本の紹介-誰も書かなかった統一教会2024年07月31日


統一教会の悪質性を、異なった視点から再確認できる好書
 
有田芳生/著『誰も書かなかった統一教会』(2024/5) 集英社新書
 
 安倍元総理が射殺されると、統一教会問題がマスコミをにぎわせた。著者は事件後、いち早く『改訂新版 統一教会とは何か』を上梓し、統一教会と政治の癒着関係を明らかにした。
 本書はそれに続くもので、安倍襲撃のいきさつの他、統一教会の歴史、北朝鮮との関係、世界日報編集長殺人未遂事件、朝日新聞社襲撃殺人事件を統一教会との関連で取り上げている。安倍射殺以降、統一教会問題がマスコミに盛んに取り上げられたが、多くは、政治家との癒着・信者の収奪だったので、本書の記述は、統一教会の全貌を知るうえで貴重だ。
 
ウクライナ・ナチス
 2014年、ウクライナのネオナチを中心に起こされたクーデターにより、人種差別・人権弾圧がウクライナの国是となった。また、ヤロスラフ・ステツコなど、第二次大戦中にナチスに協力し、ユダヤ人殺害に積極的に関与した者が称賛されている。ステツコは、第二次大戦終結後に海外に逃れ、国際反共団体の結集に尽力した。
 2024年3月、ウクライナ西部のテルノポリ州議会は、元ナチス親衛隊員でウクライナ系カナダ人に、ヤロスラフ・ステツコ記念名誉バッジを授与した。
 
 ウクライナのナチスと、統一教会の関係はあまり知られていないが、本書には以下の記述があり、文鮮明が国際反共運動にかかわる過程で、ステツコの役割が記載されている。
(P49)
朴軍事独裁政権下、教団は「勝共」に再編
 宗教団体を名乗る統一教会が、なぜ極めて政治イデオロギー色の強い「勝共」を活動の軸に据えるようになったのか。
 第2次世界大戦中、ウクライナの独立運動に参加していたヤロスラフ・ステツコがナチスドイツに逮捕され転向し、ユダヤ人の虐殺に手を染め、1946年に反共団体・反ボルシェビキ国家連合(ABN)を結成、ドイツで結成大会を開催する。1950年代後半には台湾をしばしば訪問し、中国国民党総裁で、国共内戦では毛沢東率いる中国共産党と戦った中華民国総統・蒋介石の言動に共鳴していた(『インサイド・ザ・リーグ」社会思想社)。
 同じころ、韓国・ソウルでは、韓国の李承晩大統領と中華民国の蒋介石総統の提案で、アジア人民反共達明皿(APACL)が1954年に結成される。奇しくも、同年は韓国で統一教会が設立された年だ。そして、APACLの動きに注目したステツコは、1958年にメキシコで開催された世界反共連盟発足準備会議に参加した。その後、ステツコの反共グループは共産圏の東欧から南米に逃れ、彼に帯同する国際的な反共グループが韓国で見出したのが文鮮明だった。当時、韓国では1961年に軍事クーデターで権力を掌握した朴正煕が「勝共」を掲げており、文鮮明と統一教会は韓国国内においても「勝共」という特別な役割を与えられ、再編される。
 一方、世界で胎動しはじめた反共団体はやがて合従連衡し、1966年、中華民国でAPACLを母体として世界反共連盟(WACL)の結成に結実する。創設時の中心メンバーは中華民国の蒋介石総統、韓国の朴正煕大統領、日本の大物右翼の笹川良一、児玉誉士夫、そして統一教会の文鮮明の5人。WACLはその後、中南米をはじめ世界各地の反共活動に資金や武器を提供し、テロ活動も行なっていく。
 こうした歴史的経緯があるので、韓国で統一教会が国際勝共連合を利用して展開した運動を、反共法を制定してまで共産主義に対抗していた朴正煕政権は当然のように庇護した。教団と政治の利害が一致したのだ。

本の紹介-パスカル「パンセ」 「考える」ことが、すべてだ2024年07月18日

  
鹿島茂/著『パスカル「パンセ」 「考える」ことが、すべてだ』NHK100分de名著 NHK出版(2012.6)
 
今から数十年前、中学生のときに、パンセの翻訳本を読んだ。特にこの本を読みたかったわけではなくて、単に、学校の図書館にあった思想系の本で、一番、分厚かった本を読んでみた。書かれた内容はあまり理解もできなかったし、あまり共感できなかったが、人の心を探求することは、おもしろそうだと思った。自分の人生を振り返ると、斜に構えた人生を送ってきたが、人の道に反することもなく、いかがわしい新興宗教に嵌ることもなく、普通の人生を歩んだと思う。パンセに教えられた「心について考える」ということが、自分の基本にあったため、道を誤らないで済んだのかもしれない。もっとも、パンセはキリスト教に基づいており、私の考えは、仏教に基づいているので、私の人生の中で、パンセがそれほど大きな影響を持っていたわけではない。
 
