本の紹介ー小栗上野介 忘れられた悲劇の幕臣2019年06月01日

  
村上泰賢/著『小栗上野介 忘れられた悲劇の幕臣』 (2010/12)平凡社新書
  
 小栗忠順の伝記。小栗忠順は江戸時代末期の幕臣で、外国奉行や勘定奉行を務めた。万延元年遣米使節に目付として参加した。この使節は、ハリスと結んだ日米修好通商条約の批准書を交換する目的で派遣されたものだったが、総勢77名の大型使節団だった。この中で、目付は正使・副使に次ぐナンバー3の地位である。
 小栗忠順は批准書交換のほかに、通貨交換比率交渉および先進技術特に造船技術の視察が目的だった。
  
 本書は小栗忠順が隠棲した群馬県倉淵村の東善寺の住職による執筆。この寺には小栗忠順が葬られている。
  
 本書の前半は万延元年遣米使節の話で、小栗忠順にスポットを当てているわけではない。
 後半には、小栗忠順が帰国後に横須賀造船所建設に尽力したこと、財政立て直し、大政奉還後群馬県倉淵村権田に隠居し新政府軍に斬首されることが、それぞれ、1/3づつ書かれている。財政立て直しの章は小栗忠順にスポットがあてられた記述ではない。
  
 パナマ東海岸からワシントンに向かう船でアメリカ人船員が死亡し、その水葬があった時の、以下の記述は、当時の日本が残酷な礼節体制にあったことをうかがわせて、興味が持てる。

 玉蟲は、アメリカ人が水夫の葬式に、提督や艦長をはじめとしてたくさんの上司が参列しているだけではなく、我が子を見送るような深い悲しみの真情をあらわしていることに感銘し、「これを見るとこういう米国がますます勢い盛んになることがよくわかる。日本では、下役の者が死んだら、上司は犬や馬のような扱いで葬儀に参列する者などいない。日本人は上下の人情が薄いから、米人に対して恥ずかしく思う人が多いはずだ」(『航米日録』)という感想を持ちました。
 これに対し、年配の村垣は「水夫如きものの葬儀に提督まで出て見送るのを見て、日本人は不思議がるが、アメリカは礼儀もなく上下の区別もなく、ただ真実を表して治めている国だからこうしている、と見える」(『遣米使日記』)と述べています。
 文化の違いを新鮮な驚きで柔軟に受け止めた玉蟲は、江戸で林復斎に儒学を学び、その学才を見込まれ塾長も務めていますので、航海のはじめは村垣と同じ感覚で「礼儀がないアメリカ人と見ていました。しかし嵐の船中で日本人を介護する水兵たちの真情に触れ、次第にアメリカ人を「形式的な礼儀よりも真情でつながる人々」と理解し・・・(P65)

本の紹介 一度は行きたい「戦争遺跡」2019年06月02日


友清哲/著『一度は行きたい「戦争遺跡」』(2015/9)PHP文庫

 函館要塞から沖縄のガマまで全国に残る戦争遺跡の壕や旧軍関連施設などを紹介している。この中には管理され有料で公開されているものや、管理されていなくても普通に安全に見学できるものもあるが、ほとんど放置されて危険かもしれない壕も紹介されている。
 素人が立ち入って事故にでもなれば大変だし、そうでなくても所有者とトラブルになりかねないようなところもある。本のタイトルは「一度は行きたい」となっているが、この本で紹介されている多くの場所は、一度も行きたくないところに感じる。
 カラー写真が多いので、本を見るのには面白い。

本の紹介ー大日本帝国の戦争遺跡2019年06月03日


飯田則夫/著『大日本帝国の戦争遺跡』(2015/6) ベスト新書
 
 戦争遺跡を「要塞・トーチカ」「鎮守府・師団・司令部」「兵站・工廠・産業遺構」に分けて、それぞれ3から8か所紹介している。ある程度有名なところが多く、マニアックな洞窟などはない。
 最終章には乃木希典・東郷平八郎・石原莞爾・東郷平八郎のゆかりの地を紹介している。
 モノクロ写真が多い。

