NHKは謀略報道機関か?2022年06月11日

2022年6月8日 NHKニュース
 ルハンシク州のガイダイ知事はSNSに投稿し「ロシア側は、今月10日までにセベロドネツクを掌握することを目指し、大きな戦力を投入している」として、 この都市をめぐる戦闘がここ数日で一層激しくなる可能性に言及しました。(NHKニュース 2022/6/8)
 ロシア側が10日までの掌握を目指していることを、ウクライナの知事がどのようにして知ったのか。 NHKは裏付けをとったのか。ウクライナの謀略情報を裏付けも取らないで、単に垂れ流すのでは報道機関の名に値しない。
 現在、日本を含む西側諸国はロシア非難一辺倒だ。正しい情報のもとに判断しているならばよいが、 ウクライナ側謀略情報を基にマスコミ挙げて世論誘導をするのは良くない。
 
 謀略情報が真実である可能性は低い。11日になると、こんな呆れた報道が現れた。
 セベロドネツクの制圧 ロシアが目標日を延期か
 ルハンシク州のハイダイ知事は10日、激しい市街戦が続くセベロドネツクについて「ロシア軍は22日までの制圧を目指すことに変更した」と述べました。(テレビ朝日ニュース 2022/6/11)

 ウクライナの知事はロシア軍の目標をどのようにして知ったのか。テレビ朝日は、ウクライナの知事が、超能力の読心術でも使ったと思っているのだろうか。
 セベロドネツクをおおむね包囲したのが6月上旬だった。マリウポリを包囲してから陥落させるまで、およそ1か月かかっている。 歴史を紐解けば、ナチスドイツによってキエフが包囲された後、陥落するまでは1か月弱かかっている。 軍事力の差が大きい時でも、都市の陥落は相手国が降伏しない限りそう簡単ではない。 都市ではないが、日本でも、沖縄戦では、米軍上陸から日本軍の指揮系統が崩壊するまで三か月、最後の抵抗が終わるのはさらに二か月を要している。 ナチスドイツによるキエフ攻撃や、米軍の沖縄攻撃では、住民を大量殺戮することによって、占領を速めた。 ロシアが住民殺害を極力抑えようとし、ウクライナが住民を盾に使うならば、ロシアによる制圧にはそれなりの時間がかかるだろう。

歩く・知る・対話する琉球歩く・知る・対話する琉球学学2022年06月12日

 
松島泰勝/編,著『歩く・知る・対話する琉球学 歴史・社会・文化を体験しよう』明石書店 (2021/11)

 高校生が修学旅行等で、沖縄を訪れるときの事前学習に適した内容。50ほどの項目を解説する形で、沖縄の歴史・社会・文化など幅広く沖縄の全体像を説明している。特に沖縄に対する事前知識がなくても、読みやすいように感じる。
 本書の編集者は琉球独立を主張している人なので、日本の支配に反対するような記述があるが、内容はしっかりしており、史実・事実が冷静に記述されている。
 
本書は4部構成。
 第一部は沖縄の歴史。15項目のトピックスを解説する形で、先史時代から、グスク時代、琉球王国時代、薩摩の侵攻と日中両属、明治初年の内国化、沖縄戦、占領統治、本土復帰と、一通り、沖縄の歴史すべてにわたって、ほぼ時代順に、説明している。
 第二部は沖縄の社会と社会問題。13項目のトピックスを解説する。米軍基地問題が多い。
 第三部は沖縄文化。15項目のトピックスを解説する形で、沖縄の文化、伝統工芸、芸能、文学など多義にわたっているが、何となくまとまりを欠く。
 第四部はフィールドワークの案内。グスク、戦跡、自然などが紹介されている。

本の紹介ー平和を創る道の探求2022年06月14日

 
孫崎享/著『平和を創る道の探求』かもがわ出版 (2022/6)
 
 著者は元外交官。本書では、国際問題を外交により解決することを主張している。
 本書の中心は、ロシア・ウクライナ戦争であるが、中台問題や、北朝鮮問題、尖閣問題にも触れられている。
 現在、ロシア・ウクライナ戦争に関して、日本のマスコミは、ゼレンスキーを褒めたたえ、ウクライナ側の一方的発表を報道している。こうした中、本書はプーチン演説等により、ロシアの意図を分析したうえで、外交的解決を提案する。著者が考える外交による解決策は「NATOの東方拡大をウクライナに行わない」「ウクライナ東部地域に自治権を与える」の二点である。
 ロシア・ウクライナ戦争を事実に基づいて冷静に判断しようとする人には、大いに参考になる本と言える。

