本の紹介- 南京事件論争史(笠原十九司/著)2008年01月06日

 
1970年代に、南京大虐殺は無かったとする主張がありました。南京大虐殺論争に歴史学者が加わると、南京大虐殺は無かったとする主張は、歴史学研究のレベルに達していないことが明らかにされ、完全に破綻したようです。しかし、その後、南京大虐殺の被害者数はずっと少ないというような主張が現れました。
本書は、歴史学者による、南京大虐殺論争のこれまでの経緯のまとめです。南京大虐殺自体の説明ではなくて、1970年代以降、日本の中でこの問題がどのように論争されてきたかを説明しています。

この本では直接指摘されていないのですが、「南京大虐殺は無かった」「被害者は少ない」との主張をする人は、神主・漫画家・作家・右翼機関紙編集者などが多く、「南京大虐殺はあった」とする人は、歴史学者(大学教授)・大手新聞の記者などが多いんですよね。1970年代から、それを感じていたのですが、今でも、この傾向は変わらないようです。史実を冷静に認めるとしたならば、「南京大虐殺は無かった」との主張が成り立たないことは自明でしょう。南京は世界有数の人口を抱える巨大都市で、そこで、白昼堂々と行われた犯行なのだから、あとになって、言い逃れをするのは、いくらなんでも難しいでしょう。闇に乗じて行った柳条湖事件や、小さな村で住民を皆殺しにした平頂山事件だったら、ごまかしが効くかもしれないけれど。
現在、学者で、「南京大虐殺は無かった」に近い主張をしているのは、亜細亜大学の東中野氏ぐらいでしょうか。東中野氏の研究は、東京地裁判決で「とうてい学術研究に値しない」と厳しい批判を受けました。

南京大虐殺の被害者数は、南京の範囲や大虐殺の期間を短くすれば、いくらでも少なく見せかけることが可能です。最近、良く聞く「南京大虐殺の被害者は少ない」との主張は、このようにして行われています。言葉の定義は、自分に都合よくすれば、如何にでもなるので、このような主張が誤りであるとは言えないでしょう。でも、そうすると、日本軍は、「南京大虐殺」「南京郊外大虐殺」「南京周辺地域大虐殺」と、いくつもの大虐殺犯罪をしたことになり、それぞれに対して、日本政府は謝罪が必要になります。

コメント

_ sato ― 2009年02月11日 09時48分14秒

私もこの本を読みました。「南京大虐殺が存在しなかった」という本が店頭に沢山並んでいるのを見受けます。この国はどうなるのだろうと危惧してしまいます。日本は、国を挙げてアジア・太平洋戦争について真剣に反省すべきです。そうすることによってアジアの人々との和解が出来るのではないかと思います。そうすることによって再び嘗てのような・戦前の日本に戻らないのではないかと考えます。笠原とくしさんにおかれましては、今後ますますのご活躍を期待しています。

_ cccpcamera ― 2009年02月12日 08時51分36秒

satoさま、コメントありがとうございます。

2009年2月5日に、最高裁判所第一小法廷で東中野氏敗訴の裁判が確定しました。「南京大虐殺は無かった」に近い主張をしている亜細亜大学の東中野氏の説は、「とうてい学術研究に値しない」「解釈は不合理で妥当とはいえない」との判断が確定したことになります。

日本の裁判でも「とうてい学術研究に値しない」との判断が確定した、「南京大虐殺が存在しなかった」とするトンデモ本に類似した本が店頭に沢山並んでいるのを見ると、情けなくなります。

_ なぜだろう ― 2010年03月28日 19時59分15秒

WiLLは、馬英九政権を批判しないのか?

http://web-will.jp/

 WiLL 2010年05月号
  ■古荘光一
  いまさらの「日中歴史共同研究」
  南京大虐殺なんてない


これには紹介石の陰謀だと書いてあったが
台湾の教科書には
南京大虐殺の記述が書いてあることを、
WiLLは、批判しないのだろうか?
国民党の馬英九政権を、なぜ批判しないのか?

http://www.harikonotora.net/history/read/102/50/
>太平洋戦争と南京大虐殺の真相
> 49、50
> "翰林出版にも南京の記述が載せられています。"

>  2007年2月ごろ
>  台湾の教科書会社のうち、翰林出版社では
>  高級中学(高校)の歴史教科書に
>  「南京大虐殺」の記述がなく、
>  それが北一女子高級中学で採用されていたと
>  話題になっていましたが、
>  実際には、巻末の附録の年表に南京大虐殺について
>  書いてありました。

_ cccpcamera ― 2010年03月29日 09時33分31秒

WiLLって、土井たか子氏に対する、捏造・名誉毀損記事で敗訴が確定した、デタラメ雑誌のことでしょう。

_ aoi ― 2011年02月05日 22時50分34秒

南京事件の証拠とされる元兵士の日記は、ニセモノではないでしょうか。

秦郁彦『南京事件』中公新書p131に、「井家又一日記」の、手書きの文章写真が掲載されています。

「ペン書き」に見えますが、これはあり得ないと思います。

ペン書きについての私の考えは、以下のページに書いてあります。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/heisinopennji.html   

秦氏が日記を手に入れた状況については、以下の、私の秦著要点抜書き、10章冒頭に書いてあります。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/hata.nannkinnjikenn.tyuukousinnsyo10.html

井家又一日記がニセモノなら、同時に渡された「水谷荘日記」も、疑わしい。

これらは、偕行社『南京戦史資料集』に収められていますが、

日記の「解読者」は、その多くの奇妙な点について、何も言わなかったようです。

    参:疑問点の詳細は「井家又一日記の日本語」
       http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/ikemataitinikki.nihonngo.html