パンセは、パスカルが考えた人の心に関するいろいろなことが、寄せ集め的に書かれている。本書では、パンセのいくつかの文章を取り上げて、パンセの雰囲気を説明するものだけれど、薄い本なので、パンセの全貌がわかるものではない。パンセに興味のある人は、全訳を手に取ってみると良いだろう。半分くらい読むと、飽きてくるかもしれない。

本-空と慈悲の物語 維摩経2024年07月17日

 
釈徹宗/著『空と慈悲の物語 維摩経』NHK100分de名著・NHK出版(2022/1)
 
 維摩経は「空」を解く大乗経典ではあるが、他の教典と違って、在家の信者・維摩詰が釈迦の高弟や菩薩に対して教えを説く内容。
 本書は25分の放送4回分に加えて、本のための最終章からなる。放送内容は維摩経内容の雰囲気が分かる解説だが、維摩経の位置づけの説明が乏しいので、25分4回の放送を聞いただけでは、数ある経典の中の一つの経典の雰囲気がわかるだけに終わってしまうのではないだろうか。最終章には大乗仏教の中での維摩経の位置づけが書かれているが、少ない。
 いずれにしても、ページ数が少なく、何となく燃焼不足の感じがした。

杉浦重剛2024年06月17日

 
杉浦重剛/著『昭和天皇の学ばれた「倫理」』勉誠出版 (2016/11)

 
昭和天皇・裕仁の少年期に、道徳を教えた杉浦重剛の著書で、本書は昭和天皇への講義録の復刻。
道徳って、つまらない科目だと思っていアけれど、本書を読んでも、つまらない。昭和天皇はまじめな少年だっただろうから、あくびもしないで講義を聞いていたかもしれないが。中学生以上の聡明な少年には、道徳や倫理ではなくて、もっと哲学的な内容にした方が良いのではないかと思う。
 
著者の杉浦重剛の墓は東京都文京区小石川の伝通院にある。



本-潜入 旧統一教会2024年06月07日

 
窪田順生/著『潜入 旧統一教会』徳間書店 (2023/11)

 統一教会を支持する著者による統一教会の取材記。著者は、統一教会の協力を得て、韓国の本部深くに入っているので、本書には、鈴木エイトのような統一教会の敵側ジャーナリストにからは得られない情報があることは事実だ。しかし、法隆寺のような古代建築と違って、新興宗教の建物は今出来なので、統一教会の内部を知ったところで、どれほどの意義があるのか疑問だ。
 
 著者の取材記はともかくとして、著者の主張は全くいただけない。著者は、相当に頭が悪いのか、それとも、頭の悪い統一教会信者を騙すために書かれているのか分からないが、普通の能力がある人には、本書は薦められない。
 
 現在、統一教会は解散命令訴訟が進行中である。しかし、安倍殺害以前は、統一教会問題が社会の関心を浴びることはなかった。これに対して本書では、民事訴訟だから問題にならなかったとし、さらに、「民事訴訟されたなら社会的に問題になる団体になるならば、日本の宗教はほとんどアウト」としている(P30)。あまりにもバカらしくて、話にならない見解だ。多くの人が遭遇する民事訴訟は、相続財産の争いなど、法律違反とは無関係な案件だろう。このような民事訴訟を起こされたからと言って、社会的に問題のある団体になることはない。統一教会が解散命令請求されたのは、宗教法人法81条の規定「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」によっている。つまり、今回の統一教会問題は、統一教会が民事訴訟を起こされたことが原因ではなくて、法令に違反して、著しく公共の福祉を害したことが原因だ。普通に、新聞を読む能力があれば、著者のような誤解をすことはないだろう。
 同じくP30には、とんでもないことが書かれている。「日本の信者が韓国本部へ多額の献金を送っているから教団を解体すべきとの意見もあるが、それならば、日本で活動している韓国アイドルや韓国企業も解体しなくてはならない」との著者の見解だ。アイドルの興行は、単に観覧料で、企業活動は正当な物品販売であって、霊感商法や宗教的収奪とは異なる。まったく異なることを並列に上げて、あたかも統一教会が正しいように書くのは、著者が論理的思考ができない者なのか、あるいは、文章読解力の無い統一教会信者のような人を騙すことを目的に書いているかのどちらかだろう。

 本書には、数か所、小川さゆりさんを批判している部分がある。小川さゆりさんの問題には、家族の問題が含まれているため、本書では、家族の問題に矮小化し、教団が無関係であるかのように書いている。しかし、実際には、統一教会員の家庭で高額献金があったから起きた家族の問題であって、統一教会が主たる原因となっていることは明らかだ。

