通州事件2006年09月10日

冀東政府、壱角硬貨


最近、ネット上で『通州事件を知るべき』との意見が散見されます。通州事件とは、日本の傀儡政権が起こした反乱事件です。この事件については日本軍の責任が大きいが、日本ではこの事件を中国への敵愾心をあおりたてるように利用しました。ネット上で散見される通州事件の説明の多くは、事件の背景を知ることなしに、日本人が被害にあったことのみを取り上げて、中国への敵愾心をあおりたてるものです。無知による排外運動は好ましいものとは思えないので、通州事件とその背景を、ごく簡単に説明します。写真は、冀東防共自治政府が1937年に発行した、壱角硬貨。



 1935年11月25日、日本軍は、日本人女性の夫であり、早稲田大学卒の、殷汝耕に命じて、親日傀儡政権、冀東防共自治政府を樹立させた。冀とは、河北省の意味で、日本では「キ」、中国では「チ」と読みます。
 冀東防共自治政府が樹立されると、国民党政府はこれに反発、翌26日には殷汝耕ら首謀者の逮捕令を発するとともに、何応欽駐平弁事処長官を派遣したが、日本側は彼との面会を一切拒絶した。冀東防共自治政府は、満州との間でアヘンの密貿易を行い、それにより、利潤を上げていたが、このため、冀東防共自治政府の中心都市である通州にも、アヘン患者が多数存在していた。日本軍の保護のもと、アヘン・ヘロインの卸、流通、密造は日本人が行い、朝鮮人は小売などに携わっていた。

 通州事件とは、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものである。
 1937年7月29日、冀東防共自治政府保安隊は挙兵し、日本軍人や居留民を襲撃・殺害した。犠牲者のうち100人以上は朝鮮人で、日本人も同規模の犠牲をこうむっている。被害者に朝鮮人が多いのは、アヘン密売等に携わっていた朝鮮人が多かった為である。殺害された日本人にも、アヘン・ヘロインの密貿易・密造に携わっていたもの少なからず存在したと推定される。
 通州事件は、日本軍の介入によって、1日で鎮圧されたが、事件の責任を取って、日本人女性の夫である殷汝耕は辞任した。冀東防共自治政府は、その後、日本が作った中華民国臨時政府に合流しているが、それに先立つ、1937年12月、冀東防共自治政府代理政務長官の池宗墨と在中華民国日本帝国大使館参事官の森島守人は、冀東防共自治政府が、日本に謝罪し損害賠償金を支払うことで、事件を終結させた。


第七十三議会用擬問擬答(東亜局)
問  通州事件の結果如何
答  本事件に付ては冀東政府と交渉の結果同政府長官池宗墨より(イ)正式陳謝し(ロ)責任者及加害者は辞任又は逃亡し若くは討伐せられ処分の方法なきを以て将来再発防止に努め(ハ)死者に弔慰金並に傷者に見舞金を支払ひ(ニ)慰霊塔建設地を提供することを申出て我方之を了承し同事件は円満に解決せり

 通州事件は、冀東防共自治政府保安隊が起こしたものであるが、冀察政務委員会の働きかけがあったとの説も有る。冀察政務委員会とは、日本軍と南京国民政府との協議によって、華北に成立した日中間の緩衝政権である。また、通州事件には日本のアヘン密売に義憤を感じた通州の人たちの支援があった可能性もある。

 通州事件は、日本軍の指揮下にあった、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものであるにもかかわらず、日本は、中国人の起こした残虐事件として大々的に宣伝した。

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