ソ連対日参戦2006年08月08日

今日8月8日は、ソ連対日参戦61周年の日です。以下は、2002年8月9日にホームページに書いたものです。ここに転載します。

 1945年8月9日0時、ワシレフスキー参謀総長率いるソ連軍は、ソ満国境を突破し、中国東北部(満州)駐留日本軍との、戦闘を開始した。広島原爆の3日後のことであり、この数時間後には長崎に原爆が投下される。

 このとき、ソ日間には不可侵条約が形式的に存在していたので、そのことをもって、ソ連の不当性を宣伝する人がいるので、このような欺瞞を真に受けている方も多いことと思う。もともと、日ソ不可侵条約は当時の政治的動機により締結された欺瞞的条約である。中国東北部(満州)は中国の不可分の領土であり、日本が傀儡政権を樹立したことが、すでに犯罪行為であり、その前提に立って、中国と無関係に締結された不可侵条約は、もともと不当なものであった。
 実際、日本政府にもこの条約を正直に履行する気などさらさら無かったことは、関東軍特別大演習(関特演)を実施し、独ソ戦で極東ソ連軍が手薄になったら、ソ連に対して武力を行使しようとしたことからも明らかであった。(なお、このとき、日本の侵略準備を見抜いたスターリンは極東部隊を手薄にすることは無かったので、日本の武力行使の機会はなかった。)それにもかかわらず、日ソ不可侵条約がその後も存在したのは、日ソ双方ともそれぞれ南方、西部での戦線に勢力を取られていたためである。独ソ戦が終了した時点で、日ソ不可侵条約は、その欺瞞的な存在意義さえ失っていたわけである。

 さて、1945年8月9日のソ連進攻に話を戻そう。ソ連の中国東北部進攻は、延安の毛沢東指導部はもとより、重慶の蒋介石の了解するところであり、国際法的にも、道義的にも何ら問題ないばかりか、中国解放という視点から見ると、人道上の行為であった。すなわち、中国東北部を不当に侵略して、中国人を弾圧していた、日本軍の掃討作戦であるので、たとえて言うならば、隣家に強盗入ったときに、隣家に加勢して強盗を逮捕したようなものである。
 ソ連と蒋介石政権の間には、戦争終結後3ヶ月でソ連が撤退するとの条約があった。1945年12月3日が撤退期日になるが、蒋介石の再三の申し入れにより撤退は延期される。1946年3月12日、ソ連は蒋介石に対して事前の通告なしに、瀋陽から撤退を開始し、その後長春、ハルピン、チチハルなどからも相次いで撤退し、ついに5月3日には旅順・大連に一部を残し、完全に撤退した。このことから見ても,ソ連の目的は侵略軍(日本軍)の掃討(中国東北部の解放)であり、不当な領土的野心でなかったことは明白であった。
 中国東北部に傀儡政権満州国を樹立して中国人を弾圧していた日本軍やその統帥者であった天皇裕仁を神聖視するまり、中国人を人と思わない誤った視点で歴史を認識してはならない。再び強調しておこう。中国東北部は中国の領土である。外国軍が支配・弾圧することは許されない。

 参戦したソ連兵の中には、ならず者や犯罪者も結構いたようであり、ソ連兵のモラルは決して高かったとはいえない。実際、戦闘の初期段階においては、ソ連兵による略奪や強姦が一部報告されている。ただし、当時の日本人はそのことに対して抗議を行ってはいないようである。これは、占領地での日本軍人の略奪・強姦は日常的なものであったため、当時の日本人社会では「兵隊とはこういうものだ」という諦感があったためある。しかし、ソ連兵による不当行為は奉天入場後は殆ど起こっていない。これは、ソ連兵のモラルが向上したためではなく、奉天日本人長老会が慰安婦を集めて、ソ連兵相手の慰安所を設置したためであった。当時の日本兵には慰安所が欠かせなかったようで、現地女性に売春を強制していた。日本兵相手に徴用された慰安婦を集めてソ連兵相手の慰安所に鞍替えしたものであった。なお、ソ連には慰安所など無かったので、ソ連兵に慰安所は大変好評だったそうである。
 戦闘の初期段階における、日本人の犯罪被害は、ソ連兵が犯人ではなく、現地中国人が犯人であることが多い。ソ連進攻を好機到来とばかり、日本人に対する積年の恨みを晴らさんとばかりに、日本人に暴行を働いたり、略奪したのである。このことを、ソ連の責任であると、責任転嫁する日本の論調があることはあきれた次第である。中国人が略奪したものは、本を正せば、中国人から日本人が略奪したものではなかったか。満州に傀儡政権を作った天皇裕仁の政策の責任を覆い隠そうとするあまり、中国人を弾圧していたと言う事実を無視するような態度をとってはならない。(2002/8/9)

