靖国問題2005年06月02日

 靖国神社への首相参拝を肯定する人の意見に、『日本人の信仰では、死者は過去の行為と関係なく神として祀る習慣があり、そのような信仰に基づく参拝である』との主張が見られます。
 5月28日の朝日新聞社説に、靖国神社の説明で、- 先の戦争を正当化し、戦犯を「連合軍の形ばかりの裁判によって一方的に戦争犯罪人というぬれぎぬを着せられた方々」と位置づける- とありましたが、靖国の展示館をみたときに、同じように感じました。
 靖国神社の展示館をみると、『過去の行為と関係なく神として祀る』とはなっていません。

 靖国神社の展示館を見たことありますか。まだの人は、ぜひとも一度ご覧になることを勧めます。大人一人800円です。

 靖国とは『外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社』であって、戦争に行く兵隊が、心置きなく戦争ができるために作られた施設です。靖国神社は戦争するための神社です。靖国神社は自己の歴史的意義に対して忠実で、決して歴史を偽ってはいません。宗教は純粋で自己の歴史に忠実であるべきであり、実際、靖国神社は、そのよに振舞っています。
 歴史に嘘をついて、国民や世界をだまして、自己の利益を図ろうとしているのは、一部の政治家です。

 A級戦犯の合祀が海外から批判されています。靖国問題の中で、A級戦犯の合祀の問題はむしろ小さな問題であって、大きな問題は靖国神社の本質そのものです。A級戦犯を分祀することにより、海外からの批判をかわそうという姑息な手段では、後になって、歴史を偽る態度と批判されることになるでしょう。

平頂山:
 撫順の近郊の地名です。ご存知ですか。ほとんどの人は知らないですよね。高校の日本史では習わないですよね。
 柳条溝(柳条湖だっけ)事件のあと、日本軍により全村民(数名を除く)が虐殺された村です。中国人は皆が知っている有名な地名だそうです。
 日本はかつての行為をいつまでも謝罪すべきなのかそうではないのか、私は知りません。しかし、事実は事実として認識し、態度を明白にすべきです。虐殺は正しかったのか、絶対悪だったのか、しかたがなかったのか。再び虐殺をするのか、二度としないのか、時と場合によるのか。

歴史教科書問題2005年06月12日

今日の朝日コムによると、
 中山文部科学相は歴史教科書に関連して、「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった。なかった言葉が教科書に出ていた。間違ったことが教科書からなくなったことはよかったと評価した」と述べたそうです。

 戦前の日本軍は事実を隠蔽し情報統制をしていましたが、結局敗戦になりました。戦争と言うものは情報統制は珍しくないものですが。そのような戦前の情報統制・事実の隠蔽・捏造報道を、今になっても、子供たちに教え込もうと言うのでしょうか。

 扶桑社「新しい歴史教科書」が出版されたとき早速、読んでみました。そのとき、次のような感想を持ちました。

 私などは、「事実を理解して、個人個人が、価値判断をできる様になる」ことが歴史教育の目的だと思っています。しかし、一方で、「青少年の心情に訴えて、体制に従順で、上の人間の命令に忠実に従う人間を育てる」ことが、歴史教育の目的だと考える人もいるようです。事実、戦前においては、天皇中心の虚偽の国家観を教えて、国家に従順に戦死することのできるこ国民の育成を目的としていた面がありました。
 扶桑社「新しい歴史教科書」が、国民を再び侵略に駆り立てようとしているものであるとは思えません。しかし、戦後50年以上を経た現在にいたるも、なお、「事実を理解して、個人個人が、価値判断をする」事を恐れる人たちが存在し、日本国内において一定の勢力を占めているという事実は、私には驚きです。したがって、日本の歴史教科書・歴史教育に対する、韓国政府、中国政府の懸念は、当然のことです。しかし、それにしても、日本人自身で解決すべき問題が、今なお解決できずにいるという現実は、日本人として情けないことです。