 統一教会には問題のない家庭もあるとの記述がある(P257など)。常識的に考えて、統一教会信者には普通に平穏に暮らしている人が多いことは事実だろう。しかし、社会通念上、有意な程度の家庭に問題があり、その主たる原因が教団にあると判断されているため、統一教会が批判されているのであり、問題のない家庭があることは、何らの言い訳にならない。
 
 ところで、本書は宗教関係の取材本であるにもかかわらず、著者は、中学生レベルの宗教知識さえもないように思える。普通に義務教育を履修したのだろうか不思議だ。P23には、文鮮明・韓鶴子が神であるかを韓国本部で聞いたところ、神ではないと説明を受けたとの話がある。
 キリスト教徒の神はキリストではなくエホバであること、イスラム教徒の神はマホメットではなくアラーであることは誰でも知っている。日本の仏教でも、浄土真宗の念仏は「南無親鸞聖人」ではなく「南無阿弥陀仏」であることなど、誰でも知っているはずだ。キリスト教の異端である統一教会にとって文鮮明・韓鶴子は神ではなくメシアであることなど、容易に想像できるだろう。余りの低レベルな記述に呆れる。

本の紹介-ブッダが説いたこと2024年03月27日

 
ワールポラ・ラーフラ/著, 今枝由郎/訳『ブッダが説いたこと 』(岩波文庫) 2016/2
 
元の本は、1950年代に、スリランカの上座部仏教学者がヨーロッパ向けに、釈迦の仏教を説明する目的で、英語で出版されたもの。2016年に、岩波文庫から日本語訳が出版された。
 
 本書の内容は、釈迦の仏教の概要を説明するもので、具体的には、四諦の説明が全体の半分ほど。他に、釈迦の仏教でいうところの無我、および、心の修養の説明がある。四諦とは苦集滅道の4つの教えのことで、本書では『苦』と訳さずに、原語のまま『ドゥッカ』としている。釈迦の仏教の説明書はいくつもあり、多くは四諦に触れられているが、本書は、四諦の説明が詳しく分かりやすい。
 本書は、キリスト教圏の人向けに、仏教とはどのようなものであるかを説明している。日本人は、大乗仏教になじんでいるので、本書を読んだだけでは説明に違和感を覚える人もいるだろう。これは、本書に、仏教史の説明がないためである。本書で解く仏教は、釈迦の仏教に近いものであるが、日本で信仰されている大乗仏教は、後代になって著しく変質を受けたものなので、両者は大きく異なる。

本の紹介-般若心経は間違い?2024年02月21日

 
アルボムッレ・スマナサーラ/著『般若心経は間違い?』宝島社新書(2007/8)
 
 般若心経は260文字余りの短い経で、日本のお寺では浄土宗系などを除いて、頻繁に読まれている。葬儀の時などで読んだことのある人も多いだろう。
 般若心経の解説本は多いが、ほとんどは日本仏教の立場からの解説。本書は、上座部仏教の僧侶による解説なので、他の般若心経解説本とは一味異なる。また、般若心経解説書には、何を言っているのか分かりにくいものも多いが、本書の記述は明快で読みやすい。

 経の最初の部分「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空度一切苦厄 舎利子色不異空」までは、著者は同意しているが、この後の記述にはほとんど全く反対だ。そもそも、般若心経の後半は、おまじないの推奨なので、本来の仏教とは相いれない。上座部仏教が毛嫌いするのは当然だ。
 前半部分も、本書では手厳しい。日本では、頭で理解するのではなく「さとる」と教えることが多いが、著者が所属する上座部仏教は、論理による理解と修行の両方が重視されるため、経は理解しやすいことが当然視される。このため、何を言っているのか理屈で理解できない記述には否定的なのだろう。

 般若心経の評価は、以下の文章に簡潔にまとめられている。
 
 パーリ経典を読んで学ぶ人からみると、経典に値しないダラダラした作品で、欠点がたくさんあります。作者はただ適当に短くまとめてみようと思っただけで、そんなに真剣ではなかったようです。
 本人は「空」ということをわかっていないし、空の思想を理解してもいませんでした。そのことは、空を理解していたら使えない「na 無」という言葉を使ってしまっていることからもわかります。…この経典の作者はそれほど能力がなくて、何も立証せずにただ言葉を羅列したのです。
 おそらく『般若心経』は、もともと呪文を信仰している占い師、祈祷師のような人が書いたのでしょう。知識人のお坊さんが相手にしなかった、なんの立場もない祈祷師程度だと思います。呪文は誰でもありがたく信仰するので、書き写されて書き写されて、残っただけのことなのです。
 ということで結論です。『般若心経』は中身を勉強しなくてもいい経典です。そもそも中身がないし、論理的でもない。だから、意味がわからないことで困らなくてもいいのです。意味がわからないのは私たちの頭が悪いのではなくて、先生の頭が悪いからです。先生が私たちに教えるならば、「わかりやすく教えてくださいよ」と文句を言う権利が生徒たちにもあります。生徒たちが苦労して、できの悪い先生を守る必要はないのです。ですから『般若心経』がわからないのは、恥ずかしいことではありません。真剣に考えないことです。文化的な楽しみとして付き合うのが、害がなくて適切だと思います。(P102,103)

