自意識過剰な人だったのだろう。
 戦前のインドはイギリス植民地だったので、独自外交権をインドは持っていなかった。このため、インド代表のパルには、国際司法の知識が乏しかったとしても、仕方のないことだ。

 第三章はレーリンクの少数意見を取り上げる。日本の一部右翼勢力の中には、レーリンクが一部被告人を無罪としたことから、彼を評価する向きもあるが、本書では法律学者の立場からレーリンクの裁判官としての姿勢を酷評している。
 本章での論をまとめると、レーリンクがその反対意見でとってきた立場は、かれの判事や法学者としての名声に不名誉をもたらす内容であったと言わざるをえない。 なぜなら、レーリンクは政治的配慮に流され、判事としての自分の信念をまげた意見を著すに至ったからだ。(P198)
 第四章はウエッブ裁判長の判決書草案を取り上げ、判決として内容を高く評価している。しかし、この草案は判決書に含まれておらず、公表もされなかったもの。もし、ウエッブの判決書草案が評価できるものならば、なぜ、それが多数意見に採用されなかったのか、その点が本書を読んでもわからなかった。

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