本の紹介ーボーダーツーリズム2018年10月21日

  
岩下明裕/編『ボーダーツーリズム 観光で地域をつくる』北海道大学出版会 (2017/12)
  
ボーダーツーリズムとは、要するに国境地域の観光旅行。
本書では、「対馬ー韓国」、「稚内ーサハリン」、「八重山‐台湾」、「小笠原」の各地域の観光旅行を企画実施した経緯、旅行内容、顧客反応などを示し、ボーダーツーリズムの可能性を検討している。
  
でも、良く分からなかったのですが、今時、何がボーダーなのだろう。交通手段が悪かったときは、日本からサハリンに行こうとしたら稚内が日本側の起点になるだろうから「稚内ーサハリン」の組み合わせは重要だった。しかし、現在、東京の人がサハリンに行くのに、わざわざ稚内空港を経由する必要はない。日本―サハリンと考えた時、稚内はお呼びではないのではないか。対馬、稚内、八重山などは、ボーダーとしての価値はなくなって、たくさんある日本の僻地の一つに過ぎないのではないかと、そんな気がする。

本ー殉教の遺書・・・詐欺寺首謀者の弁明2018年10月16日

  
西川義俊/著『殉教の遺書』東宛社 (2001/1)
  
 700ページを超える大書。
 1986年、真言宗醍醐派の阿闍梨となった著者は、翌年、茨木県大子町に真言宗醍醐派・本覚寺を建立し、ここを拠点に大規模な霊視詐欺を行った。本書は、詐欺首謀者による弁明。著者の西川義俊には懲役6年が確定した。
 一審で懲役判決が出た後の、控訴趣意書の補充書が本書のメイン。本書に記載された内容は、有罪が確定した犯人の主張であり、判決ではほとんど退けられたものであるため、一般に言えば「虚偽」であるので、事実が書かれたものとして読むことはできない。なお、本書には付属資料として、一審判決書、控訴趣意書、検察による答弁書が掲載されている。
  
 西川義俊は真言宗醍醐寺で修業して阿闍梨になると、真言宗醍醐派の末寺として本覚寺を建立した。彼は宗教法人を持っておらず、個人で寺を作ることはできないので、醍醐派の末寺としたのだろう。常識的に考えたら、檀家もいない末寺を山の中に作ったところで、経営が成り立つはずはないので、寺を建てる理由に対して、醍醐寺が何も疑いを持たなかったとしたら驚きだ。醍醐寺は末寺ができて儲かることだけを考えていたのだろうか。まさか、詐欺を知っていて推進したわけではあるまい。
 その後、西川義俊は独立宗教法人を手に入れると本覚寺は醍醐派を離れた。醍醐派が破門したとか、けんか別れしたとか、そういうことではなくて、本覚寺の離脱に際して、醍醐派座主や宗務総長・仲田順和の祝辞があったことが、本書に示されている。本覚寺は醍醐派を離れた後も、詐欺僧侶の修行等で醍醐寺との関係は続いた。西川をはじめ全教師の僧籍は醍醐寺に残されたままだった(P365)。
 西川義俊は宗教法人・明覚寺を作り明覚寺グループで詐欺を続ける。一方、本覚寺が週刊誌等で「霊視詐欺」として批判されると、詐欺僧侶たちは本覚寺を放棄して明覚寺や関連寺院に移り、詐欺を繰り返した。
  
 一審判決では、西川被告や詐欺僧侶らは、「悩み事を解決する霊能などないのに、その霊能があるかのように装って、相談者に先祖の霊が取り付いており、供養料を支払ってこれらの霊を成仏させれば、悩み事が解決できる旨嘘を言って欺き、内金を受けとり、さらに後日、金を振り込ませた」ことが、詐欺と認定された。
 西川被告は霊能とは加持祈祷の能力のことで、明覚寺は醍醐山伝法学院を卒業して阿闍梨となったもの十五名、醍醐寺特別伝授会で四度加行を修し伝法灌頂にて阿闍梨となったもの約十五名、明覚寺で阿闍梨となったもの約二十五名の合計約五十五名の阿闍梨を要する宗教団体(P371)なので、霊能を有していると主張した。しかし、相談者には霊視的能力があるかのように装っていたとの理由で、西川被告の主張は退けられた。
  
