本の紹介―「南京事件」を調査せよ2017年02月26日

 
清水潔/著『「南京事件」を調査せよ』 文藝春秋 (2016/8)
 
 1970年代に、南京大虐殺は無かったとする主張があった。南京大虐殺論争に歴史学者が加わると、南京大虐殺は無かったとする主張は、歴史学研究のレベルに達していないことが明らかにされ、完全に破綻したようだった。しかし、その後、南京大虐殺の被害者数はずっと少ないというような主張が現れた。 どの範囲で起こったことを「南京大虐殺」というべきであるのかは、人のよって違うし、人数を正確に特定できるはずもないので、確定的な犠牲者数が研究者によって異なるのは当然のことだ。
 
「南京大虐殺は無かった」「被害者は少ない」との主張をする人は、神主・漫画家・作家・右翼機関紙編集者などが多く、「南京大虐殺はあった」とする人は、歴史学者(有名大学教授)・大手新聞の記者などが多かった。最近は、南京大虐殺否定派に、学者(大学教授)が加わり、否定派の元気がいいようだ。ただし、大虐殺肯定派の学者は有名大学教授なのに対して、大虐殺否定派はどうしようもない低能学生が行く大学の教授であることが多い。学者の学説と、学生の偏差値は本来無関係なはずだが、明確な相関があるようで不思議だ。
 
 南京大虐殺の被害者数は、南京の範囲や大虐殺の期間を短くすれば、いくらでも少なく見せかけることが可能だ。最近、良く聞く「南京大虐殺の被害者は少ない」との主張は、このようにして行われている。言葉の定義は、自分に都合よくすれば、どうとでもなるので、このような主張が誤りであるとは言えない。しかし、そうすると、日本軍は、「南京大虐殺」「南京郊外大虐殺」「南京周辺地域大虐殺」と、いくつもの大虐殺犯罪をしたことになり、それぞれに対して、日本政府や天皇は何度も謝罪が必要になるだろう。
 
 本書は、日本テレビで放送された番組のための取材記で、事件当時、実際に従軍していた兵士の陣中日記などの一次資料を基に、南京大虐殺の実態を明らかにしている。事件当時書かれた日記類を基にしているので信憑性が高い内容になっている。
 ただし、南京事件の犠牲者数など南京事件の全体像を明らかにすることを目的としたものではなく、あくまでも、入手した一次資料を基に南京事件の一部を解明したもの。
 
 ところで、南京事件をねつ造だと叫ぶ右翼勢力の中には、兵士の陣中日記がペン書きであることをもって捏造されたものであると主張する者がいる。このような右翼の間抜けた考えでは、従軍中の筆記用具は鉛筆でなくてはならないということのようだ。無知無能な右翼が、非常識なことを考えるのは仕方のないことであるが、日中戦争関連の陣中日記は古本屋で容易に入手できるので、そういうものを調べれば、多くはペン書きであって、鉛筆書きでないことなどすぐにわかるはずだ。陣中日記がペン書きである点について、本書でも触れられ、当時万年筆が一般に使われていたことを示して、間抜けな右翼の妄想を一蹴している(P88)。

児童ポルノって何だろう2017年02月22日

  
 法律によると、児童の性行為等を扱ったもののほかに、次のものが児童ポルノとされている。
「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」
 普通の大人ならば、児童の裸体を見ても「性欲を興奮・刺激」されることはないだろうから、どういう意味なのか分からない。この条文は、変態・ロリコン人間向けの話なのだろうか。
  
 川口市立図書館で閲覧できる本の中に、下記の写真があった。(早川タダノリ/著 『「愛国」の技法』青弓社 )。これは、昭和17年頃撮影された、新潟県・市之瀬国民学校の授業風景で初出は当時のアサヒグラフのようだ。
  
 上の写真では、「はずかしそうに乳房を露出している少女の写真」と見る人もあるだろう。この写真は右側が少しカットされているが、(アサヒグラフわれらが100年 1968.9.)の写真には、他にも乳房を露出した女子児童が写っている。以下に、右下部分を掲載する。雑誌の見開き2ページにわたっているので、ページの継ぎ目のスキャンがうまくできなかった。後ろの女児は堂々と乳房をさらけ出していて、恥じらいは感じられない。
  