イリオモテラン2022年06月22日

 
 小石川植物園6号温室に、イリオモテラン(Staurochilus luchuensis)が咲いていました。ニュウメンランとも言います。漢字で「入面」と書いて、訓読・音読の違いです。日本では石垣島、西表島、魚釣島に分布し、海外では台湾、フィリピンに分布します。西表島や石垣島では乱獲され、絶滅に近い状態になったため、イリオモテランを移植したので、遺伝子の攪乱が起きてしまったとの話を聞いたことがあります。真実かどうかは知らない。
 尖閣の魚釣島にも分布していたけれど、指定暴力団住吉会傘下の右翼団体がヤギを放置したため、繁殖したヤギの食害で、絶滅した可能性があります。

ヒスイラン2022年06月23日

 
 小石川植物園6号温室に、ヒスイラン属の花が一輪咲いていました。
 尖閣にコウトウヒスイランがあるかもしれないが、それを除くと、ヒスイラン属は日本には自生していない。
 ニュウメンランやヒスイランのような野生の蘭を栽培している人がいるので、蘭展などで見かけることもあると思います。

ムニンノボタン2022年06月24日

 
小石川植物園では「ムニンノボタン」が咲いていました。
ノボタンの小笠原固有種です。

本の紹介-帝国の島2022年06月26日


松島泰勝/著『帝国の島-琉球・尖閣に対する植民地主義と闘う』明石書店 (2020/8)
  
 著者は竜谷大学経済学部教授で、琉球独立論者。
 日本政府は、現在、尖閣諸島は日本固有の領土と主張している。本書はこれに対して異議を唱える。尖閣問題に対する、日本政府の主張への反論という観点から本書を読むと、歴史的経緯など良くまとまって書かれている。しかし、本の書き方が良くないのか、日本政府の論拠とそれへの反論が、どれがどれなのか、わかりにくい。
 本書は、尖閣問題以外に、琉球併呑の不当性、戦時中の日本軍人による住民弾圧、人類学者による琉球墳墓からの遺骨泥棒、琉球独立問題なども話題とされている。章ごとに分かれているのだけれど、各々の問題に、尖閣問題が複雑に絡んでいる記述となっており読みにくい。問題が絡んでいるのは事実としても、もう少し整理をした記述にしてほしかった。

 参考のために、目次を記す。
目次
はじめに
Ⅰ 日本政府はどのように琉球、尖閣諸島を奪ったのか
 1 植民地主義を正当化する「無主地先占」論
 2 尖閣日本領有論者に対する批判
 3 「無主地先占」論と民族自決権との対立
 4 琉球、尖閣諸島は「日本固有の領土」ではない
 5 歴史認識問題としての尖閣問題
Ⅱ 日本帝国のなかの尖閣諸島
 1 日本による尖閣諸島領有過程の問題点
 2 他の島撰はどのように領有化されたのか
 3 山県有朋の「琉球戦略」と尖閣諸島
Ⅲ 尖閣諸島における経済的植民地主義
 1 古賀辰四郎による植民的経営としての尖閣開発
 2 寄留商人による琉球の経済的搾取
 3 油田発見後の日・中・台による「資源争奪」
 4 「県益論」と「国益論」との「対立」
 5 琉球における資源ナショナリズムの萌芽と挫折
 6 稲嶺一郎と尖閣諸島
 7 なぜ今でも尖閣油田開発ができないのか
Ⅳ サンフランシスコ平和条約体制下の琉球と尖閣諸島
 1 サンフランシスコ平和条約体制下における琉球の主権問題
 2 アジアの独立闘争に参加した琉球人
 3 戦後東アジアにおける琉球独立運動
 4 李承晩による琉球独立運動支援
 5 日本の戦後期尖閣領有論の根拠
 6 なぜ中国、台湾は尖閣領有を主張しているのかーその歴史的、国際法的な根拠
Ⅴ 日本の軍国主義化の拠点としての尖閣諸島と琉球
 1 地政学上の拠点としての尖閣諸島
 2 尖閣諸島で軍隊は住民を守らなかった
 3 八重山諸島の教科書選定と「島懊防衛」との関係-教育による軍官民共生共死体制へ
 4 教科書問題、自衛隊基地建設、尖閣諸島のトライアングル
 5 沖縄戦に関する教科書検定問題と日本の軍国主義化
 6 琉球列島での自衛隊基地建設と尖閣問題との関係
Ⅵ 琉球人遺骨問題と尖閣諸島問題との共通性
 1 学知の植民地主義とは何か
 2 琉球における学知の植民地主義
 3 皇民化教育という植民地主義政策
 4 天皇制国家による琉球併呑140年i琉球から天皇制を批判する
 5 琉球人差別を止めない日本人類学会との闘い
 6 京大総長による「琉球人差別発言事件」の背景
 7 どのように琉球人遺骨を墓に戻すのか
Ⅶ 琉球独立と尖閣諸島問題
 1 琉球人と尖閣諸島問題との関係
 2 琉球の脱植民地化に向けた思想的闘い
 3 尖閣帰属論から琉球独立論へ
 4 尖閣諸島は琉球のものなのか
 5 「日本復帰体制」から「琉球独立体制」へ
 6 どのように民族自決権に基づいて独立するのか
注 索引 あとがき

