尖閣領有権問題2010年12月07日

尖閣の領有権問題は、明治維新以降日清戦争の期間と、沖縄返還直前以降に発生した。ここでは、後者の期間の説明をする。

 戦後、日本の国会で尖閣が問題になったのは、1967年6月20日が最初。このとき、尖閣近海で魚を取っている台湾の漁民が、尖閣に住み着いているようだとの情報があるとの質問に対して、担当大臣が「新聞で見た程度でありまして、私は何ら報告を受けておりません」と、のんびりした答えをしている。翌年になると、日本政府は尖閣列島資源調査費を計上するようになる。

 尖閣は台湾や石垣島からそれほど遠くないので、台湾漁民の漁場だった。石垣漁民も出漁することはあったが、石垣島には魚の大量消費地がないので、油を使ってわざわざ出漁するメリットはあまりなかったようだ。戦前は台湾漁民も日本人だったので尖閣周辺の漁業は問題なかった。戦後になり、日本漁民の漁業はマッカーサーラインで禁止されたけれど、台湾漁民の漁業を米国は禁止していない。
 台湾漁民は古くから尖閣を漁場としていたのだが、戦後、日本が関心を持つのは、石油資源が問題になる1968年以降である。

 ここ数年来の尖閣の問題は、中国の経済発展に伴って、中国人が高級魚を欲しがるようになったため、中国漁船の出漁が多いことと、油の高騰で、石垣漁民が尖閣周辺で漁をしなくなったために、中国・台湾の海のようになったことに対して、日本国内の一部勢力が騒いでいることが原因だ。

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