本の紹介-尖閣諸島と沖縄: 時代に翻弄される島の歴史と自然2013年09月01日


尖閣諸島問題理解のために、お薦めしたい本

尖閣諸島と沖縄: 時代に翻弄される島の歴史と自然 沖縄大学地域研究所/著  (2013/6) 芙蓉書房出版  (沖縄大学地域研究所叢書)

 沖縄大学教養講座の講義録。
 尖閣問題では、一方的に、日本固有の領土と主張する論調があるが、本書は、もっと学術的に、事実を解明しようとしている。尖閣問題の結論だけ欲しい人には向かないが、正しく理解したい人には、好適な教科書。

 内容は、明治以前の琉球と明・清の関係、明治になって日本が琉球を内国に編入したときの経緯、尖閣を領土編入した経緯、明治以降の尖閣漁業、アホウドリの話、と尖閣に関連する話題が豊富。このうち、戦前の尖閣漁業とアホウドリについて、触れられた本が少ないので、尖閣を理解する上で、大いに参考になる。
 尖閣は、琉球と中国の航路上にあったため、琉球・中国に認識され、冊封船や朝貢船により標識島として使われていた。このため、どの国の固有の領土というようなものではない。冊封にくらべ朝貢のほうが回数が多いので、本書では、中国よりもむしろ琉球の領土であったとの見解のようだが、宗主国と従属国であることを考えると、従属国だった琉球の領土とするのは無理があるように感じる。

 尖閣での漁業がいつから始まったのか、この件について、次のように書かれている。
 尖閣諸島というのはかなり昔、およそ五百年以上前から、沖縄や中国の人たちには琉球・福州間を結ぶ航路標識として知られていた。その頃に、漁業が行われていたか、僕は残念ながら知りませんが、明治期以降、琉球国が沖縄県になって廃藩置県が起こる。それ以降近代化の波が、沖縄県に押し寄せてきた頃におそらく、沖縄本島や八重山地方の石垣島や与那国島から漁業者が目指すようになっていった。そう考えています。(P92) 

 ところで、日本政府は、再三に渡って調査した上で、尖閣が無主地であることを慎重に確認したと説明している(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html)が、この件に関して、村田忠禧氏は、これは事実でないとしている。(日中領土問題の起源―公文書が語る不都合な真実 村田忠禧/著  (2013/06) 花伝社 P220)
 本書でも、次のように書かれており、村田忠禧氏の記述が事実のようだ。日本政府は、嘘をついて、尖閣を占拠しているのだろうか。
 沖縄県が出した一八九三年十一月二日付の尖閣諸島領土編入上申、県知事奈良原繁が出したものです、翌年の一八九四年四月十四日付で内務省の県治局長から沖縄県へ返事が返って来る。「沖縄県が尖閣諸島を領土編入したいというならば、きちんと調べてあるんでしょうね」と項目を指定して聞いてくる。「島嶼ノ港湾の形状」「開拓の見込みの有無」、きちんと開拓できるような島なんですね? と「旧記口碑等、古来我国に属している証拠」、これらを県治局の方で照会したいと言ってくる。
 それで翌五月に奈良原さんは回答しますが、この内容はお粗末と言いますか、「明治十八年以降実地調査をしていませんから、それ以外の調査報告については確報出来ません」、つまり十八年の調査以外は良くわからないとした。回答としては及第点より落第点に近いものなんですが、それ以降、明治政府の側としては領土編入に向けて動き出す。
 奈良原さんが回答して、七ヶ月後の一八九四年十二月、この時に秘別第一三三号、いわゆる尖閣諸島領土編入の閣議案が作成されます。その後内務大臣野村靖、外務大臣陸奥宗光、この二人の間で閣議案秘別一三三号についての協議がなされ、結論として閣議提出は問題無いという事になり、翌一八九五年一月十四日付をもって尖閣諸島の領土編入が閣議決定されます。明治十八年の西村捨三、明治二十三年の丸岡莞爾、明治二十六年の奈良原繁、歴代知事の上申は、ここに一応実を結んだ事となります。(P103)

9月2日は終戦の日2013年09月02日

9月2日は終戦の日:
 天皇裕仁は、降伏文書調印に関する詔書を渙発。
 国民に対して、敵対行為を直に止め、武器を措き、降伏文書の一切の条項、並に、帝国政府及大本営の発する一般命令を、誠実に履行せむことを命じた。

