多肉植物(エケベリア) マグアンプKは効果絶大 ― 2022年05月07日
多肉植物の土 保水量と水抜け ― 2022年05月08日
多肉植物の土には「サボテン・多肉植物の土」などの名称で園芸店に売られている土をそのまま使っている人も多いだろう。
園芸店に行ったら、「花ごころ」の「サボテン・多肉植物の土」が売れ筋のようなので、購入してみたが、有機肥料が入っていて、ちょっと臭いがするので気に入らない。虫が来そうな気がする。ハイポネックスの「サボテン・多肉・観葉植物の土」には有機肥料は入っていないようだが、マグアンプKなどが入っているので、多肉植物が育ちすぎるように思う。
そういうことで、自分で適当に調合してみようと思い、手始めに、主要な土の保水力を確認した。多肉植物の用土には「赤玉土」「鹿沼土」「日向土」などが使われるが、自然土は好きではないので、軽石、パーライト、バーミュキュライト、ゼオライトと「花ごころのサボテン・多肉植物の土」を比較した。パーライトはダイソーで買った真珠石のもの。
ダイソーの2号テラコッタ鉢に70ml程度の土を入れ、鉢底から水が十分出るまで注水し、水の重さの経時変化を測定した。日中、五月晴れの好天に午前7時から午後7時までの12時間。
「花ごころのサボテン・多肉植物の土」は初期保水量が多く、水抜けも早いので、サボテンや多肉植物にふさわしいのだろう。よくできている。ただし、2号テラコッタ鉢を使う場合は少し水抜けが早いようにも思う。
下の図は同じ計測結果を初期水量を1としたときの、水の減少割合を図示したもの。時間範囲を朝7時から翌朝7時までの24時間とっている。
この図だと、バーミュキュライト・パーライトは、水持ちが良いことが分かる。軽石は初期保水量が少なく、ゼオライトは時間がたった時の水持ちが良い。
「花ごころのサボテン・多肉植物の土」のように、初期保水量が多く、水抜けが早い土は、軽石・パーライト(真珠石)・バーミュキュライト・ゼオライトの混合で作るのは無理だ。
多肉植物用配合土 ― 2022年05月09日
多肉植物の土には「サボテン・多肉植物の土」などの名称で園芸店に売られている土をそのまま使っている人も多いだろう。
園芸店に行ったら、「花ごころ」の「サボテン・多肉植物の土」が売れ筋のようなので、購入してみたが、有機肥料が入っていて、ちょっと臭いがするので気に入らない。虫が来そうな気がする。ハイポネックスの「サボテン・多肉・観葉植物の土」には有機肥料は入っていないようだが、マグアンプKなどが入っているので、多肉植物が育ちすぎるように思う。
そういうことで、自分で配合した。(数字は、体積配合割合)
軽石 65
パーライト(真珠石) 20
バーミュキュライト 10
ゼオライト 5
2.5号プラ鉢に鉢底石(黒曜石パーライト)50ml、用土120ml入れて、「花ごころのサボテン・多肉植物の土」と配合土の水量を経時計測した。2022年5月3日7時から5月8日7時までの5日間。天気はおおむね晴れの日が多かった。
水抜けの具合は、ほぼ同じなので、この土でよさそうだ。ただし、肥料分が全くないので、成長具合を見ながらハイポネックスを与えようと思う。
多肉植物用配合土のPH ― 2022年05月11日
「花ごころ」の「サボテン・多肉植物の土」が売れ筋のようなので、購入してみたが、有機肥料が入っていて、ちょっと臭いがするので気に入らない。このため、自分で配合した。(数字は、体積配合割合)
軽石 65
パーライト(真珠石) 20
バーミュキュライト 10
ゼオライト 5
水抜けの具合は、この土でよさそうなので、今度はPHを測定した。
写真上は、土を水に入れて1時間後。左が配合土で、右が「花ごころ」の土。配合土は中性かごく弱いアルカリ性。「花ごころ」の土はごく弱い酸性。多肉植物の多くは弱酸性を好むので、PHは「花ごころ」の土が理想的だ。配合土は、もう少し酸性の方がいいのかなーと思った。
写真下は一晩おいた後に測定したもの。どちらの土も、ごく弱い酸性になっている。一晩おいたために、空中のCO2が溶け込んだのか、それとも、軽石から酸性分が出てきたのか。配合土のPHは多肉植物に理想的とは言えないかもしれないけれど、特に問題はないだろう。
