原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一悟 ― 2025年07月15日

アルボムッレ スマナサーラ/著『原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一悟』佼成出版社 (2005/11)
上座部仏教(小乗仏教)のスマナサーラ長老による法句経の解説。全28講で、法句経の1~数句を取り上げ、それに対する解説をする形で、仏教の教えを語っている。友松円諦/著『法句経講義』と同様な内容であるが、友松氏が日本人僧侶であるのに対して、著者は上座部仏教僧侶であるため、仏教観・人生観に違いを感じる。おそらく、釈迦の教えの解釈としては、スマナサーラ氏の方が、より釈迦に近いのだろうと推測する。
もし、普通の日本人が法句経の教えを参考にして、人生を考えるのならば、日本人・儒教の色がついていない本書の方が、より客観的に考えることができるように思う。
本の紹介-こういう大人になってはいけない ― 2025年07月16日

アルボムッレ スマナサーラ/著『こういう大人になってはいけない ぼくたちの生きる道に水を差さないで…』アルマット(2000/12)
上座部仏教(小乗仏教)の僧侶スマナサーラ長老による法句経講義を昨日書いたので、今日はスマナサーラの子育て・教育論。
曹洞宗・臨済宗の僧侶は、信者の悩み相談を受けた時に、あれこれ命じたり、答えを与えたりせずに、本人に気付かせるように誘導することが多い。著者の教育論もこれに類似していて、子供を躾けるのではなくて、子供の自主性に任せて、なるべく本人に気付かせるようにすることを推奨している。特に「子は親の言いつけを守るべし」との日本古来の儒教道徳には否定的である。
また、著者は次のように、子供は親の所有物ではなくて、独立した尊い存在としている。仏陀を信仰する長老の信念だろう。
お互いに立派な人間同士として、子供と仲良く付き合う。決して『私の子』ではない。「自分の所有物ではなく尊い存在だ」と思えば、子育てはとてもうまくいきます。そして、子供と接する知恵が、どんどん生まれてくるのです。(P71)
この本は、親のために書かれた本であるが、むしろ、中学生ぐらいの「子」の立場の人に、自分のこれからの人生を冷静に考えるために、読んでほしいと思う。ただし、残念ながら本書はすでに絶版になっているので、図書館等で探して読むしかないだろう。
ポクロフスク戦線 ― 2025年07月17日
7月に入って、ポクロフスク、ディミトロフ戦線が活発化している。
1年以上前から、ポクロフスク戦線に関心がもたれていたが、今春以降はポクロフスクの北東50㎞のコンスタンチノフカ戦線が活発化し、ポクロフスク戦線はおとなしかった。しかし、今月になって、ポクロフスク戦線が活発化し、ロシア軍による包囲網が進んでいる。
7月になってRazineを解放したロシア軍は、Rodyns'keに向けて進軍している模様。先日、ロシア軍の一部がRodyns'keに入ったとの情報があったが、これは斥候によるもので、占領したわけではない。もし、ここが解放されると、ウクライナはT0515の道路通行を失うことになる。Rodyns'keを制圧しなくても、東側のテリコン(ボタ山)をロシア軍が制圧すると、道路の交通はドローン攻撃にさらされる。もっとも、ウクライナ軍はすでに道路を網で覆い、ドローン攻撃を無効化しているとの情報もある。
ポクロフスクへ通じる道路のうち、西に向かう自動車道E50と北へ向かうT0515、北西方向川沿いのO0525をロシアは制圧していない。ただし、O0525は狭い道路であり、E50もKotlyne付近に布陣するロシア軍の砲撃にさらされる危険性があり、T0515が制圧されると、ウクライナ軍の輸送能力は大きく低下する。
今、ウクライナ軍は、ポクロフスク、ディミトロフを早期に放棄するか、最後まで抵抗を続け多大な犠牲を出すか、選択を迫られている。
図の赤線はロシア・ウクライナ支配地域の境界線を描いたもの。しかし、前線は入り乱れて混乱するものだから、明確な境界線は存在しない。図の線はおおよその参考程度に思ってください。
本の紹介-スマナサーラ長老が道元禅師を読む ― 2025年07月20日

アルボムッレ・スマナサーラ/著『スマナサーラ長老が道元禅師を読む』佼成出版社 (2024/4)
テーラワーダ仏教(上座部仏教(小乗仏教)のスマナサーラ長老による近著。
道元・正法眼蔵のいくつかの句をもとに、これらを解説している。上座部仏教の目指すものと、道元の目指すものが近いため、道元の解説と同時に、テーラワーダ仏教の考え方の説明になっている。
正法眼蔵のなかでも、現成公案の句に関する説明が多い。
本書の中で、著者は道元の思想を「テーラワーダ仏教の僧侶として道元禅師を見ると、仏道をしっかり歩んでいる偉い先輩のお坊さんとして見えるんですね。(P142)」と高く評価している。上座部仏教と、道元の目指すものが近いだけではなく、心の在り方の理解も近いのだろう。上座部仏教は日本の大乗仏教と比較して、釈迦の仏教に近いと考えられるので、日本の宗教家の中で、道元は釈迦の教えをかなり正しく理解していたと言えるのだろう。
本の紹介-世界史のなかの沖縄返還 ― 2025年07月21日

