停戦合意無視の攻撃2008年08月20日

今日は8月20日なので、8月20にちなんだ話を一つ。

 1945年8月18日に始まった、北千島占守島のソ・日の戦争は、19日に日本の降伏が合意され、終結しました。20日8時10分、停戦合意に基づいて、ソ連揚陸部隊が第二千島海峡(日本名:幌筵海峡)に入ると、突如、日本軍は攻撃、停戦合意は破られました。結局、占守島日本軍の降伏・武装解除は8月22日になりました。占守島の戦いは、実質的にはソ連上陸当日だけだったけれど、その後の日本軍の奸計・交渉引き延ばしにより、5日間も戦闘が続いたことになります。
 なお、日本軍人の証言によると、占守島の戦いは、日本軍の攻撃により始まったとされています。ソ連側では、ソ連が先に攻撃したとされているようです。実際は、エンジン音をとどろかせて隠密上陸・奇襲攻撃を試みたソ連軍に対して、これをいち早く察知した日本軍が、迅速な対応を取ったということでしょう。
 日本軍の無条件降伏を定めたポツダム宣言受諾は9月2日なので、ポツダム宣言に従わなかったことに対して日本軍には、何の責任もありませんし、停戦前に攻撃したソ連軍にも、停戦の責任はありません。でも、お互いに、相手をののしるときには、相手のポツダム宣言違反を言いふらします。
 占守島における、日本軍の奸計は、その後、ウルップ島占領にも影響を与えているようです。8月30日ウルップ島に上陸したラドジャーノフ少佐は、日本軍守備隊副官と交渉をせずに、指揮官が来るように伝達したため、ウルップ島の降伏は31日になりました。(北方領土問題に関連して、ウルップ島の降伏を8月27日・28日とする嘘が、信じられていたことがあります。)

『奸計』と書くと、何か悪いようなニュアンスがあるけれど、戦争のときは謀略や奸計は普通のことです。謀略や奸計が、通常良くないことであるのは、そういうことをすると戦争になるからであって、既に戦争になっているときは、平時の価値観は通用しません。

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