尖閣は日本固有の領土ではない2016年09月04日

 
 尖閣は日本固有の領土だろうか。「固有の領土」は日本政府の言うことを信じ込むために使われているだけの用語なので、何をもって「固有の領土」なのか、そんなことは、どうでもよいことである。
 現在、日本政府は「固有の領土」とは一度も外国の領土となったことがない日本の領土、としているようだ。
 
 では、尖閣は日本固有の領土だろうか。
 
 1945年、日本の敗戦により沖縄はアメリカ統治になった。沖縄が外国だったのだから、尖閣も外国だ。一時、外国だった尖閣が、日本政府の説明による「日本の固有の領土」でないことは明らかだろう。
 「沖縄は占領統治になっただけで外国になったわけではない」こんな屁理屈をいう人もいるかもしれない。
 写真は、1953年に那覇から日本に宛てられた年賀はがき。沖縄から見たら、日本は外国だったので「外国年賀」のスタンプが押されている。日本から沖縄宛ての年賀はがきも、同様に「外国年賀」と書かれた。1952年に沖縄と日本の間で、年賀郵便の取り扱いが始まった時から1956年まで「外国年賀」とされ、それ以降は「特別年賀」の名称に変えられた。日本政府が公式に「外国」としていたのに、領土主張の根拠のために歴史を変造するのは良くない。

悪魔の731部隊2015年08月18日

 
 新聞によると、2015年8月15日、ハルビンにある旧日本軍「731部隊」関連史跡内に新たな展示施設がオープンしたとのことです。歴史の風化を抑えるため、研究・展示をする専門の施設を作ることは大変好ましいことです。
 731部隊とは旧日本軍が中国ハルピンに置いた人体実験施設です。731部隊で犯罪的な実験を行っていた者たちは、裁かれることなく帰国して、戦後は厚生省の役人、大学教授、製薬会社幹部などに収まりました。
 
 そういうこととは関係なく、写真は、731部隊員が差し出した軍事郵便はがき(昭和13年11月12日差出)。個人の私信なので、書かれている内容は時候の挨拶程度のものです。

祝クリミア2014年03月19日

 
 住民の圧倒的な希望に従って、クリミアはロシアと統合を果たした。ダメ国家に蹂躙される立場を脱することができて、本当に良かった。
 
 写真は、沿ドニエステル共和国(PMR,Transnistria)で使用された郵便。モルドバ東部のウクライナと国境を接する地域だが、住民の多数はロシア人であるにもかかわらず、モルドバの一部とされている。実際は、独立国になっていて、モルドバの権力は及んでいない。住民の多くは、ロシアと統合することを希望しているが、いまだに、ロシアになることはできていない。PMRでも、期待が高まりつつあるようだ。

クリミア勝利2014年03月17日

 
クリミアの住民意思を尊重すべきだ:
 クリミアでは、圧倒的多数の住民支持により、独立およびロシアへの編入が決まりました。
 国際法では、住民の意思が尊重されることと、国家が尊重されることの、矛盾する2つの原則があります。
 歴史的経緯を無視して、住民投票だけで、国家の帰属を決めてしまったら、混乱を招くだけだし、コソボのように、NATOが軍事介入して、一部住民を追い出した上での住民投票で帰属を決めるようなことはあってはならないことですが、今回のクリミア問題はそういうことではなくて、大多数の住民の意思です。
 そもそも、現在のウクライナ暫定政権は、キエフで内乱を起こした犯罪者が自称しているだけの違法政権であって、国民の支持が確認されているものではなく、このような政権に、クリミアの住民が従わない事は、当然の権利です。
 
コソボの独立に反対します:
 1996年ごろ、アルバニア系テロリストはコソボ解放軍と称して、セルビア系住民の殺戮を企てるが、十分な成果を上げられなかった。このため、NATOは1999年に軍事介入して、ユーゴスラビア軍やセルビア系住民を攻撃。セルビア系住民がコソボを脱出するようになると、強引に独立を宣言した。こんな不正が許されるはずもないと、常識では思えるけれど、NATOの利益にかなう民間人殺戮は、正当であり、NATOの利益にかなうテロリストは正義であるかのような、とんでもない不正がまかり通っています。
 上の写真は、コソボに介入したNATO部隊のうち、イギリスが設置した軍事郵便局から、2002年に差し出された手紙。アルメニア・ナゴルノカラバフのステパナケルトに宛てられています。

抗日運動の英雄『尹奉吉』2013年11月21日

 
 伊藤博文を暗殺したことで英雄になった安重根の像をハルピンに建てる件で、日本政府が、なんだかウダウダ文句を言っている。
 
 それとは別に、上海市の魯迅公園には、『尹奉吉 義挙現場』の記念碑が建てられている。昭和7年に上海で行われた天皇誕生日祝賀会を狙ったテロ事件では、上海派遣軍司令官・白川義則陸軍大将らが死亡した。この事件の実行犯が尹奉吉。処刑地である金沢には、尹奉吉の慰霊顕彰碑が建てられている。
 