  
 アサヒグラフにはもう一枚同じような写真がある。この写真は(宮崎鏡/著『少女愛』作品社)にも掲載されていて、この本も川口市立図書館でだれでも閲覧できる。この写真も市之瀬国民学校の授業(勤労奉仕)風景のようだ。
  
  
 下の写真は、写真週報・第180号(昭和16年8月6日)に掲載されていたもので、当時の国民学校の乾布摩擦の様子。写真週報は国立公文書館・アジア歴史資料センターで公開されているので、だれでも閲覧可能。
https://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo.html
  
  
 公立図書館や国立公文書館でだれでも閲覧できる写真が違法な児童ポルノのはずはない。小6女児が乳房をさらけ出している写真は児童ポルノには該当しないのだろうか。それとも、古い写真だと児童ポルノではないのだろうか。
  
 児童ポルノの問題はさておき、戦時中はおかしな教育が行われていたものだ。どういう理由で少女に乳房を露出させるのだろう。そういうことが好きな校長が「天子様のからだです、大事にします鍛えます」と言わせて女児を裸にしていたのだろうか。


本の紹介―「愛国」の技法2017年02月21日

 
早川タダノリ/著 『「愛国」の技法』(2014.1)青弓社
 
 戦争中のポスターやチラシなどを左側ページに紹介し、右側ページにその解説を書いている。こういうスタイルなので読みやすい。
 戦争中のポスターのいくつかは、佐倉の国立歴史民俗博物館にも展示されており、見たことのある人も多いだろう。本書では、かなりの枚数を紹介しているので、ざっと見ただけでも面白い。
 本書の解説は、戦争中の日本の愛国心を揶揄するもの。解説を読まず、写真を見るだけでも、著者の意図は明快だ。もっとも、普通に思考力のある人ならば、国立歴史民俗博物館に展示されているポスターを見ただけでも、同様の感想を持つだろう。

シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(5) 俘虜葉書2017年01月20日

シベリア俘虜だった千葉巌が差し出したはがきの返信。
(見やすいようにコントラストを上げています。)




 上はがきの左上の菱形印はソ連の検閲印。両方のはがきの左下にある金魚鉢を逆さにしたようなのは、日本占領米軍の検閲印で、検閲官番号から検閲は日本人がしたことがわかる。
 両方のはがきにある左中央の丸形印はソ連の郵便消印。

シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(4) 俘虜葉書2017年01月19日

 
写真はシベリア俘虜だった千葉巌が差し出したはがきの返信。この葉書を差し出したいきさつについて、以下の説明がある。

『 最初は思想調査に使うのだろうと誰も書かなかったが強制的に書かされたので1回目は仕方なしに「ガンは元気です」とだけ書いて出したが返事が来たので2回目以降は抵抗なく出した。』

 
シベリア俘虜葉書に関しては、以下のような誤った記述が散見される。
 
『国際法によって、捕虜が母国に手紙を出すことは認められている。しかし、ソ連がそれを許したのは・・・すべての捕虜が対象ではなく、ソ連側が「優良労働者」などと認めた一部の捕虜たちであった。(栗原俊雄/著『シベリア抑留』岩波新書 2009.9 P137)』
 
 俘虜葉書の差出については「全員差し出せなかった」「全員差し出した」「一部のものが差し出した」など、収容所によってばらつきがあり、一律に「優良労働者」のみに認められたわけではない。(そういう収容所があったかもしれないが。)
 実際には、俘虜葉書を出したくない人にも「出せ、出せ」とうるさく言ったようだ。葉書を差し出そうとしなかった理由として、千葉は「思想調査に利用されることを嫌がった」としているが、このほかに「俘虜になったことを知られたくない」「特に書くことがない」などの理由もある。
 
 さて、シベリア俘虜葉書は、1946年11月26日、東京港に入港したスモールヌイ号により届けられたおよそ8万通を最初に、その後も、たびたび到着したので、総数は、かなりの数に上ったと思われる。しかし、市場に残っているものは案外少ない。しかも、ほとんどが往復はがきの往信部であって、写真のような返信部はさらに少ない。返信部は抑留者本人が帰国するときに持ち帰ったものなので、少なくて当たり前だが。

シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(3)2017年01月17日

最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「予防接種証明書」「下車駅調査カード」があった。(写真のもの)
  


シベリア抑留帰還者には、舞鶴から最寄り駅まで乗車券が支給されたのだろう。



シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(2)2017年01月16日

最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「引揚証明書」があった。(写真のもの)
 

 
厚生労働省の調査結果では、シベリア抑留者数として次の数値が掲載されている。
(1)旧ソ連地域に抑留された者 約 575,000人(うちモンゴル約 14,000人)
(2)現在までに帰還した者 約 473,000人(うちモンゴル約 12,000人)
(3)死亡と認められる者 約  55,000人(うちモンゴル約  2,000人)
(4)病弱のため入ソ後旧満州・北朝鮮に送られた者等 約  47,000人
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/11/01.html
 
 
 帰還した者、約473,000人の多くは舞鶴港に上陸したのだから、写真のような書類は相当数が作られたはずなので、珍しいものではなさそうだ。しかし、戦後70年を経過して、いまだに捨てられず残っているものは少なくなっているかもしれない。

シベリア俘虜関連資料2017年01月15日

 
最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「小隊員の名簿」があった。(写真のもの)
 
「我が小隊所属隊員の名簿。帰国時書類は発見されると没収されるという話だったので3部作成して部下の分隊長と手分けして持ったがこの1部だけ無事帰れた。手製のリックサックの縫目に縫い込んで来たので一部擦れて不鮮明な部分がある。欄内の者は新京で編成当時からの部下で欄外は入ソ後我が小隊に編入された者である。」
 
資料は、千葉巌が作成したもの。
 この名簿のうち、右ページ上段枠内の14名を「厚生労働省・ソ連邦抑留中死亡者名簿50音別索引(http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/50onjun/h03/index.html)」で調べると、最初の「高田五郎」が「1945/11/21 ハバロフスク地方・第18(コムソモリスク)収容地区 第893病院」にて死亡埋葬されていることがわかる。しかし、出身地が東京となっていて住所地の秋田とは異なる。また、「中島亨」が「1947/6/6 ウズベキスタン共和国 アングレン墓地」にて死亡埋葬されている。出身地と住所がともに長崎なので同一人物だろうか。それ以外の人は死亡者名簿に記載がないので、残りの12人は無事帰国を果たしたのだろうか。  
 
この資料は、別に欲しくなかったし、史料価値があるのかどうなのかもわからない。
 
この資料の価値についてわかる人、欲しい人がおられましたら、教えてください。

本の紹介―忘却された支配 日本のなかの植民地朝鮮2016年11月21日

 
伊藤智永/著『忘却された支配 日本のなかの植民地朝鮮』(2016.7)岩波書店
 
 戦前・戦中、日本は朝鮮半島を支配していた関係で、朝鮮人労働者を国内で強制労働に従事させていた。本書は、そのような痕跡を訪ねて、各地で強制連行・労働の実態解明や遺骨収集・慰霊などに努めている人々を紹介している。
 
 本書で取り上げている主な地点は「宇部・長生炭鉱」「北海道・浅茅野飛行場」「筑豊炭鉱」「紀州鉱山」「知覧特攻隊」。このほか、甲午農民戦争のときに朝鮮人大虐殺とそれに関与した四国の将兵にも触れられている。

ガールズ&パンツァー・・・大洗2016年11月13日

茨城県大洗市はアニメ・ガールズ&パンツァーの聖地になっています。
大洗市では、11月13日、あんこう祭りが開催されました。13日は混むので、前日、大洗に行きました。
  
磯前神社はガールズ&パンツァー最大の聖地。

  
参拝客のほとんどすべては、兄ちゃん。兄ちゃんのコスプレは、出来が良くなかった。

  
  
護国寺はテロリスト・井上日召を顕彰する日蓮宗の寺です。ガールズ&パンツァーとは、無関係です。写真は、井上日召の銅像。



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