本の紹介―幕末維新の異文化交流 外圧をよみとく2017年04月18日

    
洞富雄/著『幕末維新の異文化交流 外圧をよみとく』(有隣堂、1995年)
    
 歴史学者・洞富雄、最晩年の著作。実際には、それまでに書いた論文や著書の内容を再編集したものが多いようだ。出版が古く、入手も困難なので、あえて読む必要がある本とは思えない。
    
内容は以下の3章からなる。
    
 第1章では、最初の節で北方探検時期の国際環境を記載し、「間宮林蔵」「最上徳内」「高橋景保」「伊能忠敬」「シーボルト」をとりあげて、日本の北方探検・北方認識史を記述する。各個人の北方関連伝記であるが、個人を通して日本の北方認識の歴史がわかるようになっている。最後に、北方における日ロの進出を記載する。最上徳内や間宮林蔵のところでロシア人との関連にも触れられているなど、日ロ関係の記述もあるが、多くない。
    
 第2章は伊豆下田におけるプチャーチンとの日ロ交渉、ペリーとの日米交渉が書かれている。それなりにページを割いており、詳しい内容になっている。
    
 第3章は、幕末維新と横浜。

本の紹介―シベリア抑留 スターリン独裁下、「収容所群島」の実像2017年04月09日


富田武/著『シベリア抑留 - スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』 (中公新書) 中央公論新社 (2016/12) 


 シベリア抑留関連本の多くは、抑留が大変だった等の旧・日本兵体験談が主流だったが、本書の著者は『シベリア抑留者たちの戦後: 冷戦下の世論と運動 1945-56年 (2013/12)人文書院 』を出版して、抑留体験者が日本に帰国した後に、日本においてどのような状況になったかを明らかにした。
 本書は、シベリア抑留を「ソ連の矯正収容所」「ドイツ兵のシベリア抑留」「日本兵のシベリア抑留」「満州・北朝鮮・サハリン等の外地居留日本人の状況」と広い視点で描いている。 

シベリア抑留された旧・日本兵が苦労した原因は何だったのか。以下の記述が参考になるだろう。
 1945、46年冬に酷寒と飢え、重労働で多数の死者が出た。全抑留期間の死亡者約六万のうち約80%がこの時期だったという。この時期に限定された死者データは存在せず、1947年2月20日時点までのソ連及びモンゴルの収容所での死者3万728人に、満洲野戦収容所での死者1万5986人を加えると全死者6万1855人の75.5五%になる。
 栄養不足=慢性的飢餓状態と過酷な長時聞労働、そして酷寒、不衛生(風と南京虫)により、多くの捕虜が病気に罹った。誰もが栄養失調になったが、その他に赤痢、発疹チフス、回帰熱などの患者が大量に生じ、体力と抵抗力が落ちているため、また満足な治療が受けられないため、衰弱して死亡する者が多数にのぼった。凍傷や作業中の事故による外傷も少なくなかった。  コムソモリスク収容所には、1945年9月に約3000人の栄養失調症に罹った捕虜が入所したが、酷寒到来とともにチフスなどの伝染病が発生した。このため、ある3000人収容の分所は閉鎖され、そこに病院が建てられた。そればかりか、伝染病の一般住民への蔓延を恐れて、市党委員会書記は地方党委員会に、内務人民委員部が日本人捕虜の栄養失調者3000人を市外に即峙退去させるよう、12月中旬に要請している。
 内務人民委員部ハバロフスク地方本部長の同地方党委員会書記宛1946年1月1日付報告メモによれば、同地方全体で収容所開設から11月末までに1119人、12月末までに1446人、合計2565人が収容所、特別病院(重症患者のための、収容所から独立した病院)で死亡した。コムソモリスク収容所の死亡者は1165人、同地方全体の41・5%を占めた。収容所の医院、特別病院の入院患者は、12月1日に7244人、1月1日には1万9人となった。
 治療と衛生・予防の施策がとられたにもかかわらず、特別病院の設立や病院の配置の遅れと不足、収容所の医院や分所の隔離室の設備の悪さ、そして医療スタッフの不足が治療と衛生の効果を低めた。地方の収容所の医院(ラザレート)は、設備不足のため、ホール、コムソモリスク、ラィチハでは大きく遅れて開業し、ハバロフスク市、ブラゴヴェシチェンスク、ニコラエフスク、オハではまったく営業されなかった。
 病院や診療所はむろん、医師、看護婦などの医療スタッフや医薬品、治療設備及び器具が不足していたことは抑留回想記で知られていたが、ハバロフスク地方党委員会書記の先の報告メモでも対策が訴えられた。そこでは、医師不足のため日本人軍医を使わざるを得なかったと指摘している。(P108-P110)
 コムソモリスク収容所は、人員1万5000人を超える有数の収容所だった(分所は14)。開設当初は病弱者が多く、作業出勤率は40%、労働生産性(ノルマ達成率)は55%にすぎなかった。1946年2月、第10分所の契約先トラスト「アムール・スターリ建設」の仕事で、日本人捕虜331人(385人中)が森林伐採に出た。収容されていた高橋大造はこう回想している(ロシア人クズミナの著作で引川されている)。
 「この仕事の経験のない日本人には、非常にきつい労働だった。もう10月半ばには、気温はマイナス20度を下回っていた。体の動きが鈍くなり、食糧不足が栄養失調症を急速に蔓延させた。食事は悪く、一日にパンはわずか300グラムだった。日本人将校の横取りのため、兵卒のパンが200グラムになることもあった。このため捕虜が毎日のように死んでいった」P153
シベリア抑留された旧・日本兵が苦労した原因は次のことがあげられる。
①寒さに慣れていないなか、労働がきつかった
②捕虜を受け入れたソ連の産業が疲弊していて、食料・衣料・医療が不足した
③日本人将校が食料を横取りした

