渡来銭-北方地域出土の寛永通宝2010年09月26日

寛永通宝は中国各地で出土しているけれど、カムチャツカや北千島でも出土しています。

カムチャツカ:
 1910年ごろ、クリル湖付近で3枚の日本貨幣が発見された。3枚とも寛文期の寛永通宝(文銭)。
 1970年代、カムチャツカ南端のロパトカ岬のロパトカⅠ遺跡の住居跡上層貝塚で寛永通宝銅銭1枚が発見された。
 1970年代、カムチャツカ東岸のジュパノボ遺跡で15枚の寛永通宝が発掘された。このうち6枚は寛文期の寛永通宝(文銭)、残りの9枚は裏無文の寛永通宝。

千島列島北部:
 馬場脩による1933年~1938年の発掘調査で、3箇所から寛永通宝が発見された。現在、函館博物館の所蔵になっている。
 ・占守島別飛土人墓地裏手砂丘貝塚で宝永丸屋銭を発見(注)
 ・幌筵島樺里弟11号住居跡で寛永越後高田銭を発見
 ・幌筵島武蔵湾別飛貝塚で元文高津新地銭を発見

また、アムール川最大支流の松花江流域でも、寛永通宝が発見されています。

(注)菊池俊彦の本では「宝永丸屋銭」となっている。丸屋銭は寛文期の亀戸銭の系統であるが、宝永年間との説と正徳年間との説がある。また、同地で、古寛永通宝も発見されている。


参考文献:
『北からの日本史 第2集』北海道・東北史研究会/編 三省堂(1990)
『北東アジア古代文化の研究 』菊池俊彦/著  北海道大学図書刊行会 (1999)
『松花江流域出土の「寛永通宝」、その歴史的背景』榎森進/著 東北学院大学東北文化研究所紀要(1999)


渡来銭の説明はこちらをご覧ください
http://cccpcamera.photo-web.cc/COIN/Toraisenn/

北方領土問題については、以下をご覧ください
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm

尖閣問題は文化大革命の残滓2010年09月26日


 中国が尖閣諸島の領土要求をしています。尖閣諸島は日清戦争のさなかに、日本が領土に編入し、この時以降1970年までは、どの国からも抗議などはありませんでした。

 1960年代後半から1970年代前半の10年間、中国では文化大革命が起こっています。きっかけは毛沢東一味が劉少奇からの政権奪還を目的としたものでしたが、権力闘争にとどまらず、事業家・知識人等の弾圧、さらには、一般国民の弾圧が起こりました。1976年に4人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)が逮捕され、10年に及ぶ混乱は終焉しました。この間に処刑・殺害されたものは数百万人から数千万人と言われています。 

 写真は、文化大革命の真っ最中、1970年ごろ、「団結して国境を守ろう」と国民を鼓舞する目的で発行された切手。切手発行の直前に、中ソ国境のダマンスキー島で両国の軍事衝突が起こっています。

 尖閣諸島の要求は、文化大革命で権力を奪取した毛沢東一味が言いだしたものです。
 文化大革命の誤りは公式に認定されていますが、尖閣諸島の要求はいまだに取り下げられていません。


「中国切手に見る中ソ関係の歴史」は以下をクリック
http://cccpcamera.photo-web.cc/Hi-Ho/Stamp/China/ChineStamp.html

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