頭が右翼2006年08月16日

一昨日、昨日、今日と、靖国の歌『そうだその意気』を聞いています。頭の中が、右翼になってきました。

『なんにも言えず靖国の、宮のきざはしひれふせば、あつい涙がこみ上げる、そうだ感謝のその気持ち、揃う、揃う気持ちが国護る』

昨日の小泉・靖国参拝は感心しません。初詣のとき、神社や寺をはしごする人がいますが、信心が薄いようで嫌いです。
小泉は、朝方に神社を参拝し、お昼には、戦没者慰霊祭を行いました。あっっち、ふらふら、こっち、ふらふら、との感じがします。
もっと、まじめに英霊を崇敬せんか! 頭の中が右翼になってきた。

お願い2006年08月16日

昨年の9月から12月にかけて、このBlogで、『サンフランシスコ条約11条の訳語』について書きました。この記事は、一括して、以下のURLにまとめています。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/HEIWAJOUYAKU11.htm

最初の記事にお願いを書きました。

『反論・意見は歓迎しますが、刑事訴訟法44条も読んでないような低レベル反論はご容赦ください。』

これら、一連の記事では、サンフランシスコ条約11条の訳語の問題を取り上げています。一連の記事を書いてから、既にだいぶ経ちます。これらの記事に対する、極端に低レベルなコメントや、的外れなご意見はご容赦ください。

日本漁船の不法操業事件2006年08月19日

 8月16日、歯舞沖で密漁中していた日本漁船が、ロシア警備隊から銃撃を受け、漁船員1名が死亡する事件がありました。

 ロシアは、これまで経済不振のため、沿岸警備艇の燃料も、ままならない状態にありました。北方4島周辺海域の密漁船対策も、おろそかになっていました。経済の好調に伴って、ようやく、密漁船対策が取られてきたようです。北方4島周辺海域は、領土問題があるので、日ロ双方の主張が異なるところですが、密漁船対策と資源保護は、日ロ双方共に、きちんと対処して欲しいものです。

 今回、密漁が行われた海域は、北海道の規制でカニ漁が禁止されています。このため、今回の密漁船は、日本の国内法の違反でもあるわけで、そういう意味では、責任のすべては、密漁船、特に船長に有ります。しかし、北海道規制を守らせることができなかった、日本の警備当局にも落ち度が無かったとはいえません。本当は、お盆で、日本の警備が手薄なときを見計らって、密漁に出たのでしょう。

 この海域には、かつてレポ船と呼ばれる漁船がありました。レポ船とは要するにスパイ船です。日本の情報をソ連に渡す代わりに、不法操業をお目こぼし、してもらう船です。日本の情報ではなくて賄賂の場合もありました。レポ船は用済みになると拿捕されることが有りました。レポ船は、次第にソ連が必要としなくなり、姿を消してゆきます。
 そのうち、特攻船といわれる漁船が現われました。高速エンジンを積んで、見つかると、高速で逃げ切る船です。特攻船は、資源破壊につながり、日ロ双方が手を焼く、犯罪船です。特攻船の場合も、ロシア側は、かなり正確に情報をつかんでいたそうです。
 日ロ貿易が盛んになると、これらの船の話もあまり聞かなくなります。

 レポ船や特攻船の船主は、地元では「やくざ」だったことがあったそうです。陸では「やくざ」、海では「犯罪船」。今回の密漁船長がどのような人だったのかは、今のところ情報がないので分かりません。
 北の漁師のごく一部には、密漁(国内法違反)で大もうけしている不心得者がいることは確かです。しかし、圧倒的大多数の漁師は、法を遵守して、まじめに漁をしています。密漁は、漁業資源に悪い影響を与えるので、まじめな漁師にとっては迷惑な行為です。


日本の法律は、北方領土に及ぶか:
 今回の密漁事件に対して、「北方領土は日本の領土なので、日本の法律で裁くべきであった」との意見があります。この問題に対しては、1966年の北島丸事件が参考になります。

 1966年8月21日、北島丸は、クナシリ沖に於いて、ホタテの密漁をしたため、日本の警備当局に逮捕されました。この1審判決が、1968年3月29日、釧路地裁で言い渡されています。現実に統治権の及ばない南千島海域での行為は、日本の法律を適用できないとの判断で、被告全員に対して無罪判決が言い渡されました。
 北島丸事件は、その後、札幌高裁の控訴審で、「漁業法は資源保護の立場から無許可の操業を禁じており、わが国の統治する海域に限られるべきではない」との理由で、逆転有罪となり、この判決が確定しています。控訴審判決は、現実に統治権の及ばない海域での行為に、日本の法律が適用できるか否かの判断を避けています。

