ポクロフスク解放間近 ― 2025年08月03日
20歳の女性偵察部隊長だったアンゲリーナ・マルティニュク(Ангеліна Мартинюк)は、7月26日にポクロフスク付近で戦死した。彼女はウクライナ西部のザカルパチア出身で、志願兵としてウクライナ軍に加入していた。現在、ウクライナ軍は、18~24歳の女性を募集している。
兵員不足に悩むウクライナは未訓練の女性や高齢男性を入隊させて、戦死に追いやっている。ただし、政府高官の子弟や金持ちは海外移住や賄賂を使って兵役に行くことはない。
写真はXに投稿されていたアンゲリーナ・マルティニュクの葬列。赤と黒の旗は、ロシア革命当時、住民虐殺で有名なマフノ農民党が使用したものがもとになっており、ウクライナ極右のシンボルとなっている。
ロシア軍攻勢 ― 2025年08月04日
本の紹介-沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか ― 2025年08月05日
林博史/著『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』集英社新書 (2025/4)
近代日本史が専門の林博史による沖縄戦の解説。戦史ではなくて、沖縄戦に民衆が関与させられ多くの犠牲者を出した状況を説明する。戦史ではないので、米軍の上陸、米軍と日本軍の銭湯の状況などについては、ほとんど触れられていない。
沖縄戦で20万人もの民衆が犠牲になった原因は一言でいえば日本軍の捨て石にされたことである。本書では、そのことが詳しく具体的に記されており、わかりやすい。
沖縄戦で多数の民間人が犠牲になった原因は、昭和天皇があまりにも自己中心的で愚か者だったためであるとは、著者は書いていない。しかし、以下の記述があり、昭和天皇の責任の一端を指摘している。
『「生きて虜囚の辱を受けず」という文言で有名な戦陣訓(1941年1月)は天皇の裁可を得て東条英機陸軍大臣が出した訓示であるが、すでにその前の1940年3月に制定された「作戦要務令第三部」のなかで「死傷者は万難を排し敵手に委せざる如く勉むるを要す」と負傷者を捕虜にならないように処置することが天皇の裁可した軍令で定められていた。この作戦要務令には御名御璽、重傷者の殺害は天皇の命令であったと言える。(P118)』
『 -沖縄戦は避けられなかったのか-
さかのぼって考えていくと、近衛文麿が天皇に終戦を提言した45年2月の時点で(マリアナ諸島を失って戦争の帰趨は決していたし、さらにレイテ、ルソンなどに米軍が上陸しフィリピンも失うことが確実になっていた時点で)終戦を決断していれば沖縄戦を避けられた可能性があった。そうすれば当然、原爆投下やソ連参戦も避けることができた。天皇が8月に終戦の「聖断」を下したのは国体護持=天皇制維持にこだわった、あまりにも「遅すぎた聖断」だった。
さらにさかのぼると、1941年11月に英米など世界を相手にアジア太平洋戦争を始めたこと自体が暴挙としか言いようがない。
アジア太平洋戦争が日中戦争の長期化のなかでその原因が生まれたことを考えると、1937年からの日中戦争についても、盧溝橋事件を早期に収拾できたはずであり、そうすれば全面化長期化は避けられた。中国から撤退して日本の政治経済社会の改革に向かっていればまったく違った歴史が見出せただろう。日中戦争は1931年からの満州事変の延長上にあったことを考えれば(別の道の可能性もあったが)、満州事変が関東軍の謀略から始まったものであったとしても、天皇や政府、日本社会がその侵略主義・排外主義に乗っかったことが大問題だった。(P303)』
P222には学徒動員での死者が多かった原因について以下のように書かれている。
