ロシア軍の攻勢が鈍化 ― 2026年09月26日
ロシア・ウクライナ戦争では、ほぼ全線に渡って、ロシアの攻勢が盛んだったが、秋になると、ロシア軍の攻勢が鈍化している。春は雪解けで大地が泥濘化するので、機械に勝るロシア軍の攻勢は鈍化する。秋は雨の影響で、同様にロシア軍の攻勢が鈍化する年がある。
リマン付近では、ウクライナ軍が大きく失地を回復した。リマンはドネツクの北100㎞の都市。
上の地図はロシア側情報機関Divgenのもの。2006/9/1以降、ウクライナ軍が失地を大きく回復したことがわかる。ただし、2026/9/1の地図ではリマン北部の広い部分がロシア支配になっているが、この時期、ウクライナ軍の攻勢が活発で、ロシア軍が支配しているとの評価には疑問の声が多かった。
9月中旬まで、ロシア軍は全線に渡って攻勢をかけていたが、特に、ロシア軍の進攻が大きかったのは、ハリコフ州ボルチャンスク、ドネツク州ドブロプリエ、ザポロージェ州オレホボ。また、ドネツク州コンスタンチノフカは解放後の地雷除去などの作業が進んでいた。こうした中、リマンとハリコフ州クピャンスクの状況は情報が錯そうしていた。
ウクライナの秋は短いので、今後、ロシア軍の攻勢が活発になる可能性が高い。
リマン付近では、ウクライナ軍が大きく失地を回復した。リマンはドネツクの北100㎞の都市。
上の地図はロシア側情報機関Divgenのもの。2006/9/1以降、ウクライナ軍が失地を大きく回復したことがわかる。ただし、2026/9/1の地図ではリマン北部の広い部分がロシア支配になっているが、この時期、ウクライナ軍の攻勢が活発で、ロシア軍が支配しているとの評価には疑問の声が多かった。
9月中旬まで、ロシア軍は全線に渡って攻勢をかけていたが、特に、ロシア軍の進攻が大きかったのは、ハリコフ州ボルチャンスク、ドネツク州ドブロプリエ、ザポロージェ州オレホボ。また、ドネツク州コンスタンチノフカは解放後の地雷除去などの作業が進んでいた。こうした中、リマンとハリコフ州クピャンスクの状況は情報が錯そうしていた。
ウクライナの秋は短いので、今後、ロシア軍の攻勢が活発になる可能性が高い。
本-日米密約史 ― 2026年09月24日
信夫隆司/著『日米密約史』(2026/4)中公新書
戦後の日米関係の中で、「刑事裁判権(安保条約における米軍に対する事実上の治外法権)」「日本への核持ち込み(1960年の核疑惑)」「米軍の海外侵攻に在日基地を自由に使う問題(朝鮮半島への派兵)」「沖縄返還と在沖米軍」「沖縄への核持ち込み」の5つについて、日米密約がなされた経緯を説明する。
日本は、事実上、アメリカの属国なので、アメリカのための対応をする必要がある。ところが、これでは国民の支持を得られないことがあるので、日本の自民党政権を維持する目的で、国民を欺く必要があり、日本政府にとって密約が必要なのだろう。
Zolotyi Kolodyaz'占領 ― 2026年09月20日
Zolotyi Kolodyaz'はPokrovskの北20㎞の小村。今、住民はいないと思う。Zolotyi Kolodyaz'とは、日本語に訳せば「金井」になるのだろう。最近、ロシア軍がここに進軍して占領した模様。こんな小村を取ったからと言って、軍事的意義は少ない。
昨年8月上旬、Pokrovskの攻防が盛んだった時、ロシア軍は北に突出して進軍し、ほとんど抵抗なくZolotyi Kolodyaz'南部を占領した。これに対して、ウクライナ軍は反撃し、8月中旬には、ロシア軍を包囲したとの怪しい情報が流れ、さらにネット上にはウクライナへの募金を募る怪しい書き込みが広がった。結局、包囲というのは嘘だったが、ロシア軍はここから撤退した。
最近、ロシア軍が進軍したが、これは昨年と異なって、占領地域を徐々に拡大している中での進軍であり、昨年のような突出ではない。
図はDivgenによるもの。
昨年8月上旬、Pokrovskの攻防が盛んだった時、ロシア軍は北に突出して進軍し、ほとんど抵抗なくZolotyi Kolodyaz'南部を占領した。これに対して、ウクライナ軍は反撃し、8月中旬には、ロシア軍を包囲したとの怪しい情報が流れ、さらにネット上にはウクライナへの募金を募る怪しい書き込みが広がった。結局、包囲というのは嘘だったが、ロシア軍はここから撤退した。
