ナゴルノ・カラバフ2011年07月20日

  
 ナゴルノ・カラバフはアゼルバイジャンの中央にあるアルメニア人の居住地で、アルメニアへの帰属を主張し、独立状態にある。
 写真は、ナゴルノ・カラバフから日本に宛てられた郵便で、独自の切手が使われている。 (宛名はボカシテいます。)
 ナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトで差し出され、アルメニアの首都エレバンを中継し、そこから世界各国に運ばれる。切手からも分かるように、アゼルバイジャンの権力はこの地に、及んでおらず、アルメニアの自治州のような形になっている。

 ソ連時代、アゼルバイジャン、アルメニアともに同じソ連と言う国家に属していたため、ナゴルノ・カラバフがアルメニアでもアゼルバイジャンでも、大きな違いはなかった。実際には、アゼルバイジャン共和国の自治州となっていた。
 ソ連が崩壊に向かうと、ナゴルノ・カラバフはアルメニアへの帰属を要求、これに対抗して、1991年11月23日、アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフ自治州の廃止を宣言、さらに、ソ連崩壊とともに、アルメニア、アゼルバイジャンが独立国となると、両国はナゴルノ・カラバフの帰属をめぐって、戦闘状態になる。翌1992年1月7日には、ナゴルノ・カラバフ共和国が独立を宣言した。
 1994年5月12日、ロシアの調停で、アルメニアとアゼルバイジャンは、和平協定に署名し、戦闘は一応終結した。

 先日、20011年7月18日のVOR(Voice of Russia)の報道によると、アゼルバイジャンのエルマル・マメディヤロフ外相は、モスクワでのラヴロフ外相との会談後の記者会見で「ナゴルノ・カラバフを巡るアゼルバイジャン・アルメニア間の平和合意作成を始める時が来た」と述べたそうです。
 
 そろそろ、恒久的解決の時期が到来しつつあるようです。
 ナゴルノ・カラバフはアルメニア人居住地区ではあるけれど、ソ連時代にはアゼルバイジャン人も住んでいました。今では、アルメニア人が圧倒的多数で、実質的にアルメニア領になっています。

北方領土は千島です2009年12月16日



日本はサンフランシスコ条約で千島列島を放棄した。このため、千島列島は日本の領土ではない。ところが、現在、日本政府は、北方領土は日本が放棄した千島に含まれないと説明している。(条約締結当時は、国後島・択捉島は日本が放棄した千島列島に含まれると説明していた。)
しかし、実際には、クナシリ島・エトロフ島・シコタン島は千島に属している。写真は、大正時代に、択捉島東側の入里節で使用された切手。消印には千島の文字の一部が見える。
入里節はイリリブシと読む。日本語ではなくて、アイヌ語か何かに当て字をしたものだろう。

最悪の切手用ピンセット-ANEXフッ素加工ピンセット切手用2009年12月14日

P1

東急ハンズ渋谷店で購入した『ANEXフッ素加工ピンセット切手用』です。
最悪の商品。絶対に切手に使用しないこと。
これほどひどいものを東急ハンズが販売しているとは驚きです。安易に、東急ハンズを信用すると、ひどい目にあいます。

このピンセットは、先端部の加工が悪くて、バリがあり、切手を傷つけることがあります。絶対に切手に使用しないこと。
一般に、粗悪品ピンセットの場合は、先端部をヤスリで削って滑らかにすることもできますが、このピンセットはバリの上からフッ素コートしてあるので、ヤスリで削ることもできません。どのように考えても、切手には使用不可能です。
もっとも、もしまじめに綺麗に作ったとしても、切手には不向きです。つまむ部分の会合角が大きいので、先端で切手をつまむようになり、これでは、一部に力がかかって、切手を傷つける恐れがあります。ピンセットの形状を箆型にした意味をまったく理解しないで製造しています。ANEXって、どういう会社なのか知りませんが、あまりにも、ずさんな製品にあきれます。

P3

上の写真は、日本郵趣協会でもらった金メッキの切手用ピンセット。先端は丸型で使いやすい。写真でも分かるように、つまむ部分が平行に近いので、全体で保持するようになり、切手を傷めません。全体に綺麗に加工されバリはありません。

P2

上の写真は、数十年前に購入した、先端箆型クロムめっきの安物。手元のほうにはバリがあるけれど、切手をつまむ部分は綺麗に加工されバリはなく、切手を傷めるようなことはありません。大型でばねが強いので、ちょっと使いにくい。

月の裏側2009年10月06日

ルナ3号
1959年10月4日に打ち上げられた、月探査衛星ルナ3号は、10月6日に月に再接近、翌日7日には月面裏側を写真撮影しました。人類が最初に月の裏側に対する知識を得てから、50年になります。

画像は、ルナ3号の成功を記念して10月12日に発行された記念切手。

総選挙2009年08月23日

8月30日は衆議院選挙です。国民審査もあります。

新聞報道では、民主圧勝・自民完敗と予想しているけれど、どうなるのでしょう。自民大物も危ないとか。

長崎2区では、自民党前職の久間章生氏に民主党新人の福田衣里子氏らが挑む構造です。久間氏は防衛大臣のときに「原爆投下はしようがない」と発言した人です。福田衣里子氏は、薬害肝炎訴訟九州原告団長だった人で、生まれたときの血液製剤投与により、C型肝炎に感染しました。

