本の紹介-浄土思想入門2021年04月08日

 
平岡聡/著『浄土思想入門 古代インドから現代日本まで』(2018/10) 角川選書
 
 仏教学者による浄土思想の一般向け解説書。仏教学者による解説であるため、荒唐無稽な念仏のご利益を解いたり、個人の信仰心の告白本ではなく、客観的事実を説明するもの。
 内容は、インド仏教・インドの浄土思想・中国の浄土思想・法然以前の日本仏教・法然の浄土思想・親鸞の浄土思想・一遍の浄土思想・明治以降日本の浄土思想。このうち、法然以降が全体の半分なので、内容的には、インド・中国の話が薄く、法然・親鸞・一遍の話が多い。
 インドで起こった大乗仏教は、釈迦の仏教からはずいぶん離れているが、浄土思想は、それに加えて、中国・日本で大きく変質した。本書には、大きな変質点が書かれており、浄土思想を歴史的に正しく理解するうえで有益だ。なお、法然の浄土教に対しては明恵の批判が有名だが、これについては、本書ではほんの少し触れられている。
 
 浄土真宗の正信偈には「天親菩薩造論説 帰命無碍光如来」と、世親が浄土教理論の創設者としてたたえられている。しかし、世親は瑜伽行唯識学派の学僧なので、法然や親鸞の浄土教とどのようにつながるのか疑問だった。
 本書によると、世親の浄土教は曇鸞によって、改変されたそうだ。
 浄土に往生する方法や往生自体を曇鸞はどう考えたのか。世親は五念門の修習を往生の要件とするが、曇鸞はこの思想を受け継いではいない。・・・(曇鸞の止観理解は)まったく本来の意味から外れているのだ。こうして、世親が『往生論』で展開した、止観を中心とする鍮伽行唯識の自力的側面はすっかり削ぎ落とされ、代わって信仏や聞名などが往生の因として顔を出す。このように変容したのは、曇鸞が喩伽行唯識の教理を理解していなかったこともあるが、曇鸞が生きた時代背景を考慮すべきであろう。彼の時代観は「無仏の世/五濁悪世」であり、これを克服するには従来の自力解脱型の仏教ではなく、他力救済型の新たな仏教が必要と感じ、自力と他力の混合からなる『往生論』から自力の要素を排除し、純粋な他力の立場で『往生論』を解釈しなおした。このようにインド撰述の世親の『往生論』は中国に将来され、漢訳されて曇鸞の解釈を経ることにより、自力的要素は排除され、日本人に馴染みの深いの浄土教へと変貌を遂げる大きな一歩を踏み出した。(P74,P75)
 曇鸞のほか善導など中国浄土教僧侶により浄土教は恣意的改変がなされた。日本でも、法然・親鸞と浄土教は恣意的改変がなされている。釈迦の教えに恣意的改変を施すことは、きわめて不謹慎との見解もあるだろう。この点について、著者は以下の見解を示している。
(仏教教義を恣意的に解釈する)仏教者の態度を、古くは津田左右吉が痛烈に批判した。その典型は『無量寿経』の「十念」を善導が「十声」と解釈した例である。この改読により浄土教は劇的に変容してしまったが、これも含め、津田は「故意の改作と錯誤との二つのみちすじが考えられるが(中略)、彼等の尊重する経典そのものに対しても、彼等みずからのしごととしても、極めて不忠実な、恣な、また甚だしく不用意な、しわざであつたに違ひない」と言う。

 これに対して、我々はどう応えるべきか。
 仏教は苦からの解脱を目指す宗教だ。苦の本質は同じだが、その苦を感じている人間は固有の時代性と地域性の中で生活しているので、苦からの解脱の方法もその時代性と地域性とを意識して、カスタマイズ(時機相応化)する必要がある。だから時代とともに教法が変容するの必然だ。「時機相応」は浄土教の専売特許のように聞こえるが、実は仏教自体が時機相応の教えであり、浄土教はその典型例に過ぎない。平安末期から鎌倉初期にかけての浄土教は末法を強く意識して教えを説いたが、明治期以降はほとんど末法は意識されず、それに代わって西洋から将来された科学的思考に基づいて浄土教が理解されていることからも首肯されよう。(P230~P232)
 仏教学者であり浄土宗の僧侶である著者には、これ以外の見解はないのだろう。しかし、それならば、仏教を標榜するのはやめて新興宗教を布教する方がよっぽど潔いように感じてしまう。

