ウクライナ大攻勢失敗 ― 2023年06月17日
これは、6月16日時点の情報をまとめています。
ウクライナ大反攻は完全な失敗に終わっている。しかし、日本では、一定の成果があったかような、事実と違った報道がなされている。ただし、虚偽報道なのではなく、文学的表現手法で、読者が事実を誤認するようなことが行われている。
以下、ウクライナ大反攻の場所ごとに、なるべく正確な戦況を記す。
最初に、全体の概要。
Ⓐドニエプル河下流域、へルソン付近
今のところ、ウクライナ軍の反撃地点ではないが、ダム決壊によりロシアの防衛線が崩れたので、ウクライナにまだしっかりした装備があるならば、今後、ここから攻撃の可能性がある。
Ⓑオレホフ(オレホボ)付近
オレホフからトクマクを経由してメリトポリに抜ける自動車道がある。6月7日以降、ウクライナ総攻撃の中心地点。しかし、ロシア第一防衛線に阻まれて、西側から供与された戦車など多数を失い、実質成果ゼロ。
Ⓒドネツク州西部
ロシア防衛が一番弱いところ。6月4日に小規模攻撃があり、いったん攻撃は停止した。しかし、Ⓑ地点の攻撃が頓挫すると、成果を見せるため、10日から攻撃再開。現在、最も激しく争っている地点。
Ⓓドネツク市、南西部と北西部
バフムト陥落以降、ロシアの攻撃があった。両国の小競り合いが今でも続いている。
Ⓔバフムト西部
5月20にバフムトが陥落した。それ以降、ウクライナ軍は何とかこの地域で成果を出そうと小規模攻撃を繰り返しているが、ほとんど成果はない。
Ⓕハリコフ州東部
ウクライナからロシア住民への攻撃があって以降、ロシアが進軍していた。6月5日、ウクライナがアンモニアガスパイプラインを爆破すると、ロシアの進軍は止まった。現在、膠着状態。
そういうことで、ウクライナ大反攻の重要地点はⒷⒸⒹⒺである。以下、各地点を少し詳しく説明する。
Ⓑオレホフ(オレホボ)付近
6月7日、ウクライナ大攻勢はここが最激戦地となった。ここには、トクマクを経由してメリトポリに抜ける自動車道があるので、クリミア攻略の最重要地点のため、ロシアも三重の防衛線を作っている。第一防衛線はRobotyneにある。ウクライナ軍の攻撃は最初の防衛線で、頓挫した。ドイツ製最新鋭戦車レオパルド2が触雷して破損、ロシア戦闘機攻撃で多数の戦車等軍用車両を失うなど、6月9日までに、惨憺たる結果に終わった。なお、オレホフのほか、隣のMala Tokmachkaからも、ウクライナは攻撃したため、Mala Tokmachka南部も激戦地となった。さらに、KamyanskeからLobkoveへの進軍も行われた。ただし、ここは無人地帯なので、大きな戦闘はなく、ウクライナが支配した模様。
この地域でのウクライナ軍の損失は大きく、ロシアの50倍の損失を出したとみられている。
10日以降、いったんは攻撃が沈静化したが、6月16日には再び攻撃が始まった。このときは、むしろ、KamyanskeからLobkoveさらには、隣接するPyatykhatkyに進軍している。ただし、Pyatykhatkyにはロシアの第一防衛線があるので、おそらく跳ね返されたと思われる。なお、Lobkove、Pyatykhatkyともに、もともと小さな村で、今は住民はいない。
この地域は、ウクライナ大反攻の中心だったにもかかわらず、ウクライナ軍がロシア防衛線を突破できていない。ロシア軍とウクライナ軍が対峙していた中間の無人の畑や荒れ地に進出したため、「支配地域を広げた」などと宣伝されるが、ほとんどは、無人地に進軍したに過ぎない。
ウクライナの攻撃がロシアの防衛線で阻止されるのは、航空機の援護なしに、戦車等地上兵力のみで、敵陣に突っ走るためだろう。戦車は空からの攻撃と横からの攻撃に弱い。ウクライナが、制空権を取らない限り、勝ち目はないだろう。
