渡来銭―皇宋通宝2010年09月09日

 エトロフ島に寛永通宝があったところで、和人が持ち込んだかどうか分かりません。
 寛永通宝は千島列島最北端の占守島でも発見されています。寛永通宝が日本で流通していた時期に、和人の占守島進出はありませんでした。また、根室半島のアイヌの遺跡では皇宋通宝が発見されていますが、日本で渡来銭が流通していた時期には、和人の道東進出はありませんでした。
 写真は「皇宋通宝」。アイヌの遺跡で発見されたものとは別物です。皇宋通宝には真書体と篆書体があります。

 皇宋通宝は、日本で発掘された渡来銭の中12%を占め、最大枚数を誇ります。中学校・高等学校の日本史教科書では、渡来銭の例として永楽通宝が必ず掲載されているので、渡来銭では永楽通宝が一番多かったように誤解している人も多いかと思いますが、永楽通宝は、渡来銭中第6位、5%に過ぎません。
 皇宋通宝は宋・第4代皇帝 仁宗(在位1022-1063年)の1039年から作られています。仁宗の治世は「慶暦の治」と称され、国力の充実した時期でした。

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