本-ブッダという男2024年02月15日

 
清水俊史/著『ブッダという男 初期仏典を読みとく』 筑摩新書 (2023/12)
 
読むことを薦めない
 
 初期仏教の概略を知るために読むのならば、この点に関して、それほどおかしなことが書かれているわけでもないので、読んでも損はないかもしれないが、それならば、他書の方が良い。
 
 少し古い本だと、
 ベック/著、渡辺照宏/訳『仏教』(岩波文庫)
 渡辺照宏『仏教』(岩波新書)
などの名著があり、また、最近の本だと、以下の本など、読みやすいものがたくさんある。
 馬場紀寿『初期仏教』(岩波新書)
 三枝充悳『仏教入門』(岩波新書)
 佐々木閑『仏教の誕生』(河出新書)
 
 さて、本書の場合は、著者がひねくれているのだろうか。本の帯には『誤謬と偏見を排し、その実像に迫る』とあるが、著者の思い込みが強い仏教論になっている。
 本書の前半では、P108の記述によると、『①ブッダは平和主義者であった、②ブッダは業と輪廻の存在を否定した、③ブッダは階級差別を否定し、平等思想を唱えた、④ブッダは女性差別を否定した、という四つのありがちな現代人ブッダ論を再検討し、そのいずれも歴史的文脈から外れることを明らかにしてきた。』とのことだ。
 著者は『ブッダは平和主義者であった』ことを否定している。著者は、平和主義者の定義を、絶対的に殺人者を嫌悪することと捉えているようだ。しかし、現実には、兵士もいるし、殺人の罪を犯した人もいる。殺人罪で服役している人に対して、宗教家が教戒師として、その後の生き方の相談に応じることは珍しくない。ブッダも宗教家なので、殺人についても、その後の心をどうするのかという、現実的指導を行っていたと推測され、著者の考える平和主義者の定義に従った行動をとることはなかっただろう。しかし、それは、ブッダが平和主義者でなかったとの根拠にはならない。他の②~④についても同様で、著者の勝手な定義からそれているので、そのような事実はなかったと強弁しているようで、まともな議論とは思えない。
 
 本書後半は、良く知られた初期仏教の解説なのだが、ここも、おかしなことが書かれている。明治以降になると、日本では、ブッダの教えはどのようなものっだったのか、考古学・文献学的な研究が行われている。このような研究成果に対して、著者は不満のようだ。
 『初期仏典に先入観なく向き合うことは不可能であり、そこからブッダの歴史的文脈を正確に読み出すことはきわめて困難である。(P116)』
 初期仏典になるべく先入観なく向き合い、そこから仏教の歴史的文脈を読みだすことは、私たち現代人にとって重要な研究だ。著者が、初めから放棄したいのならば、好きにすればよいことだが、他人の研究にケチを付けるのは、正しい態度ではない。
 P116に、あきれた記述がある。『仏弟子たちは、ブッダの生涯や事績を先入観なく羅列しようとしたのではなく、ブッダの偉大な先駆性を遺すために篤い信仰心を持ってこれを編纂した。』
 仏教は特許ではないのだから『先駆性』は必要ない。すべての宗教は、大なり小なり、それ以前の宗教や成立した時代・社会を反映しているもので、仏教も例外ではない。後代の弟子たちが残したものは、仏教のその社会における有用性であり、ブッダの教えも、その時代における有用性に価値があったものだ。このため、考古学・文献学的な研究が、ブッダや教団の教えの姿を解明する上で、有用であることは間違いない。

東大寺の日2023年12月19日

 毎年、12月16日は、奈良・東大寺の日として、幾つかの秘仏の公開がある。このうち、最大の目玉は三月堂の執金剛神像。8時半受付開始、9時半公開開始なので、8時半より少し前に行ったら、9時半に見ることができた。お昼ごろには、入館を待つ人の長蛇の列(写真)。

 
 
 このほか、開山堂・俊乗堂も公開される。俊乗堂に行列はなかった(写真)。



西大寺に記念碑はない 小さい花壇が粗末な墓標だ2023年12月18日

12月16日は東大寺の日なので、奈良観光旅行した。写真は西大寺駅前。安倍元総理暗殺現場は近くに花壇が作られているだけで、目印になるものはない。 
  
  
大和西大寺駅の北西側、歩いて4分程度のところに、奈良家庭教会がある。

  

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