本の紹介―東学農民戦争と日本2017年05月17日

      
中塚明, 井上勝生,朴孟洙/著 『東学農民戦争と日本』高文研 (2013/6)
     
 日清戦争のきっかけとなった朝鮮の反政府運動のことを、以前は「東学党の乱」と言ったが、最近は「甲午農民戦争」と言うことが多い。
 日本で書かれる多くの日本史では、日本の良いことを強調し、悪いことはなるべく書かないようになっているようだ。日清戦争は日本が朝鮮半島を植民地化する過程で起こった戦争だが、その点に触れると日本賛美につながらないため、日清戦争における朝鮮半島の話は日本史教科書ではあまり触れられない。以前の日本史教科書では、こんな感じで書かれていた。
 ①東学党の乱を抑えきれない朝鮮王府は清国に軍隊派遣を求める
 ②申告の派兵に対抗するため日本も朝鮮に派兵
 ③朝鮮半島の対処に関して、日清両国が対立
 ④日清戦争が起こる
 ⑤下関条約成立
 最近の日本史教科書には、日本軍が朝鮮王府を占拠したことや、日清両国の対立とは、朝鮮から撤兵することを主張した清国に対し、撤兵を拒否した日本との対立だったことが明記された日本史教科書もある。しかし、朝鮮農民軍と日本軍との戦争について触れられている日本史教科書は少ない。
     
 日本が派兵して朝鮮王府を占拠すると、これに反発した朝鮮農民軍と日本軍とが交戦し、農民軍に多数の犠牲者が出た戦争に対する記述が、本書では詳しい。日本軍の虐殺実態についても触れられる。
 日清戦争で最大の犠牲者を出した国は、日本でも清国でもなくて朝鮮だった。朝鮮農民軍戦死者数について、数万から数十万人説までさまざまな説があるが、本書では3万を下らないとしている。日清戦争の主戦場は朝鮮なのだから、朝鮮の視点がなくては日清戦争を理解することはできないので、本書によって、日本ではあまり語られてこなかった日清戦争の重要な点を理解することは、正しい日本史理解にとって有益だ。
 本書には、甲午農民戦争の記念碑についても書かれており、こういったものに興味がある人が、韓国旅行するときには便利だ。

本の紹介-沖縄戦戦没者を祀る慰霊の塔2017年05月14日

     
大田昌秀/著『沖縄戦戦没者を祀る慰霊の塔 』 那覇出版社 (1985/6)
           
沖縄県知事を務めた大田昌秀が琉球大学教授時代に執筆した著書。古い本で有名出版社ではないので、読む機会は少ないと思う。
     
 沖縄には、数百の慰霊塔が建てられているが、本書は、そのうちの主なもの百数十を取り上げて、各慰霊塔の写真を掲載し解説をしている。慰霊塔の解説は建立のいきさつなどを簡潔に書くにとどまる。ただし、いくつかの慰霊塔については、関連する話題を数ページにわたって解説するものもある。たとえば、久米島の痛恨の碑では、久米島虐殺事件の説明が書かれている。
     
 沖縄の慰霊塔を実際に見学すると、碑文が書かれたものも多い。碑文の文面には、戦争を賛美し国家に殉じることの意義を示すものも多い。本書の最初の20ページほどには、戦争賛美の碑文が書かれたいきさつなどにも触れられているが、個々の慰霊塔の碑文についてコメントはほとんどない。
 欲を言えば、各慰霊塔の碑文を掲載してほしかったし、碑文に対するコメントもほしかった。とは言え、慰霊碑の碑文に戦争賛美が多いのは、戦死を意味のある死と思いたい、遺族の心情もあるのだから、たとえ戦争賛美・戦意高揚を目的とするような碑文でも、直接的には批判はしずらいだろう。

本の紹介-東北アジアの民族と歴史2017年05月13日


     三上次男・神田信夫/編 『東北アジアの民族と歴史 民族の世界史3』 山川出版社 (1989/10)

 本書が対象としている地域は、シベリア・中国東北部・朝鮮。
 3部構成。第1部はこのちいきの「自然」「民族文化」「言語」。第2部は3地域の歴史。このうち、シベリアの歴史はこの地域へのロシアの進出による先住民族の変容が主題になっている。第3部は主に中国の近代史で、本書の対象地域とは若干外れるように感じる。

