Vuhledar解放か ― 2024年10月01日

ドネツクの南西45㎞にあるVuhledarはウクライナ軍の軍事拠点になっていたが、解放されたとの情報がある。中央の一部は未解放との情報もあるが、そうだとしても、1日以内に解放される可能性が高い。
Vuhledarを解放したロシア軍は、北部のBohoyavlenkaに1kmのところまで、進軍しているとの情報もある。この間は、畑と原野なので、進軍は容易で、Bohoyavlenkaには高い建物がないので、解放は容易だろう。
ドネツク州の完全解放も視野に入ってきた。
追記:
10月1日の情報では、Vuhledarは完全に解放された。ただし、ウクライナ敗残兵が廃屋に潜んでいる可能性もあるので、完全掃討にはしばらく時間がかかる。
シベルスク戦線 ― 2024年10月03日
ドネツク州戦線では、ドネツク市西部や南西部でロシア軍の攻勢が活発だった。これに比べ、ドネツク州北部は戦線が膠着していた。しかし、最近、Sivers'k東部の小村Verkhn'okam'yans'keをロシア軍が完全解放したとの情報がある。ロシア軍が攻勢をかけているともとれるが、それよりも、ウクライナ軍の兵員不足が要因だろう。今後、冬に向かって、補給がますます困難になる。このままでは、ウクライナ軍は自然消滅する。
Zolota Nyva攻略 ― 2024年10月04日
Vuhledarを解放したロシア軍は、ここから西20㎞のZolota Nyvaの攻略にかかっているとの情報がある。小さな村で、高い建物はないので、解放は容易だろう。
Zolota Nyvaの西10㎞には、Velyka Novosilkaがある。ここは、小さな村ではなく、学校・スタジアム・ホテルなどがある。今は休業中だろうが。
Velyka Novosilkaはウクライナ軍支配地だったが、その南側は、ロシア軍支配地だった。ここは、ドネツク州とザポロージェ州の州境に近い僻地で、人口は少なく、高い建物はなく、この地域には戦略的意味はあまりない。しかし、昨年、ゼレンスキーは大攻勢をかけると宣伝して援助をもらった関係で、成果を見せる必要があったためか、ロシア軍の守備が薄い僻地を攻略し、支配面積を誇るために多大な兵員を犠牲にした。ウクライナの最盛期には、Neskuchne、Makarivka、Urozhaineを支配下に置いたが、現在はUrozhaineはすでに解放されている。
Velyka Novosilkaが解放されると、その南側も容易に解放される。ゼレンスキーの虚勢が無に帰する日は近い。
Zolota Nyvaの西10㎞には、Velyka Novosilkaがある。ここは、小さな村ではなく、学校・スタジアム・ホテルなどがある。今は休業中だろうが。
Velyka Novosilkaはウクライナ軍支配地だったが、その南側は、ロシア軍支配地だった。ここは、ドネツク州とザポロージェ州の州境に近い僻地で、人口は少なく、高い建物はなく、この地域には戦略的意味はあまりない。しかし、昨年、ゼレンスキーは大攻勢をかけると宣伝して援助をもらった関係で、成果を見せる必要があったためか、ロシア軍の守備が薄い僻地を攻略し、支配面積を誇るために多大な兵員を犠牲にした。ウクライナの最盛期には、Neskuchne、Makarivka、Urozhaineを支配下に置いたが、現在はUrozhaineはすでに解放されている。
Velyka Novosilkaが解放されると、その南側も容易に解放される。ゼレンスキーの虚勢が無に帰する日は近い。
本の紹介-絶望からの新聞論 ― 2024年10月08日

南彰/著『絶望からの新聞論』地平社 (2024/4)
朝日新聞に絶望して、琉球新報に再就職した記者の新聞論。
朝日新聞は、戦後一貫してリベラル論法をリードしてきた。しかし、安倍政権による、日本軍慰安婦報道批判をきっかけとして、政権に忖度する姿勢が顕著となった。著者は新聞労連委員長を務めるなど、朝日新聞政治部の主要記者だったが、このような朝日新聞の変節に絶望して、朝日新聞社を退職した。