Ⓒドネツク州西部
ロシア防衛が一番弱いところ。州界に近いことからも分かるように、へき地。南に延びる道路があり、自動車通行は可能だが軍事上の重要性は小さい。
6月4日に小規模攻撃があった。ウクライナは大反撃の前に、試しに小さな攻撃をしたのだろう。6月4日は、VuhledarからYehorivkaが攻撃の中心だった。VuhledarとYehorivkaは5キロ離れていて、Yehorivkaのすぐ北には川が流れている。6月4日、ウクライナ軍は川を超えて、Yehorivkaを奇襲攻撃したが、ロシア軍は持ちこたえ、6日までには、ウクライナ軍を押し戻した。このとき、ウクライナ軍の一部が川の北側にとどまったのか、Vuhledarまで、全員が戻ったのか分からない。
ウクライナ軍とロシア軍の中間地帯は無人であるが、地図には、一応、中間に両軍の境界線が引かれていることが多い。このため、ウクライナ軍がYehorivkaに進軍したということは、言葉を変えれば、2.5キロ、支配地を広げたと言えなくもない。実際、この時、ウクライナが2~3キロ、支配地を広げたとの報道があった。
Ⓑ地区の攻略が頓挫すると、6月10日夜、ウクライナ軍は、Velyka Novsilkaからの攻撃を本格化した。このとき、Velyka Novsilka南のNeskuchneのロシア軍は西側の高台に避難したため、ウクライナ軍は容易に南下し、さらにMakarivkaにも進軍した。しかし、12日の昼になり天候が回復すると、ロシアは戦闘機による爆撃や、高台からの攻撃により、Makarivkaからウクライナ軍を追い返した。しかし、夜になると、再び、ウクライナ軍がMakarivkaを占領した。このようにMakarivkaはウクライナによって、少なくとも5回は占領されているようだ。なお、両軍とも暗視スコープがあるので夜の行動は問題なくできるが、視界が狭くなるので、ロシアの戦闘機は日中の晴・曇りに行われる。ウクライナはこのような戦いをしているので、死傷者が多数にのぼっていると思われる。ロシアは、高台からの攻撃なのでその点は有利だが、Makarivka付近の高地をウクライナ軍に占領されると、その北側のロシア軍が孤立する恐れがある。この場所は、ロシアにしたら、征服してもあまり意味がないので、撤退するかもしれない。
ロシアの第一防衛線は、Makarivkaのさらに10㎞以上南にあり、ここを突破されない限り、ロシアの軍事戦略が不利になることはない。
Ⓓドネツク市、南西部と北西部
バフムト陥落以降、ロシアがMarinkaを攻撃し、70%確保した。アウディーウカはウクライナ占領地。
6月4日以降、両軍に目立った動きはない。小競り合いはある。
Ⓔバフムト西部
5月20にバフムトが陥落した。それ以降、ウクライナ軍は何とかこの地域で成果を出そうと小規模攻撃を繰り返しているが、ほとんど成果はない。図の①②③⑤地点で小規模な衝突がある。①地点は無人の畑・荒れ地なのでIvanivskeのウクライナ軍が進軍し、意味もなく戻ることがあるようだ。このとき、「何キロ進軍した」といわれることがあるが、意味がない。左側のChasivYarにはウクライナ軍数万が駐屯しているとのうわさがあったが、特に大きな動きはない。
上図は④の地点の拡大。ここは、貯水池の南の低地で無人地。5月中頃、ウクライナ軍が貯水池南に布陣して、この時、数キロ進軍したと宣伝した。この付近の低地にいたロシア軍は、南東部の高地に移動した。バフムト陥落以降、特に戦闘もなく、ウクライナ軍は撤兵したようだ。ところが、最近になって、ウクライナ軍が、この地を占領したと報道されることが度々ある。これを聞くと、連日のようにウクライナ軍が戦果をあげているように感じるが、状況は全く異なる。