なお、軽石はカインズで購入したもので、ごく弱い酸性だった。軽石によっては、もっと酸度がきついものがあるだろうけれど、カインズのものだけあって、園芸向きにできている。パーライトはダイソーで買ったもの。これが、ごく弱いアルカリなのかもしれない。普通に、有機肥料を混ぜるのならば、この程度のアルカリは、全く問題ないか、むしろ好影響だ。
琉球展 ― 2022年05月12日

東京国立博物館で開かれている「琉球」見てきました。
本の紹介-密教 ― 2022年05月13日

松長有慶/著 『密教』 岩波新書(1991.7)
普通の人が密教の概要を知りたいときに読む本としては、あまりお勧めできない。
著者は、高野山の寺に生まれ、執筆当時は高野山大学教授・学長で、その後、金剛峯寺座主、高野山真言宗管長を務めた。岩波文庫は、専門外の一般人読者向けに書かれたシリーズであり、著者は一流の学者で、岩波新書向けに、客観的に密教を書いてはいるが、しかし、著者は、あまりにも高野山真言宗の中の人なので、本書も、真言宗の信仰が当然の立場で書かれた面があり、読みにくい。密教を学術的に解説する類似の書籍も多いので、もし初めて密教の解説を読むならば、他書を読むほうが良いと思う。
本の内容は、5章あり、それぞれ、「密教の歴史」「密教の思想」「密教の実践」「密教のシンボリズム(曼荼羅など)」「密教の社会性」。
密教の歴史はインド・チベット・中国・日本と密教の歴史を説明する。歴史の記述を客観的に書かれており、一般人にも容易に理解できる内容。「密教の思想」の章は、密教を知らなくても、密教思想の概要が理解できるような記述となっている。
「密教の実践」の章は私には、何が書かれているのか、理解できないところがあった。
「みずからの中に本来持っている聖なるものを見つけ出すためには、理性はまったく役には立たない。・・・悟りに入る直接の原因とはならないのである。(P95)」と書かれている。高野山大学教授が、高野山派のお寺の息子たちにこのように講義をしているのだとしたならば、それは理解できるが、高野山真言宗を信仰していないものにとって、この記述の意味は理解できない。「理性はまったく役には立たない」とは、著者の見解なのか、真言宗の教えなのか、密教の理解なのか、大乗仏教一般論なのか、仏教一般論なのか、それとも、理性が全く役に立たないものを「本来持っている聖なるものを見つけ出す」ことであると、言葉の定義をしたのか。著者の独善的見解が絶対真理であることを前提としているように感じるが、著者の独善的見解の内容説明がないと、私には理解ができない。
阿闍梨になるということはどういうことなのか。P98には以下の記述がある。「師あるいは弟子のいずれかが素質に欠けた場合、伝統が消滅するわけであるから、阿闍梨と弟子の資格の認定にはきわめて厳重なチェックが必要となる。(P98)」 一方、P113では実際の阿闍梨の認定として以下の記述がある。「日本密教では、四度加行を修し終わった行者はつづいて、伝法灌頂を受け阿闍梨の位にのぼる。(P113)」とある。
これは、どう読めばよいのか。素直に読むとこういう意味になるだろう。『本来、阿闍梨になるには厳密なチェックが必要だけれど、日本の真言宗では、四度加行を修し終われば、特別問題ない限り、ほぼ全員を阿闍梨にする。』著者は、このような趣旨で執筆したのだろうか。
「密教のシンボリズム」は普通の内容なので、特に理解しにくいところがあるはずはないのだけれど、曼荼羅の図の解説と、密教の諸仏との関連を文字のみで説明しているので、かなりわかりにくい。図を書いてくれれば、もっとわかりやすくなるのに。
本の紹介-密教 ― 2022年05月14日

正木晃/著『密教』(2004.9)講談社選書メチエ
著者は、早稲田大学・慶應義塾大学・立正大学の非常勤講師を務める宗教学者。仏教、特に密教系の解説書を多数執筆している。本書は、密教や仏教の知識がなくても理解できるように書かれており、密教を知ろうと思っている人に勧められる。
本書の内容は、「密教とは何か」「キーワードで考える日本密教」「マンダラの理論と実践」「修行と秘儀から考える日本密教」。
「密教とは何か」では、インド、チベット、中国の密教史を概説する。日本の密教の位置を理解する上で重要。岩波新書「密教」と類似な内容なので、どちらを読んでも良いように思う。
