10月8日は閔妃暗殺事件の日 ― 2022年10月09日
朝鮮国王高宗の王后閔は、明治28年(1895)10月8日に日本公使三浦梧楼の指揮下の日本人壮士らに殺害された。
閔は国王の正妻であったため「后」が正しいが、日本公使三浦梧楼は殺人の後に、閔を妾の地位に貶め「妃」と呼んだ。このため、日本では「閔妃」の呼称が定着した。韓国では諡号により「明成皇后」と言う。
この事件は勃発した1895年の干支から、乙未事変とも言う。
〇閔妃暗殺は辞書などにどのように書かれているか
http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/Binhi.html
〇大学入試・日本史に出題される閔妃暗殺事件
http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/BinhiNyuushi.htm
閔は国王の正妻であったため「后」が正しいが、日本公使三浦梧楼は殺人の後に、閔を妾の地位に貶め「妃」と呼んだ。このため、日本では「閔妃」の呼称が定着した。韓国では諡号により「明成皇后」と言う。
この事件は勃発した1895年の干支から、乙未事変とも言う。
〇閔妃暗殺は辞書などにどのように書かれているか
http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/Binhi.html
〇大学入試・日本史に出題される閔妃暗殺事件
http://nippon.nation.jp/Takeshima/ETC/BinhiNyuushi.htm
加耶 ― 2022年10月08日
加耶 ― 2022年10月07日

国立歴史民俗博物館では「加耶」展開催中。
加耶とは、およそ日本の古墳時代に、朝鮮半島南部に存在した国。加耶は単独の国家ではなくて、各地域ごとの政治勢力が弱い連合を作っていた。かつての日本の歴史教科書では、加耶を任那と称して、そこが大和朝廷の支配下にある「任那日本府」と説明していたが、これは、史実ではない。
加耶は鉄の生産と交易によって栄えた。
展示品は鉄・鉄製品・陶器・金の飾りなど。
本ー日清・日露戦史の真実 ― 2022年09月18日

渡辺延志/著『日清・日露戦史の真実』筑摩書房 (2022/7)
あまり興味のある内容ではなかった。タイトルと表紙写真です。
殺人者には恩赦をあたえ、自民党の政治家へ ― 2022年07月09日
本の紹介-北海道の歴史(下) ― 2022年07月05日

関秀志、桑原真人、他/著『北海道の歴史 (下)』北海道新聞社(2006/12)
下巻は明治以降。
明治政府の初期アイヌ政策について興味の持てる記述があった。
明治政府は、その成立当初は主としてロシアに対する国防的観点からアイヌ対策を重視していた。たとえば、一八六九(明治二)年五月の上局会議での蝦夷地開拓等の勅問には、これまで日本官史はアイヌの人々を酷使して来たが、外国人(ロシア人)は樺太進出(南下)のため、彼等を味方に付けようといつくしんで来た。その結果アイヌの人々は日本人をうらみ、ロシア入を信頼するようになった。もし、ロシアがアイヌの人々を救うという名目で彼等を扇動するようなことがあれば、その禍はたちまち箱館や松前にまで及ぶだろう、という意味の内容が述べられている(太政官日誌)。しかし、一八七五(明治八)年、樺太・千島交換条約が結ばれ、日ロ間の領土をめぐる対立と緊張が弱まると、国防上の必要からアイヌ政策を論ずることは、ほとんど見られなくなった。(P77)
本の紹介ー冊封琉球全図 ― 2022年06月30日

国立劇場おきなわ/監、 麻生伸一/編『冊封琉球全図』雄山閣 (2020/6)
北京・故宮博物館所蔵で、1719年に行われた琉球王尚敬の冊封に関して書かれた「冊封全図」「琉球全図」のカラーコピーと解説。この2書は『徐葆光 中山伝信録』と関係が深い。
本の紹介-北海道の歴史〈上〉 ― 2022年06月27日