注意)これまで、従軍慰安婦の問題は内閣官房長官談話等で何度か取り上げられたことがあります。これら談話では、「いわゆる従軍慰安婦問題」の表現を使っています。
 「軍当局の要請により、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したこと」、さらに「慰安婦は、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと」を日本政府は公式に認定しています。
 戦前の軍部は事実を隠蔽していたので、「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当時なかった」わけですが、事実として存在したので、これを表現する言葉が必要になります。このため、「従軍慰安婦」という言葉が一般的に使用されています。

サンフランシスコ条約2005年06月13日

 全然タイムリーな話題ではないのですが、最近ちょっと気になったもので。

 日本の領土問題には、戦後占領下のGHQ命令SCAPIN-677とサンフランシスコ講和条約が深く関係しています。このうち、サンフランシスコ条約の解釈で、混乱する余地はないはずなのに、なぜか混乱している人が多いので不思議です。

日ロ関係:
 サンフランシスコ条約をソ連は批准していないので、南樺太・千島はソ連・ロシア領ではないと、誤解している人がいます。
 日本はサンフランシスコ条約で南樺太・千島を放棄しました。このため、サンフランシスコ条約は南樺太・千島が日本領でないことの根拠になります。これは、日本の問題です。
 ソ連とかロシアとか何も書いていないので、サンフランシスコ条約はロシアが南樺太・千島を領有する直接の根拠にはなりません。ソ連が領有するか否かはソ連の国内問題です。ソ連が領有する根拠は、一九四六年二月二日付ソ連邦最高会議命令です。サンフランシスコ条約で日本が南樺太・千島を放棄した事実は、ソ連邦最高会議命令が不当でないことの根拠にはなります。

日韓関係:
 日本はサンフランシスコ条約で朝鮮の独立を承認しました。朝鮮独立の根拠がサンフランシスコ条約であるかのように誤解する人がいます。サンフランシスコ条約は、日本が朝鮮独立を承認する根拠になりますが、朝鮮独立の根拠にはなりません。
 朝鮮独立の根拠は、朝鮮人自らが国家を建国し、政治を運営している事実です。

注)かつて、日本は竹島を領有したとき、他国との調整をすることも、連絡することもしませんでした。それどころか、官報に記載さえしていません。島根県庁に張り出した、たったそれだけのようです。日本と領有権を争っている朝鮮は、当時、日本が領有を宣言したことを全く知りませんでした。朝鮮に竹島領有を伝えたのは、朝鮮の外交権を完全に乗っ取った後の事です。日本政府の説明では、国際法的には、こんなのでも領有は有効になるそうです。
 ソ連が南樺太・千島を領有宣言したことは、当時から、日本政府もGHQも十分知っていました。しかし、ソ連に対する抗議はしていません。

自衛隊を海外に派遣してはならない2005年06月17日

 あまり詳しいことは書けないけれど、先日、ある精密機械部品製造メーカーの技術者から、こんな話を聞いた。
「海上保安庁関連の仕事は、要求仕様が細かくて、たいへんだけれど、防衛庁関連は、あまりうるさくない。」
 海上保安庁に納入された機器は、実際に使用されるので、現場の声があがってくるため、細かい要求が出るのだろう。それに対して、自衛隊だと、使わないか、使ったとしても、机上で立てた訓練に使うだけ。これでは、現場の声はあまり出ない。
 実戦経験のない、練度の低い軍隊を、海外に派兵して、何になるのか。緊急時に足手まといになる以外考えられないだろう。

日ソ中立条約2005年06月20日

 ソ連の対日参戦を日ソ中立条約違反とする主張があります。国際法や国際政治の専門家ならば、それぞれいろいろな考えがあるのでしょう。法的には、次のようになります。裁判では、唯一の確定判決である東京裁判で、ソ連対日参戦は正当なものと認定されている。政治的には、日ソ共同宣言で、正否判断無しに、解決済みの問題である。
 なお、ソ連対日参戦は米大統領ルーズベルトの提案によるものですが、提案者米大統領を不当と非難する意見を日本であまり聞きません。


まず、日ソ中立条約は、四条よりなる、短い条約です。

 第一条 両締約国は 両国間に平和及友好の関係を維持し 且 相互に他方締約国の領土の保全及不可侵を 尊重すべきことを約す
 第二条 締約国の一方が 一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には 他方締約国は該紛争の全期間中 中立を守るべし
 第三条、第四条 (有効期限に関する条文)
 

