本の紹介-桐生市事件: 生活保護が歪められた街で ― 2025年10月10日

小林美穂子、小松田健一/著『桐生市事件: 生活保護が歪められた街で』地平社 (2025/3)
生活困窮者に対して、生活保護という制度があるが、多くの自治体では生活保護をさせないように努力をしている。先進国の中で、日本は突出して生活保護が少ないと言われているゆえんである。
こうした中、桐生市役所では、生活保護受給者にたいして、定められた現金の一部を預かり金として、全額を渡さなかった。明らかに違法行為であるが、本人の希望として処理していた。このほかにも数々の非人道行為が行われていたが、このような行政は他の自治体と比べても極端だった。
本書は、元東京新聞記者で元前橋支局長の小松田健一らによるもので、桐生市の生活保護切り捨ての状況を克明に記載している。文章は読みやすい。ただし、一部ドキュメンタリー風で、読むのが面倒に感じる部分があった。本書を読むと桐生市の非人道的対応が良くわかるが、なぜ、桐生市が他市に比べて突出して非人道的だったのか、この点は、わからなかった。
桐生市はもともと絹織物の町として栄えたが、今では衰退の町なので、財政が厳しいのだろうが、しかし、そのような町は全国にいくらでもある。桐生市長は絹織物問屋社長のはずだが、そういった個性が関係しているのだろうか。群馬県は、他県に比べて弱い者いじめが盛んな地域とも思えないので、桐生市役所員が、どのような理由で極端に非人道的だったのか、不思議でならない。
ロシア軍、攻勢続く ― 2025年10月09日
全線にわたって、ロシア軍の攻勢が続いている。
8月中旬、ウクライナ応援団は、ポクロフスク(Pokrovsk)北側で、ロシア軍が包囲されたとの情報を盛んに流していた。1か月もすると、これが嘘であることが明白となった。
https://cccpcamera.asablo.jp/blog/2025/09/26/9805589
ポクロフスク北側で何が起こっていたのか、徐々に明らかとなっている。なお、ここは、ドブロピリア市の東側にあたるので、Dobropillia directionとも呼ばれる。
上の図は8月11日ごろの両軍支配地の様子。水色がウクライナ軍支配地で、オレンジがロシア軍支配地。白は、両軍の接触線。地図はロシア側の情報源DIVDENによるもの。
上の図は、翌日8月12日の両軍支配地。わずか1日足らずで、ロシア軍は大きく占領地を獲得した。ありえないほどのスピード進軍であるが、8/11の図でウクライナ軍支配地域となっていた場所には、ウクライナ軍はほとんどおらず、ロシア軍は、多くは、無人の荒れ地や畑を進軍した、ことが真相のようだ。途中に小集落がいくつかあるが、住民はロシア軍と戦うようなことはなく、場合によってはロシア軍を歓迎したようだ。上の図ではロシア軍が舗装道路T0514に到達したことになっている。斥候が到達した可能性は高いが、ロシア軍が足場を築いたか疑わしい。
ところで、ロシア軍がT0514の一部を支配したとすると、ドブロプリアからクラマトルスクに至る最短道路が使えなくなり、1時間で行くところが1時間半程度かかることになる。ウクライナ軍にとって、うれしくはないが、それほど重要というわけでもないだろう。
上の図は、8月18日の両軍支配地。ロシア軍に領土を占領されると、ウクライナ軍は急遽アゾフ大隊を中心とした部隊を結成し、反撃に出た。Zolotyi Kolodyazからは押し戻したが、Kucheriv Yarはロシア軍に支配されたままなので、舗装道路T0514はロシア軍の攻撃にさらされる。このため、ウクライナ軍からすれば、Kucheriv Yarを奪回したいところだろうが、それはできていない。
上の図は、9月15日の両軍支配地。これまでと大きな違いはない。
上の図は、10月1日の両軍支配地。大きな変更はないが、北部突出部の付け根部分の一部が、ロシア軍支配地から交戦地に変わった。この場所は、荒地や畑なので、ロシア軍が手薄なところにウクライナ軍が時々進軍しているもの。ただし、一時、Nove Shakhoveをウクライナ軍が掌握したことがあったとの情報もある。
ポクロフスク市南部・西部のロシア軍支配地が拡大した。
上の図は、10月7日の両軍支配地。Zolotyi Kolodyaz南端にロシア軍支配地域が広がった。この進軍が、ロシアにとって、どれだけ意味のあることか分からない。ポクロフスク市西部のロシア軍支配地が拡大した。こちらは重要。
本の紹介-フェイクファシズム 飲み込まれていく日本 ― 2025年10月08日

金子勝/著『フェイクファシズム 飲み込まれていく日本』日刊現代 (2025/7)