 本覚寺・明覚寺の詐欺では、相談者から、その日のうちに金をとっているケースが多い。この点について、西川被告は、もともと祟っているのではないかと心配している人が相談に来ているので、供養を勧めたと主張している(P379)。「いのうえせつこ」の本によると、霊視商法の取材の中で会った主婦たちの多くは「生長の家」や「真如苑」などの新興宗教と呼ばれる信者たちだったとのことなので、西川被告のこの主張は事実なのかもしれない。
  
 ところで、西川被告は「当派の阿闍梨はすでに述べた如く、最低二年の厳しい修行をさせて伝法灌頂に入れているので、すぐに四度加行を形だけ修業して住職資格をとる者に比べて、ずっと質の高い者である」と書いており、阿闍梨になること自体はたやすいとの認識はあるのようだ。

本の紹介ー犀の角たち2018年10月15日

   
佐々木閑/著『犀の角たち』大蔵出版 (2006/7)
佐々木閑/著『科学するブッダ』角川学芸出版 (2013/10)
   
「科学するブッダ」は「犀の角たち」の文庫本。内容は同じ。
   
 京都大学工学部出身の仏教学者・佐々木閑の著書。理系出身の仏教学者だけあって記述は論理的。
「犀の角」とは、もっとも古い仏教経典のスッタニパータに記載された独覚(ブッダに依存しないで一人で悟りを得る人)のたとえ。科学と仏教の類似性から、科学研究者など科学に携わる人のことを「犀の角たち」と表現したのだろうか。
   
 本書は仏教の解説ではなくて、科学と初期仏教の類似性を解説するもの。キリスト教などと違って、外部に絶対神を置かずに、現実の観測によって因果関係により世界を認識するところに、科学と初期仏教に類似点があり、科学は物質世界を対象とし、仏教は精神世界を対象とする点で、両社は異なっている。
   
 本書の第1章から第3章は、それぞれ「物理学」「進化論」「数学」の話。第4章で「初期仏教」の話がある。このため、内容の多くは仏教の話ではなく科学の話。
 「物理学」の話は、大学理学部で学ぶ素粒子論の基礎程度の知識がないとついてゆけないと思う。
 「進化論」の話は、ダーウィンの進化論の知識でついてゆけるのかと思って読んでいたら、木村資生の進化の中立説の話が出てきた。私は大学院学生だった時、専攻が確率論だったため、確率過程論の適用事例として集団遺伝学の特別講義を聞いたことがある。進化の中立説が妥当な結論であることを理解するためには、確率過程論の知識がないと難しいだろう。ただし、本書を理解するために、確率過程論の知識が必要とはいえない。進化の中立説については、以下の本が易しく詳しい。
  『木村資生/著 生物進化を考える (岩波新書)(1988/4)』
   
 「数学」の話は、大学理学部の教養程度の数学知識がないと読み進めるのは難しい。著者の説明が妥当か否かを判断するためには、数学の論理学の知識が必要のように感じたが、私はこの分野を勉強していないので良く分からない。
   
 第4章は初期仏教の説明。初期仏教はバラモン教を否定するために誕生し、自分自身の努力で涅槃に入ることを目的とした宗教で、科学と同じく、外に神のような絶対者を措定しないところに特徴があった。
   
 第5章は本書の本論とは異なり、大乗仏教が起こった状況の概説と大乗仏教が科学や初期仏教と異なり、外に絶対者を置くことに至った理由の説明。

本の紹介ーブッダ最期のことば2018年10月13日

 
佐々木閑/著『ブッダ最期のことば(NHK「100分de名著」ブックス )』NHK出版 (2016/6)