しかし、これは問題です。

「井家又一日記」の疑問点を黙殺?した、ということなら、
他の日記や、戦闘詳報だって、調べてみないと、史料批判の作業は終わらないでしょう。

  *史料批判要諦(史料が証拠として使えるかどうかの判断方法)
   http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisigakukennkyuuhou.html
   特に偽作の可能性の有無、錯誤・虚偽の項目などは、是非見ていただきたい部分です。

_ cccpcamera ― 2011年02月07日 15時04分10秒

aoiさま、コメントありがとうございます。

最初にご紹介のページを見ました。ここです。あとは読んでいません。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/heisinopennji.html

外地に派遣された軍人は、家族に、無料の軍事郵便を差し出しています。このため、現在でも大量の軍事郵便が残されており、市場では、安いものなら1通当たり数百円程度で入手可能です。こういうのを100通も入手して調べれば、鉛筆書きは少なく、多くはペン書きであることが分かるはずです。


北方領土問題に関連して、北方派遣軍からの幾つかの軍事郵便はがきを掲載しています。すべてペン書きです。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Hakengun/Hoppougun.htm

また、南京事件に関連して、上海派遣軍司令部の根岸莞爾主計少将が12月19日に差し出した葉書を掲載しています。ペン書きで達筆です。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2008/12/14/4008211

なお、兵隊の日記も、時々市場に出ることがあります。私は興味ないので購入したことはありませんが、記憶にある限り、すべてペン書きでした。(ただし、私は興味がないので、詳しいことは知りません。)

兵士たちは、はがきを書くときは、ほとんどペン書き、日記を書くときは、ほとんど鉛筆書きに違いないとの主張は、ちょっと無理ではないかと思います。もし、そのように主張されるのならば、兵隊の日記を入手することは可能なのだから、10冊ぐらい入手して調べてみたらいかがですか。

_ cccpcamera ― 2011年02月07日 17時24分48秒

追記です

Yahooオークションに出品されている従軍日記・日誌は万年筆書きのようです。
時代や行動地が違うので、単純に比較はできないけれど。ご参考まで。

http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n96995374
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f100923293

_ aoi ― 2011年02月08日 22時33分33秒

ご連絡とコメントをありがとうございました。

時代や行動地は別だけれども、ペン書きのものがあるらしい、というのはわかりました。

しかし、南京虐殺の証拠を書いた日記というのは、
状況が状況ですから、実物を確認することが第一である、という点では、意見を変更する必要はないと思っています。

しかし、私も、郵便物や正式文書はペン書きである、
と言っているものを、

あたかも、私がそうは言っていない、かのように、
わざわざ郵便物のペン書き例を引用なさるのは、
公正を欠くなさりかただと感じました。

私の、日記使用文字についての疑問は、
昭和10年平凡社『手紙講座』全8巻、手書き実例170点からの感想であることを申し添えておきたいと思います。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/tegamikouzazenn.html

_ cccpcamera ― 2011年02月09日 12時38分39秒

aoiさま。

『状況が状況ですから』と書くならば、類似の状況下で書かれた日記を幾つか調べてみて、比較検討されてから、井家又一日記の真贋を判定したらいかがですか。調べもしないで、他人の著作をニセモノ呼ばわりすることは、感心いたしかねます。

『実物を確認することが第一である』とお書きです。それはそうなのですが、実物の真贋判定をするためには、類似品を見ていることが重要です。類似の本物をたくさん見ない限り、真贋判定は困難です。
 また、『実物を確認することが第一である』とお考えならば、実物を確認しないで、他人の著作をニセモノ呼ばわりしてはならないことです。

 それから、軍事郵便はがきの使用例をお示しした理由を書きます。
 葉書を書くときの筆記用具ですが、戦場は、やはり特殊な状況だし、また、知識人と一般人とでは、違うかもしれないし、同じかも知れません。
 平時に、知識人が差し出した手紙を見て、戦場で兵士が差し出した手紙の筆記用具を推察しているようなので、結論はともかく、もう少し、調査をしっかりしたらいかがと思い、軍事郵便はがきの使用例をお見せしました。
 軍事郵便はがきは大量に残存しています。入手は容易です。

_ (未記入) ― 2011年05月30日 19時46分17秒

首を刈ったり、女性を暴行した挙句、陰部に箒を突き刺したり・・・。
当時の日本人がこんなことをしますか?

日本人の心、魂、公徳心、一般人よりもっと規律正しかった日本の軍人さん達がこのようなことむごいことができるとお思いか?
日本人なら、こんなことはできないくらいわかるはず。

逆に、支那人の軍隊は、退却する際、自国民を虐殺し民家を焼き払って、追っ手から逃れていたのが普通。

あほらしい記事ですな。

_ cccpcamera ― 2011年05月31日 09時19分55秒

戦争は、敵を殺すものです。日本軍人が、敵国人を殺害するのは、当然のことです。勇猛果敢な帝国軍人が敵を切り殺したのは、当たり前のことではないですか。多くの帝国軍人は、少なくとも建前上は、天皇陛下のために、上官の命令は天皇陛下の命令として、忠実に実行しました。敵の首を切れと命令されたら、敵の首を切るのは当たり前のことです。

戦争中、日本軍人が、中国人100人の首を切って殺したとの武勇談が新聞報道されたことがあります。本当かどうかはともかく、敵を倒した英雄として、称賛されました。
戦後になって、価値観が変わると、日本の右翼系の人たちは「あれは無かったことだ」と、まるで、帝国軍人がペテン師ぞろいで、武勲をデッチアゲテいたようなことを言うようですが、このような言説には賛成しかねます。

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