コンスタンチノフカ、リマン ― 2026年06月17日
ロシア・ウクライナ戦争では、5月以降ロシア軍の攻勢が活発化している。これは例年のことで、春の雪解け期は地面が泥濘化して、機械力に勝るロシア軍の優位性が損なわれるが、気温の上昇に従い乾燥してくると、ロシア軍の攻勢が活発になる。
ドネツクの北60㎞にあるコンスタンチノフカはロシア軍による開放が最終段階に入った。ウクライナ敗残兵がビルの地下などに潜んでいる状態で、彼らに対する補給はドローンなど限られた手段しか残されていない。
ここ数日、コンスタンチノフカの北50㎞にあるリマンに対するロシア軍の攻勢が活発化している。小集団による市街地への突入なのか、大軍で襲っているのか、情報は混乱しているが、ウクライナ軍の守備はほとんど崩壊状態の模様。
ドネツクの北60㎞にあるコンスタンチノフカはロシア軍による開放が最終段階に入った。ウクライナ敗残兵がビルの地下などに潜んでいる状態で、彼らに対する補給はドローンなど限られた手段しか残されていない。
ここ数日、コンスタンチノフカの北50㎞にあるリマンに対するロシア軍の攻勢が活発化している。小集団による市街地への突入なのか、大軍で襲っているのか、情報は混乱しているが、ウクライナ軍の守備はほとんど崩壊状態の模様。
本の紹介-写真が語るアイヌの近代 ― 2026年06月15日
大坂拓/著『写真が語るアイヌの近代―「見せる」「見られる」のはざま』新泉社(2025/3)
幕末に日本に写真術が入ってくると、アイヌの写真が撮られるようになる。本書は、主に、戦前にとられた噴火湾を中心とする地域におけるアイヌの写真をもとに、明治以降のアイヌの姿を説明するのも。写真自体の解説よりも、むしろ、明治以降のアイヌ史に主眼が置かれているように感じた。
アイヌの写真といえば、樺太アイヌや色丹アイヌのものも残されており、これらも興味深いものであるが、本書は主に噴火湾地域を対象としてるため、樺太アイヌなどは本書には含まれない。
本-唯識 ― 2026年06月13日
加藤朝胤/監修、船山徹・石垣明貴杞/著 『唯識 これだけは知りたい』法蔵館(2023/4)
本は全4章に前書きと後書きが付く。
4章のうちの3章が、それぞれ、インドの唯識の歴史、中国の唯識の歴史、日本の唯識の歴史。歴史を知ることも重要だから、唯識思想をある程度知っている人にとっては、ある意味重要な内容なのかもしれないが、あまり唯識思想になじみのない人にとっては、高校歴史教科書を暗記しているだけのようになってしまう感じがした。
第4章は基本用語で、①原子の存在否定 ②三性説 ③阿頼耶識 ④悟るための修行 ⑤仏の三身説 と5節の解説がある。これを読むと瑜伽行唯識派の思想の雰囲気がなんとなくわかるかもしれないが、物足りない気がした。
コンスタンチノフカ解放間近 ― 2026年06月09日
コンスタンチノフカはドネツクの北60㎞にある都市。
昨年12月、ドネツク州ポクロフスクが解放された後、コンスタンチノフカの解放が焦点となっていた。現在、ロシア軍はウクライナ兵の包囲をほぼ完了した。包囲環に残っているウクライナ兵や傭兵は200人程度と見られている。数日中には解放宣言が出されるだろう。
昨年12月、ドネツク州ポクロフスクが解放された後、コンスタンチノフカの解放が焦点となっていた。現在、ロシア軍はウクライナ兵の包囲をほぼ完了した。包囲環に残っているウクライナ兵や傭兵は200人程度と見られている。数日中には解放宣言が出されるだろう。
ガステリア開花 ― 2026年06月08日
本の紹介ー描かれた蝦夷地・北海道イメージの500年 ― 2026年05月31日
濱口裕介/著『描かれた蝦夷地・北海道イメージの500年 地図で読む日本北辺史』(2025/9)山川出版社
本書の内容は、日本側から見た北海道の歴史の解説。本のタイトルだと、古地図の解説のようにも感じるが、古地図を使った歴史解説の書であり、北辺地図の変遷を解明するものではない。
本書は5章構成で、それぞれが、各時代に対応している。
第1章:桃山時代以前
第2章:江戸初期から中期
第3章:幕末から明治初期
第4章:明治から戦前
第5章:戦後
本書は、日本製古地図の写真が多く、文章も読みやすいので、日本側から見た北海道の歴史を知るうえで参考になる本だと思う。
本の紹介 ー それでも日本に原発は必要なのか ― 2026年05月04日
青木美希/著『それでも日本に原発は必要なのか? 潰される再生可能エネルギー』(2026/2)文春新書
著者は、朝日新聞社の社員らしい。
本の内容は原発に反対する立場から、原発の問題を明らかにするもの。原発問題に関心のある人には、特に目新しい内容は少ないようだが、事実が客観的に、わかりやすく書かれており一読の価値はある。
著者の所属する大手新聞社は、本書の出版に圧力をかけているようで、著者がこのまま社員でいられるのかどうか疑問とする向きもあるようだ。かつて、朝日新聞社はリベラルの論調だったが、安倍政権によって朝日新聞が批判されると、急に右傾化した。本書は文春新書からの出版。かつての朝日新聞社ならば、関連会社から出版されていたことだろう。
本の紹介-廃仏毀釈はなぜ起きたのか ― 2026年04月30日
栗林文夫/著『廃仏毀釈はなぜ起きたのか』山川出版社(2026/3)
著者は、鹿児島県の郷土史家。明治初期の廃仏毀釈は、各地方で濃淡があったが、その中で、鹿児島県は最も徹底的に廃仏毀釈が行われた。本書は、鹿児島県の廃仏毀釈を詳述している。一次資料の引用も多いが、本の文章はおおむね読みやすい。