 仏陀の死の様子を著した「涅槃経」には、小乗のものと、大乗のものがある。本書は、小乗涅槃経のうち主にパーリ語経典をもとに涅槃経を解説するもの。
 涅槃経は仏陀が死ぬときの旅の物語の中に、僧侶への教え、大衆への教え、教団維持のための教えが示されている。本書では、このような涅槃経の教えを解説する。このため、本書は、単に涅槃経の解説にとどまらず、仏陀の教え全般の解説になっている。仏陀は超越的絶対者にすがるのではなくて、自分の心の修養を教えたことが明確に示されている。
 著者は京都大学工学部で化学工学を学んだ人なので、科学的合理的精神の持ち主のようで、本書の解説も論理的で読みやすい。
 終章に大乗涅槃経と小乗涅槃経の対比が述べられる。大乗涅槃経がブッダの教えから離れた状況も詳しい。

 小乗涅槃経の全訳としては、中村元/著「ブッダ最後の旅」が岩波文庫から出版されている。

本の紹介ー仏教は宇宙をどう見たか2018年10月11日

   
佐々木閑/著『仏教は宇宙をどう見たか アビダルマ仏教の科学的世界観』 化学同人 (2013/2)
  
 初期仏教のうちの有力部派、説一切有部のアビダルマコーシャ(倶舎論)の解説。
 倶舎論は煩瑣哲学の代表であるが、その後の唯識や中観に対しても大きな影響を与え、大乗仏教の哲学を生む契機となった。このため、倶舎論を知ることは、仏教の正しい理解のために必要なことである。奈良仏教の倶舎宗は倶舎論研究を目的とした宗派。
  
 本書は倶舎論の解説本としては、現代人にとって一番理解しやすい。本書の著者は工学部出身の異色の仏教学者なので、科学的合理精神に基づく解説になっているためだろう。40年ほど前、倶舎論の解説本である、上村春平・他/著「存在の分析 アビダルマ」を読んだことがある。本書はこの本に比べはるかに読みやすい。ただし、本書の内容は倶舎論の解説のみで、成立の背景や仏教全体に対する位置の説明はない。
  
 内容は、倶舎論における「物質の認識」「心の認識」「時間の認識」「エネルギーの認識」「因果」の説明。物質とは物理学の物質とは異なって、物質と認識の関係で物質を理解する。心は、物質と認識と精神作用の関係である。このように、倶舎論における物と心の定義は西洋哲学の定義と異なるので混乱しやすいが、本書では丁寧に説明してあり、混乱なく読める。

本の紹介―仏教入門2018年10月10日

    
松尾剛次/著『仏教入門 (岩波ジュニア新書)』岩波書店 (1999/6)
   
 中学生・高校生向きに仏教の全体像を解説するための本。中高生向きの本であるため、ですます調で書かれている。難しい単語も少なく読みやすい。
 内容は、おおむね、日本仏教を中心とした仏教史の説明。
 第1章は仏教思想全般の概説。第2、第3章はインドや中国など、日本に仏教が伝来する以前の仏教の説明。第4章~第6章が日本の仏教史の説明。第4章が奈良・平安時代、第5章が鎌倉・室町時代、第6章が江戸時代で、第6章には明治以降現代の新興宗教についても若干触れられている。
 本書の内容は主に仏教史なので、世界史の教科書と日本史の教科書の仏教関連内容を詳しく書いたものと言ってよいだろう。歴史的事実や事項を知らないと正確な内容理解はできないので、本書のような歴史中心の記述は青少年にとって有益だ。しかし、思想・信仰の内容にあまり踏み込んでいないので、歴史好きの人以外には物足りなさを感じる。
 本書で物足りなさを感じた人は、岩波新書から出版されている渡辺照宏の名著「仏教」「日本の仏教」「お経の話」を薦めたい。