本の紹介-北海道の歴史〈上〉2022年06月27日


長沼孝、榎森進、田端宏、他/著『北海道の歴史〈上〉古代・中世・近世編』北海道新聞社(2011/11)
 
石器時代から明治になるまでの北海道の歴史。詳しい。

 クナシリメナシの乱の原因は、ほとんどすべての歴史解説書で、飛騨屋の横暴にあったと記される。しかし、飛騨屋側には、これを否定する「風説」が伝えられている。本書では、この風説に比べ、飛騨屋の横暴説が真実に近そうに見えることは明らかとしている。
 鎮撫軍の責任者、番頭の新井田孫三郎が残した記録には、取り調べで聴取した蜂起の理由が次のように記されている(「寛政蝦夷乱取調日記」『日本庶民生活史料集成』第四巻)。

 「めなし夷共申口」ー〆粕造りなどで働かされているが手当が少なすぎる(長人で米一俵、たばこ一把。ウタリではたばこ半把、マキリ一丁だけ)。アッケシでは粕〆割合手当があるが(粕はすべて和人に渡すが魚油の半分はアイヌ側の取り分とする)、メナシではない。「自分働」きができないほど暇なく使役されるので、越冬用の食料を準備するのも難しかった。アイヌの女房たちに対する「密夫」がひどく、「ツクナイ」を求めればかえって叩かれたりしている。働きの悪い者は殺してしまうとおどし、子供を背負っているメノコを釜へ投げこみそうにしてみせる、薪で叩かれて死んだ者、無理に飲まされた薬で死んだ者がいた。こんな有様だったのでやむをえずみんなで申し合わせて和人を「討殺」すこととなった。
 「くなしり蝦夷共申口」ー「密夫」がひどく、子供を生ませている者もいる。「ツクナイ」を求めるとかえって「非分」な扱いを受けるのであきらめている者が多い。手当は少なくて(長人で米糀三俵、ウタレは一~二俵、メノコはたばこ一~三把とマキリ一丁)、「自分働」のひまがないほど使われている。働きの悪いアイヌは殺してしまい、和人をたくさん連れて来て「シャモ地」(和人地)に変えてしまうと言っていた。支配人からもらった「暇乞の酒」を飲んでクナシリ総長人のサンキチが死んでしまうという事件も起きている。このような有様だったのでやむをえず「シャモ人」を「討殺」することとなった。

 「申口」を得るための取り調べはアッケシ長人イコトイ、ノカマッフ長人シヨンコ、クナシリ長人ツキノエが担当していたが、ほかにオサツ長人ネチカネ、シトウケンも立ち会っていた。オサツへは新井田孫三郎の知行所であり、日本語もできるこの町人たちを「間者」のように働かせるために出陣以前から騒動の現地へ派遣して情勢を調べさせていた(「蝦夷騒擾一件取計始末覚」)。 このオサツへアイヌ立ち会いのもとでの「申口」なので、ほぼ正確な記録なのかと思われる。
 飛騨屋のアッケシ場所支配人であった伝七も、前掲の「蝦夷人共申口」と同じことを述べていた。理不尽な「密夫」のこと、アッケシで行われている〆粕割合手当がクナシリにはないこと、主なアイヌを殺して和人を移し「シャモ地同様」にするという風聞のあったことなどを、伝七も述べていたのである(前掲「寛政蝦夷乱取調日記」の伝七・吉兵衛申口)。
 幕府の「間者」として松前に来ていた青嶋俊蔵も、新井田孫三郎に連れられて騒動の現地から松前まで出て来ていた「夷」に尋ね聞いたことを報告するなかで、「商人共交易方非分」のことや、領主の家来も「威服」ばかりを考え「教化」を心得ていないので自然と反抗的になってしまう、「夷」たちは「商人共不法」がひどいのでやむなく殺害に及んだのであり、「不埒」のことを行ったとは思っておらず、「償ひ」の品を提出することで処分も済むと考えていたらしい、と述べていた(「蝦夷地一件(五)」)。