 シベリアや中国東北部の民族は複雑で、今でも少数民族が多い。言語はチュルク語系やツングース系、あるいは抱合語系など、変化に富んでいる。この地域の民族文化を理解するためには標準的な参考書になる。また、各省は執筆者が違い、特に関連性がないので、興味のある賞だけを読むことも可能。

 旧ソ連地域のシベリア先住民族の人口変化の表が、P134,135に記載されている。ヤクート人が増えたなど、民族によって増減に差があるが、ざっと見れば大きな変化はない。ただし、民族語を母語とする人たちの割合は時代とともに大幅に減少している。
 これに対して、P81-P83に記載されているアイヌ特に樺太アイヌは、日本統治下の民族政策が原因で、絶滅寸前にまで追い詰められていったことがわかる。

アイヌ  生態学的にみて東北アジアの沿岸部とほぼ同様の条件にある日本の北方にはアイヌ独自の文化が形成された。日本の古代・中世におけるエミシ、エゾの文化については部分的に明らかにされているにすぎない。近世にはアイヌの住地は北海道、樺太(サハリン)、千島にあった。アイヌとは人の意であるが、樺太アイヌはエンチゥ、エンジュウという自称をもっていた。北海道アイヌの人口は十九世紀初めには約二万七〇〇〇人、その後半世紀の間に主として疫病のために人口は激減し、安政元年(1854)には約一万九〇〇〇人であったという。そして.明治期以降は政府の政策や本州からの入植者の増大による生活環境、社会的・経済的条件の変化によって、アイヌ社会は急激に崩壊し混血が進み、今日では日常語としてアイヌ語は通用しないまでにいたっている。千島アイヌとは北千島のシュムシュ島とポロモシリ島にいたアイヌのことで、彼らは、この両島とラショワ島に定住的な集落を設け、周辺の島々で漁携や狩猟をしていた。千島アイヌはロシア人やヨーロッパ人からクリール人(クリールとはロシア語で千島列島をさす)とよぼれ、その足跡は南カムチャツカにも残されている。明治八年(一八七五)の千島・樺太交換条約により、北千島と中部千島が日本領となったときには人口は一〇〇余人であったが、その後シコタン島をへて北海道へ移住を余儀なくされるにしたがい、疫病や環境の変化が原因で減少、さらに混血により第二次大戦後には千島アイヌの足跡をたどることはむずかしくなった。
 樺太アイヌの人口は古い記録では文化四年(一八〇七)に二一〇〇人、同じころ調査をおこなった間宮林蔵の報告(「北蝦夷図説」)では二八四七人ほどであった。その後明治八年に千島・樺太交換条約が成立したときには西海岸のアイヌ八五四人が宗谷に移住し、その後江別に移った。そのうち、半数ほどが庖瘡とコレラのために死滅した。新しい環境で生計を立てることができなかったアイヌたちは、日露戦争の前後にふたたび樺太の故郷へ還り(一九〇五年以後の帰還者の数は三九五人)、日本の支配下におかれたが、状況は過酷なものがあった。そして、北辺における日露間の政治的潮流に巻きこまれながら第二次大戦を迎えた。戦後、一部のアイヌは北海道へ引き揚げ、道内の各地に居住した。
 このようにして、アイヌの生活や文化は明治期以降、根底からくつがえされ、変容を強いられたといっても過言ではない。近年まで人びとの生活や記憶に保持されてきた伝統的要素と記録や史料とによって、往時のアイヌ文化はある程度まで再構成されている。が、未知のままにとり残されている領域も少なくはない。しかし、概していえば、アイヌ文化の全体像は、北方地域にその類例を見出すことができる。そして、事実北方の近隣諸族とさまざまな交渉をもっていたことが歴史的にも、民族誌的にも明らかである。しかしながら、一方では北方の諸民族とは異なった文化要素も散見され、アイヌ文化の探求はなお今後の問題としてある。(P81-P83)

本-琉球の王権とグスク2017年05月12日

      
安里進/著 『琉球の王権とグスク』 (日本史リブレット)山川出版社 (2006/12)
    