 また、サハリン・千島でソ連支配下で生活した人数について、以下の記述がある。
 1946年2月2日、南樺太及び千島列島はソ連最高ソヴィエト幹部会令で、占領地からソ連の南サハリン州となった。7月1日時点で州の人口は30万5800人、内訳は日本人27万7649、朝鮮人2万7098、アイヌ民族406などであった(千島列島のみに限ると人口は1万9119)。1945年1月時点の人口が39万2007だったので、南樺太からの脱出10万人分だけ減少したことになる。P187

シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(5) 俘虜葉書2017年01月20日

シベリア俘虜だった千葉巌が差し出したはがきの返信。
(見やすいようにコントラストを上げています。)




 上はがきの左上の菱形印はソ連の検閲印。両方のはがきの左下にある金魚鉢を逆さにしたようなのは、日本占領米軍の検閲印で、検閲官番号から検閲は日本人がしたことがわかる。
 両方のはがきにある左中央の丸形印はソ連の郵便消印。

シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(4) 俘虜葉書2017年01月19日

 
写真はシベリア俘虜だった千葉巌が差し出したはがきの返信。この葉書を差し出したいきさつについて、以下の説明がある。

『 最初は思想調査に使うのだろうと誰も書かなかったが強制的に書かされたので1回目は仕方なしに「ガンは元気です」とだけ書いて出したが返事が来たので2回目以降は抵抗なく出した。』

 
シベリア俘虜葉書に関しては、以下のような誤った記述が散見される。
 
『国際法によって、捕虜が母国に手紙を出すことは認められている。しかし、ソ連がそれを許したのは・・・すべての捕虜が対象ではなく、ソ連側が「優良労働者」などと認めた一部の捕虜たちであった。(栗原俊雄/著『シベリア抑留』岩波新書 2009.9 P137)』
 
 俘虜葉書の差出については「全員差し出せなかった」「全員差し出した」「一部のものが差し出した」など、収容所によってばらつきがあり、一律に「優良労働者」のみに認められたわけではない。(そういう収容所があったかもしれないが。)
 実際には、俘虜葉書を出したくない人にも「出せ、出せ」とうるさく言ったようだ。葉書を差し出そうとしなかった理由として、千葉は「思想調査に利用されることを嫌がった」としているが、このほかに「俘虜になったことを知られたくない」「特に書くことがない」などの理由もある。
 
 さて、シベリア俘虜葉書は、1946年11月26日、東京港に入港したスモールヌイ号により届けられたおよそ8万通を最初に、その後も、たびたび到着したので、総数は、かなりの数に上ったと思われる。しかし、市場に残っているものは案外少ない。しかも、ほとんどが往復はがきの往信部であって、写真のような返信部はさらに少ない。返信部は抑留者本人が帰国するときに持ち帰ったものなので、少なくて当たり前だが。

シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(3)2017年01月17日

最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「予防接種証明書」「下車駅調査カード」があった。(写真のもの)
  


シベリア抑留帰還者には、舞鶴から最寄り駅まで乗車券が支給されたのだろう。



シベリア俘虜関連資料-陸軍准尉・千葉巌の資料(2)2017年01月16日

最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「引揚証明書」があった。(写真のもの)
 