 浄土教は「あの世」を対象としているので、「この世」を対象とする自然科学と矛盾することはない。しかし、自然科学に親しんでいる現代人の多くにとって、死後の世界のご利益を解かれても、あまり関心が持てないと思う。そうした中、浄土教の現代的な意義は何なのだろう。本書の終章には著者の思いが書かれている。著者は「人生に意味はない」としたうえで、浄土教を人生を意味あるものとしての物語と位置付けている。著者は仏教学者であると同時に浄土宗の僧侶でもある。仏教学者としての浄土教と、法然を宗祖とする浄土教とを融合させる手法として、このような考えに至ったものと思う。
 「人生は意味がある、浄土や阿弥陀仏は心の問題」と理解することも、現代人には違和感がないと思うが、それだと、法然流の浄土教ではなくて、世親の浄土教に近くなるか。

本の紹介-菩薩とはなにか2021年04月05日

 
平岡聡/著『菩薩とはなにか』春秋社 (2020/7)
 
著者は京都文教大学学長を務める仏教学者。
菩薩は大乗仏教を特徴付ける最も重要な概念であり、日本でも如来と同等かそれ以上に信仰されている。
本書は、大乗仏教における菩薩の「願」「行」「階位」を主に経典に基づいて説明し、さらに、中国や日本における菩薩信仰についても触れている。
他書の引用や、サンスクリッド語の単語が示される個所があるなど、専門的な内容が多いので、ある程度の仏教知識がないと読みにくい。
 
『菩薩』とは何であるか。おおよその雰囲気はたいていの日本人ならば知っているだろう。しかし、仏教学者による専門的知見として、菩薩を専門に取り扱った本を、これまで読んだことがないので、大乗仏教の信仰とはどのようなものであるのかを知るうえで、大いに参考になる。

本の紹介-ルポ「日の丸・君が代」強制2021年04月04日

 
永尾俊彦/著『ルポ「日の丸・君が代」強制』緑風出版 (2020/12)
 
著者は、元・毎日新聞記者で、現在はルポライター。
石原慎太郎知事時代の東京都や、橋下徹知事時代の大阪府であった、公立学校行事や公立学校教師に対する日の丸・君が代の強制の実態が詳述されている。

本の紹介-東電原発事故 10年で明らかになったこと2021年04月02日

 
添田孝史/著『東電原発事故 10年で明らかになったこと』平凡社新書(2021/2)
 
著者は大阪大学基礎工学研究科修士修了の科学ジャーナリスト。
本書は、福島原発事故10年が過ぎて明らかになった、これまでの東電のずさんな事故対策を明らかにするもの。
 
第1章は福島原発事故のあらまし。すでに、良く知られていることなので、読み飛ばしても良いだろう。
第2章が本書の中心で、ページ数も多い。事故前に、津波の可能性が指摘され、女川原発や、東海第2原発なででは、それなりの津波対策をしていたにもかかわらず、東電だけが津波対策を故意に怠っていた事実を明らかにしている。
第3章は原発事故裁判の話。政府・東電が事故に真摯に向き合うことなく、言い逃れに終始している実態が示される。
第4章はまとめや今後の話などであり、ページ数は少ない。
 
本書を読むと、如何に東電の対応が悪かったか、さらに事故後も対応が悪いのかが、良く分かるだろう。福島原発事故は予期しえない自然災害などではなく、東電の故意犯に近いように感じる。

本-花粉症と人類2021年03月22日


小塩海平/著『花粉症と人類』岩波新書 (2021/2)

 岩波新書では黄版・赤版時代に、矢田純一/著『アレルギー』が出版されている。これらの本は病気としてのアレルギー症の説明で症状の発生メカニズムや治療が主眼だった。今回の『花粉症と人類』は花粉と花粉症の歴史が主題となっており、病気の発生メカニズムや治療の話はない。

 岩波新書としては162ページと薄い。日本で花粉症が有名になったのは、プロ野球の田淵幸一であるとの説明は、まあ、そんなものかとも思うけれど、それ以前にもスギ花粉症は、十分に有名だったような気がする。1970年代前半には「花粉症」の用語は聞かず、「アレルギー性鼻炎」と言っていたように思う。また、1970年代中盤にスギ花粉症の話が読売新聞に記載されていたように記憶しているが、そのような話は本書にはなかった。

本の紹介-新宗教を問う2021年03月21日

 
島薗進/著『新宗教を問う』筑摩新書 (2020/11)
 