長沼孝、榎森進、田端宏、他/著『北海道の歴史〈上〉古代・中世・近世編』北海道新聞社(2011/11)
石器時代から明治になるまでの北海道の歴史。詳しい。
クナシリメナシの乱の原因は、ほとんどすべての歴史解説書で、飛騨屋の横暴にあったと記される。しかし、飛騨屋側には、これを否定する「風説」が伝えられている。本書では、この風説に比べ、飛騨屋の横暴説が真実に近そうに見えることは明らかとしている。
鎮撫軍の責任者、番頭の新井田孫三郎が残した記録には、取り調べで聴取した蜂起の理由が次のように記されている(「寛政蝦夷乱取調日記」『日本庶民生活史料集成』第四巻)。
「めなし夷共申口」ー〆粕造りなどで働かされているが手当が少なすぎる(長人で米一俵、たばこ一把。ウタリではたばこ半把、マキリ一丁だけ)。アッケシでは粕〆割合手当があるが(粕はすべて和人に渡すが魚油の半分はアイヌ側の取り分とする)、メナシではない。「自分働」きができないほど暇なく使役されるので、越冬用の食料を準備するのも難しかった。アイヌの女房たちに対する「密夫」がひどく、「ツクナイ」を求めればかえって叩かれたりしている。働きの悪い者は殺してしまうとおどし、子供を背負っているメノコを釜へ投げこみそうにしてみせる、薪で叩かれて死んだ者、無理に飲まされた薬で死んだ者がいた。こんな有様だったのでやむをえずみんなで申し合わせて和人を「討殺」すこととなった。
「くなしり蝦夷共申口」ー「密夫」がひどく、子供を生ませている者もいる。「ツクナイ」を求めるとかえって「非分」な扱いを受けるのであきらめている者が多い。手当は少なくて(長人で米糀三俵、ウタレは一~二俵、メノコはたばこ一~三把とマキリ一丁)、「自分働」のひまがないほど使われている。働きの悪いアイヌは殺してしまい、和人をたくさん連れて来て「シャモ地」(和人地)に変えてしまうと言っていた。支配人からもらった「暇乞の酒」を飲んでクナシリ総長人のサンキチが死んでしまうという事件も起きている。このような有様だったのでやむをえず「シャモ人」を「討殺」することとなった。
「申口」を得るための取り調べはアッケシ長人イコトイ、ノカマッフ長人シヨンコ、クナシリ長人ツキノエが担当していたが、ほかにオサツ長人ネチカネ、シトウケンも立ち会っていた。オサツへは新井田孫三郎の知行所であり、日本語もできるこの町人たちを「間者」のように働かせるために出陣以前から騒動の現地へ派遣して情勢を調べさせていた(「蝦夷騒擾一件取計始末覚」)。 このオサツへアイヌ立ち会いのもとでの「申口」なので、ほぼ正確な記録なのかと思われる。
飛騨屋のアッケシ場所支配人であった伝七も、前掲の「蝦夷人共申口」と同じことを述べていた。理不尽な「密夫」のこと、アッケシで行われている〆粕割合手当がクナシリにはないこと、主なアイヌを殺して和人を移し「シャモ地同様」にするという風聞のあったことなどを、伝七も述べていたのである(前掲「寛政蝦夷乱取調日記」の伝七・吉兵衛申口)。
幕府の「間者」として松前に来ていた青嶋俊蔵も、新井田孫三郎に連れられて騒動の現地から松前まで出て来ていた「夷」に尋ね聞いたことを報告するなかで、「商人共交易方非分」のことや、領主の家来も「威服」ばかりを考え「教化」を心得ていないので自然と反抗的になってしまう、「夷」たちは「商人共不法」がひどいのでやむなく殺害に及んだのであり、「不埒」のことを行ったとは思っておらず、「償ひ」の品を提出することで処分も済むと考えていたらしい、と述べていた(「蝦夷地一件(五)」)。
飛騨屋側には、前掲の「蝦夷共申口」を否定する「風説」が伝えられている。飛騨屋に対して悪意を持っている三右衛門が通辞頭となって新井田孫三郎らと同道、現地で飛騨屋を悪く言うように仕向けたのだという。三右衛門は私欲をはかって飛騨屋から罷免されていたもので、飛騨屋の通辞がアイヌたちと懸け合いを行おうとすると、飛騨屋の者は「蝦夷共へ懸合ひ相成らず」と大いに怒っていたという(「飛騨屋文書」『根室市史』史料編)。この「風説」より「蝦夷共申口」の方が真実に近そうに見えることは、伝七の「申口」などからも明らかであろう。「商人共交易方非分」とか「商人共不法」と指摘されるような方法をとってでも収益を追求しなければならない事情が飛騨屋側にはあったのである。
松前藩への莫大な貸付金の返済のかわりにエトモ、アッケシ、キイタッフ、クナシリ、ソウヤの五場所を請け魚うこととなった飛騨屋であったが、 山請負(伐木業)と同じような経営上の経験を、漁場経営、漁獲物取引を中心とした場所請負について重ねて来ていたわけではなかった。 「未だ仕馴れざる儀二候得共御証文請取商売仕リ候」(馴れないことではあったが、藩と約束をかわして商売することとなった)としていたのである (「飛騨屋武川家文書」のうち寛政元年十一月十九日提出の訴状)。奥地の大場所を請け負うことになって大規模な商売ができるはずのところ、 エトモは大津屋へ、キイタッフは材木屋へ、ソウヤは阿部屋へそれぞれ下請けに出してしまっていたのは資金面や、経営経験上の問題が考えられていたからだと 思われる(河野資料「飛騨屋旧記」のうち「萬覚帳」の抜書)。(P290,P291)
本の紹介-帝国の島 ― 2022年06月26日

