本の紹介-なぜ人はカルトに惹かれるのか2022年05月15日

  
瓜生崇/著『なぜ人はカルトに惹かれるのか』法蔵館 (2020/5)
  
 著者はカルト教団・浄土真宗親鸞会の主要メンバーだったが、脱退した後、僧侶となり、カルトからの脱退の支援を行っている。
 浄土真宗親鸞会とは、富山県の浄土真宗僧侶・高森顕徹が真宗僧侶をやめて作った新興宗教。親鸞会は新興宗教ではなくて、浄土真宗の改革運動との見解もあるようだが、著者は「カルト」であるとしている。
 
本書は3章構成で、それぞれ「私の入信と脱会体験」「なぜ人はカルトに惹かれるのか」「どうしたら脱会できるか」。
 
 本書第一章は、著者が親鸞会に入会し、その後脱会した話。著者は大学入学時に、宗教とは知らずに勧誘されて入った親鸞会にのめりこんで、大学を退学し「講師部員」となって、勧誘・資金集め・ビデオ販売に従事した。その後、脱会し、一時システムエンジニアとして就職した後、浄土真宗大谷派の僧侶・住職となった。
 どのような経緯で親鸞会に入ったのか、親鸞会で何をしていたのかなどの、個人体験が書かれている。これを、逆に見れば、親鸞会がどのように勧誘しているのか、信者に何をさせているのか、など、親鸞会がカルトと言うにふさわしい恐ろしい新興宗教団体であることが理解できる。
 
 第二章はどのような人がカルトに惹かれるのか、著者自身の体験や、カルト脱会相談の中で得られた知見が示される。
 カルトに入信する人の特徴として、以下の説明がなされている。
 『私が親鷺会で勧誘していたときに先輩は、入信する人は心の中に教えを求める「核」のようなものがあり、それをつかんで本人の目の前に引きずり出すのが勧誘ということだと言っていた。(P90)』
 人生について考えていないのではなく、真剣に悩んでいて簡単な答えを欲しがっている人が、カルト側の狙い目と言うことなのだろう。
 信仰や教祖への絶対的な妄信に対して以下のように説明している。
 『真実性の証を求めるのは、それが得られないで悩んできたからだ。真に自分が救われる信仰かどうかを心の奥底で問うているから、その証を求めてやまないのである。カルトの信者を見ると、どう考えても真実性の証にならないようなことを、信仰の拠り所にしているように見えるかもしれないが、それは洗脳されて盲信している姿ではない。疑念や悩みを残してもがいている姿が、仮にそういう形を持って外に現れているに過ぎない。この神様はありがたいんです、この仏様の救いはこんなにあったかいんです、私は間違いなくこの教えに救われましたと声高に主張するときに、その根底にはそう思いたいけど思えない信者の姿がある。これは別にカルトに限った話ではない。信仰は本来そういう二面性を持っているのだ。(P147,148)』
 この章では、カルトに入信する側の話の他に、なぜ教祖がカルトを作ってしまったのかを考察している。もちろんカルトの中には、悪意で始めた教祖もいるだろう。しかし、そうではなく、多くの人を真剣に救済しようとして、その結果として、自分こそが人々を救済できる存在と考える驕慢に陥ってしまったのだろうとの見解を示している。
 
 第三章はカルトからの脱会を助けた著者の経験。
 親族、友人がカルトに入信した時に、「そんなつまらないカルトにつかまってバカな人だ」と、上から目線になる人は多だろう。著者の経験では、このような態度で脱会を助けることは無理なようだ。
 
 ところで、親鸞会では「信心決定をすることにより救われる」「信心決定できなければ地獄に落ちる」と教えているそうだ(P54)。あまりにも親鸞の教えと異なっているのに驚いた。

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