 飛騨屋側には、前掲の「蝦夷共申口」を否定する「風説」が伝えられている。飛騨屋に対して悪意を持っている三右衛門が通辞頭となって新井田孫三郎らと同道、現地で飛騨屋を悪く言うように仕向けたのだという。三右衛門は私欲をはかって飛騨屋から罷免されていたもので、飛騨屋の通辞がアイヌたちと懸け合いを行おうとすると、飛騨屋の者は「蝦夷共へ懸合ひ相成らず」と大いに怒っていたという(「飛騨屋文書」『根室市史』史料編)。この「風説」より「蝦夷共申口」の方が真実に近そうに見えることは、伝七の「申口」などからも明らかであろう。「商人共交易方非分」とか「商人共不法」と指摘されるような方法をとってでも収益を追求しなければならない事情が飛騨屋側にはあったのである。

 松前藩への莫大な貸付金の返済のかわりにエトモ、アッケシ、キイタッフ、クナシリ、ソウヤの五場所を請け魚うこととなった飛騨屋であったが、 山請負(伐木業)と同じような経営上の経験を、漁場経営、漁獲物取引を中心とした場所請負について重ねて来ていたわけではなかった。 「未だ仕馴れざる儀二候得共御証文請取商売仕リ候」(馴れないことではあったが、藩と約束をかわして商売することとなった)としていたのである (「飛騨屋武川家文書」のうち寛政元年十一月十九日提出の訴状)。奥地の大場所を請け負うことになって大規模な商売ができるはずのところ、 エトモは大津屋へ、キイタッフは材木屋へ、ソウヤは阿部屋へそれぞれ下請けに出してしまっていたのは資金面や、経営経験上の問題が考えられていたからだと 思われる(河野資料「飛騨屋旧記」のうち「萬覚帳」の抜書)。(P290,P291)

本の紹介ー琉球の樹木2022年06月28日

 
大川智史、林将之/著『琉球の樹木—奄美・沖縄〜八重山の亜熱帯植物図鑑』 文一総合出版 (2016/11)
 
 本書は、琉球に分布する全樹木の写真付き解説。種の同定のための説明が詳しい。また分布地域も詳しい。
 巻末の表に、琉球に分布する全樹木が、屋久島・種子島から八重山群島までの各島や、大東諸島、尖閣諸島、小笠原に分布するかどうかが記載されている。

本の紹介-植物地理の自然史2022年06月29日

 
植田邦彦、他/著『植物地理の自然史』北海道大学出版会 (2012/8)
 
現在の植物分布や植物の遺伝子解析から、過去にどのようなことがあって、現在の分布ができたかを推定している。
本書は、以下の4章からなる。(このほかに、序章と後書きがある)
1.琉球列島における植物の由来と多様性の形成
2.南半球分布型植物の分子系統地理
3.被子植物の分布形成における拡散と分散
4.沿海州の気候と植生
 序章を含めてどの章も研究開始の内輪話から始まるようで、冗長に感じた。
 第一章はソテツやスダジイの遺伝子解析の結果をまとめ、過去において、渡瀬線や蜂須賀線が閉じていたと推定している。ソテツの近縁種であるタイワンソテツは台湾・台東の狭い範囲に分布する種だが、遺伝子のバラエティーが多いそうだ。それに対して、ソテツは宮崎県から八重山まで広く分布するが、遺伝子のバラエティーが非常に少なく、沖永良部島で遺伝子系統が分けられる。伝統的に植物分界と考えられている渡瀬線や蜂須賀線で、分布に変化が見られないことと、ソテツの実が海を渡って分布を広げることは考えにくいので、著者はが渡瀬線や蜂須賀線が閉じていたと推定している。
 しかし、ソテツの遺伝子変異が少ない原因や、沖永良部島で遺伝子系統が分れる原因の考察がなくて、なんだか物足りない感じがする。
 1609年、薩摩藩が琉球へ侵攻すると、奄美諸島は薩摩の直轄となり、沖縄島以南は薩摩に服属する琉球王国が支配することとなった。沖永良部島には、1690年に、薩摩藩の代官所が設置された。薩摩藩の支配は過酷を極め、住民は米麦を得ることができなくなり、傾斜地でも育つソテツでんぷんを食料とした。一方、琉球でも、1700年代前半に、蔡温が中心となって、ソテツ栽培が推奨された。ソテツの分布が自然分布ではなくて、人為分布であると考えると、ソテツの遺伝子変異が乏しいことや、分布域が行政区域にほぼ一致していることが理解できるように思うのだが。本書にはこのような視点はなく、ソテツは自然分布と考えているようだ。

* * * * * *

<< 2022/06 >>
01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

RSS