小林よしのりのマンガ(6)2006年09月21日

小林よしのりのマンガは議論の前提となる事実認識がめちゃくちゃなので、評価するに値しないものです。

 小林よしのりは、東条は死刑などと言うことだけを日本が受諾したのだと思っているようですが、それはありえないことです。刑事裁判というのは、国家が個人を死刑にすることに対してお墨付きを与えるものです。オウムの麻原こと松本の死刑判決が確定しました。国家は死刑を求刑し、それに対して、裁判所が死刑を認めたのです。実際に、死刑にするのか、そのまま刑務所に拘置するのか、それは、法務大臣が決めることです。裁判所が、松本を死刑にすることを命じたわけではありません。
 サンフランシスコ条約は「極東国際軍事裁判所の裁判の受諾」と「刑の執行」の2つが書かれています。「裁判の受諾」は刑の執行の正当性を与えるものです。

 小林よしのりは『当事者を拘束するのは主文だけである、判決理由には既判力はない』と書いています。
 当事者というのが、刑事被告人のことなのか、裁判所のことなのか、よく分らないのですが、もし、刑事被告人のことだとすると、刑事被告人を拘束するのは判決ではなくて、刑務所なり刑務官なりの国家権力です。主文は、国家権力が刑事被告人を拘束することにお墨付きを与えるものです。
 裁判所を拘束するのは、裁判所法第4条を見れば明らかなように、主文だけではなく、理由を含む判断の全体です。
  『裁判所法第4条 上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する』

 次に、小林よしのりは『判決理由には既判力はない』とも書いています。主文に既判力があるのは、民事訴訟の話で、刑事裁判には関係のないことです。まとめると次のようになります。

 裁判の拘束力:上級審の裁判所の裁判における判断は、その事件について下級審の裁判所を拘束する
 裁判の既判力:民事訴訟に限って、確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する

簡単に書くと、次のようになります。(簡単すぎですが、誤解をしないように。)

 裁判の拘束力:理由を含む判断すべてに拘束力あり(その事件についてのみ)
 裁判の既判力:主文のみ既判力を有する(民事訴訟についてのみ)

 さて、小林よしのりは、東京裁判を受諾したからと言って、A級戦犯を合祀しても、小泉が参拝しても、一切問題ないと主張したいのでしょう。
 
 日本は大陸系の裁判制度なので、判決は一般に法源とはならず、個々の裁判の独立性が高いので、裁判をした事件以外に対する判決の影響力は元々小さいのです。判決を受諾したからと言って、司法制度上、従わなくてはならないのは、その事件のみです。
 では、判決を全く無視してよいのかと言うとそうでもないのです。結局、政治は司法制度で決定されるものではないですから。

 もう少し、詳しく説明します。
 日本国は、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しました。だから、日本国として、この裁判が違法だとか、無効だとか、そういうことを言える筋合いではありません。東条が死刑になった根拠として、極東国際軍事裁判所の判決理由に従う必要があります。東条を靖国に合祀して良いか否かの問題や、小泉が靖国参拝をしても良いかどうかの問題では、極東国際軍事裁判所の判決理由に従う必要はありません。関係のないことです。もちろん、判決主文も関係ありません。これは、司法のことです。
 司法の問題で従わなくてはならないことには、行政は従う必要があります。司法の問題で従わなくてもよいことは、行政は従う必要がないかというと、そうでもありません。一例として、憲法違反の行政執行は不可です。では、法律に違反しなければ、どのような行政を執行しても良いかと言えば、そんなことは無いでしょう。
 特別な理由も無く、極東国際軍事裁判所の判決に示された理由に反した行政を行うことは、不可でしょう。しかし、十分な理由があれば、極東国際軍事裁判所の判決に示された理由は、それに反した行政を行うことを、禁止するものではないでしょう。