 写真は、韓国が発行した、尹奉吉の切手。

独立の英雄『安重根』2013年11月20日

 
 伊藤博文を暗殺したことで英雄になった安重根の像をハルピンに建てる件で、日本政府が、なんだかウダウダ文句を言っています。
 外国が、外国人の碑を建てても、日本には関係ないこと。歴史認識や、歴史上の人物の評価は、人や国によって異なることは当然。それが嫌ならば、日本政府は、韓国や中国と歴史認識を統一すればよい。
 
 写真は、韓国切手。安重根の没後100年を記念して発行された。
 日本のニュース番組などでは、1981年に発行された黄緑色の切手が紹介されることが多い。

ホームページ少し更新2013年07月06日

ホームページ少し更新

日本切手にみる日露・日ソ関係史(葉書を中心として)
の中のGHQの占領のページに、シベリア抑留の消息を連絡する葉書を掲載しました。

http://cccpcamera.photo-web.cc/Hi-Ho/Stamp/Japan/GHQ/Ghq.html

屈辱の日2013年04月27日

 
 4月28日はサンフランシスコ条約が発効し、日本の占領統治が終了したので、記念式典が行われるようです。
 1947年9月、昭和天皇・裕仁は、自分(あるいは自分の子孫)の保身のために、GHQに対して、沖縄は米軍の自由勝手にすることを求めました。沖縄を犠牲にしたことが、天皇制が維持されている唯一の要因ではないけれど、その後、沖縄は、米軍の自由勝手にさせられる運命になり、いまだにそれが継続している面があります。

なお、昭和天皇・裕仁の要望に対して、W.J.シーボルトは、以下のコメントをしている。
It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.
  
 
 沖縄の運命は過酷だったけれど、本土も、安保条約により、米軍が、日本のあらゆる場所を、自由に使えるようになりました。これほど、主権が制限された国は、あまり無いのではないだろうか。
 
 1960年、広範な反安保闘争を押し切る形で、岸内閣は、安保条約の強化をねらった新安保条約を締結しました。写真は、この時、発行された記念切手。日米修好100年を記念するとの建前ではあるが、実際には安保改定を記念するものだったため、発行には強い反対が起こり、写真のように、黒枠で囲み、反対の意思を表した封皮も作られました。日米修好条約は、典型的な不平等条約であり、改定に苦労した経緯があるのに、記念切手発行を強行するのも、当時の岸内閣の傲慢な態度です。
(1960年の安保改定は、日米同盟が強化され日本が米国の世界戦略に巻き込まれ易くなったとの考えと、これまでの不平等条約が、形式的にせよ、一部、双務的で平等な条約になったとの見解があります。)

ホームページ追記2013年04月07日

『日本切手にみる日露・日ソ関係史(葉書を中心として)』にいくつかの切手類を掲載しました。


・満州開拓団の民間人が差し出した「軍事郵便」を掲載した。開拓とは名ばかりで、実態は軍事占領・土地の強奪なんですよね。
http://cccpcamera.photo-web.cc/Hi-Ho/Stamp/Japan/Manchu/Manchu.html


・戦争末期の切手の例として「敵国降伏」切手3種を掲載した。
・戦争末期に使用された速達葉書を掲載した。
・シベリア抑留日本人が、早期帰還できるようにマッカーサーに宛てた、小学生の陳情葉書がある。マッカーサー宛陳情葉書を小学生に出させるように校長に依頼する葉書を掲載した。
http://cccpcamera.photo-web.cc/Hi-Ho/Stamp/Japan/GHQ/Ghq.html

6月18日は『絵葉書』記念日2012年06月18日

 
 1902年6月18日、逓信省は万国郵便連合加盟25周年を記念して、初の官製絵葉書(5種類)を発行しました。写真はそのうちの一部です。絵葉書には、日本および周辺の鉄道路線・定期航路・海底電線が描かれています。この地図の択捉島のところには『千島』『KOURILES』と書かれています。明らかに、国後・択捉をKURIELESと認識していたことが分かります。(画像をクリックすると拡大します)。

 日本は、サンフランシスコ条約で千島列島の領有を放棄しました。「サンフランシスコ条約正文は英・仏・西語で、放棄したのはクーリールアイランズであって、それはウルップ以北である」との説明がまことしやかになされたことがあります。このような言葉の言い換えによる目先のダマカシが通用するはずもなく、1980年代に村山・和田氏により完全に否定され、今では、あまり言う人もいなくなっています。
この絵葉書を見れば、日本政府の認識では、クーリールアイランズに国後・択捉が含まれていることが分かります。色丹島もクーリールアイランズに含まれているようですね。

* * * * * *

<< 2016/09 >>
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

RSS