松島泰勝/著『帝国の島-琉球・尖閣に対する植民地主義と闘う』明石書店 (2020/8)
著者は竜谷大学経済学部教授で、琉球独立論者。
日本政府は、現在、尖閣諸島は日本固有の領土と主張している。本書はこれに対して異議を唱える。尖閣問題に対する、日本政府の主張への反論という観点から本書を読むと、歴史的経緯など良くまとまって書かれている。しかし、本の書き方が良くないのか、日本政府の論拠とそれへの反論が、どれがどれなのか、わかりにくい。
本書は、尖閣問題以外に、琉球併呑の不当性、戦時中の日本軍人による住民弾圧、人類学者による琉球墳墓からの遺骨泥棒、琉球独立問題なども話題とされている。章ごとに分かれているのだけれど、各々の問題に、尖閣問題が複雑に絡んでいる記述となっており読みにくい。問題が絡んでいるのは事実としても、もう少し整理をした記述にしてほしかった。
参考のために、目次を記す。
目次
はじめに
Ⅰ 日本政府はどのように琉球、尖閣諸島を奪ったのか
1 植民地主義を正当化する「無主地先占」論
2 尖閣日本領有論者に対する批判
3 「無主地先占」論と民族自決権との対立
4 琉球、尖閣諸島は「日本固有の領土」ではない
5 歴史認識問題としての尖閣問題
Ⅱ 日本帝国のなかの尖閣諸島
1 日本による尖閣諸島領有過程の問題点
2 他の島撰はどのように領有化されたのか
3 山県有朋の「琉球戦略」と尖閣諸島
Ⅲ 尖閣諸島における経済的植民地主義
1 古賀辰四郎による植民的経営としての尖閣開発
2 寄留商人による琉球の経済的搾取
3 油田発見後の日・中・台による「資源争奪」
4 「県益論」と「国益論」との「対立」
5 琉球における資源ナショナリズムの萌芽と挫折
6 稲嶺一郎と尖閣諸島
7 なぜ今でも尖閣油田開発ができないのか
Ⅳ サンフランシスコ平和条約体制下の琉球と尖閣諸島
1 サンフランシスコ平和条約体制下における琉球の主権問題
2 アジアの独立闘争に参加した琉球人
3 戦後東アジアにおける琉球独立運動
4 李承晩による琉球独立運動支援
5 日本の戦後期尖閣領有論の根拠
6 なぜ中国、台湾は尖閣領有を主張しているのかーその歴史的、国際法的な根拠
Ⅴ 日本の軍国主義化の拠点としての尖閣諸島と琉球
1 地政学上の拠点としての尖閣諸島
2 尖閣諸島で軍隊は住民を守らなかった
3 八重山諸島の教科書選定と「島懊防衛」との関係-教育による軍官民共生共死体制へ
4 教科書問題、自衛隊基地建設、尖閣諸島のトライアングル
5 沖縄戦に関する教科書検定問題と日本の軍国主義化
6 琉球列島での自衛隊基地建設と尖閣問題との関係
Ⅵ 琉球人遺骨問題と尖閣諸島問題との共通性
1 学知の植民地主義とは何か
2 琉球における学知の植民地主義
3 皇民化教育という植民地主義政策
4 天皇制国家による琉球併呑140年i琉球から天皇制を批判する
5 琉球人差別を止めない日本人類学会との闘い
6 京大総長による「琉球人差別発言事件」の背景
7 どのように琉球人遺骨を墓に戻すのか
Ⅶ 琉球独立と尖閣諸島問題
1 琉球人と尖閣諸島問題との関係
2 琉球の脱植民地化に向けた思想的闘い
3 尖閣帰属論から琉球独立論へ
4 尖閣諸島は琉球のものなのか
5 「日本復帰体制」から「琉球独立体制」へ
6 どのように民族自決権に基づいて独立するのか
注 索引 あとがき
歩く・知る・対話する琉球歩く・知る・対話する琉球学学 ― 2022年06月12日

松島泰勝/編,著『歩く・知る・対話する琉球学 歴史・社会・文化を体験しよう』明石書店 (2021/11)
高校生が修学旅行等で、沖縄を訪れるときの事前学習に適した内容。50ほどの項目を解説する形で、沖縄の歴史・社会・文化など幅広く沖縄の全体像を説明している。特に沖縄に対する事前知識がなくても、読みやすいように感じる。
本書の編集者は琉球独立を主張している人なので、日本の支配に反対するような記述があるが、内容はしっかりしており、史実・事実が冷静に記述されている。
本書は4部構成。
第一部は沖縄の歴史。15項目のトピックスを解説する形で、先史時代から、グスク時代、琉球王国時代、薩摩の侵攻と日中両属、明治初年の内国化、沖縄戦、占領統治、本土復帰と、一通り、沖縄の歴史すべてにわたって、ほぼ時代順に、説明している。
第二部は沖縄の社会と社会問題。13項目のトピックスを解説する。米軍基地問題が多い。
第三部は沖縄文化。15項目のトピックスを解説する形で、沖縄の文化、伝統工芸、芸能、文学など多義にわたっているが、何となくまとまりを欠く。
第四部はフィールドワークの案内。グスク、戦跡、自然などが紹介されている。