P74の上段コマについて、小林よしのりのデタラメぶりを指摘しておきます。

まず、小林よしのりのデタラメマンガ

裁判では最終的に「判決」が言い渡され、「判決理由」が付けられる。
ある裁判で言い渡された「判決」を受容したら、「判決理由」まで自動的に認めたことになるのか?冤罪を主張する権利まで奪われるのか?
我が国の民事訴訟法では「確定判決は主文に包含するものに限り既判力を有す」と規定している。
当事者を拘束するのは「主文」だけである。
「判決理由」には既判力はない。
これは文明諸国の法の一般原則である。



●裁判では最終的に「判決」が言い渡され、「判決理由」が付けられる。

 判決が言い渡されて判決理由がつけられるのではありません。判決には判決理由が付けられているのです。判決の言い渡しとは理由を含んでいます。


●ある裁判で言い渡された「判決」を受容したら、「判決理由」まで自動的に認めたことになるのか?冤罪を主張する権利まで奪われるのか?

 判決が受容できないから、冤罪を主張するものなので、小林は何を書いているのか不明です。
 冤罪とは主文が冤罪の場合を言います。理由に不満があっても、主文に不満がないときは、一般に訴えの利益無しということになり、提訴は認められない場合が多いでしょう。


●当事者を拘束するのは「主文」だけである。

 裁判所法第4条では裁判を拘束するのは、上級審の裁判所の裁判における判断であることが明示されています。


●これは文明諸国の法の一般原則である

 日本の民事訴訟法上、判決主文にのみ既判力が認められているのは、民事訴訟法第114条によって定められている為であって、文明諸国の法の一般原則なわけでは有りません。
 司法制度には、大陸系と英米系があって、大陸系においては、判例は法源ではないと考えられています。このため、大陸系の司法制度では、他の判決は別の裁判に影響しません。英米系では裁判官による判例が第一次的な法源であると考えられているので、判決理由に相当する部分に、制度的に拘束力が認められています。このように、大陸系と英米系で、建前上、大きな違いが有ります。実際の運用ではそれほど違いは無いそうです。


 
 これまで、数回に渡って、小林よしのりのSapioのマンガに付いて書きました。小林よしのりのマンガは、絵も汚らしいので、見るのが苦痛で、ほとんど見ていません。一部を見ただけで、その範囲でこれまで書きました。小林よしのりのマンガを見る気は全くしません。
 このため、一連のBlogは、これでおしまいにします。買ったSapioはほとんど見ること無しに捨てます。見るべき内容の無い雑誌だと思いました。二度と買う気持ちはありません。

下の記事の追加2006年09月21日

私は、次のように書きました。『日本では、判決は一般に法源とはならず、個々の裁判の独立性が高いので、裁判をした事件以外に対する判決の影響力は元々小さいのです。』

これだけだと、誤解を生む表現でした。説明します。

『憲法 第76条3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。』

 憲法にこのように規定されている為、制度上、司法は完全に独立しています。

 しかし、1つの事件で、下級審、上級審と複数の裁判が行われるときは、司法の整合性を取るために、下級審の裁判は上級審の判断に拘束されます。これが、裁判所法第4条の規定です。
 また、民事訴訟では、実質的には1つのことであっても、複数の訴訟が提訴されることがあります。このとき、夫々の裁判に整合性を取るために、主文に限って既判力をもたせてあります。これが、民事訴訟法第114条の規定です。刑事事件では、判決が確定すると、同一の犯罪を裁判することはないので、民事訴訟の意味での既判力の概念は存在しません。

 実際には、特定の判決に、他の判決が影響します。特に、最高裁判例は下級審に大きく影響します。日本の司法制度では、法律に定められた特別な場合を除いて、最高裁に上告することはできません。ところが、最高裁判所の判例に違反した判決がだされると、それだけで上告理由になります(民事訴訟規則48条,刑事訴訟法405条2号)。このため、実際には、最高裁判所の判例に違反した判決が出されることは、ほとんどありません。

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