「キーワードで考える日本密教」は日本の密教の概要説明。密教の修業方法の説明の中に、密教の思想の説明がなされている。密教と無関係な一般人にも理解しやすい内容になっている。
「マンダラの理論と実践」は金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅の解説。図を示し、ある程度詳しく書かれているので、理解しやすい。
「修行と秘儀から考える日本密教」は日本密教で行われている阿字観や四度加行などの仕方の説明。密教の修行って、こんなことをしているのだ、と、何となくわかるようだ。
このほか、日本の有名密教寺院の案内がある。
もし、普通の人が密教を知ろうと思った時、岩波新書か講談社選書メチエのどちらを読もうかと思ったならば、講談社選書メチエの方が読みやすい。
本の紹介-なぜ人はカルトに惹かれるのか ― 2022年05月15日

瓜生崇/著『なぜ人はカルトに惹かれるのか』法蔵館 (2020/5)
著者はカルト教団・浄土真宗親鸞会の主要メンバーだったが、脱退した後、僧侶となり、カルトからの脱退の支援を行っている。
浄土真宗親鸞会とは、富山県の浄土真宗僧侶・高森顕徹が真宗僧侶をやめて作った新興宗教。親鸞会は新興宗教ではなくて、浄土真宗の改革運動との見解もあるようだが、著者は「カルト」であるとしている。
本書は3章構成で、それぞれ「私の入信と脱会体験」「なぜ人はカルトに惹かれるのか」「どうしたら脱会できるか」。
本書第一章は、著者が親鸞会に入会し、その後脱会した話。著者は大学入学時に、宗教とは知らずに勧誘されて入った親鸞会にのめりこんで、大学を退学し「講師部員」となって、勧誘・資金集め・ビデオ販売に従事した。その後、脱会し、一時システムエンジニアとして就職した後、浄土真宗大谷派の僧侶・住職となった。
どのような経緯で親鸞会に入ったのか、親鸞会で何をしていたのかなどの、個人体験が書かれている。これを、逆に見れば、親鸞会がどのように勧誘しているのか、信者に何をさせているのか、など、親鸞会がカルトと言うにふさわしい恐ろしい新興宗教団体であることが理解できる。
第二章はどのような人がカルトに惹かれるのか、著者自身の体験や、カルト脱会相談の中で得られた知見が示される。
カルトに入信する人の特徴として、以下の説明がなされている。
『私が親鷺会で勧誘していたときに先輩は、入信する人は心の中に教えを求める「核」のようなものがあり、それをつかんで本人の目の前に引きずり出すのが勧誘ということだと言っていた。(P90)』
人生について考えていないのではなく、真剣に悩んでいて簡単な答えを欲しがっている人が、カルト側の狙い目と言うことなのだろう。
信仰や教祖への絶対的な妄信に対して以下のように説明している。
『真実性の証を求めるのは、それが得られないで悩んできたからだ。真に自分が救われる信仰かどうかを心の奥底で問うているから、その証を求めてやまないのである。カルトの信者を見ると、どう考えても真実性の証にならないようなことを、信仰の拠り所にしているように見えるかもしれないが、それは洗脳されて盲信している姿ではない。疑念や悩みを残してもがいている姿が、仮にそういう形を持って外に現れているに過ぎない。この神様はありがたいんです、この仏様の救いはこんなにあったかいんです、私は間違いなくこの教えに救われましたと声高に主張するときに、その根底にはそう思いたいけど思えない信者の姿がある。これは別にカルトに限った話ではない。信仰は本来そういう二面性を持っているのだ。(P147,148)』
この章では、カルトに入信する側の話の他に、なぜ教祖がカルトを作ってしまったのかを考察している。もちろんカルトの中には、悪意で始めた教祖もいるだろう。しかし、そうではなく、多くの人を真剣に救済しようとして、その結果として、自分こそが人々を救済できる存在と考える驕慢に陥ってしまったのだろうとの見解を示している。
第三章はカルトからの脱会を助けた著者の経験。
親族、友人がカルトに入信した時に、「そんなつまらないカルトにつかまってバカな人だ」と、上から目線になる人は多だろう。著者の経験では、このような態度で脱会を助けることは無理なようだ。
ところで、親鸞会では「信心決定をすることにより救われる」「信心決定できなければ地獄に落ちる」と教えているそうだ(P54)。あまりにも親鸞の教えと異なっているのに驚いた。