鮭皮製 ― 2025年01月22日
樺太玉 ― 2025年01月21日
現在、東京国立博物館本館のアイヌ・琉球展示は樺太アイヌ関連の物が多いように感じた。
下写真は、北海道アイヌの樺太玉。
樺太玉;北海道アイヌ(室蘭)19世紀
江戸時代、アイヌの人たちはガラス玉が好きだった。このため、樺太経由で大陸からガラス玉が流入していたことは間違いないが、江戸など日本からもガラス玉が流入していた。このため、樺太渡来の玉か、日本渡来の玉かを見分けることは難しいはず。樺太アイヌの物ならば、樺太玉の可能性が高いが。東博の説明には『樺太玉』と書かれているので、樺太渡来と判断したのだろう。
下写真は、手元にあるアイヌ玉。左は比重2.4、右は比重2.5とどちらもソーダガラスと同程度。
樺太渡来か、江戸時代の日本渡来か、あるいは大正時代のアイヌブームの時に作られたお土産品かなど、判断がつかない。
本の紹介-写真が語る満州国 ― 2025年01月14日

太平洋戦争研究会/著『写真が語る満州国』(ちくま新書)(2024/7)
満州国の歴史の説明。写真と解説文が半々ぐらい。解説文の内容は一般的。
本の紹介-日ソ戦争 ― 2024年11月07日

麻田雅文/著『日ソ戦争-帝国日本最後の戦い』(中公新書 2798) (2024/4)
本書「おわりに」には以下のように記されている。
『日ソ戦争は、日本に無条件降伏を強いるという戦略目標を達成するために行われた、連合国の数ある作戦の一つである。軍事的にはそれ以上のものではない。しかし、この戦争を政治的にどう見るかは大きな争点だ。』
本書は日ソ戦争の起こりから、満州での戦争、樺太・千島での戦争を説明する。多くの文章は、軍事的に見た史実を解明するものであり、客観的な事実を知りたい者にとっては有益である。
日本側から見た満州での戦争については、主観的・政治的な本が多いなか、比較的客観的に書かれた本書は参考になるだろう。ただし、ソ連側からの本として「ジューコフ元帥回想録」が日本語に翻訳されて出版されているので、詳しい戦争の様態を知りたい場合は、こちらを読んだ方が良い。
千島・樺太での戦闘の説明では、玉音放送以降にソ連が戦闘を止めなかったことをくどくどと恨みがましく書いているが、この部分は客観的な記述ではなくて著者の思いだろう。玉音放送は、国民向け宣言にすぎず、8月14日の連合国宛通告は、ポツダム宣言受諾の用意あることを宣言しているに過ぎない。陸軍に対する命令は大陸命によるが、大陸命第千三百八十五号・大陸命第千三百八十八号では、第五方面軍を含む外地軍のうち支那派遣軍を除き、昭和二十年八月二十五日零時以降一切の武力行使を停止することが命じられた。実際には、命令が必ずしも行き渡らなかったので、9月2日に大陸命特第一号・大陸指特第一号で再度完全停戦命令を出している。
ところで、樺太真岡の占領では、本書にはソ連軍がいきなり艦砲射撃をしたとの記述がある。しかし、日本人の回想には、ソ連軍艦が入港に際して儀礼として空砲を撃ったところ、現地守備隊が砲撃したため、艦砲射撃が始まったとの話もあり、本書の記述の信憑性は検討の必要があるように感じる。
本書には、ソ連兵による略奪・強姦等の犯罪行為や、日本人が日本人女性を売春婦として差し出した話が記載されている。犯罪行為についていえば、日本軍人の中には悪い人も良い人もいたのと同様、ソ連軍人やアメリカ軍人の中には悪い人も良い人もいたという、単純な事実を表しているに過ぎない。個々の単発的事例紹介ではなくて、もう少し全体状況がわかるような記述にしてほしかった。ソ連兵の犯罪行為が組織的だったり、割合が高かったり、長期間に及んだのならば、それは歴史的客観的記述として重要かもしれないが、ソ連兵に関しては、そのような事実はない。戦争中の日本将兵の強姦は組織的な場合があり、日本国内における米兵の性犯罪は戦後70年を経た今でも続いているので、そういうことの腹いせの記述なのかもしれない。
ちょっといただけない内容がある。P232に「もし、米軍が先んじて千島列島の作戦担当区域に進駐していたらどうなっていただろうか」とある。歴史に「たら」「れば」をいうのは意味のないことだ。「米軍が進駐していたら」と考えた場合、現実とは、どの状況がどのように違っていたからそうなったのかによって、結果も全然異なる。複雑な現実をちょっと変えた場合の正確なシミュレーションなどできない。
もう一ついただけない記述がある。第4章のタイトルは「日本の報復を恐れたスターリン」である。イタコでもないかぎり、個人の気持ちなどわからないものだし、スターリンの日記にそうかかれていたとしても、誰だって、いろいろなことを考えるものだ。スターリンには恐れる気持ちも、恐れない気持ちもあっただろう。
総じて言えば、本書は、客観的な歴史書の部分が多い。ただし、著者の思いやが強い部分があって、読んでいてめんどくさくなった。
本-尖閣1945 ― 2024年10月22日

