本の紹介-宗教は現代人を救えるか2021年02月14日

 
佐々木閑/著、小原克博/著『宗教は現代人を救えるか』平凡社新書(2020/4)
 
 仏教学者で僧侶の佐々木閑と神学者で牧師の小原克博による対談。佐々木閑は浄土真宗の僧侶であるが、律を専門とする仏教学者で、初期仏教に詳しい。現代日本と日本仏教の関係の話が多い。
 日本の鎌倉仏教は旧仏教を批判し民衆のものとするために誕生した。これは、キリスト教のプロテスタントがカトリックを批判し民衆のものとするために誕生したことに、形式的には類似している。しかし、佐々木によると、プロテスアントが聖書を基にキリストの教えに立ち返ることを目的とした運動だったのに対して、鎌倉仏教は釈迦の教えから遠く離れてしまった点で、プロテスタントとは異なっている。
 
 本書のタイトルは『宗教は現代人を救えるか』であるが、本書の内容は、仏教全体から見た日本仏教の特殊性に関する記述が多い。
 
 日本では、鈴木大拙の仏教思想を高く評価する向きがあるが、佐々木はかなり否定的だ。ちょっとシニカルに以下の説明をしている。
小原 西洋思想に席捲される時代に人っていく中で、日本には独特の思想があるのだ、ユニークな仏教思想があるのだと言われると、自信を回復させてくれますよね。
佐々木 ただ、それは明治期に出会ったヨーロッパ経由の仏教ではなく、従来の日本の大乗仏教経典が含んでいたものを、再評価しようという動きなんですね。ですから、あくまで彼らのベースは日本仏教なんです。それが、例えば鈴木大拙の日本的霊性などにローカライズされていくんですね。目本独自のものなんだぞという意味付けだと思います。最近、それがまたクローズアップされていると思うんですけれども、やはり本質において、鈴木大拙の考え方は思想にまでは至っていなくて、思想を作るためのフォームだと思います。
 つまり、フォームですから、概念規定はされておらず、形式だけがある。そこへ、読み手が自分の思っているものを入れると、自動的にいろいろなことがうまく行くようになっている、数学の方程式のようなものだと思うんです。ですから、例えばそこに阿弥陀を入れるとちゃんと形になりますし、例えばスウェーデンボルグを入れれば霊界が出てくるというように、何を入れても答えが出てくるようになっているのが、鈴木大拙の言説の本質だと思います。だからこそ非常に受け入れられやすいと思うんですが、絶対にその大拙の言説と合わないのが、皮肉にも釈迦の教えですよね。そういったフォームは絶対的に存在しないと言っているのが釈迦の教えですから。
小原 諸行無常ですから、フォームは否定されますね。
佐々木 各自が感じている絶対的なものを代入すればそれぞれにちゃんと答えが出てくるんですが、釈迦の仏教は絶対的なものはないと言うのですから、そのフォームそのものを否定しているわけです。そういう意味でぱ、鈴木人拙と釈迦はまったくの対極にあるわけですが、その大拙教が近年受けるものですから、それもある意味では、一つの宗教の形だろうと思います。(116-117)

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