本の紹介-アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた2022年11月24日


カベルナリア吉田/著『アイヌのことを考えながら北海道を歩いてみた 失われたカムイ伝説とアイヌの歴史』ユサブル (2022/7)
 
 一味違う北海道旅行記。
 数年前、私も、アイヌのことを考えながら北海道を4回旅行した。最初の旅行は、電車で、函館。2回目は車で道東。3回目は車で北海道左回り一周。4回目は車で道南・道央・道東。私の旅行では、アイヌの存在は無視されていないにしても、あまり関心がもたれていない地域が多いと感じた。しかし、本書を読むと、先住民族としてのアイヌが観光宣伝や箱もの行政の口実に使われているようだ。ここ10年、日本の産業は停滞し、北海道の産業は寂れた。手っ取り早く景気回復のためには、観光宣伝施設を作り、観光客が満足するような展示をすることなのだろう。新たにウポポイが作られたので、そのうち見に行こうと思っていたが、本書を読んだら、その気が失せた。
 静内のシャクシャイン像が作り替えられていること、解説が変えられることが書かれているが、これは知らなかった。
 それから、著者は、かなり大食いの人なのだろうか。各所に、何を食べたのかが結構詳しく書かれているが、日本の普通の料理を食べた話をされても、あまり面白くない。 



北方領土問題  やさしい北方領土問題の話   竹島(独島)問題    尖閣(釣魚)問題 

本の紹介ー先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか2022年10月25日

 
坂田美奈子/著『先住民アイヌはどんな歴史を歩んできたか』清水書院 (2018/8)
 
幕末期から明治にかけて、アイヌ・北海道は著しく変容した。本書は、この時代を中心にアイヌの歴史を記す。100ページ余りの薄い本なので、詳しい内容はない。

国立歴史民俗博物館2022年10月11日

 
国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)第一室(古代展示)では、縄文時代の人々の生活が、等身大人形で展示されている。写真は、黒曜石の尖頭器を壊してしまってガッカリしている少年。表情がリアル。

稲作は朝鮮半島から渡来した2022年10月10日

 
久しぶりに歴史民俗博物館を見学したら、第一室(古代展示)が大幅変更されていた。
日本へ、稲作はどこから渡来したのか、諸説あるものと思っていた。歴博では、朝鮮半島から渡来したと説明されている。朝鮮半島渡来が定説になったのだろうか。

10月8日は閔妃暗殺事件の日2022年10月09日

 朝鮮国王高宗の王后閔は、明治28年(1895)10月8日に日本公使三浦梧楼の指揮下の日本人壮士らに殺害された。
 閔は国王の正妻であったため「后」が正しいが、日本公使三浦梧楼は殺人の後に、閔を妾の地位に貶め「妃」と呼んだ。このため、日本では「閔妃」の呼称が定着した。韓国では諡号により「明成皇后」と言う。
 この事件は勃発した1895年の干支から、乙未事変とも言う。
 
〇閔妃暗殺は辞書などにどのように書かれているか
http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/Binhi.html
 
〇大学入試・日本史に出題される閔妃暗殺事件
http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/BinhiNyuushi.htm

加耶2022年10月08日

国立歴史民俗博物館では「加耶」展開催中。
 加耶とは、およそ日本の古墳時代に、朝鮮半島南部に存在した国。加耶は単独の国家ではなくて、各地域ごとの政治勢力が弱い連合を作っていた。かつての日本の歴史教科書では、加耶を任那と称して、そこが大和朝廷の支配下にある「任那日本府」と説明していたが、これは、史実ではない。
 
加耶は鉄の生産で栄えた。
 
鉄の材料。
 
金槌
鉄が豊富ですね。
 
鉄の鎧。保存状態が良いのはなぜだろう。
 
馬具。
 
黄金の耳飾り。
 
黄金の冠。
鉄の生産と交易で栄えていたので、財物も豊富だったようです。

加耶2022年10月07日

 
 国立歴史民俗博物館では「加耶」展開催中。
 加耶とは、およそ日本の古墳時代に、朝鮮半島南部に存在した国。加耶は単独の国家ではなくて、各地域ごとの政治勢力が弱い連合を作っていた。かつての日本の歴史教科書では、加耶を任那と称して、そこが大和朝廷の支配下にある「任那日本府」と説明していたが、これは、史実ではない。

 加耶は鉄の生産と交易によって栄えた。
 展示品は鉄・鉄製品・陶器・金の飾りなど。

本ー日清・日露戦史の真実2022年09月18日

 
渡辺延志/著『日清・日露戦史の真実』筑摩書房 (2022/7)
 
あまり興味のある内容ではなかった。タイトルと表紙写真です。

殺人者には恩赦をあたえ、自民党の政治家へ2022年07月09日

 
 安倍元首相が銃殺された。「なぜ?」「日本で?」多くの人はそう思っただろう。
 
 日本の歴史を振り返ると、井上日召ひきいる血盟団は、1932年、前蔵相・井上準之助、三井財閥・団琢磨を暗殺した。井上日召と実行犯の小沼正、菱沼五郎は無期懲役になるも、6年後に、昭和天皇は恩赦を与えた。
 その後、殺人犯・菱沼五郎は自由民主党の茨城県議会議員、茨城県議会議長となり、自民党の政策に基づき、茨城県に原子力発電所・研究施設を誘致し、補助金の不正取得に尽力した。
 写真は血盟団ゆかりの茨城県大洗町護国寺。殺人犯で自民党県議の菱沼五郎が寺の整備に尽力した。井上日召の銅像が建てられている。

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