『 1930年代前半までに多様な考え方を持つ教員は徹底して弾圧排除され、30年代後半、特に日中戦争が始まった37年以降は軍国主義・皇民化教育が徹底されていく。学徒隊に動員された学徒は小学校からそうした教育を受けてきた世代にあたる。男子学徒の軍事訓練は1920年代から学校教練によって始まっており、1938年以降は女子も軍事訓練と同様の訓練がおこなわれるようになった。「手榴弾突撃」のような競技も体育に取り入れられていた。44年春からは政府の「決戦非常措置要綱」を受けて、ちょうど第32軍が沖縄に創設されたこともあり、飛行場や陣地づくりに動員された。
疎開しようとする学徒たちを学校当局が「非国民」呼ばわりすることもあった。特に師範学校(女子部も含めて)ではそれが厳しかった。西岡一義女子部長は朝礼の訓示で、毎度のように「戦争に負ければ山河はない。何処へ行っても同じだ。自分たちの島は自分たちで守れ」と疎開するものを、非国民よばわれしていた。(P222)』
日本軍人は戦死者が多く捕虜がほとんどいなかった。これは、捕虜になることを禁止していたためであるが、沖縄戦では、民間人に対しても投降を禁止し、死ぬことを強制・推奨していた。戦争が終わったら、国民は復興に尽力しなくてはならないのに、その国民を敢えてたくさん失わせる日本の方針は、上層部が、将来を見据えた戦略ができていなかった証拠だ。沖縄戦では「ひめゆり」など師範学校の女学生が犠牲になっている。戦後復興を全く考えていなかったとしか言いようがない。
沖縄戦は、国のトップが無能力だったために、国家の大計を誤った典型事例だったようだ。
ポクロフスク解放作戦展開中 ― 2025年08月07日
ドネツク州西部の交通の要衝ポクロフスク、ディミトロフの解放作戦が進んでいる。既に北から北西、西北西方向を残して封鎖が完了している。西北西方向はE50自動車道があるが、Kotlyneに布陣するロシア軍の射撃統制下にある。北西方向のHryshyneを通る道は狭い。北方向のT0515道路は金網で覆うなどのドローン対策が完了していて、ウクライナ軍にとって、物資・兵員輸送の大動脈だった。
7月上旬、Razineがロシア軍支配になると、T0515道路もウクライナ軍にとって安全でなくなった。7月29日ごろ、ネット上ではウクライナ応援団により、Razineを奪回したとの投稿が増えたが、その後、Razine奪回は嘘報であることが明らかとなった。ポクロフスク戦線に関して、ウクライナ人らしい者が、募金を募る投稿があるが、詐欺の可能性が高いので注意が必要だ。Razine奪回説も、詐欺のための投稿だった可能性がある。
Rodyns'keあるいはビールィツィケをロシア軍に占領されると、ウクライナはT0515道路が使えなくなるので、Razineから両村の間の地域で戦闘が活発である。すでに、ロシア軍はRodyns'keの東端を占領した模様。また、ビールィツィケ東を通る鉄道線も封鎖した模様。
RazineとRodyns'keの間にはテリコン(ボタ山)がある。テリコンは高度があるので、1年程前までは、テリコンの攻防戦が重要だった。しかし、今は、有線ドローンが多くなり、地理的高度の重要性が薄れてきたため、Razine、Rodyns'ke間のテリコンは、あまり重視されていないようだ。
なお、ポクロフスク市もロシア軍の攻撃が盛んだが、ロシア軍が占領した地域は南の一部などわずか。
また、ポクロフスクの北東20㎞にあるコンスタンチノフカの攻防も活発化しつつある。コンスタンチノフカの南にある貯水池(Kleban-Bykske Reservoir)はアゾフ大隊が防衛しているが、ここの東端にロシア軍が到達したとの情報がある。
本-地政学から見る日本の領土 ― 2025年08月08日
沢辺有司/著『地政学から見る日本の領土』彩図社 (2022/8)
もし、日本の領土問題に関心があって、何か本を読もうと思っているならば、本書よりも、もっと歴史知識がある人が書いた本を読んだ方が良い。