本の紹介ー新興宗教ブームと女性2018年10月08日


いのうえせつこ/著『新興宗教ブームと女性』新評論 (1993/7)

 本書のタイトルは「新興宗教」。新興宗教の用語には侮蔑的な意味があるので、最近は「新宗教」ということが多い。

 本書は女性、特に主婦が新興宗教に取り込まれてゆく様態を取材に基づいて説明するもの。日本の新興宗教信者の7、8割は女性だそうだ。先日、半蔵門駅を降りたら、真如苑に大挙して訪れる人たちに出会ったが、9割が女性だった。中年・中高年が多かった。

 本書は、第1章で本覚寺詐欺事件にあった女性たちの話。本覚寺に入信した場合は、ほとんど詐欺被害にあっているので、本章は詐欺被害の話にもなっている。第2章から第4章は統一教会に入信した人たちの話。統一教会は霊感商法被害が有名だが、本書には詐欺被害の話題はあまりない。第5章は幸福の科学に入信した人の話。第6、7章はエホバ、実践倫理、コスモメイトに入信した女性の話と、女性が入信する社会背景を分析している。コスモメイトの話では、教祖の深見によるセクハラ事件に触れられている。

 本覚寺詐欺事件では、どういう理由で詐欺に引っかかったのか不思議だったが、本書によると、霊視商法の取材の中で会った主婦たちの多くは「生長の家」や「真如苑」などの新興宗教と呼ばれる信者たちだったそうだ(P32)。
 本覚寺詐欺の手口は、相談に訪れた人に対して、先祖の霊が苦しんでいる等の脅しをかけて、供養料など名目で多額の金銭をとったものである。真如苑では、先祖の霊が苦しんでいる等の脅しをかけて護摩焚きを進めているので、このような新興宗教信者が本覚寺詐欺に引っかかったのは理由があることだったのだろう。

