ウクライナ・ナチスの犯罪2024年08月01日

 2016年7月22日、ポーランド議会は、1943年に生じたヴォルィーニの大虐殺を「民族浄化」「ジェノサイド」と規定する法律を圧倒的多数で可決した。ステパン・バンデラ、ヤロスラフ・ステツコ等が創設したウクライナ蜂起軍(UPA)は、みずから進んでナチスドイツに協力し、ユダヤ人・ポーランド人・ロシア人を虐殺した。
 ステパン・バンデラ、ヤロスラフ・ステツコ、UPAは今日、国家の独立のために戦ったとしてウクライナにおいて称賛されている。
  
 2024年7月11日、ポーランド南東部Domostawa東の高速道路S19のサービスエリアのそばに、虐殺記念碑が建てられた。場所は、50°36'47.7"N 22°17'17.2"E。
     
 モニュメントの中央にはウクライナの国章をイメージする三叉戟に串刺しにされた子供。写真は鮮明化のためリタッチしています。


ニウ・ヨーク解放(ウクライナ戦争)2024年08月19日

 
ドネツク州ゴルロフカの西にあるニウ・ヨークを8月18日、ロシア軍が解放した。また、ロシア軍はジェルジンスク東部に到達しているため、ジェルジンスク解放は時間の問題。(図)
 
今年2月にアウデーイウカが解放された後、ロシア軍は西側に進軍、現在は、ポクロフスクまで十数キロに迫っている。
 
バフムト西部のウクライナ軍の要衝のチャソフヤールは、東地区をロシア軍が解放した後、情報が少ない。
 
ロシア領クルスクに侵入したウクライナ軍は、数個旅団規模のようだ。日本では、瞬く間に広範囲を占領したかのように報道されているが、実際は、スジャ以外に大きな町はなく、ウクライナ軍支配地区の多くは、人家が少ない村や広大な畑に、ウクライナ軍が散開しているに過ぎない。ゼレンスキーはスジャを占領したように言っているが、西部はともかく、スジャ東部をウクライナが占領している事実はないようだ。ウクライナ軍がこの地域に攻め込んでくることを予想していなかったので、ロシアは後手を取ったわけだが、今後ウクライナはどうするつもりだろう。戦線が膠着してきた今、補給に余裕のあるロシア軍がますます有利になることは、容易に予測できることだ。このままでは、ウクライナ軍の損失は、計り知れない。
いずれにしろ、戦線はおおむね膠着状態なので、あとは、装備・人員に勝るロシアがジリジリ締め付けるだけだ。そういうわけで、プーチンはアゼルバイジャンに外遊に出かけた。

本の紹介-戦争ミュージアム2024年08月22日

 
梯久美子 (著)『戦争ミュージアム─記憶の回路をつなぐ』 (岩波新書) 2024/7
 
本書の内容は悪いとは思わないけれど、なんとなく突っ込み不足の感がした。最近の岩波新書はこのようなのが多いともいえるのだけれど。
 
取り上げている記念館は以下の14か所。
 大久野島毒ガス資料館(広島県)
 予科練平和記念館(千葉県)
 戦没画学生慰霊美術館 無言館(長野県)
 周南市回天記念館(山口県)
 対馬丸記念館(沖縄県)
 象山地下壕(松代大本営地下壕)(長野県)
 東京大空襲・戦災資料センター(東京都)
 八重山平和祈念館(沖縄県)
 原爆の図丸木美術館(埼玉県)
 長崎原爆資料館(長崎県)
 稚内市樺太記念館(北海道)
 満蒙開拓平和記念館(長野県)
 舞鶴引揚記念館(京都府)
 都立第五福竜丸展示館(東京都)
 
 内容の多くは、戦争中の日本人の苦労話。戦争中、日本人が苦労したことや、日本軍国主義のために苦労させられたことは事実なので、そういう記述があるのは問題ない。私は、取り上げられている施設のうち7か所を見学したことがあるが、多くは、このようなニュアンスの解説だったので、本書もそれを踏襲しているのだろう。
 このため、本書を読むよりも、実際の展示館を見学した方が良いし、それならば、本書を読む必要はないと感じた。
 稚内市樺太記念館の章は、真岡郵電局で自殺した9人の乙女の話があるが、ここは、電信課の職員は自殺したものの、郵便課の職員に自殺者はいなかったことが知られている。戦後80年近くたつのだから、単純に気の毒と考えることのほかに、なぜ、不必要な自殺をしなくてはならなかったのかを考える思考能力があった方が良いと思う。