占守の戦いについて:
 占守戦のおかげで、北海道画が守られたとの、短絡的思考の人が多いので一言。
 占守戦はカムチャツカの部隊が当たり、当初、新知までが任務範囲だった。占領がスムースだったので、後にウルップが占領範囲に加えられた。南千島や北海道北部に上陸が予定されていたのは、樺太占領部隊。
 普通に地図を見れば、明らかでしょう。ウラジオストックの艦隊が北海道北部を占領しようとするならば、宗谷海峡を使うでしょう。間宮海峡からオホーツクに抜け、カムチャツカに行った後、千島列島を南下するなどと考える人はいない。

本の紹介 - 観光コースでない沖縄2013年09月07日

 
観光コースでない沖縄 第四版 (2008.6) 高文研
新崎盛暉・謝花直美・松元 剛・前泊博盛・亀山統一・仲宗根将二・大田静男/著

 沖縄の歴史(琉球処分・戦場・占領・本土復帰闘争・安保体制と反基地闘争)の概略を説明した後、戦跡・基地について説明している。沖縄の産業・自然・宮古と八重山の章もある。明治以前の説明はない。
 戦跡などは、普通の観光コースではないけれど、修学旅行生などは訪ねることもあるだろう。ビーチで遊ぶ向きには不必要な情報だが、沖縄問題を考えるために旅行を計画している人が事前学習するには最適。ただし、写真がカラーでなく、地図もほとんどないので、観光ガイドブックには向かない。

本の紹介-北方領土・竹島・尖閣、これが解決策2013年09月08日


北方領土・竹島・尖閣、これが解決策  岩下明裕/著 (朝日新書 2013/7)

 本のタイトル通り、日本の領土問題解決策の提案。
 著者は、ロシア関係が専門だが、最近は、境界問題の研究者として有名。ロシアと中国では、長年の懸案であったアムール川の中島の領有権問題を折半する形で解決した。歴史的には中国領だったが、近現代の歴史の中でロシア領となったところなので、現状からすると、ロシアの大きな譲歩だった。著者はこの時の解決を元に、2005年には、北方領土解決策の提案を著わしている。

 本書は、北方領土のほかに、竹島・尖閣についても、解決策を提示しているもの。

 北方領土については、2島プラスアルファを提案している。以前は、歯舞・色丹の2島だったようだが、本書では、歯舞・国後の2島も視野に入れているようだ。しかし、現状では、どちらの提案も、日本が受け入れず、歯舞・国後の2島ではロシアも受け入れないだろう。
 著者は、地元では領土問題を解決してほしいとの要望が多いとしている。確かにその通りなのだろうけれど、一方で、領土問題をエサに、税金を懐にする勢力が存在することも事実で、彼らにとっては、領土問題を解決させないことが課題なので、このような勢力をなんとかする必要があるが、本書では、この点については、まったく触れられていない。すでに、無視しうる程度に影響力を持たないのだろうか。

 著者の竹島問題解決方法は、歴史問題と領土問題を切り離し、海洋資源利用の問題とすべきとの主張だ。日本の一部勢力には、歴史問題を絡めて、日本の過去を正当化しようとの主張も散見されるが、このような立場と決別することなしに、領土問題の解決はないだろうから、著者の主張には、一面では賛同できる。しかし、それならば、領土の領有は現状維持、すなわち竹島は韓国領ということになってしまうのではないだろうか。この点が明らかに示されていないので、著者の竹島解決崎が良いのか悪いのかどうもよく分からない。
 尖閣についても、著者は竹島同様の主張だ。現在、尖閣は日本が実効支配しているので、歴史問題と領土問題を切り離し、海洋資源利用の問題とすることが、日本の領有権主張に、適している。日本は現状維持、すなわち、領土問題にならないように、努力すべきなのに、昨今の日本の政治勢力は逆のことをしている。

 領土問題の解決案について、必ずしも同意できるわけではないが、自分の考えを反省するためにも、一読の価値はある本だと思う。

ホームページ更新 (北方領土問題)2013年09月11日

「海外の地図における北方領土の表示」のページに、ランドマクナリー社の、いくつかの地図画像を追加しました。http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/MAP_Kyoukasho/OtherMap/index.htm



