日ソ中立条約2005年06月20日

 ソ連の対日参戦を日ソ中立条約違反とする主張があります。国際法や国際政治の専門家ならば、それぞれいろいろな考えがあるのでしょう。法的には、次のようになります。裁判では、唯一の確定判決である東京裁判で、ソ連対日参戦は正当なものと認定されている。政治的には、日ソ共同宣言で、正否判断無しに、解決済みの問題である。
 なお、ソ連対日参戦は米大統領ルーズベルトの提案によるものですが、提案者米大統領を不当と非難する意見を日本であまり聞きません。


まず、日ソ中立条約は、四条よりなる、短い条約です。

 第一条 両締約国は 両国間に平和及友好の関係を維持し 且 相互に他方締約国の領土の保全及不可侵を 尊重すべきことを約す
 第二条 締約国の一方が 一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象と為る場合には 他方締約国は該紛争の全期間中 中立を守るべし
 第三条、第四条 (有効期限に関する条文)
 

 ソ連の対日参戦を日ソ中立条約違反とする主張の根拠には、大きく分けて次の3つがあるようです。

 ①第一条違反とするもの、あるいは第一条前段違反とするもの
 ②第一条前段を訓示規定とみなして、第一条後段違反とするもの
 ③第二条違反とするもの

 ①の主張は、東京裁判で弁護側が行ったものです。判決では、完全に否定されています。関東軍特別大演習をみれば、「両国間に平和及友好の関係を維持し」に日本は違反していたことは明白でしょう。
 第一条前段違反は、日本もソ連も同じでした。詳しく数えると、双方共に200回以上の第一条前段違反があるそうです。

 ②の主張は、①の主張が否定されたために考え出されたものと思います。第一条に「且」の文字が入っているので、前段を訓示規定、後段を実質規定とみなしうるのか、こような解釈がそもそも可能なのか、疑問です。
 さらに、「締約国の領土」とありますが、締約国の領土とは、ソ連から見たら日本の領土であることは自明です。満州は含まれません。このため、満州関東軍相手の戦闘が第一条後段違反との主張には無理があるでしょう。もっとも、ソ連の宣戦布告は日本国に対して行われたので、このあたりは、どのように解釈すればよいのでしょう。

 ③の主張は無理だと思います。「第三国よりの軍事行動の対象と為る場合」とあるので、他国から侵略を受けた場合のことを言っています。積極的に他国を侵略した場合は、第二条の適用範囲外です。このため、第二条を根拠とするためには、米国が日本を侵略したとの主張が必要になり、戦後の政治情勢を考えたら、このような主張は不可能です。

 ボリス・ストラビンスキー氏は「日ソ中立条約」の中で、東京裁判の判決を批判しています。判決では、日本が第一条に違反していたことが指摘されていますが、ストラビンスキー氏はソ連も同様に違反していたと主張しています。しかし、この主張は、無意味です。日本が違反していたか否かが、ソ連が不当か正当かに関係してきますが、ソ連が違反していても違反していなくても、ソ連の対日参戦の正当性には関係が無いことです。

 敗戦濃厚になってきた日本政府は、ソ連に対して対米講和を斡旋しようと試みます。この時点で、すでにソ連とアメリカとは、ソ連対日参戦の合意ができていたので、日本の望みはかなうはずも無かったわけです。敗戦間近の侵略国家に、講和を斡旋することがあろうはずも無いので、その点からも日本の望みがかなうはずも無かったわけです。あまりにも甘い日本政府の見通しにはあきれるばかりです。日本政府の甘い見通しに対して、ソ連外務省は明確な態度を示さず、ソ連対日参戦の準備を感ずかれないように情報統制を図っていました。戦争の準備としては、ごく当たり前のことでした。戦争とは敵国を欺瞞するものです。戦争準備期に、正確な情報を与えないことは、ごく当たり前のことです。
  


 作家の、半藤一利氏は、「ソ連が満州に侵攻した夏(1997.7 文芸春秋)」のなかで、次のように書いています。

 ソ連の侵攻にたいして、いまなお多くの人は中立条約侵犯を厳しく告発する。本文中にその点については明確にしておいた。が、書きづらいことながら、昭和十六年夏「関特演」作戦計画の実施か否かが真剣に論議されたとき、陸軍中央も外務省もほとんど日ソ中立条約を考慮にいれていない。当時の軍や外交のトップは政治や外交は本質的に揺れ動くものであり、約束が紙くず同然になることは百も承知していた。それが世界政治の現実なのである。その非をソ連にだけ負わせるわけにはいかないのである。
 紀元前一五〇〇年から紀元一八六〇年までのあいだに、八千四百の条約が結ばれたが、その寿命の平均は二年であった、という(ジャン・バコン『戦争症候群』竹内書店新社)。この調査以後の百年、平均寿命はもっと短いかもしれない。不戦の誓いは脆いのである。

コメント

_ ライスカレー ― 2005年06月29日 19時02分11秒

日ソ共同宣言は宣言であり、条約ではない。
法的根拠は無い。
よって政治決着は未だ付いていない。日露間はいまだ戦時状態である。
その辺を勉強されたし。

_ cccpcamera ― 2005年07月01日 09時41分02秒

 日ソ共同宣言とは、昭和31年条約第20号のことです。昭和31年12月、国会で批准承認された条約です。

 六法全書には次のように書いてあります。(条約であることがお分かりですか。)