内容は日本政府始め、昨今の日本の状況を否定的にとらえる記述。特に、ニセ情報により誘導される輿論の問題点を指摘する。日本の現状認識に対しては、完全に同意するが、既に知られていることでもあり、また読んでいると、日本のあさましい現状を再認識させられることになり、なんだか悲しくなる。現状を変えるため、著者は処方箋を各所で示しているが、必ずしも同意できるものばかりではない。
以下に、目次を示す。
-目次-
第1章 トランプは世界をどう変えるのか
分断とフェイクファシズムを乗り越えてカタストロフの時代を生きるには
第2章 アベノミクスをどう終わらせるか
政治腐敗、経済破綻、フェイクの嵐を解毒する処方箋
第3章 マイナ保険証の失敗の本質
世界に後れを取るIT産業への真の救済策とは
第4章 エネルギー転換はなぜ必要か
間違いだらけの原発政策の呪縛を解く
第5章 崩壊する農業と農村を立て直す道
食料・農業・農村基本法の見直しは「農村破壊法」だ
ロシア軍、攻勢続く ― 2025年10月07日
全線にわたって、ロシア軍の攻勢が続いている。上の図は、ウクライナ側のDeepStateによる数値を使って作成した、月ごとのロシア軍が解放した面積の増加量。ウクライナ側データを使用しているため、ロシア軍支配面積を過小評価する傾向がある。
2025年を見ると、7月、8月、9月と解放面積増加量が低下している。このため、ロシア軍の攻撃能力が鈍化しているとの見方もあるが、そんなに単純ではない。現在、ロシア軍は全線にわたって大攻勢をかけており、獲得面積の拡大を、必ずしも目的としていないと思われる。特に、クピャンスク、シべリスク、コンスタンチノフカ、ポクロフスクのような、ウクライナ軍の主要拠点を包囲攻略中のため、獲得面積が大きく増えないのは当然だ。いずれにしても、状況をもう少し見守る必要がある。
2025年を見ると、7月、8月、9月と解放面積増加量が低下している。このため、ロシア軍の攻撃能力が鈍化しているとの見方もあるが、そんなに単純ではない。現在、ロシア軍は全線にわたって大攻勢をかけており、獲得面積の拡大を、必ずしも目的としていないと思われる。特に、クピャンスク、シべリスク、コンスタンチノフカ、ポクロフスクのような、ウクライナ軍の主要拠点を包囲攻略中のため、獲得面積が大きく増えないのは当然だ。いずれにしても、状況をもう少し見守る必要がある。
ヒガンバナ ― 2025年10月06日
コノフィツム満開 ― 2025年10月05日
ロシア軍攻勢 (ウクライナ応援団の嘘) ― 2025年09月26日
ウクライナ-ロシア戦争では、全線に渡ってロシア軍の攻勢が続いている。ドネツク州では、北部のリマン・シべリスク方面やコンスタンチノフカ攻防戦が活発で、8月中頃まで活発だったポクロフスクは小康状態。
8月中旬以降、ポクロフスクはロシア軍の包囲状態にある。すなわち、ポクロフスクに向かう主要道路はすべてロシア軍の制圧下にあるか、射撃統制下にある。ただし、道路によっては、闇に乗じて車両通行も可能と思われ、さらに、主要道以外の道路や畑などは、徒歩で容易に移動可能だ。このため、ポクロフスク守備ウクライナ軍が、今すぐに飢餓状態に陥っているということはないが、いずれにしても、補給や兵員交代が十分可能の状況にはなく、苦戦を強いられていることは間違いない。
また、ポクロフスク市南部に布陣するロシア軍は、時々、市街地に攻撃を仕掛けているが、全市を制圧する状況にはない。
8月中旬、ポクロフスク市北側に、ロシア軍が15㎞程、突出して占領地を拡大した。これに対して、ウクライナ軍は精鋭部隊を急遽派遣し、数キロ押し戻した。
この時、ウクライナ応援団の情報では、ウクライナ軍がロシア軍を分断し、包囲しているとの情報があった。資金が不足しているので、寄付金を求める、怪しい投稿も多数見受けられた。今は、寄付を求めるための情報は減っているが、1か月たっても、ロシア軍を包囲しているとの情報が継続している。
下の図は、9月中頃のウクライナ側戦況報告で、NewVoiceUkraineによるもの。
下の図は、同じ中頃のロシア側戦況報告で、Divgenによるもの。
①②の文字は、説明のため、私が加えたもの。
両方の地図の大きな違いは、ウクライナ側の物は①の部分がウクライナ支配地となっており、北側のロシア軍が包囲されている。ロシア側の物では、ロシア軍は包囲されていない。①の部分は東側が幅400mたらずで、実際は畑と荒れ地。西側はもう少し広いが、ここは川や河川敷。こんな場所を1か月もそのまま支配していることなどありえなことだ。それに、ウクライナ応援団はロシア軍が北部で包囲されているというけれど、わずか400m幅の畑など、走れば1分か2分なので、包囲されたとしても、闇に乗じて走って脱出することなど容易だ。
