クピャンスク東部陥落か2024年11月20日

 
 クピャンスクはハリコフの東100㎞の都市で、オスキル川で東西に分かれる。最近、クピャンスク市東部をロシア軍が制圧しつつあるとの情報が多い。
 既に、南20㎞にあるKruhlyakivkaはロシアが制圧しているため、図の青斜線部に布陣するのウクライナ軍(1万数千名)は、半ば孤立の可能性が高い。オスキル川にかかるこの部分の橋はすべて落とされている。地図では川幅1㎞程に見えるが、実際には河川敷が広く、水が流れている部分は数十メートルなので、川の西側からゴムボートで東側への物資輸送は可能だ。このため1万人を超えるウクライナ兵が完全孤立しているわけではないが、気温も低下するなか、物資補給が不十分では、つらい状況になっているだろう。

ウクライナと統一教会(3)2024年11月20日

 
 現在、ゼレンスキー政権はバンデラ、ステツコなどの、ウクライナ民族主義者を称賛している。戦時中、バンデラとステツコが主宰するOUNはナチスドイツに協力して、ユダヤ人、ロシア人等を虐殺した。
 戦後、ステツコはABNを結成し、さらに、1958年にメキシコシティで開催されたWACL(世界反共連盟)設立準備会議にステツコも参加した。こうした経緯があって、ウクライナ・ナチスと統一教会は関係が深い。
写真はステツコと会談する統一教会の久保木修己。
『ABN correspondence May-Aug.,1975 P31』

ウクライナと統一教会(2)2024年11月19日

  
 現在、ゼレンスキー政権はバンデラ、ステツコなどの、ウクライナ・ナチスを称賛している。戦時中、バンデラとステツコの勢力はナチスドイツに協力して、ユダヤ人、ロシア人を虐殺した。ウクライナ・ナチスと統一教会は関係が深い。

 写真の左から2番目が勝共連合・阿部正寿、右から6番目がヤロスラフ・ステツコ。一番左側は岩村義雄。岩村は、現在は神戸国際教会の牧師だが、当時は統一教会だった。
 写真は『ABN correspondence July-Augst,1971 P8』 
 この写真の中には、他にも統一教会関係者が写っているかもしれないが、私には分からない。


 この写真は『ABN correspondence Sep-Oct,1971 P14』
 右側がヤロスラフ・ステツコ。その左隣が、WACL JapanのDr. J. Kitaokaとの説明がある。北岡寿逸・国学院大学教授。

ウクライナと統一教会2024年11月18日

 
 現在、ゼレンスキー政権はバンデラ、ステツコなどの、ウクライナ・ナチスを称賛しているが、ウクライナ・ナチスと統一教会は関係が深い。写真は1971年のもので、左から2番目が統一教会の久保木修己、4番目の女性がヤロスラフ・ステツコ婦人。
 戦時中、バンデラとステツコの勢力はナチスドイツに協力して、ユダヤ人、ロシア人を虐殺した。ステツコ婦人もウクライナ・ナチスの主要メンバー。
 写真は『ABN correspondence March-April,1971 P49』

チャソフヤール戦線2024年11月16日

 2023年5月、プリゴジン率いるワグネルは、ウクライナの要塞都市バフムトを解放した。チャソフヤール(チャシフヤール)はバフムトの西10㎞にあり、バフムトへの軍事物資供給基地だったが、バフムト陥落後、ウクライナ軍はここを要塞とした。
 チャソフヤールは運河により、東西二つの地区に分かれている。7月上旬、ロシア軍は、チャソフヤール東地区を解放した。しかし、その後、戦線はほぼ膠着状態で、ロシア軍は運河を超えて西地区に入ったものの、大きな前進はなかった。時々、ウクライナ兵に対して投稿勧告を撒いていた。
 最近、ロシア軍が西地区中央にある耐火レンガ工場に到達したとの情報がある。西地区東部を制圧したのか、単に、斥候が入っただけなのか情報が不確かだが、トランプ当選後、ウクライナ兵の投降・撤退が各地で相次いでいるので、チャソフヤール西地区東部でも、ウクライナ兵の撤退があったのかもしれない。

 このほか、ドネツク南西部では、ロシア軍の侵攻が進んでいる。ハリコフ州クピャンスクでも、ロシア軍が市内に進出した。トレツク(ジェルジンスク)ではこのところ戦線が膠着していたが、ごく最近、ロシア軍の動きが活発化しているとの情報がある。
 最近、ロシア軍の攻撃が活発化しているが、ウクライナ軍の兵力不足や、冬になって路面凍結により、機械化部隊の動きが良くなったことの他、トランプ当選によりウクライナ軍の戦意が喪失したことがあげられる。

