本の紹介-津波と原発2011年08月13日


津波と原発 佐野眞一/著

本の1/4程度は、地震後におこなった三陸地方の取材記。残りの3/4は福島原発事故関連地域の取材記。
どちらも、事故そのものの取材よりも、そこに暮らす人たちの取材に比重が置かれている。

福島原発事故の記述では、日本に原発が受け入れられた歴史的経緯を詳述しているが、内容が冗長のような気がする。

スターリン博物館と毛沢東博物館2011年08月14日

  
VOR(ロシアの声)の報道によると、グルジアのゴリにあるスターリン(ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ)博物館と中国シャオシャン(韶山)にある毛沢東記念博物館の間で相互協力に関する覚書が調印された、とのこと。

ゴリはスターリンの生地、シャオシャンは毛沢東の生地。写真は、ソ連・中国友好同盟条約締結5周年を記念して中国で発行された切手。

終戦記念日2011年08月15日

 8月15日は終戦記念日。正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。
 
 1945年8月15日、いわゆる玉音放送があり、日本国民は戦争の終結を知ったため、8月15日が日本では終戦記念日となったと説明される。もともと、8月15日は月遅れのお盆で、死者を追悼する日だったため、戦没者を追悼するにふさわしい日として日本に定着した。
 
 しかし、この日に戦争が終結したわけではない。
 
 8月15日、天皇は日本軍に対して『各軍は別に命令する迄各々現任務を続行すへし(大陸命第千三百八十一号)』と戦争の続行を命令、翌日、マッカーサーより戦闘停止の要請があると『即時戦闘行動を停止すへし、但し停戦交渉成立に至る間敵の来攻に方りては止むを得さる自衛の為の戦闘行動は之を妨けす(大陸命第千三百八十二号)』と抵抗を命令、このため、特にソ連・中国にあっては、戦争はなおも継続した。
 支那派遣軍以外の軍隊に対して、8月22日に8月25日以降の戦闘停止を指示したため、ソ連との戦争はおおむね8月下旬には終了したが、支那派遣軍の戦闘が終結するのは、さらに後のこととなった。
 9月2日、大陸命特第一号により『敵対行為を直ちに終止し、武装を解除』を命令し、ここに日本軍の戦争は終わった。
 
 日本では、盂蘭盆会の関係で、8月15日を終戦の日としているが、諸外国では、9月2日・3日を終戦の日としている国が多い。
 
 これは、1995年9月2日に、アメリカ合衆国で発行された、日本に対する勝利50周年を記念した切手。アメリカでは戦争終結の日は公式には9月2日です。
 
 
 
 こちらは、1995年9月3日に、中国で発行された抗日戦争勝利50周年記念切手。中国では、戦争終結の日は公式には9月3日です。 
 
 
 
 ロシアでは、戦争終結の日は9月3日だったが、2010年に、9月2日に変更された。

 台湾は戦争終結の日(光復節)は10月25日であるため、1995年10月24日に、戦勝50周年を記念する記念切手が発行された。

本の紹介-福島原発の闇2011年08月21日


福島原発の闇 原発下請け労働者の現実

 1970年代の終わりごろ、フリージャーナリスト堀江邦夫は、自ら原発下請け労務者となって、原発労働の実態を調査した。このときのルポは、『原発ジプシー 増補改訂版 ―被曝下請け労働者の記録 』として、出版されている。原発労働は、下請け、孫請け・・・とピラミッド構造になっているが、堀江邦夫は、自ら、日雇い労務者として、美浜原発、福島原発、敦賀原発の労働に従事した。

 本書は、堀江邦夫の文章に、水木しげるが漫画を書いたもの。

 堀江の文章は、簡潔になっているが、水木の漫画が、おどろおどろしい、原発の実態を伝えている。
 堀江の本を読んだことのある人も、読んでいない人も、本書は原発作業員から見た原発の実態を理解するうえで、大いに参考になる本であり、原発の将来を考えるためにも、多くの人に読んでもらいたい本だ。

日本最北端の地の碑 50周年2011年08月22日

 北海道宗谷岬には「日本最北端の地の碑」が立っている。2011年8月21日に、碑の建立50周年記念行事が行われた。
 現在日本政府が主張する領土では、最北端は、エトロフ島になるが、稚内市・宗谷岬を、日本最北端の地としている。日本の領土主張が誤りであるといっているようにも聞こえるが、そういう意味ではなくて、宗谷には、最北端の地以外、これといって有力な観光資源がないので、最北端としているそうだ。