北方領土問題の先頭ページ
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm

やさしい北方領土の話
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Yasashii.htm

本の紹介-『尖閣衝突は沖縄返還に始まる 日米中三角関係の頂点としての尖閣』2013年09月14日

 
『尖閣衝突は沖縄返還に始まる 日米中三角関係の頂点としての尖閣』 矢吹晋/著 (2013/08) 花伝社  

 沖縄返還のとき、米国は尖閣を含めて日本に返還した。しかし、返還は施政権のみであって、領有権について米国は関知しないとの立場だ。米国は、なぜ、このような不可解な態度をとるのか、本書ではこの点を明らかにしている。

 沖縄返還当時、世界の関心は、中国の国連代表権問題であり、米中関係だった。年表風に書くと、次のようになる。

 1971/6/17 沖縄返還協定調印
 1971/10/25 国連代表権が中華人民共和国に移る
 1972/2/21 ニクソン訪中(米中共同宣言)
 1972/5/15 沖縄返還協定発効
 1972/9/29 日中共同声明(国交回復)

 沖縄返還・日中国交回復・台湾断交も、このような世界政治の中で起こっていることに注意する必要がある。本書では、米国の尖閣領有権に対する中立的態度は、米・中・台の関係と、日米関係がどのように影響しているのかを、いろいろな資料に基づいて解明している。
 
 しかし、読んでいて、どうも良く分からないのだが、当時の米国の態度や、当時の日本の外交交渉が、現在の尖閣問題の原因になっているといえるのだろうか。
 確かに、当時、米国が、日本に領有権があるといってくれれば、あるいは、日本政府が、中国や台湾と完璧な外交交渉をして、日本に100%有利なように問題の解決をしていたら、現在に尖閣問題は起きなかったはずだ。しかし、政治には、その時々において優先課題があるもので、当時の日本政府にとっては、領土問題を100%解決することではなくて、沖縄返還が最重要課題だったので、尖閣問題は積み残したのだろう。

本の紹介―本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」2013年09月18日


本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」  前泊博盛/著 (2013/2) 創元社

 著者は、琉球新報の論説委員の後、沖縄国際大学教授を務めている。琉球新報時代に、外務省機密文書「日米地位協定の考え方」を公表し、日本が駐留米軍に従属している様を明らかにした。
 本書は、日米地位協定が、日本の法律や憲法の適用除外となっている点が多々あることを、具体的事例で説明している。
 類似の本に、『孫崎享/著 戦後史の正体』があるが、孫崎氏の本は、日米同盟の中で、日本の政治家がどのような態度をとってきたかを説明しているのに対して、本書では、日米同盟の運用がどのようになせれているのかを明らかにしたもの。

成東・東金 食虫植物群落(1)2013年09月22日

  
 成東・東金の食虫植物群落を見学した。この時期、ホザキノミミカキグサ、ミミカキグサ、ナガバノイシモチソウ、コモウセンゴケが見られる。
  
ホザキノミミカキグサ
 ムラサキミミカキグサと似ている。5mmに満たない小さい花なので、見つけるのも大変です。
  

  
ミミカキグサ
 こちらは、黄色い花をつける。成東・東金 食虫植物群落で見られたのは、わずかに数輪でした。
 
  
 
ナガバノイシモチソウ
 茎にネバネバしたものがついているので、食虫植物の感じがします。終わりに近いようで、あまり綺麗ではなかった。
  

  
コモウセンゴケ
 他の草に覆われていて、見つけにくかった。
 
 
 
コモウセンゴケの花
 蕾をつけているものがありました。
 



成東・東金 食虫植物群落(2)2013年09月23日


 成東・東金の食虫植物群落を見学した。食虫植物以外にも、珍しい湿生植物が自生している。

   
ゴマクサ
 珍しい植物らしいが、ここでは普通に見られます。
   
 
 
ヒメハッカ
 北海道や本州の湿地に見られるそうだけど、珍しいそうです。
  
  
  
タヌキマメが咲いていなかった
 この日は、暑すぎたのか、花が開いていなかった。この時期、例年は咲いているのだけど。タヌキマメは湿生植物ではないらしいが、咲いているのは、たいてい湿った場所の周辺です。
  
  
  
ワレモコウ、オミナエシ、ツリガネニンジン
 珍しくない花で、湿原でなくても普通に見られます。


成東・東金 食虫植物群落(3)2013年09月24日

 成東・東金の食虫植物群落を見学した。植物以外に、虫もいっぱい。
  
サワヒヨドにはハナムグリ
  
  
ワレモコウにトンボ
  
  
  
女郎蜘蛛がバッタを捕らえていた
  

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