貯水池の先に、もともと40戸ほどのBerkhivka村があり、今は無人。6月4日以降、ウクライナ軍は、夜になると頻繁にここに進軍しており、村の1/3程度を占拠したこともあるようだ。ただし、日中になると、ロシア軍に見つかり敗走する。これを何度も繰り返している。日本では、「ウクライナ軍が何キロ前進した」と時々報道されることがあるが、実際には、ほとんど前進していない。
6月15日ごろには、Berkhivkaに加えて、Yahindeにも進出したようだが、ロシアに見つかって複数の死者を出した。
下の写真は貯水池南側から貯水池方向を見たもの。ウクライナ進軍地域は樹林の向こう側。Googleの添付画像の一部です。
ウクライナ大攻勢失敗のままでは、西側援助はなくなってしまう。6月17日早朝、ウクライナ軍はオレホフ(オレホボ)付近で、新たな攻勢に打って出た可能性がある。 確かな情報がないので、全然、違うかもしれない。
ウクライナ 大敗北 ― 2023年06月20日
ウクライナの反攻は今のところ、完全に失敗している。
Ⓑオレホフ(オレホボ)付近
ウクライナは16日ごろからKamyanskeからLobkoveを通って、Pyatykhatkyに進軍し、ここで、ロシアとの衝突があったが、この時、ウクライナ軍は追い返された。
18日、ロシア軍はPyatykhatkyから撤退し、そのことがSNSに書かれると、ウクライナ軍はPyatykhatkyに進軍した。Pyatykhatkyは谷間で、南に1㎞行くと標高が30~40m高くなっている。ウクライナ軍がPyatykhatkyに入ると、ロシア軍は高台から一斉砲撃した。このとき、ロシア軍はTOS-1A(サーモバリック爆薬弾頭ロケット弾)を使用した可能性がある。ウクライナ軍は、ほとんど完全に殲滅された。ロシア軍の撤退は偽装で、待ち伏せ攻撃だったのだろう。しかし、ウクライナはその後も、数次にわたって進軍し、おびただしい犠牲を出したと思われる。
Pyatykhatkyは、その後、支配関係が目まぐるしく変化しているが、現地時間、6月19日夕方は、ロシアが支配している模様。
Ⓕハリコフ州東部
ウクライナからロシア住民への攻撃があって以降、ロシアが進軍していた。6月5日、ウクライナがアンモニアガスパイプラインを爆破すると、ロシアの進軍は止まった。
6月19日、ロシア軍は再びこの方面の攻撃を開始した模様。ここは、ハリコフ州東部だが、この後、ロシア軍はハリコフ市解放まで目指すのだろうか。ハリコフ州は、ロシアを支持する住民が多い地域だが、そうでない人も多い。ロシアの支配に反対する住民もあり、ロシアの支配が障害なく進むのか微妙だ。
ロシア軍は、日中、ウクライナ軍の掃討を終えると、安全な地域に引き上げることが多い。夜になると、ウクライナ軍が進軍する。日中になると、ロシア軍が、航空機の援護でウクライナ軍を掃討する。ただし、雨天の時は、航空機を出さず、ウクライナの支配が続く。前線の各地域とも、このような状況が続いているため、何度も支配関係が変わる。このため「ウクライナ軍が何キロ前進した」という情報は、多くの場合、ほとんど無意味だ。
Ⓑオレホフ(オレホボ)付近
ウクライナは16日ごろからKamyanskeからLobkoveを通って、Pyatykhatkyに進軍し、ここで、ロシアとの衝突があったが、この時、ウクライナ軍は追い返された。