本書は、以下の書籍の増補改訂版
沢辺有司/著「ワケありな日本の領土」彩図社 (2014/7)
日本の領土問題である「北方領土」「尖閣」「竹島」をほぼ均等に解説。一般向け解説書であって、専門的内容は無いが、読みやすい。本の内容は、日本政府の主張が中心のように感じる部分もあるが、それだけではなく、日本で、いろいろ言われていることを、そつなくまとめたような解説。このため、これでよいのか疑問に感じる点も多々ある。
著者の説明は、読みやすいので、大雑把に読むならこれで良いように感じるが、きちんと読むと、論理の詰めが甘い。
尖閣問題を扱った「米軍が撤退したフィリピンの失敗」の項では、在沖縄米軍が撤退したら、中国軍がやってきてあっという間に支配すると説明し、その前例としてフィリピンで米軍が撤退した後、南沙諸島に中国軍基地が作られたことを挙げている。しかし、冷静に考えれば、沖縄と南沙では全く状況が異なり、単純な比較はできない。南沙はそもそも島ではなく、中国は海中に構造物を作ったのであって、領土を占領したという事実はない。これに対して、沖縄は人口140万の領土なので、平時に住民の意向を無視して占領することなどできない。
竹島問題を扱った「韓国併合とは無関係」の項では、竹島編入が1905年で日韓併合が1910年だから両者は無関係と説明している。いくら明治天皇睦仁がバカだったとしても、日本外交が竹島編入のときに日韓関係を考えていないわけはないではないか。せめて中学生程度の日韓史知識は持って執筆してほしかった。竹島編入は日本公使三浦梧楼による韓国王后暗殺の10年後ですよ。なお竹島編入直後に日韓通信郵便合同が行われた。
P230には、「古代、ヤマト政権は朝鮮半島南部の伽耶国を勢力圏におく」と書かれている。著者の歴史知識に呆れた。
ポクロフスク(ドネツク北西部戦線) ― 2025年08月11日
ドネツク州西部にある交通の要衝ポクロフスク、ディミトロフの解放作戦が進んでいる。ロシア軍はポクロフスク市中心部まで侵入している模様。ポクロフスク、ディミトロフに通じる道路は、ほとんどすべて封鎖または射撃統制に置かれており、ウクライナ軍の補給は困難を極めている。西北西に通じる自動車道E50はUdachne近郊ロシア軍の射撃統制に置かれ、北に向かう道路T0515はRodynske東側のロシア軍の射撃統制に置かれている。E50の北側にある北西に向かう道路は狭い。東・南・西に向かう道路はすべてロシア軍支配地を通るため、ウクライナの補給路として機能しない。
最近、ロシア軍は、RazineからZolotyi Kolodyazへ進軍し、Zolotyi Kolodyazの一部を占領した(図の赤矢印)。この結果、Dobropilliaからクラマトルスクへ通じる道路T0514が射撃統制に置かれ、ウクライナ軍の輸送に支障をきたしている模様。
最近、ロシア軍はドネツク州北西部に軍を大移動させているようで、今後は、コンスタンチノフカ・クラマトルスク・スラビャンスク戦線が激化する可能性が高い。
図の赤線はロシア軍が支配している市村、青線はウクライナ軍が支配している市村、緑線は交戦中。
P.S. ロシア軍は、すでにT0514道路の一部を支配したとの情報がある。今後、Dobropilliaへ向かう可能性がある。ただし、一方では、ウクライナ・アゾフ大隊の部隊が、T0514道路を奪回したとの情報もある。
日本会議 ― 2025年08月14日
千玄室・裏千家大宗匠が死亡しました。
解脱会、念法眞教、佛所護念会、崇教眞光、大和教団の幹部等とともに、日本会議の代表委員を務めていました。
解脱会、念法眞教、佛所護念会、崇教眞光、大和教団の幹部等とともに、日本会議の代表委員を務めていました。
本の紹介-みんなの政治六法 ― 2025年08月15日