薬害肝炎は、旧ミドリ十字(現田辺三菱製薬)が製造販売した血液製剤「クリスマシン」などが原因です。旧ミドリ十字とは、戦中に中国で人体実験をして細菌兵器を開発していた、731部隊(石井部隊)関係者らによって、戦後作られた会社でした。

写真は、石井部隊所属隊員が日本に差し出した軍事郵便はがき。なお、細菌兵器の人体実験は731部隊にほかに、南京で1644部隊によっても行われていました。

固有の領土って何?2009年06月26日

LWOW
(掲示板に書いた内容と同じです)

写真は、だいぶ痛みが多いけれど、1940年にLWOWからパレスチナに差し出された葉書。LWOWはウクライナ西部の主要都市で、リビウ、リボブ、ルブフ、レンベルグなどといわれます。
第一次大戦前、LWOWはオーストリアの領土だったけれど、住民の多くはウクライナ人で、ポーランド人も少なく無かった地域です。
第一次大戦後、新生ソ連の弱体化に乗じたピウツキーは、LWOWを含む東ハーリチナに加え、RIVNEまでも占領。ナチスのポーランド侵攻に乗じて、ソ連が占領した地域です。独ソ戦が勃発すると、今度はナチス支配下に置かれました。第二次大戦後に、LWOWはウクライナの領土に纏められました。写真は、ソ連占領時期に使われたもの。

LWOWをポーランドの伝統的な領土と言うならば、そんなものだろうなー、と思うけれど。ウクライナの伝統的な領土と言っても、そんなものだろうと思うなー。「固有の領土」を都合よく理解して、1つの地域が、何カ国もの固有の領土で、良いような気もするのだけれど。

「固有の領土」などと、心情的な言葉を法律に持ち込んで、2国間の対立要因にするのは、感心しない。

PMR-続き2009年06月23日

PMR

PMRは国際的には承認されていないので、PMRから外国に郵便を出すときは、モルドバ切手を貼るようです。写真はBenderyから日本に差し出された郵便物。Benderyの消印はラテン文字表記で、モルドバと書いてあります。写真では見えないのですが、封筒の裏には、PMR首都のティラスポールの中継印が押されているけれど、こちらも、ラテン文字表記で、モルドバと書いてあります。宛名と差出人を消しています。

PMR2009年06月22日

沿ドニエストル共和国
 
 新聞によると、モルドバ議会は結局大統領を選出することが出来ず、解散になるそうです。
 今年の4月、議会選挙では、共産党が大勝して、定数101人中、60議席を獲得しました。この選挙結果に一部暴徒化して騒乱が有ったのですが。
 モルドバ議会は大統領を選出する必要があり、そのためには61票が必要なのだとか。勝利した共産党は1議席不足で、結局大統領を選出できず、そのまま解散になるのだそうです。

モルドバは、元々、紛争地域を抱えています。それが、PMR。

 PMR(Transnistria、沿ドニエストル共和国)とは、旧ソ連邦のモルダビア共和国が連邦離脱したときに、工業化が進んでいたドニエストル川東の地域が、遅れたモルダビアになることを嫌って、独立宣言して出来た共和国です。おそらく、どこの国も承認していないと思います。(モルダビアはモルドバに改名しています。)
 写真は、PMRのBenderyの市内郵便物。Benderyはドニエストル川の西にあるのだけれど、PMRの一部です。この郵便物にはPMR独自の切手が使用され、消印もキリル表記です。BenderyはPMR側の呼び名で、Tighinaがモルドバ側の呼び名かもしれない。

日本の歴史は裏切りの歴史2009年06月04日


今日は6月4日。タイトルは大げさ。

Залив ИЗМЕНЫ:
 国後島の一番南側の湾を日本では「泊湾」と言います。また湾奥の町を「泊」といいます。ロシア語ではそれぞれ「ZALIV IZMENY」「Golovnino」。ZALIV=湾 IZNENY=裏切り です。
 1811年6月4日(たぶん旧暦だと思う)、沖に停泊して交渉を求めたGolovninは日本の背徳的裏切りで捕らえられたので、このような名称が付けられています。

 北方で、日本人(和人)が、蝦夷と衝突した事件としてもっとも有名なのは、シャクシャインの乱です。松前藩は、偽計によりシャクシャインに和睦を申し出、酒宴の席で謀殺しました。
 アイヌ最後の抵抗であるクナシリ・メナシの乱では、武装解除に応じたアイヌを護送名目で仲間から引き離し、ノッカマップで惨殺しました。現在、慰霊祭(ノッカマップ・イチャルパ)が毎年行われています。

 謀殺を得意とする日本が、裏切りをするのは当然なのですが、そんなことをGolovninは知らなかったでしょう。

 写真は、明治時代に、千島・泊村郵便局で使用された切手。日本はサンフランシスコ条約で千島列島の領有を放棄しましたが、国後島は千島国なので、消印にも千島と書かれています。

4月12日は宇宙飛行記念日2009年04月12日

1961年4月12日、ガガーリンを乗せたボストーク一号は地球周回、帰還に成功しました。

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