18日、ロシア軍はPyatykhatkyから撤退し、そのことがSNSに書かれると、ウクライナ軍はPyatykhatkyに進軍した。Pyatykhatkyは谷間で、南に1㎞行くと標高が30~40m高くなっている。ウクライナ軍がPyatykhatkyに入ると、ロシア軍は高台から一斉砲撃した。このとき、ロシア軍はTOS-1A(サーモバリック爆薬弾頭ロケット弾)を使用した可能性がある。ウクライナ軍は、ほとんど完全に殲滅された。ロシア軍の撤退は偽装で、待ち伏せ攻撃だったのだろう。しかし、ウクライナはその後も、数次にわたって進軍し、おびただしい犠牲を出したと思われる。
Pyatykhatkyは、その後、支配関係が目まぐるしく変化しているが、現地時間、6月19日夕方は、ロシアが支配している模様。
Ⓕハリコフ州東部
ウクライナからロシア住民への攻撃があって以降、ロシアが進軍していた。6月5日、ウクライナがアンモニアガスパイプラインを爆破すると、ロシアの進軍は止まった。
6月19日、ロシア軍は再びこの方面の攻撃を開始した模様。ここは、ハリコフ州東部だが、この後、ロシア軍はハリコフ市解放まで目指すのだろうか。ハリコフ州は、ロシアを支持する住民が多い地域だが、そうでない人も多い。ロシアの支配に反対する住民もあり、ロシアの支配が障害なく進むのか微妙だ。
ロシア軍は、日中、ウクライナ軍の掃討を終えると、安全な地域に引き上げることが多い。夜になると、ウクライナ軍が進軍する。日中になると、ロシア軍が、航空機の援護でウクライナ軍を掃討する。ただし、雨天の時は、航空機を出さず、ウクライナの支配が続く。前線の各地域とも、このような状況が続いているため、何度も支配関係が変わる。このため「ウクライナ軍が何キロ前進した」という情報は、多くの場合、ほとんど無意味だ。
本の紹介―武器としての「資本論」 ― 2023年06月21日

白井聡/著『武器としての「資本論」』東洋経済新報社 (2020/4)
著者は、著書も多く、SNSでの発言も多いので、著者の本を読んだり、発言を見聞きした人は多だろう。
資本論入門書。資本論を明快に解説し、かつ、現代日本の問題を解明している。
マルクスの資本論というと、共産主義の話のように思う人も多いだろう。若きマルクスは、資本主義を研究して、共産主義を主張した。しかし、ドイツから追われることになり、イギリスのエンゲルスのもとに滞在することになり、この時に、一層詳しく資本主義を研究し、その成果が資本論となった。このため、資本論は共産主義の話ではなくて、資本主義の詳しい分析である。いまから31年前ソ連が崩壊し、ソ連型社会主義は骨董品になったが、資本主義はその後、隆盛を極めているので、資本主義の分析は今日的課題である。
本書は、14章に分かれ、資本論の解説と、現代日本社会の分析をしている。各章は関連性が強いので、最初から読むことが良いだろう。
著者は、現代日本の過労死問題を資本論の「包摂」により説明した。著者の視点は、資本論の解説にあるのではなく、現代日本社会の問題に切り込むことに感じる。このため、資本主義の分析や資本論に、あまり興味がない人でも、本種は有益だ。ただし、欲を言えば、内容をもう少し精査して、新書版にしてほしかった。
P212に「イノベーションによって生まれる剰余価値はたかが知れているのだ」との指摘がある。この指摘は恐ろしい。日本人は、このことに気が付いていないから、長時間低賃金労働の罠から抜け出せないのだろう。
第12講は「階級闘争の理論と現実」。このなかで、著者は、新自由主義を資本家階級による労働者階級に向けた、階級闘争と指摘する。ソ連誕生によって、資本家階級は労働者階級の融和を図ってきた。ソ連が崩壊すると、逆コースが生まれたのだろう。これに対して、労働者階級には闘争力がない今、どうすれば良いのか。