 統一国家誕生以前の琉球では、各地にグスクと言われる城が作られた。
 本書は、琉球王県に関係の深い浦添グスク、首里グスク、今帰仁グスクなどを取り上げ、グスクを話題の中心として琉球王権成立の歴史を解説する。本書には、関連する写真もある程度掲載されていて、視覚的にもわかりやすい。
 しかし、グスクの解説ガイドとしてみると、取り上げたグスクの数が少なく、いまひとつ物足りない。琉球の統一王権成立の歴史書としてみると、グスクなどの現地解説に力点が置かれすぎているように感じる。薄い本なので、解説が薄くなっているのでしかたないのかもしれない。ただし、逆に言えば、琉球王権とグスクの関連が簡便に理解できる本である。

本-オホーツクの古代史2017年05月11日

   
菊池俊彦/著『オホーツクの古代史』 平凡社新書 (2009/10)
    
 この本の主題は、必ずしも興味の対象ではないのだけれど、読んだことを忘れないように書き留めておきます。
    
 かつて、オホーツク沿岸に栄えた海洋文化「オホーツク文化」が存在した。本書は、オホーツク文化に関連する航行学の解説書。オホーツク文化の領域には、日本が含まれるが、日本史の授業で習うことも少ないので、多くの人にはあまりなじみがない文化だろう。本書は一般の人を対象にしたもので、特に予備知識がなくても読むことはできるが、ある程度オホーツク文化を知っていないと、読み進むのが大変かもしれない。
    
 中国・明時代の史書に「流鬼」が朝貢に訪れたとの記載がある。流鬼国の所在地について、カムチャツカ節とサハリン説があり、本書では、両説について、だれがどのような根拠でそれらの節を唱えたか、詳しい説明がなされている。
 著者は、流鬼国をサハリンのオホーツク文化とし、さらに、オホーツク文化は大陸に起源をもつことを説明する。
 本書では、オホーツク文化がどのような文化であったかを説明することよりも、むしろ考古学の学説としてどのように研究されてきたかに重点が置かれる。

本の紹介―昭和天皇の戦争2017年05月07日

     
山田朗/著『昭和天皇の戦争 「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』 岩波書店 (2017/1)
   
 宮内庁から昭和天皇実録が公表されて、昭和史を知るうえで重要な文献となった。
 本書は、日中戦争から敗戦までの期間に、昭和天皇実録にどのようなことが書かれていて、どのようなことが書かれていないのかを解説する本。著者は歴史学者。かなり専門的な内容なので、近代日本史の予備知識がないと読みにくいだろう。それから、昭和天皇実録の第7巻から第9巻を読む前に、本書を読んでおくと、昭和天皇実録の理解がしやすいと感じた。
   
 戦前、天皇は帝国陸海軍の統帥権者だった。明治天皇の時代には、日清・日露の戦争に勝利して、海外侵略・帝国拡大の足場を作った。昭和天皇は明治天皇を尊敬していたので、海外侵略の最大の推進者であったことは想像に難くない。
 ところが、敗戦により、国論が変えられると、昭和天皇が平和主義者で戦争に反対だったかのような言説が現れる。帝国陸海軍の統帥権者が反戦であるなど、そんな間抜けな国があろうはずはない。
   
 本書では、日中戦争から敗戦までの期間に、昭和天皇が戦争にどのような態度をとってきたかを、種々の資料により詳しく説明し、さらに、昭和天皇実録では、天皇が戦争に積極的であった記述が極力抑えられていることを明らかにしている。

本―桜奉行 幕末奈良を再生した男 川路聖謨2017年05月05日

    
出久根達郎/著 『桜奉行 幕末奈良を再生した男 川路聖謨』養徳社 (2016/11)
  
川路聖謨は日露和親条約締結に際してプチャーチンと交渉した。本書は、それより前、奈良奉行時代の川路聖謨の伝記。
本書の著者は直木賞作家。

本―北方部隊の朝鮮人兵士2017年04月26日

      
 北原道子/著『北方部隊の朝鮮人兵士 日本陸軍に動員された植民地の若者たち』 現代企画室 (2014/3)
   