軍配山古墳2019年06月03日

  
高崎市玉村町のインター付近に「軍配山古墳」があります。麦畑の褐色がきれいでした。
4世紀後半の円墳。出土品が良かったようですが、円墳は、あまり見栄えはしない。

本の紹介ー戦争と日本阿片史2019年06月09日

  
二反長半/著『戦争と日本阿片史』すばる書房(1977.8)
  
 著者の二反長半は絵本作家で、阿片王・二反長音蔵の息子。
 本書は、著者の手元に残された二反長音蔵の資料や、満州・蒙古で阿片官をしていた宮沢秋次氏の協力を得て、日本の国家ぐるみによる麻薬密売の実態と、二反長音蔵のケシ栽培ついて記載している。
  
 この本は1977年に出版されたもので、出版当時、日本が国を挙げて麻薬密売に手を染めていたことは、あまり知られていなかった。しかし、その後、江口圭一氏の本が岩波新書から出版されることなどにより、日本の阿片密売は広く知られることとなった。その後、倉橋正直氏の本も出版されている。
  
 二反長音蔵はケシの栽培家で、後藤新平の後押しの元、ケシ栽培の普及活動やケシの品種改良にも取り組んでいる。二反長音蔵が改良した品種・一貫種は、麻薬成分が多く、毒性が強いもので、阿片被害を拡大した。現在、東京都薬用植物園では、この一貫種を研究用に栽培している。一貫種は朝鮮半島で栽培を奨励したので、北朝鮮で栽培され密売されているとのうわさもある。
 本書には、音蔵が品種改良に取り組んでいたとの記述もあるが、この部分はあまり詳しくない。
  
 二反長音蔵は国策に従って、阿片製造を推し進めたのであるが、彼は外地でケシ栽培指導をしているので、外地で阿片が密売に使われ、阿片中毒患者を生み出していることはよく見知っていたはずだ。しかし、本書では、二反長音蔵は自身のケシは医療用と思っていたと、音蔵の擁護に終始している。息子の著述なので仕方ない面があるが、そうならば、音蔵が外地で栽培指導したケシのすべてが医療用であると考えた、根拠を書けばよいのに。
  
 いまでは、日本が、中国や満州にアヘンを密売し、毒禍を広げていたことは、良く知られるようになっている。本書には、中国・満州以外にも、シベリアに進出した日本人・朝鮮人がニコライエフスクを拠点した地域で、ケシ栽培、阿片製造、密売にかかわっていたことが記されている(P125-P126,P185-P187)。

本の紹介ー日中共同研究報告書 2 近現代史篇2019年06月16日


北岡伸一・歩平/編『日中共同研究報告書 2 近現代史篇』勉誠出版(2014/10)
 
 日中共同の歴史研究は以下の経緯で実施された。
 〇2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。
 〇2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意
 〇2008年5月、胡錦濤国家主席訪日時に、首脳間で歴史共同研究の果たす役割を高く評価するとともに、今後も継続していくことで一致。
 
 以上の経緯で出来上がった歴史研究の成果報告書のなかで、本書は近現代史の部分。日本側の見解と中国側の見解がそれぞれ書かれている。
 南京大虐殺の日本側見解は以下のように書かれており、これが、日本の研究のまとめということになる。
 
 中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では二十万人以上(松井司令官に対する判決文では十万人以上)、一九四七年の南京戦犯裁判軍事法廷では三十万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では二十万人を上限として、四万人、二万人など様々な推計がなされている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。
 日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。
 P327
 
 安倍政権はこの研究で、自分の誤った歴史観を押し付けるきっかけを作ろうと目論んだふしがあった。右系の歴史学者を選んだつもりだったのだろうが、まともな歴史学者だったため、でっち上げの歴史捏造を主張することもなく、南京大虐殺については日本軍の行為が事実として認定されている。
 本研究では、日本の極右勢力による歴史捏造は失敗したため、政府主導で始めた歴史研究成果を現政権が顧みることはなくなった。
 