成田千尋/著『世界史のなかの沖縄返還』吉川弘文館 (2024/3)
終戦後、アメリカ統治になった沖縄は、今から50年ほど前に、日本に復帰した。本書は、この時の状況を解説する。「日本復帰」の他に、「アメリカ統治の継続」、「琉球独立」、「台湾帰属」、「中国帰属」なども理屈では考えられ、事実そのような主張も終戦初期にはあったが、数年後には、沖縄住民の大多数が日本復帰を希望しており、他の選択肢は事実上困難だった。本書には、「琉球独立」「台湾帰属」論についても、ある程度詳しく書かれている。しかし、これらの論はごく少数者の意見で、国際的にも、日本国内でも、琉球でも、ほとんど顧みられることはなかった。
琉球の日本復帰は「本土並み返還」といわれたが、復帰後の沖縄米軍基地は、復帰前とあまり変わらず、現在に至るも、米軍基地の多くは沖縄に押し付けられている。
このほか、最初の20ページほどで、中世琉球が日中両属になったことや、明治の琉球処分についても書かれている。この部分は、本書では琉球史知識の確認程度の内容なので、詳しく知りたい人は他書にあたった方が良い。
戦後まもなくして、沖縄世論が日本復帰論になる状況について、以下のように説明されている。
『戦争直後の沖縄では米軍を日本からの解放軍とみるような雰囲気もあり、初期に結成された政党も、沖縄民主同盟と人民党は独立論に近く、沖縄社会党は米国帰属を唱えるというように、日本復帰は掲げていなかった。しかし、中国大陸で一九四六年以降に国共内戦が再発し、米国が支持する国民党側が劣勢となったことなどから、沖縄もその影響を受けていく。その後、米国政府が沖縄の基地開発計画を定め、一九五〇年春から本格的な基地開発を始めると、沖縄でも日本復帰論が力を持つようになったのである。
また、一九五〇年一月にアチソン米国務長官が国際連合の信託を受けて米国が統治(信託統治)を行うと明らかにしたため、日本で沖縄復帰論を唱えていた沖縄出身者も危機感を強め、沖縄現地の復帰論者に働きかけを行うようになった。
そして、同年九月の沖縄群島知事選挙で日本復帰論者の平良辰雄が当選し、その支持勢力が復帰を主張する沖縄社会大衆党(以ド、社大党)を一〇月に結成した。その後、人民党が社大党と同じく日本復帰を主張し、平良の対立候補だった松岡政保の支持者を中心とする琉球共和党が沖縄独立、沖縄社会党が米国による信託統治を・王張するというように、日本帰属をめぐって政党の構図も変化した。日本復帰論が優勢となるなか、沖青連も日本復帰を主張する人民党や社大党の活動に積極的に関わっていった。(P132,P133)』
ポクロフスク解放始まる ― 2025年07月26日
ポクロフスクはドネツクの北西50㎞にある交通の要衝。
1年以上前から、ポクロフスク戦線に関心がもたれていたが、今春以降はポクロフスク北東50㎞のコンスタンチノフカ戦線が活発化し、ポクロフスク戦線はおとなしかった。しかし、今月になって、ポクロフスク戦線が活発化し、ロシア軍による包囲網が進んでいた。
数日前から、ロシア軍がポクロフスク南部に侵入したとの情報があり、現在は、E50道路南側の一部をロシア軍が支配している模様。数か月前にも、ロシア軍がポクロフスクに侵入したとの情報があったが、この時は斥候による偵察行為のようだった。しかし、今回は、部隊による解放行為の可能性が高い。ロシア軍の進軍に対し、ウクライナ軍はかなり混乱しているようだが、徹底抗戦か撤退かの判断を迫られるだろう。
なお、ポクロフスクと一体化した都市であるディミトロフの東郊外の村、MykolaivkaとNovoekonomichneは、すでにロシア軍により解放された模様。
1年以上前から、ポクロフスク戦線に関心がもたれていたが、今春以降はポクロフスク北東50㎞のコンスタンチノフカ戦線が活発化し、ポクロフスク戦線はおとなしかった。しかし、今月になって、ポクロフスク戦線が活発化し、ロシア軍による包囲網が進んでいた。
数日前から、ロシア軍がポクロフスク南部に侵入したとの情報があり、現在は、E50道路南側の一部をロシア軍が支配している模様。数か月前にも、ロシア軍がポクロフスクに侵入したとの情報があったが、この時は斥候による偵察行為のようだった。しかし、今回は、部隊による解放行為の可能性が高い。ロシア軍の進軍に対し、ウクライナ軍はかなり混乱しているようだが、徹底抗戦か撤退かの判断を迫られるだろう。
なお、ポクロフスクと一体化した都市であるディミトロフの東郊外の村、MykolaivkaとNovoekonomichneは、すでにロシア軍により解放された模様。
チャソフ・ヤール解放 ― 2025年07月31日
ロシア国防省の発表によると、チャソフ・ヤールの完全解放がロシア軍によって達成された。
チャソフ・ヤールはバフムトの西10㎞の町で、以前はウクライナ軍の兵站だったが、バフムト陥落後に、ウクライナ軍はここを拠点とした。チャソフ・ヤールが解放された今、コンスタンチノフカの解放が十分に視野に入っている。
チャソフ・ヤールはバフムトの西10㎞の町で、以前はウクライナ軍の兵站だったが、バフムト陥落後に、ウクライナ軍はここを拠点とした。チャソフ・ヤールが解放された今、コンスタンチノフカの解放が十分に視野に入っている。