 さすが新宗教問題の泰斗による執筆と感心した。日本の新宗教の概要を知るために最適な本と言える。かなり詳しく、いろいろな新宗教について触れられており、創価学会・霊友会・大本教のような主要な新宗教はかなり詳しい。また、新宗教が日本で盛んな社会的な背景の説明も詳しい。
 本書は一般読者を対象に、日本の新宗教の全体像を明らかにするもの。新書なので、特に専門的な内容はないが、巻末には参考文献もある程度詳しく記載されており、より進んだ学習にも役立つ。逆に言えば、これまでよく知られていたことを上手にまとめた本で、特に面白い内容があるわけではないかもしれない。
 
 新宗教の中で、最も勢力があるのは創価学会だ。本書の第一章・第二章は創価学会の概要と歴史に焦点を当てている。
 このあと、第三章では霊友会系(霊友会の他、立正佼成会・孝道教団・妙智会教団・仏所護念会・妙道会など)を解説し、第四章では、大本・大本事件と大本系として成長の家・世界救世教・真光系・MIHOなどの主要教団を解説している。現在、自民党に深く食い込んでいる右翼組織の日本会議は生長の家がベースになっている。生長の家・教祖の谷口雅春は戦時中に強度な天皇崇敬を鼓舞していたため、戦後になると公職追放にあっているとのことだ(P123)。
 日本で、これほど新宗教が隆盛したのは、社会状況に依存している。戦後、創価学会や霊友会系・大本系などが大きく発展した理由を以下のように概括している。
 
 新宗教が成長した時期は、国民が連帯意識をもち、強さや豊かさという広く共有された目標に向かって前進する時代だった。それが「進歩」と感じられたのだった。・・・前を見て成長をすると意識された時代に、新宗教は大きく成長した。大本と、生長の家、世界救世教などを合わせた大本系の教団、霊友会、立正佼成会、妙智會などを含んだ霊友会系の教団、そして創価学会がこの時期に発展した代表的な教団で…ある。(P130,131)
 
 このほか、PL教のように、修養団体として拡大した新宗教もある。一燈園のような新宗教や京セラ・ダスキンのような企業も修養団体的側面を持つとのことだ。
 
 本書では、このほか、明治以前の新宗教の萌芽として富士講などの各種講や、明治以降に拡大発展した天理教・金光教さらには国柱会などを説明し、日本の新宗教の特徴として現世利益的であるとの指摘がなされている。
 ただし、1970年代以降に拡大した、オウム・真如苑・統一教会・エホバなど、いわゆる新新宗教と言われた新宗教では、現世利益よりも来世あるいは別の世での利益を説いており、これまでの新宗教とは異なった性質を持っている。これら新新宗教の中には社会との軋轢を起こすものも多い。ただし、真如苑は社会との軋轢を起こしているとは言えないし、本書では以下のように書かれており、旧世代の新宗教と新世代の新宗教を併せ持っているようだ。
 
 真如苑のこうした「顕幽一如」の信仰のあり方は、現世主義的ではあるが、超越的な領域が重視され、信徒らが超越界との直接交流に関わる度合いが大きいという点で、それまでの新宗教とは異なっている。これが一九七〇年代以降に真如苑が成長を続けた要因の一つと考えられる。だが、真如苑のあり方を全体として見ると、それまでの新宗教とは異なる新しさを、全面的で劇的な転換の結果とみるのは適切ではないだろう。(P240)

本の紹介-朝鮮戦争を戦った日本人2021年03月16日

 
藤原和樹/著『朝鮮戦争を戦った日本人』NHK出版 (2020/12)
 
本書は、2019/8/18に放送された、NHK BS1スペシャル「隠された戦争協力 朝鮮戦争と日本人」の内容をもとにしたノンフィクション。
 
平和憲法が施行され、日本は戦争に加わらないことになったが、朝鮮戦争が起こると、輸送業務など戦争の後方支援に従事した。本書は、後方支援だけではなくて、直接戦闘行為に加わった日本人が存在したことを取材した。北朝鮮人や中国人多数を銃殺した日本人、戦死した日本人を取材している。彼らは、在日米軍基地従業員だったが、通訳や食事掛として従軍し、戦闘行為に参加することになった。

本の紹介-原子力の精神史 <核>と日本の現在地2021年03月15日

 
山本昭宏/著『原子力の精神史 <核>と日本の現在地』集英社新書 (2021/2)
 