 樺太・千島など北方に動員された朝鮮人兵士の状況を明らかにしている。本書では、最初の章で朝鮮人が日本軍兵士となったいきさつ(布告など)を示し、以下の章で、樺太・千島等の朝鮮人兵士の日本軍での状況を明らかにしている。また、本書後半では、北方部隊の日本軍兵士となった朝鮮人の回想。
   
 このような研究はあまり見たことがないので、未解明分野の研究として重要なのはわかるのだけれど、正直言ってあまり興味が持てなかった。一般民衆レベルでは、朝鮮人は植民地人として差別を受けたが、軍隊にあっては階級によって同じ仕事をするので、それより仕事ができるかどうかが重要になり、出身がどこかで差別を受けることは多くはない。朝鮮人だからと言って、差別を受けたことが全くないとは言わないが、一般民衆レベルよりも差別はずっと少なかったようだ。でも、そうすると「普通ですね」「特に違いはないですね」で終わってしまい、素人的には面白味に欠ける。
   
 ただし、これだけの研究をして出版したことには敬意を表したい。

本ー沖縄決戦 高級参謀の手記2017年04月25日

    
八原博通/著『沖縄決戦 高級参謀の手記』中央公論新社 (2015/5)
  
 1972年に出版された本の文庫版復刻。
  
 司令部付将校からみた沖縄戦の記録。こういう本は、自分に都合よく、事実の一部しか書かれず、また、誇張もなされるので、読むときには注意が必要だ。しかし、数少ない司令部の生き残りのの記録なので、沖縄戦を知るうえで重要な文献であることに違いはない。
  
 首里城地下壕に陣取った司令部高級将校は、10数名の芸者など30名ほどの慰安婦を抱えていた。このことは本書ではP201に触れられている。

本の紹介―戦跡が語る悲惨2017年04月23日

  
真鍋禎男/著『戦跡が語る悲惨』沖縄文化社 (2016/4)
     
 本書の内容は沖縄戦の歴史。
 沖縄戦の歴史をかなり詳しく記し、随所に関連する戦跡の写真を掲げ、わかりやすい内容になっている。沖縄戦を詳しく知ろうとする人には、好適な参考書といえるだろう。参考文献も豊富。
  
 沖縄戦の記述には、反戦の立場と、英霊賛美の立場があるが、本書は反戦の立場で一貫している。このため、戦没者を英霊として顕彰したい人や、沖縄戦の犠牲者を戦意高揚に利用したい人には、言葉遣いが気に入らないと思う。
  
 沖縄最南端の喜屋武岬に建てられた平和之塔には、「米軍に対して最後の迎撃を続けしも善戦空しく」「戦闘に協力散華せる住民」と書かれている。実際にこの地に日本軍が追い詰められたときは、すでに敗戦必死の状態で善戦もしていなければ、住民も逃げ惑うだけだったので、碑文は事実ではない。平和之塔を見学した時、戦争賛美のあまりに事実を捻じ曲げる態度に嫌気がさした。本書においても、「観光名所に便乗して戦争賛美を煽る」と平和之塔の記述に対して厳しい評価をしている。
  
 南北の塔に関連して、「住民殺傷の壕追い出し」の項に以下の記述がある。これは、南北の塔の下にあるガマのことだろう。
 真栄平ではいきなり軍刀で母親を斬首のうえ、幼い子供4人を刺殺した。壕に手榴弾を投げ込まれ、その壕に駆けつけようとする父親を切り殺された家族もいる。(P146)
  
 本書の最終章では、平和祈念公園に建てられている各県の塔を取り上げている。ほとんどすべての塔の文言は、沖縄住民の死亡について触れられておらず、将兵の戦死を英霊顕彰としている。本書では、この点について批判的であるが、故人の葬儀の弔辞は、たとえ悪人であっても、なるべく良いことを言うものなので、戦死した将兵を顕彰する記述になるのはある程度仕方ないだろう。
 同じ並びに立つ、空挺隊の碑文や、波の上神社の日本青年会議所の碑文は、英霊顕彰にとどまらず、若い人に対して戦争を鼓舞しているようで、感じが悪い。しかし、本書ではこれらの碑には触れられていない。

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