 今回の密漁は、北島丸事件の控訴審判例によれば、日本の法律(漁業法)で裁けると言うことになりますが、現実に統治権の及ばない海域での行為であっても、日本の法律が適用できるとの判断がない以上、「日本の法律で裁くべき」問題とは言えないでしょう。

ロシアの密漁取り締まり2006年08月20日

 8月16日、歯舞沖で密漁中していた日本漁船が、ロシア警備隊から銃撃を受け、漁船員1名が死亡する事件がありました。

 ロシア近海では密漁が盛んです。ロシア経済が苦境に立たされていた頃は、警備艇の燃料もままならない状態で、密漁は野放し状態でした。このような状態が続いたら、漁業資源が枯渇してしまいます。幸い、経済の立ち直りにしたがって、密漁を取り締まれるようになってきたようです。

 少し古いのですが、2003年のノーボスチ通信の記事によると、ロシア船と中国船による密漁取締では、航空機による、射撃も行われています。

①2003年7月31日、サハリン北端沿岸水域でパトロール中の警備艇は不審船発見、しかし不審船長は警備艇の呼びかけにも応えず、高速で中立水域への逃走を図った。不審船の捜索には国境警備隊所属の航空機An-72型哨戒機も加わり、約1時間後に同船を発見、停船命令を呼びかけたが、不審船はなおも逃走を継続した。哨戒機は威嚇射撃をした後、照準を合わせ、本格的な射撃を開始した。射撃が開始された後初めて密漁トロール船は停船した。不審船は、ロシア船籍の密漁トロール船「グラント」号で、乗組員のうち3名が負傷した。

②2003年8月19日夜、太平洋で操業中だった中国の密漁船に対し、ロシア国境警備隊の航空機が威嚇射撃をおこなった。
 ロシア領海内の太平洋で操業中だった中国漁船には、何の認識票もなく、船尾にも国旗が掲げられていなかった。パトロール中の国境警備艇に気がついた同密漁船は、高速で逃亡を図ろうとし、また同船の船長は警備艇が発する国際信号にも応答しなかった。長時間の追跡劇の後、An-72型哨戒機が飛来し警備艇を支援。密漁船がようやく停船したのは、威嚇射撃を受けたあとのことだった。

産経新聞の用語2006年08月20日

解放・釈放:

 歯舞沖で密漁船が拿捕された事件で、逮捕された乗組員は、まだ釈放されていません。

 ニュースを見ていると「釈放」ではなくて、「解放」と言っているようです。
 朝日新聞や読売新聞、NHK、テレビ朝日等、主要新聞や、主要テレビニュースでは、すべて、「解放」としています。 
 こうした中、産経新聞は「船長ら釈放1カ月以上先か」と「釈放」の用語を使っています。山中政務官は19日午後根室での記者会見で、「現地レベルでは、決められないことと、船体の検査が終わらないと釈放できないと説明された」と、ロシア側説明を引用する形で、「釈放」の用語を使用しています。

 歯舞沖でのロシアの警察権限が正当なものならば「釈放」の用語を使うべきでしょう。もし、正当と認められないのならば「解放」になるでしょう。このため、日本のマスコミが「解放」の用語を使うことは理解できます。山中政務官の発言は微妙です。
 なぜ、産経新聞は「釈放」と書いているのでしょう。