最近、ロシア軍が進軍したが、これは昨年と異なって、占領地域を徐々に拡大している中での進軍であり、昨年のような突出ではない。
図はDivgenによるもの。
チャソフ・ヤール西側地区、制圧 ― 2026年09月19日
2014年、ウクライナではクーデターで合法政権が倒されると、ロシア系住民の弾圧政策が実施されるようになった。ドネツク州・ルガンスク州は、ロシア系住民が多かったため、弾圧政策に反発し、ドネツク州・ルガンスク州の独立を宣言し、内戦状態になった。
ドネツク市・ルガンスク市の両州都はロシア系支配地域だったが、両市に通じる交通の拠点バフムトはウクライナ政府軍の支配地になった。このため、ウクライナ政府は、2014年以降、バフムト市をドネツク市・ルガンスク市に対する攻撃拠点として軍事要塞化し、ここを拠点にていた。
2022年、ロシア軍の直接軍事介入が始まると、バフムト市は最大の激戦地となり、2023年5月にはロシア軍が制圧した。
チャソフ・ヤールはバフムトの西10㎞に在って、バフムト戦では、ここがウクライナ軍の補給基地となっていたが、バフムトが陥落すると、ウクライナ軍はチャソフ・ヤールを攻撃拠点とした。このため、バフムト陥落以降は、チャソフ・ヤールが前線となった。2024年7月、チャソフ・ヤール東部をロシア軍が制圧し、さらに、2025年の7月にはチャソフ・ヤール全域をロシア軍が解放した。
しかし、チャソフ・ヤールのさらに西側の、MykolaivkaやVirolyubivkaの解放は遅々としていた。2026年7月上旬、コンスタンチノフカが解放され、Druzhkivskeの解放が視野に入ると、チャソフ・ヤールのさらに西側地区から、ウクライナ兵を排除する必要が生じた。最近、ロシア軍はこの地域からウクライナ兵排除に成功したようだ。
図は、ロシア系情報機関Divgenのもの。
本の紹介ーイラン現代史 ― 2026年09月16日
黒田賢治/著『イラン現代史-イスラーム革命から核問題、対イスラエル戦争まで』 (中公新書)(2025/11)
本書では、序章でホメイニ以前のイラン現代史に触れた後、第1章から第5章にかけて、ホメイニ体制及びホメイニ以降のイラン政治を解説する。ある程度の年配者ならば、この時代のイランはニュース等でそれなりに知っていることなので、特に目新しい内容は少ないと思う。
2026年2月、アメリカは突如としてイランを攻撃し、イラン・アメリカ戦争が始まった。本書は、それ以前の出版なので、この話はない。
オレホボ包囲 ― 2026年09月14日
ウクライナ・ロシア戦争では、ほぼ全線に渡ってロシア軍の攻勢が続いている。
ザポロージェ州オレホボ(図の青線)は長い間ウクライナ軍の拠点となってきたが、現在、かなり包囲されている。図はロシア系情報Divgenによるもの。数週間前、南東のMala Tokmachka(図の赤線)の大部分をロシア軍が解放した。北東のLyubyts'ke(図の赤線)も両軍の交戦地となっている。最近、北西のNovopavlivka(図の赤線)もロシア軍が解放したため、オレホボに通じる主要道路はすべてロシア軍が制圧もしくは射撃統制下になった。このため、オレホボ守備ウクライナ軍への補給や兵員交代は困難な状態だ。もっとも、最近はドローンにより多少の補給は可能なので、ウクライナ軍が完全孤立したわけではない。また、ロシア軍が包囲したわけでもないので、ウクライナ兵が脱出することは可能だが、ゼレンスキー政権はウクライナ兵に脱出を許可しないだろう。
本の紹介-「アメリカの戦争」と世界危機 ― 2026年09月10日
三牧聖子/編『「アメリカの戦争」と世界危機 イラン侵攻は何をもたらすのか』岩波新書(2026.6)
アメリカのイラン侵攻に関連した12編の論文。内容は、アメリカ政治、イラン政治、イラン現代史、イスラエル政治、アメリカ・イラン戦争を取り巻く中東や国際政治など、多義にわたっている。12編の論文には、深い関連はないので、興味ある部分だけ読むことも可能。