門田隆将/著『尖閣1945』産経新聞出版 (2023/11)
本書を読むことを薦めない。
太平洋戦争末期、石垣島から台湾へ向かった疎開船が、米軍機の攻撃を受け、尖閣諸島へ漂着した。事件は、Wikipediaに「尖閣諸島戦時遭難事件」の項目で、詳しく記載されているので、この事件が知りたいのならば、本書を読むよりはWikipediaの方が良いだろう。
本書は、この遭難事件を扱ったノンフィクション。お話として、興味本位に読むのならば、本書の記述でも良いが、どこまでが史実で、どこまでが脚色なのか、区別がつかない。なお、小説として読むにしては、文章が読みにくい。また、本書の全13章のうち、一つの章は尖閣の領有権を扱ったものであるが、記述量も少なく、ざっくりと日本領有論を主張するものなので、領有権問題に興味がある人は、他書を読んだ方が良い。
ところで、P67、P68に、以下の記述がある。これは事実だろうか、それとも単なるフィクションあろうか。
『ゆうゆうと船に向かって飛んでくるB-24の姿が飛び込んできた。・・・たしかに(疎開船から)機銃は発射された。だが米軍機に命中するようなものではなかった。たちまち、B-24の凄まじい機銃掃船が始まった。』
普通は、『米軍機から機銃掃射されたので、疎開船が応戦したが、当たらなかった』と書かれる。しかし、本書では、逆に、疎開船が最初に攻撃したように書かれている。疎開船が戦闘のきっかけを作ったのだろうか。
なお、本事件による犠牲者慰霊が、右翼勢力の領土要求に利用されることがある。この問題に関する記述は本書にはないが、Wikipediaには書かれている。この点を考えても、Wikipediaのほうが客観的な理解につながると思う。
本の紹介-古墳と埴輪 ― 2024年09月13日

和田晴吾/著『古墳と埴輪』(岩波新書) (2024/6)
古墳、特に大型古墳について詳しい。日本の古墳の説明にとどまらず、中国・朝鮮半島との関連で説明しており好感が持てる。しかし、この時代の知識が乏しい私にとって、詳細で難しすぎた。
本の紹介-戦争ミュージアム ― 2024年08月22日

梯久美子 (著)『戦争ミュージアム─記憶の回路をつなぐ』 (岩波新書) 2024/7
本書の内容は悪いとは思わないけれど、なんとなく突っ込み不足の感がした。最近の岩波新書はこのようなのが多いともいえるのだけれど。
取り上げている記念館は以下の14か所。
大久野島毒ガス資料館(広島県)
予科練平和記念館(千葉県)
戦没画学生慰霊美術館 無言館(長野県)
周南市回天記念館(山口県)
対馬丸記念館(沖縄県)
象山地下壕(松代大本営地下壕)(長野県)
東京大空襲・戦災資料センター(東京都)
八重山平和祈念館(沖縄県)
原爆の図丸木美術館(埼玉県)
長崎原爆資料館(長崎県)
稚内市樺太記念館(北海道)
満蒙開拓平和記念館(長野県)
舞鶴引揚記念館(京都府)
都立第五福竜丸展示館(東京都)
内容の多くは、戦争中の日本人の苦労話。戦争中、日本人が苦労したことや、日本軍国主義のために苦労させられたことは事実なので、そういう記述があるのは問題ない。私は、取り上げられている施設のうち7か所を見学したことがあるが、多くは、このようなニュアンスの解説だったので、本書もそれを踏襲しているのだろう。
このため、本書を読むよりも、実際の展示館を見学した方が良いし、それならば、本書を読む必要はないと感じた。
稚内市樺太記念館の章は、真岡郵電局で自殺した9人の乙女の話があるが、ここは、電信課の職員は自殺したものの、郵便課の職員に自殺者はいなかったことが知られている。戦後80年近くたつのだから、単純に気の毒と考えることのほかに、なぜ、不必要な自殺をしなくてはならなかったのかを考える思考能力があった方が良いと思う。
本の紹介ー弥生人はどこから来たのか 最新科学が解明する先史日本 ― 2024年07月22日

藤尾慎一郎/著『弥生人はどこから来たのか 最新科学が解明する先史日本』吉川弘文館 (2024/2)
日本の水田稲作の始まり、弥生時代に変容する過程を、炭素14、酸素16,18比、DNA分析などの物理・化学的手法などを使って、明らかにした最新の研究。
従来の説明では、水田稲作は、紀元前4世紀ごろ、朝鮮半島や中国南部から、九州北西部にもたらされ、そこから弥生時代が始まったとされていた。また、この時、少数の渡来人と縄文人が混血し、弥生人が作られたとされていた。水田稲作はその後200年ほどで、日本に広く伝わったと考えられていた。
本書によると、このような従来の弥生時代観は完全に覆される。水田稲作は朝鮮半島から紀元前10世紀に九州北西部に伝わったこと、弥生人の祖先は、縄文人との混血よりも、むしろ渡来人の人口増加によることが大きいこと、水田稲作は数百年かけてゆっくり日本への伝搬したことが解明されている。
佐倉にある歴史民俗博物館の展示では、弥生時代の説明が本書のようになっていて、かつての歴史教科書とは異なっていた。近年の研究成果に基づいているのだろう。
杉浦重剛 ― 2024年06月17日
杉浦重剛/著『昭和天皇の学ばれた「倫理」』勉誠出版 (2016/11)

昭和天皇・裕仁の少年期に、道徳を教えた杉浦重剛の著書で、本書は昭和天皇への講義録の復刻。
道徳って、つまらない科目だと思っていアけれど、本書を読んでも、つまらない。昭和天皇はまじめな少年だっただろうから、あくびもしないで講義を聞いていたかもしれないが。中学生以上の聡明な少年には、道徳や倫理ではなくて、もっと哲学的な内容にした方が良いのではないかと思う。
著者の杉浦重剛の墓は東京都文京区小石川の伝通院にある。