本覚寺詐欺事件について、良くまとまっているので、関連部分を引用する。

 週門誌などで書かれている「霊視商法」とは、宗教法人「本覚寺」(西川義俊管長)が、新聞折り込みチラシで、悩みを持つ人を集めては「霊視鑑定」と称するものを行い、除霊しないと不幸になると脅して、多額の供養料などを取っているというものである。
 九二年九月二十日号の「サンデー毎日」によると、国民生活センターに寄せられた被害は約四百五十件、要求された額は合計で約四億五千五百万円にものぼるとしている。
 本覚寺の本山は茨城県久慈郡大子(だいご)町。首都圏八カ所にある道場は、「春光寺 千葉市」「実証寺 柏市」「法輪寺 東京・池袋」「昇雲寺 東京・恵比寿」「迎春寺 国立市」「明星寺 大宮市」「光明寺 横浜市神奈川区」「幸福寺 厚木市」
 この本覚寺は、雑誌・月間「住職」(九〇年十月号)などによると、同寺の金銭上のトラブルから殺人事件まで起こしている。
 八九年九月二十四日、本覚寺東京寺務所内で、元管理本部長の近江伸夫氏が、胸や腰など五ヵ所を刺されて死亡するという事件である。事件発生後十一カ月ぶりに、犯人が逮捕されたが、犯人四人は本覚寺内部の職員たち。犯行の動機は、本覚寺からの独立をめぐる金銭上のトラブルだった。八九年当時の本覚寺の収入高は九億一千万円を超えている。
 また、同年の四月、本覚寺は京都の真言宗醍醐派の総本山・醍醐寺の保証書を偽造、銀行家ら六億円の融資を受けていたことが明らかにされ、寺側も保証書偽造の事実を認めている。
 新興宗教ビジネスという言葉もささやかれるほどに、宗教法人の税制優遇措置をねらって、遊園地や不動産会社までもが競って宗教法人を名乗り、またバブル時代金儲けイコール宗教法人とまで言われてきた。この急成長を遂げている宗教法人"本覚寺"とはー。
 管長は西川義俊氏。宗教の世界に入る前は、健康食品や避妊具などの販売会社「㈱協和」を経営していたが、そのやり口はスキンー箱を四、五万円で売りつけるという暴利をむさぼるものだった。その後、地元の曹洞宗系の寺院とタイアップして、「水子供養奉賛会」と称し、木製の小さな水子菩薩像などを売るようになった。このとき、西川管長は、新聞の折り込みチラシを利用している。その後、八五年六月に口本仏教指導会を設立し、翌八六年には、本覚寺の前身である「実修学院」を千葉県柏市に開設している。仏壇やら仏像の販売をしながら、何んとしても宗教法人をとりたいと、真言宗醍醐寺にとり入り、末寺としての単立の宗教法人本覚寺を仕立て上げた。健康食品から水子供養へ。そして宗教法人へと移っていった背景を考えると、いつも売りつけられる側(買う側)が主婦だということが共通している。
 健康食品と言えば、どんなに高くても、つい買ってしまう主婦の心理。また、中絶経験を持たない主婦をさがす方がむずかしい状況をうまくつかんでの水子供養を商品にした西川管長は、ある意味で日本の主婦の感覚を巧みに利用した人物と言えよう。新興宗教の信者の七、八割が主婦で占められているという世界各国の中でも特異な日本の状況を西川館長は知っていたのかどうか……。
 前述の月刊「住職」や「サンデi毎日」などによると、各道場に電話をかけてくる主婦らを霊能教師とよばれる女性たちが待ち受けて、霊の障りなどを持ら出し、脅したりすかしたりして入信させる。入信というのは、先祖供養や水子供養などをさせることで、夫婦両家の供養なら百三十万円、それがうまくいくと、次から次へとさまざまな供養をすすめて金を出させる。保険を解約させたり、サラ金でお金を借りることをすすめたりもする。信者の多くは、家族に内緒で相談に来る人が多いため、表立ってのクレームをつけられない。この点を利用しての行為は、まさに霊視を売りものにした商法と名付けられてもしかたがないだろう。
 霊能教師の女性たちは、本覚寺で得度を受け、一ヵ月の特別研修を終えた入たちと言われているが、実際は、相談には来たがお金が払えない人(離婚、母子家庭など)がその役割を押しつけられ、寺側から与えられたマニュアルどおりに「霊視」をして、「供養献金」を強要しているのが実態である。また、霊能教師には月一千万円から三千万円程度の"売り上げ"がノルマとして課せられているということである。
 本覚寺が九二年九月に出したB4判四頁にわたる見開きのチラシ「雪視案内」によると、四面に「救いのための寺の運営と儀式の行事」と「女性修行者募集」が載っている。また、一面にある「宗教の役割」を読むと、本覚.寺の監視商法とはこれ如何に?という文章もある。
 「(略)宗教はお金がすべての物質主義の社会とは、ある意味で一線を通した立場に立っています。その宗教や神仏までも、金銭感覚だけではかろうとする現代社会の風潮に対しては、はっきりと対立する立場にあります(略)}と。
 本覚寺は、前述したように茨城県の本山と、東京、千葉、神奈川、埼玉の四都県に八カ所の寺院を持つ他に、財務、人事などの本部機能として東京寺務所がある。職員数は本部約七十人、全部で約三百人と言われている。
 九二年三月期の総収入額は約七十五億六千五百万円にものぼっている。この多くは、主婦たちの悩みをえさにしての霊視による供養料である。