いろいろな話題が取り上げられているのだけれど、各論文は20ページ程度なので、深い内容はない。
「菊の紋章」を踏み潰すのは日本人のマナーです ― 2026年09月07日
先日、ロシアはハバロフスクに戦勝記念碑を建立した。「菊の紋章」が描かれた樺太国境標石を破壊する兵士の銅像だ。「菊の紋章」が破壊されていることを高市総理は抗議したとのことだ。
近年、「日の丸」や「菊の紋章」はあまり見かけなくなったので、若い人の中には、何か特別な意味を感じる人もいるかもしれない。でも、かつての日本では、「日の丸」「菊の紋章」は当たり前のようにあったので、普通に処分されていた。
戦後、長い間、宮内庁は皇室行事にボランティア参加した人などに「恩賜の煙草」を配っていた。この煙草は、金色の「菊の紋章」が描かれていた。当時は路上喫煙も普通だったので、「恩賜の煙草」をもらった人がそれを路上で吸った後、吸い殻をポイ捨てすることがあった。火が付いた吸い殻をそのままにしてはいけないので、喫煙者のマナーとして、「菊の紋章」が描かれた吸い殻は、靴で踏みつけることが、当然のマナーとして行われていた。
また、戦前の郵便切手の多くには「菊の紋章」が描かれていたので、用済みの郵便物などを捨てるときに、「菊の紋章」が破かれたり、丸めてごみにされるすることは、日常的なことで、日本人ならほとんどの人がそのようにしていた。
物が壊れたり、壊されたりするのは、当たり前のことなので、先人は、壊される・壊れることを承知で「菊の紋章」入り国境標石を作ったのだろう。
近年、「日の丸」や「菊の紋章」はあまり見かけなくなったので、若い人の中には、何か特別な意味を感じる人もいるかもしれない。でも、かつての日本では、「日の丸」「菊の紋章」は当たり前のようにあったので、普通に処分されていた。
戦後、長い間、宮内庁は皇室行事にボランティア参加した人などに「恩賜の煙草」を配っていた。この煙草は、金色の「菊の紋章」が描かれていた。当時は路上喫煙も普通だったので、「恩賜の煙草」をもらった人がそれを路上で吸った後、吸い殻をポイ捨てすることがあった。火が付いた吸い殻をそのままにしてはいけないので、喫煙者のマナーとして、「菊の紋章」が描かれた吸い殻は、靴で踏みつけることが、当然のマナーとして行われていた。
また、戦前の郵便切手の多くには「菊の紋章」が描かれていたので、用済みの郵便物などを捨てるときに、「菊の紋章」が破かれたり、丸めてごみにされるすることは、日常的なことで、日本人ならほとんどの人がそのようにしていた。
物が壊れたり、壊されたりするのは、当たり前のことなので、先人は、壊される・壊れることを承知で「菊の紋章」入り国境標石を作ったのだろう。
対日戦勝記念日 ― 2026年09月06日
2026年9月3日、ロシア・ハバロフスクでは、対日戦勝を記念して、兵士の銅像の除幕式が行われた。
日露戦争で日本が勝利すると、帝政ロシアは南樺太を割譲し、その結果、樺太中央の北緯50度線が日露の国境となった。国境には、4つの国境標石が置かれた。
1945年8月、太平洋戦争末期に、ソ連は対日参戦し、樺太では北緯50度の国境を越えて南樺太を解放した。
今回作られた銅像はその時の状況を象徴するもの。樺太国境二号標石は、現在、根室市歴史と自然の資料館に保管されている。今回作られた銅像ではソ連兵が国境標石をたたき割っているが、実際の標石はそんなに簡単に壊れるものではなく、実際の標石は銃弾で端が何か所かかけているだけなので、銅像はだいぶ誇張がある。
この銅像に対して、日本政府がロシアに抗議したとのことである。菊華紋が割られたのが気に入らないようだ。しかし、戦前の日本では、菊華紋は日本国の象徴として、随所で使用されていたので、当時の日本人が菊華紋が描かれたものを破り捨てたり、ごみにすることは日常茶飯事だった。いったい、今の日本政府は何に目くじらを立てるのか。
今回建てられた銅像の国境標石では、日本の菊華紋が割られているが、反対側にあったはずの帝政露西亜の紋章は、完全に破壊されているように見える。
樺太国境標石の説明は以下を参照ください。