幕末、薩摩藩は赤字財政を立て直すため、天保通宝の贋造に手を染めた。その時の中心人物が、市来四郎で、贋造天保通宝は1億枚にのぼったようだ。現在、天保通宝の中で、薩摩銭は本座銭に次いで安価に入手できる。天保通宝贋造には銅が必要であり、このため市来四郎は寺から梵鐘や仏具を強制徴収したと言われている。本書には琉球通宝の鋳造については書かれているが、膨大な天保薩摩銭の贋造については触れられていない。
本書では、廃仏毀釈の原因について次の1から9を挙げている。
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1 江戸時代には僧侶自身も宗門改の役人の改めを受け、その職能も他藩の僧侶より狭く、社会的地位もさほど高くなかった。
2 民衆のほとんどがかくれ念仏の信徒で、表面だけ各宗旨の檀那寺についていた。
3 寺請制度が薩摩藩にはなく、寺院と民衆との直接的関係が見いだしにくい 。
4 廃寺によって職を失った僧侶に食料を給与し、希望者は兵士・教員・巡査・官公吏に採用するな ど、その生活を保障したから。
5 鋳銭事業を契機とした梵鐘鋳つぶし論が、廃仏毀釈のハードルを低くした。 またこれより先、島津斉彬が梵鐘を集め置いたことは、後人に彼の遺志が廃仏にあったと思わせる効果があった。
6 薩摩藩の地理的位置が九州の最南端にあり、外からの情報が入りにくかった。
7 薩摩藩は当時、幕末の混乱した政局の真っ只中にあり、戊辰戦争を遂行する必要から、多額の金 銭が必要であったという経済的理由(途中省略)。まさに「背に腹は代えられない」ということである。
8 古くからいわれていることであるが、国学が流行するなどして、藩士らのなかに廃仏的世風が一定程度広がっていたこと。
9 市来四郎が談話で強調したのは、「世の形勢」「時勢」という言葉であった。いずれも「世のなかのありさま、世のなりゆき」のような意味で使用されている。もちろん、突然 廃仏的な世の形勢や時勢が生ずるのではなく、そのようになるには右の1から8までのいくつかが前提となってのことだと思われる。しかし、一度、世の形勢や時勢が動き出すとそれを止める ことはなかなか困難になる。
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1~4は廃仏毀釈がスムースに進んだ要因であって、廃仏毀釈の原因ではない。6は何を言っているのか私にはわからない。市来が強力に廃仏毀釈を推し進めたのは、5,7の経済的要因と考えるのが妥当だと思う。
著者は、鹿児島県の郷土史家。明治初期の廃仏毀釈は、各地方で濃淡があったが、その中で、鹿児島県は最も徹底的に廃仏毀釈が行われた。本書は、鹿児島県の廃仏毀釈を詳述している。一次資料の引用も多いが、本の文章はおおむね読みやすい。
幕末、薩摩藩は赤字財政を立て直すため、天保通宝の贋造に手を染めた。その時の中心人物が、市来四郎で、贋造天保通宝は1億枚にのぼったようだ。現在、天保通宝の中で、薩摩銭は本座銭に次いで安価に入手できる。天保通宝贋造には銅が必要であり、このため市来四郎は寺から梵鐘や仏具を強制徴収したと言われている。本書には琉球通宝の鋳造については書かれているが、膨大な天保薩摩銭の贋造については触れられていない。
本書では、廃仏毀釈の原因について次の1から9を挙げている。
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1 江戸時代には僧侶自身も宗門改の役人の改めを受け、その職能も他藩の僧侶より狭く、社会的地位もさほど高くなかった。
2 民衆のほとんどがかくれ念仏の信徒で、表面だけ各宗旨の檀那寺についていた。
3 寺請制度が薩摩藩にはなく、寺院と民衆との直接的関係が見いだしにくい 。
4 廃寺によって職を失った僧侶に食料を給与し、希望者は兵士・教員・巡査・官公吏に採用するな ど、その生活を保障したから。
5 鋳銭事業を契機とした梵鐘鋳つぶし論が、廃仏毀釈のハードルを低くした。 またこれより先、島津斉彬が梵鐘を集め置いたことは、後人に彼の遺志が廃仏にあったと思わせる効果があった。
6 薩摩藩の地理的位置が九州の最南端にあり、外からの情報が入りにくかった。
7 薩摩藩は当時、幕末の混乱した政局の真っ只中にあり、戊辰戦争を遂行する必要から、多額の金 銭が必要であったという経済的理由(途中省略)。まさに「背に腹は代えられない」ということである。
8 古くからいわれていることであるが、国学が流行するなどして、藩士らのなかに廃仏的世風が一定程度広がっていたこと。
9 市来四郎が談話で強調したのは、「世の形勢」「時勢」という言葉であった。いずれも「世のなかのありさま、世のなりゆき」のような意味で使用されている。もちろん、突然 廃仏的な世の形勢や時勢が生ずるのではなく、そのようになるには右の1から8までのいくつかが前提となってのことだと思われる。しかし、一度、世の形勢や時勢が動き出すとそれを止める ことはなかなか困難になる。
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1~4は廃仏毀釈がスムースに進んだ要因であって、廃仏毀釈の原因ではない。6は何を言っているのか私にはわからない。市来が強力に廃仏毀釈を推し進めたのは、5,7の経済的要因と考えるのが妥当だと思う。


