維新はヒトラーを思い起こす(2)2022年02月08日

菅直人が大坂都構想を批判する投稿の中で、『大坂』と書いたところを、大阪維新の会の飯田哲史大阪市議会議員は、「『大阪』ぐらい漢字しっかり書いて下さい」と苦言を呈したそうだ。「大阪」「大坂」どちらでも大した違いはないように思うが。『阪』『岅』は『坂』の異字体なので、本来は同じ文字。

そもそも、「大阪」が定着したのはいつのことだろう。ネットで調べると明治以降は大阪であるとか、明治10年以降大阪が定着したなど、誤った記述が散見される。
   
上写真の左図は、明治7年5月29日の大阪郵便局の郵便印。『大阪』となっている。右図は明治8年10月31日の郵便印で『大坂』。この時代は「大阪」が多い。
   
上写真の左図・右図は、明治9年から12年の郵便印。年号が書かれていないので、正確な年は分からない。『大阪』『大坂』の両方が使われている。明治10年代前半は、どちらも使われており、どちらも珍しくない。
   
上写真は明治19年と明治21年の郵便印。どちらも『大坂』。明治10年代後半から20年代前半は「大坂」が多い。
   
上写真は大阪高麗橋、明治29年の消印で『大阪』。明治20年代の終わりごろになると「大阪」が増え、明治30年代になると、ほとんどすべてが「大阪」になる。ただし、明治33年になっても「大坂」の消印が使われている。
  
このように、明治30年代前半以前は、「大坂」「大阪」ともに使用され、「この字が正しい」などと、大げさなことを言わなかったようだ。人々は、今と違っておおらかに生きていたのだろう。維新の政治家にも、もう少しおおらかさがあってほしい。

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