 日本は唯一の被爆国として、核兵器に反対する意見が多いことになっている。同時に、アメリカの核の傘にあって、核兵器のおかげで平和が保たれているとの見解もある。さらに、福島以前は原子力発電を推し進めてきた経緯がある。
 本書は、このような国民意識がどのようなものであり、どのように変遷してきたのかを解明するもの。報道のほかに文学を利用している。政府見解を追ったものではない。特に目新しいことは少ないかもしれないが、日本人の核エネルギーに対する意識が分かる。
 
 以下の話は知らなかったので、ちょっと興味が持てた。(P111)
 
(理化学研究所のトップだった)物理学者の仁科芳雄は、一九四八年に次のように述べている。
 寧ろ科学の画期的進歩により、更に威力の大きい原子爆弾またはこれに匹敵する武器をつくり、若し戦争が起つた場合には、廣島、長崎とは桁違いの大きな被害を生ずるということを世界に周知させるのである。・・・若し現在よりも比較にならぬ強力な原子爆弾ができたことを世界の民衆が熟知し、且つその威力を示す実験を見たならば、戦争廃棄の声は一斉に昂まるであろう。(『読売新聞』一九四八年八月一日)

本-日本人は本当に無宗教なのか2021年03月13日

 
礫川全次/著『日本人は本当に無宗教なのか』平凡社新書 (2019/10)
 
特に興味が持てる内容ではなかったけれど、読んだことを忘れないようにタイトルのみ記載します。

本の紹介-ロヒンギャ危機 「民族浄化」の真相2021年03月08日


中西嘉宏/著『ロヒンギャ危機 「民族浄化」の真相』 中央公論新社 (2021/1/18)
 
 ロヒンギャとはミャンマー西部のラカイン州に住み、イスラム教を信仰し、ベンガル語を母語とするベンガル民族の人たち。19世紀の英国占領地時代や第二次大戦後の混乱期などに、バングラディシュのチッタゴンなどから移住してきた。また、1971年のバングラディシュ独立前後に、混乱を避けるためバングラディシュからやってきた不法難民もロヒンギャに含まれる。
 「ロヒンギャとは何か」、「ロヒンギャ問題とは何か」 この問題に対して、ロヒンギャの歴史、民族問題、ロヒンギャのテロリスト、ロヒンギャの危機など、ロヒンギャ問題を知るうえで必要となる知識がが記載されており、ロヒンギャ問題の全体像を知るうえで好適な本。
 著者は京都大学准教授であるが、文章は読みやすく、ロヒンギャ問題やこの地域の歴史などの事前知識がなくても、十分に読むことができる。読んでいると、ジャーナリストの書いた文章化と思ってしまうほど理解しやすく書かれている。
 各章は以下の項目になっている。
 序章:難民危機の発生 
 第一章:国民の他者-ラカインのムスリムはなぜ無国籍になったのか
 第二章:国家による排除-軍事政権下の弾圧と難民流出
 第三章:民主化の罠-自由がもたらした宗教対立
 第四章:襲撃と掃討作戦-いったい何が起きたのか
 第五章:ジェノサイド疑惑の国際政治ーミャンマー包囲網の形成とその限界
 終章:危機の行方、日本の役割
 
 現在、ロヒンギャ難民のおかれている悲惨な状況だけがやたらと詳しい本もあるが、本書はそう言った本ではなくて、ロヒンギャ問題を客観的に理解することができる。
 現在のロヒンギャ難民問題は、イスラム過激派の中で育った、地域テロ組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)」とロヒンギャ住民が一体となって、警察署などを襲撃し、政府に協力する地元住民やヒンズー教徒の虐殺を行ったことに始まる。ARSAのテロ行為に対して、以下の記述がある(P139)。 
ARSAは襲撃後の声明で、この襲撃を「ジハード」(聖戦)だと表現した。また、襲撃がイスラーム的に合法であるというファトワー(イスラム法学者の見解)を、ARSAに所属する地元のイスラーム法学者が出していた。襲撃後には、サウジアラビア、ドバイ、パキスタン、インド、バングラデシュのロヒンギャ・コミュニティで、ほぼ同様のファトワーが出ている。
 ロヒンギャのイスラム社会全体がテロを肯定しているということなので、ロヒンギャ自体がテロリスト集団ということなのだろう。

* * * * * *

<< 2021/04
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

RSS