本-江戸幕府の北方防衛2022年06月03日

 
中村恵子/著『江戸幕府の北方防衛』ハート出版 (2022/2) 

 読むことをすすめない。
 
 幕末期、日本周辺に外国船が来航するようになる。蝦夷地周辺にも、ロシア船が頻繁に来航している。この時期、幕府は蝦夷地を直轄領とし、諸藩に命じて警護を厳重にした。このことは、中学校歴史教科書にも、一般に記載されていることであり、知っている人も多いだろう。
 
 本書のメインテーマは、幕末期の蝦夷地防衛。幕末期の蝦夷地防衛の史実を説明したものとして読めば、普通の内容。ただし、すでによく知られ、他書にも記載されていることなので、特に、本書を読むメリットは感じられない。
 
 本書には著者の思い入れなのか、不思議な記述が多い。中でも、不思議な記述は、数か所、江戸時代の北方防衛を知る人がほとんどいないと書かれていることだ。例えば、P208には以下の記述がある。

「この著書で…今では、ほとんど知る人がいない江戸時代の北方防衛の事実を、くっきりと浮かび上がらせようとしてきた。」
 江戸幕府が北方防衛をしたことは、中学歴史教科書にも記載されていることなので、そのような事実を知っている人は多いだろう。もちろん、何藩がどこを担当したとか、個人個人の苦労話の詳細物語など、詳しいことを知る人は少ないだろうが。
 著者の経歴を見ると、チャンネル桜のキャスターをしていたとのことだ。チャンネル桜とは、右翼系の番組制作会社なので、チャンネル桜の視聴者は、著しく頭が悪く、まともに中学校もいけなかったために、落ちこぼれて、社会の落後者になってしまった、ネット右翼なのかもしれない。
 
 現在、日本史の常識として、江戸時代の蝦夷地は「アイヌ文化」であるとされている。本書執筆の目的の一つに、これを否定することがあげられている。第五章第一節は「江戸時代の蝦夷地をアイヌ文化とするのはおかしい」の表題で、各地の展示館では、江戸時代の蝦夷地をアイヌ文化となっていることを批判している。
 どうしてこのような牽強付会解釈をするのか、理解できない。蝦夷地に松前藩などの権力が及んでいたこと、また、幕末には各藩士が警備兵として送られていたことは事実だ。しかし、警備兵は単身赴任して、駐屯していたにすぎず、家族は国元に残していたのであって、蝦夷地を生活拠点としていたわけではない。蝦夷地の生活者はアイヌであって、和人とは異なる文化・言語の担い手だった。また、渡島半島南部の狭い範囲である松前地はアイヌの地ではなかったが、それ以外の北海道の大部分はアイヌの居住地だった。このような蝦夷地の実態を理解するならば、当時の蝦夷地がアイヌ文化であったことは容易に理解できると思うのだが、著者は実態を考えて判断することができない人なのだろうか。
  
 著者が本書を執筆した目的の一つに、「日本はアイヌを弾圧などしていない」と主張したいように見受けられる。これも不思議な主張だ。豊臣秀吉の蠣崎氏あて朱印状や、徳川家康の黒印状で、アイヌに対する非道を禁じる命令があることを以て、著者は以下の主張をしている。 
 戦後の歴史学者が、階級史観、自虐史観で、「和人がアイヌを虐げた」という前提のもとに論を展開している文章に出合うが、日本の統治者2人には決して、差別、虐殺、民族浄化等の考えはなかったのである。(P65) 
 朱印状・黒印状から、秀吉や家康にアイヌ弾圧の意図がなかったことは明らかだが、そんなことを持ち出すまでもなく、秀吉や家康が直接アイヌ弾圧をしなかったことなど、誰でも知っていることだろう。アイヌの弾圧は、松前藩や、松前藩にやとわれた場所支配人によって実施されており、秀吉や家康は関係なかった。江戸時代の日本は幕藩政治だったので、住民支配は藩が実施しており、直接幕府が手を出していたわけではないことなど、小学校の社会で習ったことだろうに。
 日本人の中に、アイヌ弾圧に反対した人がいたことを実証しても、「日本はアイヌを弾圧などしていない」との主張の根拠にならないことは明らかだ。なお、幕吏の松田伝十郎は宗谷アイヌの救済に尽力したし、民間人の松浦武四郎は、日本人に虐げられていた、アイヌの現状を告発しているので、アイヌのために働いた日本人がいたことは事実だ。
 
 著者が本書を執筆した目的の一つに、「江戸時代の北海道・樺太・千島は日本の領土だった」と主張したいように見受けられる。P67で、社会科教科書に江戸時代の蝦夷地が日本領になっていないものがあることを批判している。
 1644(正保元)年の時点で松前藩が統治している自国領は、蝦夷地、樺太、千島列島であり、これらの地域が日本国のものであることを示している。つまり、小学校の社会科教科書にある江戸時代の日本地図を「江戸時代の蝦夷地は日本かどうか判らないので白にする」という内容を文部省検定で通した者は、この事実を知らない無知な者ということになる。また、それに対して意見をいえない歴史学者、文部大臣、総理大臣も、自国の領土保全意識に欠け、国民のために仕事をしていないということになるだろう。(P67) 
 現代は国際法によって、原則として領土の範囲が定まっているが、中世においては領土の定義はあいまいだった。このため、蝦夷地が日本の領土であったか、そうではないのかという問題は、実態に即して総合的に判断する必要がある。このため、研究者によって、判断が分かれるところである。しかるに、著しく頭が悪いネット右翼は、総合的に物事を判断する能力が欠如しているため、自分に都合の良い、一つのことを見つけると、自説を声高に主張する。
 著者が主張するように、正保御国絵図は、蝦夷地・樺太・千島が日本領であることを示す一つではあるが、領有を総合的に判断できないようでは、知恵がなさすぎだ。

 それから、細かいことだけれど、ちょっと気になる記述があった。
 世界最古の土器は、青森県大平山元1遣跡の1万6500年前の縄文土器である。(P47)
 世界の古い土器の正確な年代は確定しているとはいいがたいので、日本の土器が本当に世界最古かどうかは不確定なことだ。このため、例えば育鵬社の中学歴史教科書でも「世界最古の土器の一つ」と記載されている。他の教科書、歴史書もほぼ同等な記述となっている。
 著者が「世界最古の土器」と原稿に書いたとしても、校正の段階で「世界最古の土器の一つ」と訂正すればよかったのにと感じる。出版社が弱小のため人材不足で、そこまで手が回らないのだろう。

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