本書は学者の書く文章に比べかなり読みやすいが、新聞記者の執筆にしては、それほど読みやすくないように感じる。
Zolota Nyva解放 ― 2024年10月09日
Vuhledarを解放したロシア軍は、ここから西20㎞のZolota Nyvaを解放したとの情報がある。小さな村で、戦略的価値が大きいわけではない。さらに西10㎞には、Velyka Novosilkaがあり、攻略も視野に入ってきたようだ。
クピャンスク戦線 ― 2024年10月10日
2023年5月、ロシア軍がウクライナ東部の要衝バフムトを解放すると、ハリコフ州東部でも進軍が活発になった。これに対し、ウクライナ軍はクピャンスク北東のシンキフカに防衛拠点を置いたが、ロシア軍の圧力は強まっていった。こうした中、ウクライナは6月5日夜にアンモニアパイプラインを爆破した。世界的な肥料不足が懸念されたが、その後なぜか、この話は立ち消えになり、ロシア軍のシンキフカ進軍もなくなった。
それから1年以上たった2024年8月末、シンキフカが解放された。その後、シンキフカ戦線は膠着し、代わりにクピャンスクの南20㎞のKruhlyakivkaに東方から進軍する動きが目立ってきた。この地域のオスクル川に架かる橋はすべて落とされているので、Kruhlyakivkaがロシア軍の手に落ちると、川の東部に布陣するウクライナ軍の補給が困難になる。
今後、冬に向かって、ウクライナ軍はますます厳しい状況になることは明白だろう。
このほか、ゴルロフカ北西のジェルジンスク(Toretsk)やドネツク市西部でも、ロシアは活発に進軍している。バフムート西部のチャソフヤール(Chasiv Yar)戦線は、しばらく膠着していたが、最近になって、ロシア軍がチャソフヤール西地区で数百メートル進軍したとの情報がある。
Liubimovka解放間近か ― 2024年10月11日
8月6日、ウクライナ軍はロシア領クルスク州に進攻し、深さ20~30㎞、幅50㎞程度の範囲を占領した。これに対するロシア軍の反攻は緩慢で、ウクライナ軍のさらなる進行もあまりなく、戦線は一旦膠着した。9月11日ごろ、ロシア軍はウクライナ軍支配地の西部地区に侵入し、ウクライナ軍に支配された領土の1/3を解放した。
Liubimovkaはウクライナ軍占領地のほぼ中央で、スジャからコレネヴォに至る道路が近くを通る軍事上の重要地点であるため、ウクライナ軍はここを死守した。このときロシア軍はLiubimovka西部の一部を解放したが、そこで戦線は膠着した。
昨日、ロシア軍はLiubimovkaの東にあるZeleny Shlyakhに進軍した。すでに解放したとの情報と、グレーゾーンとの情報がある。Zeleny Shlyakhがロシア軍の支配になると、Liubimovkaのウクライナ軍は孤立する。すでに、Liubimovkaも解放されたとの情報もあるが、少し気が早いように感じる。
Zeleny Shlyakhがグレーゾーンでも、ウクライナ軍はスジャ=コレネヴォ線が自由に使えなくなり、Ol'govka付近に布陣するウクライナ軍への補給が困難をきたす。これから冬に向かう中、ウクライナ兵士に厳しい状況が待っているようだ。
紫金山・アトラス彗星 ― 2024年10月13日
紫金山・アトラス彗星を近所の荒川堤防から見ました。街の明かりが多いところだけれど、肉眼でもうっすら、双眼鏡だとはっきり見ることができました。彗星見るのは久しぶり。
本の紹介ー地震と虐殺 ― 2024年10月15日

安田浩一/著『地震と虐殺 1923-2024』中央公論新社 (2024/6)
関東大震災直後に起こった朝鮮人虐殺の話。598ページの大書で、かなり詳しい。
