無条件降伏 ― 2006年07月16日
まったく、タイムリーでない話題です。
私のホームページの中には、日本の敗戦に対して『無条件降伏』の文言を使っているところがあります。戦後、長期間、日本の敗戦を無条件降伏と普通に言っていたので、無条件降伏の用語を使っています。
この件に関して、ある方から、日本の降伏は『有条件』であるとのご指摘をいただきました。最近、右翼的漫画家が、そのようなマンガを書いているのでしょうか、若い人の中には、日本の敗戦を『無条件降伏』と言うのは誤りであると思っている人が、結構多いように感じます。
そこで、今回は、日本の敗戦に対して『無条件降伏』の文言を使うことについて記載します。
昭和24年11月26日衆議院予算委員会における、吉田内閣総理大臣の発言です。
吉田総理の言うように、『日本国は無条件降伏をした』と、普通に言われていました。今になって、『無条件降伏と言うのは誤り』と声高に叫んでも、意味の無いことと思います。
では、どのような意味で、『日本国は無条件降伏をした』と言っていたかと言うと、昭和26年10月24日、平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で、西村熊雄条約局長が的確に説明しています。
更に検討を続けます。
日本の降伏は、大辞林の[1]の意味で、無条件降伏だったか、そうではなかったか。この問題を説明します。以下の説明では、大辞林の[1]の意味での無条件降伏を、単に、無条件降伏と書きます。
この問いに対して、無条件降伏ではなかったとする説と、無条件降伏だったとする説の両方が存在します。
無条件降伏ではなかったとする説は、「ポツダム宣言には、日本の国体護持が示されているので、日本は国体護持の条件の下、降伏したのであるから、無条件降伏ではない」とする説明が多いと思います。この説明は、日本がポツダム宣言を受諾するに当たって、軍部の反対派を抑えるために使った説明です。
他の説明もあります。たとえば、ポツダム宣言13条には日本軍の無条件降伏を定めているので、日本国は無条件降伏をしたわけではない、などと言うのもあります。これは、ちょっと無理でしょう。日本軍の無条件降伏の根拠にはなっても、だからと言って、日本国が無条件降伏していないとの根拠にはならないでしょう。
次に、無条件降伏だったとする説は、学説では、いろいろと存在するようですが、私は、政府の公式見解としては、見たことがありません。
実際はどうだったのでしょう。日本が降伏した直後の、1945年9月6日付け、米国からマッカーサーへの通達には、次のように書かれています。
日本国も同様で、たとえば、昭和25年02月06日、衆議員予算委員会で、吉田総理大臣は次のように、連合国にポツダム宣言違反があっても、権利として交渉できないと答弁しています。
私のホームページの中には、日本の敗戦に対して『無条件降伏』の文言を使っているところがあります。戦後、長期間、日本の敗戦を無条件降伏と普通に言っていたので、無条件降伏の用語を使っています。
この件に関して、ある方から、日本の降伏は『有条件』であるとのご指摘をいただきました。最近、右翼的漫画家が、そのようなマンガを書いているのでしょうか、若い人の中には、日本の敗戦を『無条件降伏』と言うのは誤りであると思っている人が、結構多いように感じます。
そこで、今回は、日本の敗戦に対して『無条件降伏』の文言を使うことについて記載します。
昭和24年11月26日衆議院予算委員会における、吉田内閣総理大臣の発言です。
・・・またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております。
吉田総理の言うように、『日本国は無条件降伏をした』と、普通に言われていました。今になって、『無条件降伏と言うのは誤り』と声高に叫んでも、意味の無いことと思います。
では、どのような意味で、『日本国は無条件降伏をした』と言っていたかと言うと、昭和26年10月24日、平和条約及び日米安全保障条約特別委員会で、西村熊雄条約局長が的確に説明しています。
日本は連合国がポツダム宣言という形で提示いたしました戦争終結の條件を無條件で受けて終戦いたしたのであります。無條件降伏というのは、戰勝国が提示した條件に何ら條件をつけずして降伏したという意味であります。その当時、政府、大本営連合会議においてポツダム宣言に対して種々の條件を付してこれを受諾したいという議があつたことは、佐竹委員よく御存じのことだと思います。ただ連合国が戦争指導方針として、無條件降伏というものを強く主張しておりました情勢から考えまして、日本全体といたしましては、何ら條件を付さないで、先方の提示した條件を受けたのであります。それが無條件降伏をしたという意味でございます。三省堂の大辞林で、『無条件降伏』を調べると、以下のように記載されています。
[1] 交戦中の軍隊・艦隊または国が、兵員・兵器などの一切を無条件で敵にゆだねて降伏すること。
[2] 交戦国の一方が一定の降伏条件を無条件に受諾して降伏すること。
更に検討を続けます。
日本の降伏は、大辞林の[1]の意味で、無条件降伏だったか、そうではなかったか。この問題を説明します。以下の説明では、大辞林の[1]の意味での無条件降伏を、単に、無条件降伏と書きます。
この問いに対して、無条件降伏ではなかったとする説と、無条件降伏だったとする説の両方が存在します。
無条件降伏ではなかったとする説は、「ポツダム宣言には、日本の国体護持が示されているので、日本は国体護持の条件の下、降伏したのであるから、無条件降伏ではない」とする説明が多いと思います。この説明は、日本がポツダム宣言を受諾するに当たって、軍部の反対派を抑えるために使った説明です。
他の説明もあります。たとえば、ポツダム宣言13条には日本軍の無条件降伏を定めているので、日本国は無条件降伏をしたわけではない、などと言うのもあります。これは、ちょっと無理でしょう。日本軍の無条件降伏の根拠にはなっても、だからと言って、日本国が無条件降伏していないとの根拠にはならないでしょう。
次に、無条件降伏だったとする説は、学説では、いろいろと存在するようですが、私は、政府の公式見解としては、見たことがありません。
実際はどうだったのでしょう。日本が降伏した直後の、1945年9月6日付け、米国からマッカーサーへの通達には、次のように書かれています。
1 天皇及び日本政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官としての貴官に従属する。貴官は、貴官の使命を実行するため貴官が適当と認めるところに従って貴官の権限を行使する。われわれと日本との関係は、契約的基礎の上に立つているのではなく、無条件降伏を基礎とするものである。貴官の権限は最高であるから、貴官は、その範囲に関しては日本側からのいかなる異論をも受け付けない。このように、米国は、日本の降伏は、日本国の無条件降伏であると、マッカーサーに指示し、マッカーサーは、無条件降伏であるとの認識で。占領政策を実施しています。
日本国も同様で、たとえば、昭和25年02月06日、衆議員予算委員会で、吉田総理大臣は次のように、連合国にポツダム宣言違反があっても、権利として交渉できないと答弁しています。
お答えいたしますが、先ほども申した通り、今日日本としてはまだ独立を回復せず、かたがた独立して外交交渉に当る地位におりませんから、従つて、今お話のようなポツダム宣言に違反した事項があるその場合に、政府としては権利として交渉することはできません。たとえ、形式的に降伏条件が条文にあったとしても、実際に条件実施の権利がないならば、無条件降伏です。
以上まとめると、次のようになります
日本の敗戦は、大辞林[1]の意味で 無条件降伏か |
理論 | 両説あり (政府説明では条件付降伏) |
実際 | 無条件降伏 | |
日本の敗戦は、大辞林[2]の意味で 無条件降伏か |
理論 | 無条件降伏 |
実際 | 無条件降伏 |