固有の領土2009年10月18日

ポーランド占領地域
 前原大臣は、10月17日、納沙布岬・洋上から北方領土を視察し、『歴史的に見ても北方領土は日本固有の領土…(ロシア側)不法占拠と言い続けないといけない…四島の返還を求めていかなければならない』と表明しました。ヤンバダムは計画から50年以上たって建設中止を決定したけれど。戦後60年たっても、まったく進展しない北方領土要求をこのまま続けて、税金を垂れ流すのか、方針転換するのか。前原発言は、これまで通り、1mmも返ってこないように努力することを表明したのでしょう。
 実は、近年、北方領土対策予算はだいぶ削減されて、返還運動ビジネスは旨みが少なくなっているそうです。鳩山政権は、北方領土返還運動にこれまで以上に税金を垂れ流すのか、いっそうの予算締め付けを行うのか定かではありません。前原発言は、税金垂れ流しを表明したものなのか、垂れ流しを絞るために、単なるリップサービスをしたものなのか。どちらでもなくて、マスコミ受けする『前原ガンバル』の姿勢を示しただけなのか。

固有の領土:
 日本が『歴史的に見ても北方領土は日本固有の領土』といいたい気持ちは良く分かります。
 ポーランド人がLWOWを歴史的に見てもポーランド固有の領土と言っても、気持ちは分かります。Rivneをポーランド固有の領土とは言わないですよね。言う人もいるかもしれないけれど、いくらなんでも無理でしょう。

Rowne:
 写真は、戦間期にRivneからパレスチナに差し出された封筒。ポーランド切手です。Rivneではなくて、Rowneです。Rovnoでもない。


参考)「Rivneの説明」
 Rivneとはウクライナの都市の名前です。ウクライナ語ではRivne、ポーランド語ではRowne、ロシア語ではRovnoと言います。
 第一次大戦が終了すると、民族自決の建前により、ロシア領だったポーランドは独立します。イギリス外相カーゾン卿は、ポーランド・ソ連の国境を定めました。カーゾンの引いた線は、ポーランド人の人口が卓越している地域がポーランド、ウクライナ・ロシア人の人口が卓越している地域をソ連としています。LWOWを含む東ハーリチナ州は、ウクライナ人が最大人口だったために、ソ連の領土としましたが、LWOWはポーランドの古都として有名なので、ポーランドが納得するとは考えられなかったため、もう一つの案として、東ハーリチナ州をポーランド領とするカーゾン線B案も同時に示しました。Rivneを含むRivne州は、どちらの案でもソ連領でした。
 1920年、ポーランドは弱体化した新生ソ連領深く侵攻し、一時はキエフまでも占領しました。これに対して、ソ連側が反撃し、一時はカーゾン線を越えてポーランド領にまで攻め込みましたが、ポーランド軍がこれを撃退し、結局、東ハーリチナ州のみならず、Rivne州もポーランド領とすることで終戦しました(リガ条約)。この結果、民族自決の建前により独立したポーランドは領内にウクライナ人が多数住む地域や、ベラルーシ人が多数住む地域を抱えることになりました。
 第2次大戦の結果、ポーランドは占領したソ連領をすべて失い、カーゾン線A案にほぼ沿った位置に国境が引かれることになりました。ソ連崩壊後は、かつてポーランドが占領していた地域は、ウクライナ・ベラルーシになっています。


北方領土問題の説明はこちらを。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm

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