以下、参考のため目次を記しておきます。
 
<近現代史>
総 論
第1部 近代日中関係の発端と変遷
第1章 近代日中関係のはじまり
(日本側)近代日中関係の発端 北岡伸一
(中国側)近代日中関係の発端 徐勇・周頌倫・米慶余
第2章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国
(日本側)対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真
(中国側)対立と協力:異なる道を行く日中両国 徐勇・周頌倫・戴東陽・賀新城
第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動
(日本側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二
(中国側)日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 王建朗
第2部 戦争の時代
第1章 満州事変から盧溝橋事件まで
(日本側)満洲事変から日中戦争まで 戸部良一
(中国側)満洲事変から日中戦争まで 臧運〇  
第2章 日中戦争-日本軍の侵略と中国の抗戦
(日本側)日中戦争―日本軍の侵略と中国の抗戦 波多野澄雄・庄司潤一郎
(中国側)日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争 栄維木
第3章 日中戦争と太平洋戦争
(日本側)日中戦争と太平洋戦争 波多野澄雄
(中国側)日中戦争と太平洋戦争 陶文釗

 第2部「戦争の時代」は日本が中国を侵略した歴史なので、日本の右翼勢力からしたら、この部分こそ、自分たちに都合の良い記述をしてほしかったところだろう。日本側執筆者の戸部良一は防衛大学校教授、波多野澄雄と庄司潤一郎は防衛省防衛研究所研究員と防衛省のお抱え学者で固めている。
 それでも、事実は事実なので、安倍政権に都合の良い記述にはならなかったのかな。

本の紹介-消された「徳川近代」明治日本の欺瞞2019年06月26日

 
原田伊織/著『消された「徳川近代」明治日本の欺瞞』(2019/2)小学館
  
 「明治維新は素晴らしかった」との歴史認識が、学校教育等で教えられていた時代があった。また、司馬遼太郎の小説で坂本龍馬や勝海舟が主要人物として取り上げられると、学校教育でも、司馬遼太郎の小説に沿った歴史判断が教え込まれたこともあった。
 本書は、これらの極端な歴史観の否定と、幕末の幕臣の有能さを指摘するもの。能力で出世をしていく旗本と、江戸時代の長い間、公家として遊んでいたものや、薩長の田舎にとどめ置かれた人たちの能力とくらべたら、幕臣に分があるのは当然だ。
 
 本書第1章では、咸臨丸を取り上げる。勝海舟は船酔いでほとんど役に立たなかったことと、咸臨丸はアメリカ人船員の力で航海したが、日本人でも小野友五郎はアメリカ人と同等な測量技術を持っていたことなどが書かれている。
 現在、高校日本史教科書・詳説日本史では咸臨丸は取り上げられていない。教授資料(教師用教科書)には、勝海舟は咸臨丸航海で役に立たなかったことが書かれている。このため、今の若い人にとって、本書の記述はより深い理解にはなるが、常識的な内容と感じるだろう。
 
 第2章では岩瀬肥後守を中心に、幕末の日米条約などを取り上げ、幕臣の外交能力が高かったことを示す。当時の幕臣が、世間知らずの公家や薩長の田舎侍とは比べ物にならない海外知識を持っていたことは想像に難くない。
 
 第3章は、小栗上野介を取り上げる。小栗については、すでにいくつもの本が出版され、彼の業績に対する理解も少なくないので、特に目新しい内容とは思えなかった。
 
 明治以降戦後の一時期まで、明治維新礼賛の誤った日本史教育が推進されていたので、そうした歴史観を事実と思い込んでいる人が、歴史観を新たにするためには、本書は有益だと思う。でも、今の高校日本史教科書では、明治礼賛の誤った歴史観はだいぶ少なくなっているので、今の若い人にとって、本書の記述内容は特に驚くことはないと思う。
 
 なお、東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園には岩瀬肥後守の墓や小栗上野介累代の墓がある。小栗上野介は群馬県高崎市倉渕町で斬首されたので、遺骨は同市・東善寺に埋葬され、ここにも墓が建てられている。

本の紹介- アイヌ近現代史読本2019年06月27日


小笠原信之/著『アイヌ近現代史読本 増補改訂版』緑風出版 (2019/4)

2001年に出版された本の増補改訂版。増補改訂版では「アイヌ共有財産裁判」「アイヌ遺骨返還訴訟」が追加されている。

幕末から現代にいたるアイヌの近現代史。日本人の支配により、過酷な運命を背負わされることになったアイヌの状況を記載している。

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