 この霊視商法の多額な金額は、果たしてどこへ流れているのか。十月四日、朝日、毎日、読売、その他、地方紙といわれている新聞紙上にまで広告が出た。広告主は高野山真言宗総本山金剛峯寺。高野山奥の院命源寺とは関係ないという内容の謹告である。
 本覚寺は、高野山金剛峰寺の地続きに土地を購入。そこに供養塔を建立している。始めて訪れた人は、金剛峯寺の一寺と思い込んでしまう場所である。十月十五日には第一回の伽藍の落成式も行われた。
 本覚寺側は多額な供養料を要求するときは、「高野山に位はいなどを供養する本堂をつくるから」と言ったり、「高野山にお地蔵さんを建ててあげるから」と言って一体三百万円から一千万円ほどを出させている。
 高野山金剛峯寺としては、地名である高野山の名前を使うなとは言えないが、同一視される誤解が生じていることから、前記のような謹告となったわけである。
 しかL、それにしても、霊視商法による多額な金集めのターゲットになっている主婦たちは、どのような生き方の中ですがって、だまされているのだろうか。(P14~P20) 
 また、P24には浦和の高校教師夫妻の長男刺殺事件に本覚寺詐欺事件が関係しているとの記述があるが、いつの事件なのか書かれていないので、そのうち、新聞を調べてみようと思う。

本の紹介ーオウムの黙示録2018年10月07日

日高恒太朗/著『オウムの黙示録 新興宗教はなぜ流行るか』(1995/6)新人物往来社

この本は、1992年に出版された『新興宗教はなぜ流行るか』に、オウム事件を追記したもの。

本の紹介―新興宗教はなぜ流行るか2018年10月06日

日高恒太朗/著『新興宗教はなぜ流行るか』(1992/9)新人物往来社

 新興宗教ビジネスの実情を解説する本。

 宗教学者・島薗進は新興宗教のうち1960年代から70年代以降盛んとなったスピリチュアルブームで拡大したものを「新新宗教」と名付けた。しかし、小さな新興宗教教団などはこのような分類が適当でないものも多い。著者はこのような分類には従わず、旧来の「新興宗教」の用語を使用している。このほうが、なじみが深く分かりやすいことは言うまでもない。

 本書では、最初に、新興宗教にはまった人を取り上げる。新興宗教としてはMiho、神慈秀明、真光、オウムなど。
 続いて、新興宗教ビジネスの仕掛人のはなしと、宗教法人売買の話がある。新興宗教を立教するときの内実を明らかにすることを目的としている。ここでは、有名どころの新興宗教教団の話は出てこない。
 続く章では、新興宗教教団が芸能人をどのように広告宣伝に使っているかを説明する。芸能人利用と言えば、なんといっても真如苑なので、この章の中心話題は真如苑である。芸能人とは関係ないが、教祖一家のセックススキャンダルについても詳しい。
 さらに、「神様人間百態」「メディアと宗教」の章がある。

本の紹介ー新興宗教2018年10月05日

横山真佳/著『新興宗教 政治動向を左右する巨大”党派” 』教育社 (1979/10)

毎日新聞の記者による新興宗教の解説本。出版が古いのと、現在では入手困難なので、今、読むメリットはあまりないと思う。

 幕末以降あるいは明治以降に誕生した宗教を「新興宗教」と呼んでいた。しかし、戦時中に新興宗教が邪教視されたことや、戦後になってから新興宗教教団の脱税などの犯罪が横行したことから、「新興宗教」の言葉には侮蔑的な意味が含まれるようになった。このため、新興宗教を研究する場合等は「新宗教」の言葉を使うことが一般的になっている。本書のタイトルは「新興宗教」が使われているが、本書出版の1970年代末では、すでにこの言葉はあまり使われなくなっていた。本書は新興宗教の解説書だが、特に侮蔑的な意味はなくニュートラルな立場で書かれている。

本書で取り上げられている新興宗教のうち仏教系のものは、「本門仏立宗」「霊友会と系統諸教団」「創価学会」「国柱会」「日本山妙法寺大僧伽」「解脱会」「孝道教団」「念法真教」「真如苑」「弁天宗」。
ただし、国柱会以下は名前と所在地等の基本情報のみ。

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