ロシア応援団の地図では、この部分はロシア軍支配地域になっている。南北がロシア軍支配地域なので、特に塗り分けず、同じロシア支配色に塗ったのだろう。
いずれにしても、①の部分は、畑・荒地・河川敷なので、どちらかの軍が絶対的に支配しているということはなく、両軍兵士共に、敵に見つからないように移動は可能な地域と思われる。ただし、ロシア兵にとっては、400mと容易に移動可能なのに対し、ウクライナ兵にとっては5000m程度である。
⓶の場所も、ウクライナ側、ロシア側地図で違いがある。ロシア側地図では、T0515自動車道の一部をロシア軍が支配していることになり、ウクライナの自動車での物資輸送はむずかしい。ウクライナ側の地図では、この道路はウクライナ軍支配になり、自動車での物資輸送が可能と推測できる。もっとも、ロシア軍の射撃統制下におかれているので、状況はそれほど違いはない。
このように、ロシア側、ウクライナ側で戦況地図は異なる。ロシア側地図でロシア軍支配地域とは、ざっくりロシア軍が支配しているという意味であって、ウクライナ軍一人も侵入を許さないという意味ではないようだ。このように考えると、ロシア側地図は正当であると言える。これに対して、ウクライナ側戦況地図は、かなり眉唾入りと思ってよいだろう。何とかしてウクライナ有利の状況を装って、寄付金を取る意図があるのかもしれない。
本の紹介-南京事件 (岩波新書) の続き ― 2025年09月24日
小石川植物園 ― 2025年09月21日
本の紹介-南京事件 (岩波新書) の続き ― 2025年09月20日
現在、中国が作成した、日本軍による南京大虐殺事件を扱った映画『南京写真館』が、日本を除く世界各国で上映され、興行的成功を収めている。
日本では、頭の悪いネット右翼が流行っていて、南京大虐殺を否定する人たちがいる。この人たちは、『南京事件は東京裁判のでっちあげで、事件当時どこも報道していなかった』などの、虚偽を信じ込んでいる人もいるようだ。笠原十九司/著『南京事件 新版』 (岩波新書)(2025/7)には、153-155、159、197-199頁で、事件当時広く報道されていた事実を明確にしている。ただし、頭の悪いネット右翼は、岩波新書のようなまともな本を読んで理解することは困難だから、本書は虚偽を信じ込む人に役に立たないかもしれない。
千葉県佐倉市の歴史民俗博物館の展示品に「南京事件を報じる記事 LIFE」があり、誰でも容易に見学できるので、ネット右翼でも、史実を容易に理解できると思うのだが、彼らがどうしてここまで無知なのか理解できない。
日本軍による南京大虐殺を伝える「LIFE 1938/1/10」の表紙
国立歴史民俗博物館の解説
ただし、国立歴史民俗博物館では、日本軍の残虐を示すページではなくて、南京から船で脱出する住民の写真のページを展示している。日本軍の残虐を示すページは、あまりにも生々しすぎるので、展示がはばかられたのだろう。
これが、LIFE誌の日本軍の残虐を示すページ。写真には英語の解説がある。このような内容。
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(左上写真の解説)
南京の民間人が、極度の悲しみに暮れながら、日本軍の爆弾の破片で負傷した瀕死の息子を抱えている。これは12月6日、日本軍の隊列が市の高い古城に迫る直前の出来事だ。門の内側に築かれた土塁に注目してほしい。この写真のような、約15万人の南京市民が、南京に留まった約27人の白人男性によって非公式に組織された「安全地帯」で、包囲の間ずっと身を潜めていた。このうち18人はアメリカ人だった。日本軍は、この安全地帯をある程度尊重した。
(左下写真の解説)
南京市内で日本軍は、兵士と民間人を50人ずつ縛り上げ、処刑した。上の遺体は、死後しばらく経っている。手前の男たちの頭上に電柱と電線が横たわっているのが見える。背景の日本兵は、荷馬車を使って主に食料を求めて商店を組織的に略奪している。南京での組織的な略奪は、日本軍兵站部が威信よりも食料を必要としていたことを示している。
(右下写真の解説)
反日主義者の中国人の首は、12月14日、南京陥落直前、南京郊外の有刺鉄線のバリケードに挟まれていた。12月12日に日本で陥落が祝われた南京では、13日、14日、15日と征服者たちの砲火が浴びせられ続けたが、この首は凍えるような寒さの中、状態を保っていた。16日、上海の日本軍報道官は「南京が完全に静かだとは言えない。おそらくあと2、3日かかるだろう」と認めた。
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