ロシア軍攻勢続く2026年04月03日

 
アメリカ・イラン戦争で、ロシア・ウクライナ戦争の影が薄くなったが、これまで通り、ロシア軍の攻勢が進んでいる。
もっとも、3月は、春の泥濘期なので、例年通り、進軍は停滞する。
図は、2024年1月以降、月ごとにロシア軍が解放した面積。図の出典はロシア系の情報。

国立歴史民俗博物館2026年04月26日

 
国立歴史民俗博物館の近代展示がリニューアルしました。
北海道の植民・開拓の展示がなくなり、先住民族であるアイヌの視点での展示に代わっています。

本の紹介-廃仏毀釈はなぜ起きたのか2026年04月30日

栗林文夫/著『廃仏毀釈はなぜ起きたのか』山川出版社(2026/3)

著者は、鹿児島県の郷土史家。明治初期の廃仏毀釈は、各地方で濃淡があったが、その中で、鹿児島県は最も徹底的に廃仏毀釈が行われた。本書は、鹿児島県の廃仏毀釈を詳述している。一次資料の引用も多いが、本の文章はおおむね読みやすい。

幕末、薩摩藩は赤字財政を立て直すため、天保通宝の贋造に手を染めた。その時の中心人物が、市来四郎で、贋造天保通宝は1億枚にのぼったようだ。現在、天保通宝の中で、薩摩銭は本座銭に次いで安価に入手できる。天保通宝贋造には銅が必要であり、このため市来四郎は寺から梵鐘や仏具を強制徴収したと言われている。本書には琉球通宝の鋳造については書かれているが、膨大な天保薩摩銭の贋造については触れられていない。

本書では、廃仏毀釈の原因について次の1から9を挙げている。
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1 江戸時代には僧侶自身も宗門改の役人の改めを受け、その職能も他藩の僧侶より狭く、社会的地位もさほど高くなかった。
2 民衆のほとんどがかくれ念仏の信徒で、表面だけ各宗旨の檀那寺についていた。
3 寺請制度が薩摩藩にはなく、寺院と民衆との直接的関係が見いだしにくい 。
4 廃寺によって職を失った僧侶に食料を給与し、希望者は兵士・教員・巡査・官公吏に採用するな ど、その生活を保障したから。
5 鋳銭事業を契機とした梵鐘鋳つぶし論が、廃仏毀釈のハードルを低くした。 またこれより先、島津斉彬が梵鐘を集め置いたことは、後人に彼の遺志が廃仏にあったと思わせる効果があった。
6 薩摩藩の地理的位置が九州の最南端にあり、外からの情報が入りにくかった。
7 薩摩藩は当時、幕末の混乱した政局の真っ只中にあり、戊辰戦争を遂行する必要から、多額の金 銭が必要であったという経済的理由(途中省略)。まさに「背に腹は代えられない」ということである。
8 古くからいわれていることであるが、国学が流行するなどして、藩士らのなかに廃仏的世風が一定程度広がっていたこと。
9 市来四郎が談話で強調したのは、「世の形勢」「時勢」という言葉であった。いずれも「世のなかのありさま、世のなりゆき」のような意味で使用されている。もちろん、突然 廃仏的な世の形勢や時勢が生ずるのではなく、そのようになるには右の1から8までのいくつかが前提となってのことだと思われる。しかし、一度、世の形勢や時勢が動き出すとそれを止める ことはなかなか困難になる。
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1~4は廃仏毀釈がスムースに進んだ要因であって、廃仏毀釈の原因ではない。6は何を言っているのか私にはわからない。市来が強力に廃仏毀釈を推し進めたのは、5,7の経済的要因と考えるのが妥当だと思う。

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