東京下町、千葉県、横浜、埼玉県、群馬県など、各地で発生した朝鮮人虐殺が取り上げられている。虐殺の話のほかに、このような史実を明らかにした人たちの研究の様子も詳しい。また、著者が関連する地域を尋ね歩いたルポも記されているが、若干、冗長な気がする。もっとも、記述に冗長さがなかったら、あまりにも重い話題なので、読んでいて疲れてしまいそうだ。
ところで、日本人は、なぜ、朝鮮人を虐殺したのだろう。一般には、朝鮮人が井戸に毒を入れているとか、日本人を襲っているとかのデマが流れて、それを信じた日本人自警団が虐殺に走ったと言われる。本書も、そうした記述がある。本書には、デマの発信源が、軍や警察だった事例も紹介されている。このほか、本書には、軍が自警団に朝鮮人を払い下げて、殺害させた例もある。
しかし、本書にも記載されている、福田村(現、千葉県野田市)の虐殺は、一行が鑑札を示して日本人であることを証明しても、殺害が行われている。さらに、この時は、幼児も犠牲になっている。幼児が毒を入れたり襲撃してくることなないので、朝鮮人を恐れて殺害したということではない。
本書P393には、朝鮮人来襲とデマを言い、住民が逃げた間に略奪を働く、不逞日本人の存在について記されている。
本書には書かれていないが、志賀直哉/著『関東大震災直後の朝鮮人と日本人』によると、志賀直哉は大手町あたりで若者の以下の会話を聞いている。
『「鮮人が裏へ廻ったってんで、直ぐ日本刀を以て追いかけるとそれが鮮人でねえんだ。然しこう云う時でもなけりゃあ、人間は斬れねえと思ったから、到頭やっちゃったよ。」二人は笑っている。』
関東大震災当時の朝鮮人虐殺の多くは、朝鮮人の犯罪抑止のためではなく、単に人殺しが好きな日本人が、混乱に乗じて人殺しをしたに過ぎないのだろう。日本人は人殺し好きな民族なのだろう。
それから、志賀直哉の本には群馬県安中市松井田駅での朝鮮人殺害の話がある。本書には、この話はない。
クルスク―ウクライナ敗北間近 ― 2024年10月17日
8月6日、ウクライナ軍はロシア領クルスク州に進攻し、深さ20~30㎞、幅50㎞程度の範囲を占領した。これに対するロシア軍の反攻は緩慢で、ウクライナ軍のさらなる進行もあまりなく、戦線は一旦膠着した。9月11日ごろ、ロシア軍はウクライナ軍支配地の西部地区に侵入し、ウクライナ軍に支配された領土の1/3を解放した。10月10日には、ウクライナ進攻地点の中央付近・Liubimovkaをほぼ解放した。
その後、ロシア軍は東進して、Zelenyi Shlyakh、Novoivanovkaを解放、また、Liubimovkaのウクライナ軍残存兵も掃討した。一方、Liubimovkaの東10㎞にあるMalaya Loknyaは、これまでグレイゾーンだったが、10月10日ごろには、北東から進攻したロシア軍によって解放された。
現在、LiubimovkaからMalaya Loknyaの間は、ロシア軍が支配している模様。このため、Liubimovkaより北側に布陣したウクライナ軍部隊は、完全に孤立している。この地域のウクライナ兵に待っている運命は、降伏か、掃討されるか、飢えと寒さで死ぬか、このうちのどれかだ。ロシア軍支配が手薄なところから逃げ出すことは、すでに秋に入って、ぬかるみが多くて難しい。
多くの識者にとって、ウクライナがクルスクに進攻した目的が不明だった。特に、進攻が成功した後、ウクライナ軍はどうするつもりだったのか、どうも、ウクライナ軍の中でも不明だったようだ。ゼレンスキーの目的は、小さな成功を見せることで、西側から援助を取り付けること、もっと言えば、ウクライナ兵の命と引き換えに、西側援助を使って私腹を肥やすことだったのだろう。
PS
『LiubimovkaからMalaya Loknyaの間は、ロシア軍が支配している模様』と書いたのは、急ぎすぎだった。この間、ウクライナ軍が自由に活動できる場所はないが、だからと言ってロシア軍が完全支配しているわけではない。LeonidovoからMalaya Loknyaの間はグレーゾーンとすべきだろう。(10/20)