ウクライナ・ロシア戦争2024年08月23日

ロシア軍は、ドネツク州ゴルロフカの西にあるニウ・ヨークを8月18日に解放した。ニウ・ヨーク北にあるジェルジンスク(トレツク)東部の攻略が始まったようだ。ここは、ウクライナ軍の要塞だったのだけれど、ウクライナ軍の兵力が乏しくなっているので、解放にはそれほど時間がかからないかもしれない。
 
ドネツク西部の要衝ポクロフスクの攻略戦も順調に進展している。ポクロフスクの南西13キロのノボゴロドフカの攻略が始まっている。ロシアがここを支配すると、鉄道線に沿って進軍すれば、途中の多くは畑なので、ほとんど障害なくポクロフスクに到達する。
 
バフムト西部のウクライナ軍の要衝のチャソフヤールは、東地区をロシア軍が解放した後、情報が少ないが、西地区北部でO0506道路を超えて数百メートル進軍したとの情報がある。
 
ロシア領クルスクに侵攻したウクライナ軍は場所によっては30キロ程度侵攻したが、多くは原野であり、重要地点は少ない。R200の通るスジャは重要であり、ウクライナが支配しているとの情報があるが、東部は支配していないとの情報もある。スジャ北東のマルチノフカは、ロシアが支配しているとの情報と、グレーゾーンとの情報がある。現在クルスク戦線は、おおむね膠着状態にあり、新たな情報が減っている。

もうすぐポクロフスク解放2024年08月24日

ドネツク西部の要衝ポクロフスクの攻略戦が順調に進展している。
昨日の投稿で「ポクロフスクの南西13キロのノボゴロドフカの攻略が始まっている」と書いたが、ノボゴロドフカの北にあるKurutyi Yar,Krasnyi Yarが解放されたようだ。Kurutyi Yarとノボゴロドフカ北側の中間付近には2山のテリコンがあるが、ここをロシア軍が占領すれば、ノボゴロドフカ解放はすぐだろう。
ここにきて、ロシア軍の進攻が加速している。ウクライナ兵が逃亡しているのか、兵員・弾薬が極端に不足しているのか。戦争終結も見えてきたようだ。

ノボゴロドフカ(Novohrodivka)解放2024年08月26日

ドネツク北東40㎞にある、ノボゴロドフカ(Novohrodivka)のほとんどが解放されたとの情報が多い。ドネツク西部の要衝ポクロフスク解放も間近。
ロシア軍は、ノボゴロドフカ北側にあるテリコン(ぼた山)を占領した後に、ノボゴロドフカの町を南東と北西から挟撃して攻略すると思っていたが、実際には、南東から兵を進めて、順に進攻したようだ。ウクライナ兵はほとんどおらず、まともな抵抗はなかったと見える。
8月6日、ウクライナ軍は、ロシア領クルスクに侵入した。奇襲の時はそれなりに進攻は成功したが、その後はロシア軍の抵抗で、戦線は膠着、ウクライナ軍はじり貧状態にある。ウクライナ軍のクルスク進攻の陰で、ドネツク西部戦線は、ロシア軍の急速な進軍を許している。ウクライナのクルスク進攻は、完全に裏目に出たように見えるが、何を目的としたものだったのだろうか。

本の紹介-旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録2024年08月27日

 
樋田毅/著『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』 (光文社新書) (2024/8)
 
 統一教会の悪質性が良く分かる本なのだけれど、ここに書かれたことは、他書でも読むことができる内容が多く、本書を読むメリットが、一般人にとって大きいとは感じられなかった。
 本書は、統一教会元幹部の証言録。このため、内部から見た統一教会の悪質性が分かるので、統一教会信者・関係者や統一教会に融和的感情を持っている人には、ぜひ読んでほしい本だ。安倍殺害以降、マスコミでは統一教会の悪事が伝えられているが、本当にそこまで悪い宗教団体があるのか疑問に思っている人もあるだろう。こういう人には、ぜひ読んでほしい本だ。