 ソ連の対日参戦を日ソ中立条約違反とする主張の根拠には、大きく分けて次の3つがあるようです。

 ①第一条違反とするもの、あるいは第一条前段違反とするもの
 ②第一条前段を訓示規定とみなして、第一条後段違反とするもの
 ③第二条違反とするもの

 ①の主張は、東京裁判で弁護側が行ったものです。判決では、完全に否定されています。関東軍特別大演習をみれば、「両国間に平和及友好の関係を維持し」に日本は違反していたことは明白でしょう。
 第一条前段違反は、日本もソ連も同じでした。詳しく数えると、双方共に200回以上の第一条前段違反があるそうです。

 ②の主張は、①の主張が否定されたために考え出されたものと思います。第一条に「且」の文字が入っているので、前段を訓示規定、後段を実質規定とみなしうるのか、こような解釈がそもそも可能なのか、疑問です。
 さらに、「締約国の領土」とありますが、締約国の領土とは、ソ連から見たら日本の領土であることは自明です。満州は含まれません。このため、満州関東軍相手の戦闘が第一条後段違反との主張には無理があるでしょう。もっとも、ソ連の宣戦布告は日本国に対して行われたので、このあたりは、どのように解釈すればよいのでしょう。

 ③の主張は無理だと思います。「第三国よりの軍事行動の対象と為る場合」とあるので、他国から侵略を受けた場合のことを言っています。積極的に他国を侵略した場合は、第二条の適用範囲外です。このため、第二条を根拠とするためには、米国が日本を侵略したとの主張が必要になり、戦後の政治情勢を考えたら、このような主張は不可能です。

 ボリス・ストラビンスキー氏は「日ソ中立条約」の中で、東京裁判の判決を批判しています。判決では、日本が第一条に違反していたことが指摘されていますが、ストラビンスキー氏はソ連も同様に違反していたと主張しています。しかし、この主張は、無意味です。日本が違反していたか否かが、ソ連が不当か正当かに関係してきますが、ソ連が違反していても違反していなくても、ソ連の対日参戦の正当性には関係が無いことです。

 敗戦濃厚になってきた日本政府は、ソ連に対して対米講和を斡旋しようと試みます。この時点で、すでにソ連とアメリカとは、ソ連対日参戦の合意ができていたので、日本の望みはかなうはずも無かったわけです。敗戦間近の侵略国家に、講和を斡旋することがあろうはずも無いので、その点からも日本の望みがかなうはずも無かったわけです。あまりにも甘い日本政府の見通しにはあきれるばかりです。日本政府の甘い見通しに対して、ソ連外務省は明確な態度を示さず、ソ連対日参戦の準備を感ずかれないように情報統制を図っていました。戦争の準備としては、ごく当たり前のことでした。戦争とは敵国を欺瞞するものです。戦争準備期に、正確な情報を与えないことは、ごく当たり前のことです。
  


 作家の、半藤一利氏は、「ソ連が満州に侵攻した夏(1997.7 文芸春秋)」のなかで、次のように書いています。

 ソ連の侵攻にたいして、いまなお多くの人は中立条約侵犯を厳しく告発する。本文中にその点については明確にしておいた。が、書きづらいことながら、昭和十六年夏「関特演」作戦計画の実施か否かが真剣に論議されたとき、陸軍中央も外務省もほとんど日ソ中立条約を考慮にいれていない。当時の軍や外交のトップは政治や外交は本質的に揺れ動くものであり、約束が紙くず同然になることは百も承知していた。それが世界政治の現実なのである。その非をソ連にだけ負わせるわけにはいかないのである。
 紀元前一五〇〇年から紀元一八六〇年までのあいだに、八千四百の条約が結ばれたが、その寿命の平均は二年であった、という(ジャン・バコン『戦争症候群』竹内書店新社)。この調査以後の百年、平均寿命はもっと短いかもしれない。不戦の誓いは脆いのである。

* * * * * *

<< 2005/06 >>
01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

RSS