渡来銭-寛永通宝の海外渡出2010年09月25日

 鎌倉・室町時代には、中国から日本へ大量の銅銭が渡来し、日本の貨幣経済の発展に寄与したが、江戸時代になると、逆に日本から中国やベトナムへ銅銭が流出している。長崎貿易銭は、日本からの銅銭を輸出しようとしたオランダ人商人の求めで鋳造されている。

 寛永通宝は日本国内の流通を目的に造られた貨幣であり輸出は禁止されていたが、利益があるならば、輸出を手がけるのが商人の常。中国大陸には寛永通宝が持ち出された。このため、現在、中国各地で寛永通宝が出土している。

 
 上の図は、三宅俊彦/著『中国の埋められた銭貨』(同成社 2005/01)に示された「寛永通宝の発見例」。(見やすいように色を付けています。)中国全土の広い範囲にわたり、寛永通宝が発見されていることが分かる。

 このほか、カムチャツカ南部、北千島などでも、寛永通宝が発見されているので、長崎経由と北海道経由の輸出があったのだろう。

 寛永通宝が見つかったからといって、そこに日本人が進出していたと軽率に即断することは出来ない。


参考文献
 三宅俊彦『中国の埋められた銭貨』同成社 (2005/01)
 松浦章『清代浙江乍浦における日本貿易と沿海貿易の連関』東アジア文化交渉研究 (2008.03)

 

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