ノボゴロドフカ(Novohrodivka)解放2024年08月27日

ドネツク北東40㎞にある、ノボゴロドフカ(Novohrodivka)が完全に解放されたとの情報がある。攻略開始からわずか4~5日と驚異的な速さだ。
ドネツク西部の交通要衝ポクロフスクの前衛的な位置にある村なので、ウクライナ軍は死守すると思っていたのだが、あまりにもあっけなかった。ウクライナ軍の抵抗が、ほとんどなかったと思われる。ウクライナ軍の崩壊も視野に入ったかもしれない。

ポクロフスク解放が視野に入った2024年08月28日

ニューズウイーク日本版に「越境攻撃で東部ドネツクの前線に穴?ロシア軍が要衝ポクロウシクの近くに進軍」との記事がある。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/08/post-105552.php
 
この中に、『ウクライナ軍が8月6日、ロシア領のクルスクに予想外の越境攻撃を仕掛けたことから、ロシア軍は、ウクライナの主要な物資輸送のハブであるポクロウシクを奪取する賭けに出たようだ。』との記述があるが、何をバカなことを書いているのか、筆者はこれまでの経緯を何も知らないで、妄想で書いているのだろうか。
 
今年の2月にアウデーイウカを解放したロシア軍は、西進して、徐々に支配地域を広げていた。ウクライナ軍の抵抗があると、一旦そこで西進の速度が弱まるが、およそ半年で30㎞程度支配を広げてきたことになる。今回、ポクロフスクの手前にあるノボゴロドフカ(Novohrodivka)を完全解放した。ウクライナとしては、ここを取られると、ポクロフスクの維持が困難になるので、激しい抵抗があるものと思われた。実際には、ウクライナの抵抗はほとんどなく、4~5日で陥落したようだ。ニューズウイークの記事では『ポクロウシクを奪取する賭けに出たようだ』としているが、これまでの経緯を見ると、ロシア軍が無理に進攻したのではなくて、ウクライナ軍が総崩れになったため、ポクロフスク攻略が早まったのだろう。
 
最近の情報では、ノボゴロドフカの南にあるセリドベ(Selydove)への進軍が目立っているようだ。セリドベが陥落すると、ウグレダル(Vuhledar)まで、大きな町はないので、ドネツク州南部の広い部分が陥落する可能性が高い。ただし、セリドベはポクロフスクほどではないとしても、結構大きい街なので、ウクライナ軍の抵抗が少なかったとしても、解放は簡単ではないと思う。
 
ポクロフスクを攻略するとなると、どのくらいの期間が必要なのだろう。これまでの他所の経緯を見ると、早くても数か月は必要だと思うが、すでに、ウクライナ軍が崩壊しているならば、数週間で片付くかもしれない。

シンキフカ(Syn'kivka)解放2024年08月30日

 
 シンキフカはハリコフ州クピャンスクの9㎞北東の村(図の赤丸付近)。
 2023年、ウクライナ東部の要衝バフムトを解放すると、ロシアの進軍はハリコフ州東部でも活発になった。これに対し、ウクライナ軍はクピャンスク北東のシンキフカに防衛拠点を置いたが、ロシア軍の圧力は強まっていった。こうした中、ウクライナは6月5日夜にアンモニアパイプラインを爆破した。世界的な肥料不足が懸念されたが、その後なぜか、この話は立ち消えになり、ロシア軍のシンキフカ進軍もなくなった。
 ロシア、ウクライナ、東欧、西欧は経済的結びつきが多く、特に、ロシアへのエネルギー・化学肥料・食料の依存は大きい。このため、戦争はしていても、別のやり取りがあるのだろう。
 2024年8月6日、突如、ウクライナ軍はロシア・クルスク州に進攻、多数の村を制圧した。これにロシアは激しく反発、ウクライナ全土の軍事施設や電力設備などを中心にミサイル攻撃した。クルスク州進攻拠点のスームイへの攻撃は特に激しかった。その後、ハリコフ州東部への攻撃も活発になり、ロシア軍は、8月29日にはシンキフカ(Syn'kivka)解放したとの情報が多い。

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