Tulsi Gabbard国家情報長官2024年11月15日

トランプ次期大統領はTulsi Gabbardを国家情報長官に指名した。
 
「日本の太平洋侵略を思い起こすとき、私たちは自分自身に問いかける必要がある。現在進行中の日本の再軍備は本当に良い考えなのか? 近視眼的で利己的な指導者たちが、私たちを再び再軍備された日本と直面させることにならないよう注意する必要がある。」
 
https://x.com/TulsiGabbard/status/1732690475482755422

ハロー・キティ―展2024年11月14日

 
 東京国立博物館の表慶館は明治42年(1909)に開館した近代洋風建築で、重要文化財に指定されている。かつては、東博の特別展示に使用されることもあったが、平成館ができてからは、使用されることは少なくなった。
 2025年2月24日まで、ハロー・キティ―展が開催されている。デパートの催事場レベルの展示会を東京国立博物館ですることもなかろうと思うが、安倍政治以降、文教予算が削られて、博物館経営も大変なのだろう。
 ハロー・キティ―展は客層も悪いようで、初日には混乱があった。

リトープス開花2024年11月13日

 
リトープス珊瑚玉が開花しました。

ウクライナ軍、ダム破壊か2024年11月12日

 
 2023年6月、ウクライナはドニエプル川のカホフカダムを破壊し、下流域に甚大な洪水被害を生じさせた。被害地域の多くはロシア軍支配だったが、一部はウクライナ軍支配地の民間住宅も被害を受けた。この洪水で、ロシア軍がドニエプル川左岸河川敷に敷設した地雷は流されてしまったが、その結果、ウクライナ軍が有利になったということも、ほとんどなかった。ダムを破壊したのはウクライナ軍であることはほとんど明らかだったが、日本のマスコミでは、ロシア軍が破壊したような報道がなされた。
 
 最近、ドネツク西側では、ロシア軍の攻勢が活発である。Ukrainsk,Hirnykがロシア軍に解放された後、Kurakhoveにはウクライナ軍の拠点があるので、ここの攻略が問題になっている。Kurakhoveには北に貯水池があるため防衛に向いている。ロシア軍は、主に、東側から攻撃するのだろうが、貯水池北のIllinkaも占領しつつある。さらに、北西のSontsivkaへの攻撃が強まっている。この結果、ウクライナ軍はKurakhoveを挟み撃ちされる恐れが出てきた。
 昨日、ウクライナ軍が貯水池西側のダムを破壊したとの情報がある。もしそうならば、ダム西側の低地は洪水被害を受けているはず。この地域には、大きな建物はないが、一般住宅が点在している。ウクライナ軍は、Kurakhoveを西側から攻撃されるリスクを減らすためにダムを破壊したのだろうが、住民にとってはいい迷惑だ。
 もっとも、トランプ当選後、ウクライナ兵の士気は一層低下しているので、Kurakhove解放は遠くないかもしれない。

Makarivka解放か2024年11月11日

 
ロシア軍はMakarivkaの大部分を解放したとの情報がある。
 
 Makarivkaはドネツク州の西の端に近い僻地で、ここの占領には戦略的意味はほとんどない。2023年春、ゼレンスキーはウクライナが大攻勢をかけると宣伝して、西側から軍事援助をせしめた。5月になって、ウクライナの大攻勢が始まったものの、成果はほとんど得られなかった。
 当時、Makarivkaあたりはロシア軍占領地の突出部になっていたが、戦略的価値がない地域なので、ロシア軍の守備は弱かった。ウクライナは大攻勢が失敗すると、それなりの成果を見せたいゼレンスキーは、この地を攻撃した。ロシア軍はほとんど抵抗することもなく、明け渡した。Makarivka占領の後、さらに南のUrozhaineなども、ウクライナ支配地となった。
 2024年になると、ウクライナ軍の弱体化が目立つようになってきた。8月6日、ゼレンスキーは突如、ロシア領クルスクに進軍した。この結果、少ない兵力がさらに少なくなり、ドネツク西部戦線のウクライナ軍は、ほとんど崩壊した。ウクライナ軍の拠点だったVuhledarも10月初めには陥落した。
 今回、Makarivkaが解放されたとしても、ロシア軍が大攻勢をかけたわけではなく、兵力の乏しいウクライナ軍が撤退した跡に、ロシア軍が布陣したものだろう。
 Makarivkaをどちらが占領してもたいした意味はないが、ここのすぐ北にあるVelyka Novosilkaはウクライナ軍のドネツク州南西部最後の拠点なので、ウクライナ軍がここも落とすようなことになると、ドネツク州南西部のウクライナ軍は終わりとなる。

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