紀藤正樹 (著)『ニュースの「なぜ」がスッキリわかる みんなの政治六法』 青春出版社 (2025/7)
190ページ余りの薄めの新書。文字は大きめで、文章も一般向けに書かれており、読みやすい。
本の内容は、公職選挙法・政治資金規正法などに従って、選挙運動や政治活動の法規制について解説するもの。
この本は、どのような読者を対象としているのか、よくわからなかった。
供託金の額が実際にいくらなのかということを、各選挙ごとに覚えている人は少ないだろうが、供託金の制度が存在して、得票が少ないと没収されることを知っている人は多いだろう。このほか、選挙の実務や政治資金管理の実務についても、昨今、ニュース等で何かと話題になることも多いので、ある程度知っている人は多いだろう。こういう人にとって、今一度、知識を再確認するために、本書を読むことは無駄ではない。でも、それだけでは、つまらない気がする。
この前の都知事選では、N国がポスター掲示板を販売して、知事選とは無関係なポスターが張られた。売買した人達は、違法ではないにしても、公選法の理念を全く理解しないことは明らかなので、こういう人たちに本書を読んでもらいたいとの気がしないではない。でもね、正常な感覚を持てない人たちだから、あんなことをしたとも言えるので、本書を渡しても無駄だろう。
選挙権を持ったばかりの若い人が、選挙に関心を持つためには、本書は有益かもしれないが、知り合いにそういう人がいないので、私にはわからない。
桐板 ― 2025年08月16日
本の紹介-日本軍慰安婦 ― 2025年08月19日
吉見義明/著『日本軍慰安婦』(2025/7)岩波新書
『従軍慰安婦(1995/4)岩波新書』の改定新版。
著者は、日本軍慰安婦制度は軍が主体となっていたことを日本に残る公文書等から明らかにし、この結果、著者の研究が河野談話に繋がった。初版出版当時は「従軍慰安婦」の用語が一般的だったが、軍関与が明らかにされると、右翼勢力からは言葉尻をつつくような議論がなされたため、本書はこのような低レベルな議論を避けるために、タイトルを従軍慰安婦から日本軍慰安婦に変えたのだと思う。
侵攻軍による地元女性へのレイプや残虐行為は、どこにでもあるが、シベリア出兵以降の日本軍人によるレイプ・残虐行為は特に激しかった。これは、日本民族が本来下劣民族であることが主たる要因なのか、あるいは、天皇の軍隊制度に原因があるのかわからないが、そういった視点での記述は本書にはない。本書の内容は、日本軍従軍慰安婦問題を史実に基づいて記載するもの。また、日本軍のレイプに対しては詳しくない。
初版が出た以降も、ネット右翼らによる従軍慰安婦否定言説は今なお盛んだが、こうした中、否定派の中で、一応まともな学者は秦郁彦だろう。しかし、本書P161では秦の「廃業の自由や外出の自由についていえば、看護師も一般兵士も同じように制限されていた、この点は、現在のサラリーマンも変わらない」との主張に反論し、秦が外出の自由や廃業の自由の意味を理解していないと説明している。そもそも、兵士や従軍看護師は法律によって勤務が義務付けられていたので、外出の自由や廃業の自由はなかったのに対して、現代のサラリーマンや従軍慰安婦は法律による勤務強制ではないので、比較にならない。また、廃業の自由などに関して、現代のサラリーマンと従軍慰安婦は全く異なっており、従軍慰安婦は中近世の遊郭のような状態だった。
ネット上では、従軍慰安婦は高額収入であったとの言説が散見される。P165以降、本書では、邦貨と軍票の貨幣価値に言及し、従軍慰安婦高額収入説を否定している。この問題に対するネット右翼の言説は無知に基づくもので検討の価値はないと思っていたが、本書では数ページにわたって詳しい説明を行っており、このあたりの知識が乏しい人にも、わかりやすい。