◎日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言
(昭和31年12月12日・条約第20号)
効力発生、昭31・12・12〔昭31外告131〕
 千九百五十六年十月十三日から十九日までモスクワで、日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦の全権団の間で交渉が行われた。
(以下省略)


 また、日ソ共同宣言等特別委員会の議事録を見ると、案件には「条約第一号」と明記されています。(この国会では1番目の条約案件なので条約第一号となっています。)

昭和三十一年十一月二十一日(水曜日) 衆議院 日ソ共同宣言等特別委員会 4号
本日の会議に付した案件
 日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言の批准について承認を求めるの件(条約第一号)
(以下省略)

_ 三氏 ― 2005年07月01日 23時50分27秒

ライスカレーって悲惨な馬鹿ですね。
こういう低脳右翼は氏んでください

_ ライスカレー ― 2005年07月03日 20時36分53秒

 たしかに私の間違いだ。これは認めよう。
 
ただ、未だ平和条約すら結ばれておらず、戦争状態が継続していることを認識して貰いたかった。
 それに『関特演』はただの訓練である。軍事作戦ではない。半藤氏の著書は、その辺を混同している。いくら寄稿が辯護しようとも、ソ連は条約を守れない国という事実は変わらない。
>三氏
 文句があれば、私のところに殴りこんでくるなりなんなりすれば良い。

_ cccpcamera ― 2005年07月04日 06時52分28秒

日本とソ連の間では、日ソ共同宣言により戦争状態は終結しています。
日ソ共同宣言は以下に掲載していますのでご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/19561019J.htm


>文句があれば、私のところに殴りこんでくるなりなんなりすれば良い。
 メールアドレス欄は公開されないので、「私のところ」を知らせるためには、コメント本文にメールアドレス、電話番号、住所・氏名等をお書きください。

_ Sunken Colony ― 2005年07月05日 13時51分37秒

ホームページも含めて拝見させていただきましたが、
ソ参戦、四島問題ともに、法的な主張は日ソともに後付けで、
結局は勝利と実効支配がすべてなんだなぁと、つくづく感じました。
それと同時に、戦争や領土問題に対して国際法がいかに無力であるか、再認識させられました。

_ cccpcamera ― 2005年07月06日 07時05分39秒

Sunken Colony さま、はじめまして、コメントありがとうございます。

>結局は勝利と実効支配がすべてなんだなぁと
 悲しいけれど、同感です。北方領土問題では、もともとの居住者であったはずのアイヌは、まったく無視されています。だから、北方領土返還に一番反対しているのは、一部のアイヌ団体ではないかと思います。国内政治においてすら、弱い人たちは徹底的に排除されます。国際政治では力(軍事力・経済力・政治力)のみが正義なのかと思えてきます。

 戦争は国際紛争を解決する合法な手段の1つです。戦争の仕方はいろいろと定められているれど、戦争自体は国際法上合法です。国際法は戦争をなくすことにはならない。(戦後になると、戦争自体が国際法違反であるとの主張もあります。)

_ 団塊Jr ― 2005年07月12日 21時33分19秒

一通り拝見させて頂きました。
領土問題・戦争問題となると、結論ありきの論理・資料武装サイトだらけで辟易としていたので、非常に参考になりました。
(こういう分類は良くないのですが)私は理系なので、データ・資料を捏造・改竄する人間は、その結論が正しくても、絶対に信用しません。
「取り敢えず、ふっかけて、落とし所を探る」という交渉事の定石もあるとは思いますが、外務省の見解は、ちょっと首をひねりますね。

変わるかも知れませんが、「北方領土」に関する個人的な意見は以下。

・この問題に関するアイヌの代表団体を1本化した上で、その意向を汲み、ロシアとの交渉を進める。
 (独立国でないアイヌ団体が単独でロシアと交渉するのは流石に無理と思います)
・4島返還として、交渉するが、国後・択捉に関しては、根拠が弱い為、それなりの引き換え条件を覚悟する。
・返還後、4島は日本の領土となるが、アイヌ自治区&国定公園とする。
(独自の刑法、商法制定等は流石に無理とは思うが、漁業権等はアイヌ帰属)
・既に住んでいるロシア人の居住は認める。北海道本島等に行く場合以外、パスポート不要。
 移住希望の場合、日本・ロシア何れかの政府がその費用を負担する。

最後に理系として外務省や日本政府に要望。
領土問題等の条約を締結する場合、条文の他、地図等の図を付け、誤解のないようにして欲しい。

_ cccpcamera ― 2005年07月14日 17時58分08秒

団塊Jr さま、コメントありがとうございます。

 戦後60年もたってしまったのだから、北方領土問題の解決は難しいですよ。
 千島連盟の人たちも、四島返還後、既に住んでいるロシア人の居住は認める、と主張しているようです。しかし、私にはこの主張には疑問があります。居住は認めるけれど、住民自治権は認めないのか、住民自治権も認めるのか。前者の場合、圧倒的大多数の住民に選挙権がなく、住民のごく一部の代表が市長を務めるというのでは、地域社会が成り立たないでしょう。後者の場合、地方議会・市長がロシア帰属宣言、あるいは独立宣言をしたら、自衛隊を派遣して弾圧するのでしょうか。もちろん、住民の多数が日本人ならば問題ありません。現実問題として、ちょっと考えにくいと思います。
 国後・択捉に居住希望の日本人はいったいどれだけ居るのでしょう。

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