8月23日-シベリア抑留2006年08月23日

 1945年8月23日からシベリア抑留が始まったとかで、8月23日をシベリア抑留の日としようとの運動があるそうです。
 シベリア抑留は、なれぬ寒さの中、食料も少なかったし、労働もきつかったので、不満な人が多いのは理解できます。ただし、日本政府として正式にシベリア抑留を不法としてソ連に損害賠償請求したとか、国連に提訴したとか、そういうことは、聞いたことが無いので、国際社会の中では、公式にはシベリア抑留は正当なものなのだと思います。(間違っているかも知れない。間違いならば、ご指摘ください。個人的に不当といっている人の存在や、政府として国内向けに不当と言ったことがあることは承知しています。だから、そういう指摘は不要です。)
 シベリア抑留者には、「戦争俘虜」と「犯罪受刑者」が存在します。戦争俘虜に労働をさせること自体は、ハーグ条約(ハーグ陸戦規則)で認められているし、戦争終結まで、俘虜としておくことは、珍しいことでは有りません。犯罪者を国内法に従って懲役刑にすることは、日本でもあたりまえの事として行われています。
 ポツダム宣言第9条の規定「日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ…」にシベリア抑留は違反しているとの一部意見も有りますが、この解釈には賛成できません。「武装解除後すみやか」と書かれていないので、ハーグ陸戦規則第20条に従った、戦争終結後の帰還を約束したものでしょう。戦争終結とは、法的には、講和条約の発効のことです。ソ連との講和は、日ソ共同宣言です。このため、日ソ共同宣言発効までは俘虜を抑留したとしても、特にそれ自体に法的問題が生じるわけではないでしょう。実際には、日ソ共同宣言交渉の時には、俘虜はいませんでした。存在したのは、犯罪受刑者だけです。この人たちも、日ソ共同宣言発効に伴って、日本に帰還しています。もっとも、ハーグ条約にしろ、ポツダム宣言にしろ、日本が占領下に置かれてから、講和が成立するまで、十年もかかるとは想定していないことです。
 シベリア抑留は、なれぬ寒さの中、食料も少なかったし、労働もきつかったので、これを不当とする見解が多いのは事実です。実際、抑留者の数万人かそれ以上の人命が失われています。これは、戦時中、日本が行った朝鮮・中国人強制労働死亡者に匹敵するか、それ以上の死亡者数です。(どちらも、死亡者数が不正確なので、正しい比較は不可能です。)
 なお、シベリア抑留のうち、戦争俘虜は、樺太・沿海州・シベリア鉄道沿線等、ロシアとしては比較的暖かい地域に抑留されています。それに対して、犯罪者として長期の懲役刑を受けたものは、北極圏のように、きわめて自然環境がきびしい場所に抑留された場合があります。

新興宗教2006年08月24日

 俳優のトム・クルーズは、新興宗教サイエントロジーにはまったため、映画会社との契約が打ち切られたそうです。
 一体、どんな宗教なのか、知らないけれど、何で、新興宗教にはまるのだろう。サッパリ、理解できない。

 真如苑って、ご存知ですか。東京立川が本部の真言宗系の新興宗教です。バス停などで、黙々と掃除をしている人を見かけることがあるかもしれませんが、あれって、真如苑信者の可能性が高いそうです。真如苑は女優の沢口靖子を広告塔にして、布教を図っていました。
 ここも、「霊能」と称して、常人には理解できないことをやっているわけだけれど、どうしてこんなところにはまり込むのだろう。サッパリ、理解できない。

 親戚に真如苑がいるので、最近、真如苑の被害実体が気になっています。
 
 真如苑の被害実体については、以下のページが参考になります。 
 真如苑被害の検証 反苑の会
 http://www.geocities.jp/hanennokai/

ネット右翼2006年08月25日

 8月21日、モスクワの市場で10人の死者を出した爆発事件の容疑者は、ロシア民族主義のネット右翼の若者だったとのニュースが有ります。

 日本でも、若者がネット右翼化している状況があります。

 かつて、学生運動が盛んだった頃、左翼学生は本(活字)を読まないといけないようでした。この時代にも、右翼学生は存在して、彼等は成績不振で、本を読まず、「天皇陛下万歳」だけを叫んでいたように思いました。右翼学生は、高校のとき、成績が悪かった者が入学する大学に集中していました。

 現在、若者の、「本」離れと、ネット利用が進んでいます。また、いわゆる小林よしのりのようなマンガ本も、若者受けしています。小林よしのりのマンガ本は、私には考えられないものです。小さい子が読むにしては、内容が小さい子向けではない。高校生以上になっているなら、恥ずかしくてあんなマンガなんて買えない。

 活字離れ、学力低下、ネット利用、ネット右翼化は一体なのかも知れません。活字離れは世界的傾向なのだろうか。

ビラ配り無罪 うなずける判決だ2006年08月29日

『ビラ配り無罪 うなずける判決だ』
 今日の朝日新聞社説のタイトルです。共産党のビラを配った僧侶が逮捕された事件で、無罪判決が下りました。私は、この判決は妥当な判決だと思います。もっとも、もし、有罪判決となっても、妥当な判決だと思いますが。こういう事案って、有罪が絶対に正しいとか、無罪が絶対に正しいとか、そういう問題ではなく、世の中一般の社会通念をどう捉えるのかという、裁判官の社会認識が関係してくるので、裁判官によって、判断が分かれます。
 今から10年以上前、私の家のポストにも、自衛隊朝霞駐屯地の隊員募集ビラが何度か投函されていたことがあります。
 警察は共産党を逮捕するならば、自衛隊も逮捕しろ! と言いたい。

 ところで、無罪判決となった僧侶は、真宗大谷派長永寺住職だそうです。私の親戚にも、真宗大谷派住職は、何人かいるのですが、共産党のビラを配るような人はいないなー。

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