 
厚生労働省の調査結果では、シベリア抑留者数として次の数値が掲載されている。
(1)旧ソ連地域に抑留された者 約 575,000人(うちモンゴル約 14,000人)
(2)現在までに帰還した者 約 473,000人(うちモンゴル約 12,000人)
(3)死亡と認められる者 約  55,000人(うちモンゴル約  2,000人)
(4)病弱のため入ソ後旧満州・北朝鮮に送られた者等 約  47,000人
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/11/01.html
 
 
 帰還した者、約473,000人の多くは舞鶴港に上陸したのだから、写真のような書類は相当数が作られたはずなので、珍しいものではなさそうだ。しかし、戦後70年を経過して、いまだに捨てられず残っているものは少なくなっているかもしれない。

シベリア俘虜関連資料2017年01月15日

 
最近、シベリア俘虜関連資料数点をYahooオークションで落札した。
その中に「小隊員の名簿」があった。(写真のもの)
 
「我が小隊所属隊員の名簿。帰国時書類は発見されると没収されるという話だったので3部作成して部下の分隊長と手分けして持ったがこの1部だけ無事帰れた。手製のリックサックの縫目に縫い込んで来たので一部擦れて不鮮明な部分がある。欄内の者は新京で編成当時からの部下で欄外は入ソ後我が小隊に編入された者である。」
 
資料は、千葉巌が作成したもの。
 この名簿のうち、右ページ上段枠内の14名を「厚生労働省・ソ連邦抑留中死亡者名簿50音別索引(http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/50onjun/h03/index.html)」で調べると、最初の「高田五郎」が「1945/11/21 ハバロフスク地方・第18(コムソモリスク)収容地区 第893病院」にて死亡埋葬されていることがわかる。しかし、出身地が東京となっていて住所地の秋田とは異なる。また、「中島亨」が「1947/6/6 ウズベキスタン共和国 アングレン墓地」にて死亡埋葬されている。出身地と住所がともに長崎なので同一人物だろうか。それ以外の人は死亡者名簿に記載がないので、残りの12人は無事帰国を果たしたのだろうか。  
 
この資料は、別に欲しくなかったし、史料価値があるのかどうなのかもわからない。
 
この資料の価値についてわかる人、欲しい人がおられましたら、教えてください。

本の紹介―ロシア極東 秘境を歩く2016年12月27日

 
相原秀起/著『ロシア極東 秘境を歩く』 (2016/11)北海道大学出版会
 
内容は「占守島」「サハリン」「シベリア」の3つに分けられ、すべて著者の取材記。
現状を取材したのではなくて、各地に残る日本人の足跡をたどっている。
 
 「占守島」の部は、太平洋戦争末期の占守島の戦いに思いをはせ、関連遺跡などを取材している。
 「サハリン」の部は、戦前に日ソ境界線に置かれていた国境標石の行方を調査しているが、この部分は著者による別書『知られざる日露国境を歩く ―樺太・択捉・北千島に刻まれた歴史 (ユーラシア・ブックレット200) 』と重複する部分が多い。
 「シベリア」の部は、大黒屋光太夫の足跡を追い、冷凍マンモスの見つかる地に足を踏み入れている。この部分は、内容が散漫に感じた。

本の紹介―北方領土の謎2016年12月19日

 
名越健郎/著『北方領土の謎』 (2016/11)海竜社
 
 ソ連崩壊の時期、北方領土の現状を解説した本がいくつか出版された。この時、北方領土住民は、国家崩壊の混乱で苦境に陥っていたが、その後のロシアの経済発展に伴って、生活インフラは格段に整備された。現在、北方領土の取材映像が、テレビで時々放映されるので、本の解説を読む必要性は少なくなっているためか、北方領土の現状の解説本は少ない。
 
 本書は、北方領土の現状についての解説。近年では、北方領土の映像を見る機会は多いけれど、映像だけではわからない状況もあるので、本書を読むことは無駄ではない。
 本書は拓殖大学教授の名越健郎氏による執筆。北方領土問題の経緯の解説や国際法の解釈などについては、この点を考慮する必要はあるだろう。

本の紹介―外交交渉回想2016年12月18日

 
枝村純郎/著『外交交渉回想 沖縄返還・福田ドクトリン・北方領土』(2016/10)吉川弘文館
 
もと、駐ロシア日本大使による外交交渉の回想録。著者は、ソ連崩壊時期に駐ソ連・駐ロシア大使を務めた。本書の内容は、著者が携わった外交交渉全般であるが、著者の経歴のため、ソ連・ロシア関連が多い。北方領土問題にも、かなりのページ数が割かれていて、北方領土交渉の経緯を知るうえで重要な書籍となっている。しかし、著者は、学者ではなく、日本側交渉当事者であるので、外交文書などは、外務省に都合の良い解釈なるので、その点は一定の注意が必要だ。

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