クナシリ島密入国2011年08月22日

 日本人がゴムボートでクナシリ島に密入国したとのニュースがあります。
 かつて、歯舞諸島に泳いでわたろうとして、途中力尽きたところをソ連国境警備隊に救助され、有罪後強制送還された人がいました。日本では、罪を問われなかった。また、小型船舶で、密入国した人が、強制送還後、船舶法違反で有罪になったことがあります。
 ゴムボートで渡ったのは初めてだと思う。もし、故意による密入国ならば、ロシア当局に逮捕され、有罪後、日本に強制送還されることは確実です。その後、日本政府は、有罪にするのか、起訴猶予にするのか。昭和三四年最高裁は「千島列島に属する国後島は、出入国管理令の適用上においては、本邦には属しない」との判断を示しているので、密出国で有罪にすることは可能です。
 
 
北方領土問題の解説はこちらをご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm

クナシリ島密入国の報道その後2011年08月23日

 昨日、ゴムボートでクナシリ島に密入国した日本人(37歳)が、ロシア警備当局に拘束されたたとのニュースがありました。朝日新聞によると、ピストルを所持しているとのことです。
 しかし、今日(2011年8月23日)のYomiuri onlineによるとサバイバルゲーム中にボートが流されて、国後島に近づいてしまった可能性があるとのことです。持っていたのも本物のピストルではなくてモデルガン。
 
 この報道で良く分からないのですが、モデルガンって、サバイバルゲームで何のために使うのでしょう。ピストルならば、熊に出くわしたときの護身用に役に立つかもしれないけれど、モデルガンなんて、何の役にも立たないように思います。単に、気分を盛り上げるだけ? 37歳にもなって、そんなことしているのかなー。

本の紹介-ニッポンの国境2011年08月24日


ニッポンの国境 (光文社新書) 西牟田靖/著 2011/7

 著者は北方領土・竹島・尖閣諸島を取材したことがあるノンフィクション作家。北方領土取材では、ロシアのビザを取った上で、サハリン経由で渡航している。また竹島取材は、韓国・鬱稜島経由の入域。いずれの場合も、日本政府の指導を無視した形での入域である。北方領土への渡航は、返還運動関係者に対して、ビザなし渡航が認められているが、ノンフィクション作家である西牟田に対して、日本政府はビザなし渡航を認めなかったため、ロシアのビザを取った上での渡航をした。尖閣の取材は、上陸することが許可されなかったため、飛行機を使っての上空からの取材だった。
 本書の内容は、北方領土・竹島・尖閣、日本の抱える3つの領土問題の解説。取材したときの様子も書かれているが、少ない。
 北方領土問題の解説では、いくつかの優れた参考書があるが、本書の北方領土問題の解説は、これらの本を参考に、まとめられている。さすがに、作家だけあって、読みやすく、理解しやすい。内容も、一部の考えに偏向するのではなく、事実を中心に書かれているので、北方領土問題をあまり知らない人には、一読の価値がある。
 竹島・尖閣問題についても、同様なスタンスで書かれているが、北方領土の章に比べ、著者が読んだ参考文献が乏しいのではないかとの印象を受けた。

本の紹介-厳寒の地、北千島の郵便局物語2011年08月25日


厳寒の地、北千島の郵便局物語

 日本の敗戦まで、千島列島は大日本帝国領だった。千島の北の島、占守島・幌筵島には、帝国陸軍が駐屯しており、従軍慰安所も開設されていた。占守島片岡・擂鉢や幌筵島柏原には、函館郵便局の分室も開設された。これらの郵便局は、後に、軍事郵便局になる。
 本書は、幌筵島の郵便局員を勤めた坂本木八郎による、北千島郵便局の記録。本書は、もともと、私家版として出版されたが、2011年7月に文芸社より、出版された。写真は、私家版。
 こんなマイナーな内容の本を読む人など、ほとんどいないだろうと思っていたが、一般に発売されるところを見ると、関心がある人も、ある程度いるのだろうか。郵便史・軍事郵便・北方史などに興味がある人には、一読の価値はあるだろう。

本の紹介-千島国郵便局七0年の軌跡2011年08月25日

 
千島国郵便局七0年の軌跡 小山田恭一/編 2000年10月発行
 
千島の郵便局の解説書には、こんな本もあります。少数部数の出版のようで、一般に入手は困難かもしれない。国立国会図書館には蔵書があるので、興味ある人はそちらで閲覧ください。
千島の郵便局について、一般局や軍事局の沿革資料集のような感じの本です。でも、ちょっと、まとまりに欠けるところがあって、読みにくいかもしれない。

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